2018/02/18

ルドン-秘密の花園

三菱一号館美術館で開催中の『ルドン - 秘密の花園』のブロガー内覧会に参加してきました。

三菱一号館美術館といえば、ルドンの「グラン・ブーケ」を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。開館時に購入し、2012年の『ルドンとその周辺-夢見る世紀末』でお披露目され、話題になったルドンの傑作です。

内覧会の冒頭、挨拶の中で高橋館長がさまざまな苦難を乗り越えて「グラン・ブーケ」を三菱一号館美術館に迎えた話をされていて、本展が三菱一号館美術館にとって特別な意味を持つ展覧会だということが伝わってきました(「グラン・ブーケ」購入のいきさつについては本展図録にも詳しく載ってます)。

その本展の見どころはなんといっても、「グラン・ブーケ」とともにドムシー男爵家の城館の食堂を飾り、現在はオルセー美術館に所蔵されている15点の装飾画が来日していること。展覧会自体はルドンの初期から晩年まで多岐に渡る画業に触れているのですが、とりわけ花や植物をモティーフにした作品にスポットを当てているのも面白い。オルセー美術館やニューヨーク近代美術館、世界有数のルドン・コレクションで知られる岐阜美術館など国内外の美術館から約90点の作品を集め、とても充実した内容になっていました。


第1章 コローの教え、ブレスダンの指導

ルドンが本格的に画家の道を目指すのは20代半ば。ルドンと印象派のカミーユ・コローに接点があったというのはなかなか結びつかないのですが、コローの助言は修業を始めたばかりのルドンに大きな影響を与えたようです。「毎年同じ場所に行って、木を描くといい」というコローの言葉に従ったのか、ルドンは初期から晩年まで樹木をモティーフにした作品を多く残しています。

[写真左] オディロン・ルドン 「峡谷の入り口の木」 1865年以前 プチ・パレ美術館蔵
[写真右] オディロン・ルドン 「スペインにて」 1865年 シカゴ美術館蔵

[写真左] オディロン・ルドン 「ペイルルバートの小道」 オルセー美術館蔵
[写真右] オディロン・ルドン 「風景」 岐阜県美術館蔵

この時代は新古典主義のジェロームに師事したり、ブレスダンやファンタン=ラトゥールからエッチング(腐食銅版画)やリトグラフ(石炭画)の指導を受けたりしていた時期で、作品も油彩や木炭、エッチングなど、さまざまな技法を試みています。

初期の作品にはルドン特有の色彩や象徴主義的な傾向はまだあまりなくて、これルドンなの?と思うような作品もあったりします。たとえばちょっとブーダンぽい「風景」の手前の樹木がいきなり破墨ぽかったり(葉のない樹木というモティーフはこのあとたびたび登場する)、「ペイルルバートの小道」の真っ青な空なんて後のルドンを彷彿とさせます。

[写真左] オディロン・ルドン 「ペイルルバートのポプラ」 岐阜県美術館蔵
[写真右] オディロン・ルドン 「青空の下の木」 1883年頃 ニューヨーク近代美術館蔵


第2章 人間と樹木

ルドンの実質的なデビュー作となるのが版画集『夢のなかで』。39歳のとき。いわゆる“黒の時代”のはじまりです。ここで展示されていた5点はいずれも木(葉のない樹木)が描かれていたり、柱に根が描かれていたり、ちょっと奇怪です。

[写真右から] オディロン・ルドン 「『夢のなかで』表紙=扉絵」「『夢のなかで』Ⅴ.賭博師」
1879年 三菱一号館美術館蔵
「『ゴヤ頌』Ⅲ.陽気な風景の中の狂人」 1885年 三菱一号館美術館蔵
「『夜』Ⅱ.男は夜の風景の中で孤独だった」「『夜』Ⅴ.巫女たちは待っていた」
1886年 三菱一号館美術館蔵


[写真左] オディロン・ルドン 「兜をかぶった横顔」 1869-79年 プティ・パレ美術館蔵
[写真右] オディロン・ルドン 「荊の冠の頭部(キリストの頭部)」 1877年 プティ・パレ美術館蔵

木炭画もルドンの初期を特徴づけるものの一つ。黒というより茶に近い独特の色合いや風合いもそうですが、顔の影や荊の陰影と肌の白さのコントラストが印象的です。

[写真左] オディロン・ルドン 「キャリバンの眠り」 1895-1900年 オルセー美術館蔵
[写真右] オディロン・ルドン 「エジプトへの逃避」 オルセー美術館蔵

“黒の時代”も異界や悪夢をイメージ化したような作品が中心でしたが、色彩を取り戻したあとも、怪奇的なモティーフは影を潜めたとはいえ、非現実的で幻想的な世界観は変わりません。シェイクスピアの『テンペスト』に登場する異形の怪物キャリバンを描いた作品が2つあって、ひとつは鬼のような奇怪な顔をした“黒の時代”のもの、もうひとつはかわいいんだか不気味だか不思議な赤子のような彩色のもの。“黒の時代”を思わせる頭部だけの虫みたいなものが飛んでて、もう『テンペスト』とはほとんど関係なくなっているのはご愛嬌。


第3章 植物学者アルマン・クラヴォー

ルドンが10代の頃に出会い、大きな影響を受けた友人で植物学者のクラヴォーに捧げた版画集『夢想』。キリストの顔が浮き出た聖布など顔の描かれた作品がいくつかあって、いずれもクラヴォーの顔を描いたのではないかとされているそうです。ただどれもどこか悲しげ。光の表現なのか魂なのか、オーブのようなものも飛んでる。

オディロン・ルドン 「『夢想(わが友アルマン・クラヴォーの思い出に)」
1891年 三菱一号館美術館蔵


第4章 ドムシー男爵の食堂装飾

4階中央の一番広いスペースにはドムシー男爵家の食堂装飾画が並んでいます。食堂装飾画は16点あって、その内の10点がこのスペースに展示されています(残り5点+「グラン・ブーケ」は別の部屋)。基本的に実際の室内に飾られていた並びと同じになっていて、往時の雰囲気が良く分かります。美術館にもピッタリ。

ドムシー男爵はルドンのパトロンで、大きな作品の経験がほとんどなかったルドンに装飾画を依頼するわけですが、このチャレンジはルドンにとっても大きな契機となったようです。

[写真左から] オディロン・ルドン 「ひな菊」「人物」
「人物(黄色い花)」「花とナナカマドの実」 1900-1901年 オルセー美術館蔵

オディロン・ルドン 「黄色の背景の樹」「黄色のフリーズ」
1900-1901年 オルセー美術館蔵

[写真左から] オディロン・ルドン 「黄色い花咲く枝」「花のフリーズ(赤いひな菊)」
1900-1901年 オルセー美術館蔵

よく見ると、変な毛虫みたいな模様(?)があったり、手のように伸びる赤い枝があったり、ルドンが装飾画を描くんだからしょうがないよね、みたいなところもあります。

オディロン・ルドン 「グラン・ブーケ(大きな花束)」
1901年 三菱一号館美術館蔵

装飾画は何れも暖色系の柔らかな色彩で描かれているのですが、こうして見ると「グラン・ブーケ」の青色の大きな花瓶だけが異彩を放っているのに気づきます。敢えて寒色を使いながらも明るくカラフルな花々とパステルの柔らかなタッチで彩られた「グラン・ブーケ」は時に華やかに、時に静かに食堂を演出したのだろうなと感じます。


会場にはドムシー城の食堂の室内図がパネルで紹介されているので、どこに窓があって、どこに暖炉があったのかもイメージできます。

[写真左] オディロン・ルドン 「神秘的な対話」 1896年頃 岐阜県美術館蔵
[写真右] オディロン・ルドン 「ドムシー男爵夫人の肖像」 1900年 オルセー美術館蔵

ドムシー男爵夫人の肖像画があったのですが、肖像画にしては夫人の冷たい表情が印象的。広く空いたスペースに描かれたルドン的な青空がなんとなくシュールな感じもします。


第5章 「黒」に棲まう動植物

ふたたび“黒の時代”(これは単にスペースの関係?)。『夢のなかで』や『起源』、『ゴヤ頌』、『陪審員』、『悪の華』などルドンを代表する“黒の時代”の版画が並びます。

[写真右から] オディロン・ルドン 「『夢のなかで』Ⅰ.孵化」
「『夢のなかで』Ⅱ.発芽」 1879年 三菱一号館美術館蔵

次男が生まれ(長男を幼くして亡くしている)、幸福感に包まれたことがきっかけで画風が大きく変わったといわれるルドン。色彩豊かに描かれた植物や生物がルドンの夢や希望の表れだったとすれば、“黒”の動植物はかつてルドンを覆っていた不安や孤独、死の象徴だったのでしょうか。「天から私が授かったものは、夢にふけることでした」とルドンは語っていますが、“黒の時代”の作品はルドンの心の闇を観るような思いがします。

[写真左] オディロン・ルドン 「預言者」 1885年頃 シカゴ美術館蔵
[写真右] オディロン・ルドン 「植物人間」 1880年頃 シカゴ美術館蔵

「預言者」と「植物人間」がとてもいいんですが、あまり目に焼き付けてしまうと夢に出てきそうでちょっと怖い(笑)


第6章 蝶の夢、草花の無意識、水の眠り

こちらは一転、ルドンの作品にたびたび登場するカラフルで幻想的な蝶や草花、水をイメージさせる作品を集めています。まさに“秘密の花園”。

[写真左から] オディロン・ルドン 「マドンナ」 1910年 浜松市美術館蔵
「アレゴリー(太陽によって赤く染められたのではない赤い木」 1905年 岐阜県美術館蔵
「花の中の少女の横顔」 1900-1910年頃 岐阜県美術館蔵
「神秘」 1910年頃 フィリップ・コレクション蔵

[写真左] オディロン・ルドン 「眼をとじて」 1900年以降 岐阜県美術館蔵
[写真右] オディロン・ルドン 「オルフェウスの死」 1905-1910年頃 岐阜県美術館蔵

本展のメインヴィジュアルになっている「眼を閉じて」は『ルドンとその周辺-夢見る世紀末』でも拝見し、とても印象に残っている作品。ルドンの代表作「目を閉じて(閉じられた目、瞑目)」をベースにしていますが、「目を閉じて(閉じられた目、瞑目)」の精神性は薄れた分、色彩感や装飾性が強まってます。

[写真左] オディロン・ルドン 「蝶」 1910年頃 ニューヨーク近代美術館蔵


第7章 再現と想起という二つの岸の合流点にやってきた花ばな

花の静物だけが集められています。ルドンの静物画ってあまりイメージが湧かないのですが、この展覧会の流れで観ているととても自然だし、ルドンの別の一面を見るようで興味深いものがあります。このあたりはかつて指導を受け、静物画でも高い評価を得たファンタン=ラトゥールの影響とかもあるんでしょうか。

[写真左から] オディロン・ルドン 「日本風の花瓶」 1908年 ポーラ美術館蔵
「首の長い花瓶にいけられた野の花」 1912年頃 ニューヨーク近代美術館蔵
「花の中の少女の横顔」 1900-1910年頃 岐阜県美術館蔵
「花束」 ボルドー美術館蔵(オルセー美術館より寄託)

花瓶に歌舞伎の「紅葉狩」の鬼婆が描かれた作品がとても印象的。1点だけごく初期の20代後半頃の静物もありました。


第8章 装飾プロジェクト

最後にルドンがデザインを手がけた椅子や衝立、下絵などが紹介されています。椅子や衝立はタピスリーなので、それを前提として計算しデザイン化されていますが、オリヴィエ・サンセールという蒐集家のために制作したという屏風はカンバス地に直接油彩で描かれているので、完全にルドン的世界。それでいて屏風というのがすごくユニーク。


ここ10何年かで何度かルドンの展覧会を観ていますが、観れば観るほどルドンの世界にハマって行くというか、その深い魅力に気づかされます。会期の長い展覧会ですが、早めにどうぞ。


【ルドン-秘密の花園】
2018年5月20日(日)まで
三菱一号館美術館にて


もっと知りたいルドン―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたいルドン―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

2018/02/03

小村雪岱 「雪岱調」のできるまで

川越市立美術館で開催中の『小村雪岱 「雪岱調」のできるまで』を観てきました。

2009年の埼玉県立近代美術館や資生堂アートハウスの回顧展にはじまり、ここ10年でいくつか小村雪岱の展覧会がありましたが、東京近郊で小村雪岱の展覧会が開かれるのは2012年のニューオータニ美術館の展覧会以来久しぶりではないでしょうか。わたしも雪岱の作品をこうして観るのは埼玉県美のとき以来です。

再評価の波もあって最近は雪岱の関連本も相次いで出版されていたり、昨年が生誕130年だったそうで、ちょうといいタイミングの展覧会かもしれないですね。

本展は、鏡花本などの装釘や代表作「おせん」など小説の挿絵原画を中心にした展覧会で、春信に似た細面の美人、肥痩のない細くしなやかな線、シンプルで洗練された構図といった独特の「雪岱調」に行き着くまでとその後の活躍が分かりやすく構成されています。

展覧会の構成は以下のとおりです:
はじめに
第一章 大正期の雪岱
第二章 挿絵の仕事
第三章 「おせん」以後
第四章 雪岱の日本画

会場入ってすぐのところに、雪岱の没後に制作された雪岱画の複製版画があったのですが、クオリティが高くて、面相筆なのか木版なのか分からないぐらいでした。単純な2色の版画ですが、相当摺りを重ねたんだろうという感じがします。

東京美術学校では下村観山に就いて学んでいたという雪岱ですが、展示されていた美校の卒業制作作品という2点は余白もなく隅々まで描き込まれた鮮やかな色彩の作品で、いわゆる雪岱画とは完全に真逆の、そのギャップがとても興味深い。この頃、どういう画家を目指していたのか。

小村雪岱 「青柳」「雪の朝」
大正13年(1924)頃 埼玉県立近代美術館蔵

泉鏡花の小説本の装釘(雪岱は「装丁」でも「装幀」でもなく「装釘」という漢字を用いていたらしい)や資生堂の香水瓶などが並ぶ中、面白かったのが雪岱の描く女性の面貌表現の例として挙げられていたコーナーで、国貞風があったり、水野年方風があったり、大正ロマン風があったりと意外とバラエティに富んでるのが分かります。

雪岱の肉筆の日本画は少ないといいますが、「青柳」「落葉」「雪の朝」の連作は新鮮なトリミングと余白を活かした俯瞰の構図、繊細な線描と落ち着いた色彩に惹かれます。歴史人物画の「武者絵貼り交ぜ屏風」を観ると、古画や絵巻の模写の経験が活きてるんだろうなという印象を受けます。

小村雪岱 「おせん 傘」
昭和12年(1937) 資生堂アートハウス蔵

小村雪岱 「『お伝地獄』より“入れ墨”」
昭和10年(1935) 埼玉県立近代美術館蔵

新聞や小説本の挿絵は当初は好評だったものもあれば不評だったものもあり、一時は挿絵の仕事を控え、舞台美術に集中した時期もあったようですが、だんだんと無駄な描写や“かすれ”などの細工を省き、最低限の線だけで構成された「雪岱調」になっていくのが見て取れます。

谷中笠森稲荷の水茶屋の娘おせんをモデルにした「おせん」は現存する挿絵原画4枚の内2枚が出品。挿絵下図や冊子の絵入草紙、また挿絵をもとに画面構成を改変し描き直された作品などもあり、「おせん」の雰囲気は十分に伝わります。

繊細な線描は原画だからこその味わい。「おせん」以降の「お伝地獄」や「遊戯菩薩」、「忠臣蔵」、「旗本伝法」などの挿絵は墨の二諧調のみの明快でシンプルな画面構成で、物語の一場面をトリミングし、原作をより印象付ける雪岱ならではの行きついた境地のようなものを感じさせます。

小村雪岱 「春告鳥」
昭和7年(1932) 個人蔵

最後にもういちど、主に晩年の肉筆の日本画がいくつか。挿絵画家として活動してからは画壇とも距離を置き、ほとんど展覧会にも出品せず、私的な注文で描くことが多かったとのこと。雪岱調の延長線上にある美人画の数々に、雪岱がもし戦後まで生きていたらどんな作品を残していたのか、と思わずにいられませんでした。

新聞小説の挿絵「西郷隆盛 第二部」は雪岱の最期の作品。「巨盃」を描いたあと倒れ、その2日後に亡くなったそうです。

小村雪岱 「見立寒山拾得」
埼玉県立近代美術館蔵

美術館に着いたのがちょうどギャラリートークが終わったときで少し混んでたのですが、その後は人もまばらでゆっくり鑑賞できました。『日曜美術館』のアートシーンで紹介されるらしいので、会期後半は混み出すかもしれませんね。隣りの常設コーナーにも雪岱の作品が展示されているので忘れずに。


【生誕130年 小村雪岱 -「雪岱調」のできるまで-】
2018年3月11日(日)まで
川越市立美術館にて


小村雪岱随筆集小村雪岱随筆集


小村雪岱―物語る意匠 (ToBi selection)小村雪岱―物語る意匠 (ToBi selection)