2019/02/10

河鍋暁斎 その手に描けぬものなし

サントリー美術館で開催中の『河鍋暁斎 その手に描けぬものなし』に行ってきました。

最近、毎年のようにある河鍋暁斎の展覧会。2013年には三井記念美術館の『河鍋暁斎の能・狂言画』、2015年には三菱一号館美術館の『画鬼暁斎』、2017年にはBunkamuraザ・ミュージアムの『これぞ暁斎!』、2018年には東京富士美術館の『暁斎・暁翠伝』(未見)などあって、さすがにまたかと思わなくもないのですが、それだけ人気が高いということなのでしょう。

今年は暁斎の没後130年ということで、どこかでまた展覧会をやるんだろうと思ってましたが、今度はなんとサントリー美術館。サントリー美術館でやるからには他とちょっと切り口が違うんだろうなと期待も高くなります。

その本展は、前半は狩野派絵師としての活動と古画学習を軸にした構成になっていて、これまでにない見せ方になっているのがユニークなところ。ちょっとツウ好みというか、美術史的な観点になってるので、初心者には分かりづらいかなと思うところもありますが、後半は戯画や人物画。あまり難しいことは言われてもという人にも十分楽しめる内容で、いろいろ考えたなと感じます。

ちなみに没後120年のときの展覧会が京都国立博物館の『暁斎 Kyosai -近代へ架ける橋-』。暁斎の人気は京博の暁斎展から急に高まってきたので、あれから10年、暁斎をあらためて再評価するという意味で、とても興味深く、そして期待通りの内容の展覧会になっていました。

会場の構成は以下のとおりです:
第1章 暁斎、ここにあり!
第2章 狩野派絵師として
第3章 古画に学ぶ
第4章 戯れを描く、戯れに描く
第5章 聖俗/美醜の境界線
第6章 珠玉の名品
第7章 暁斎をめぐるネットワーク

河鍋暁斎 「枯木寒鴉図」
 明治14年(1881) 榮太樓總本鋪蔵 (展示は3/4まで)

会場入口のアプローチには暁斎の代表作のパネル写真が並べられているのですが、「枯木寒鴉図」の枝にとまっていた鴉が飛んでいったり、「幽霊図」の幽霊がボーッと浮かび上がったり、一部の作品がモーションピクチャーになっていて、ワクワク感を盛り上げてくれます。

最初のコーナーでは、暁斎の卓越した画技と幅広い画業を示す好例として、第二回内国勧業博覧会で最高賞を受賞し、当時としては破格の百円で売りに出され話題になった「枯木寒鴉図」と、同じく第二回内国勧業博覧会に出品された「花鳥図」が並べて展示されています。「枯木寒鴉図」は水墨の筆技の妙を味わえ、「花鳥図」は鮮やかな色彩と緻密な描写を愉しめ、それぞれに暁斎という絵師は只者ではないという印象を強く与えてくれます。「花鳥図」は昨年東博でも展示されていましたが、蛇が雉に絡まるという異様な光景がまた暁斎らしい。

河鍋暁斎 「花鳥図」
明治14年(1881) 東京国立博物館蔵 (展示は2/18まで)

その隣に展示されていた「観世音菩薩像」がなかなか素晴らしい傑作。図様は伝統的な楊柳観音ですが、球体の童子や近代日本画的な濃厚な色彩は狩野芳崖の「悲母観音」を彷彿とさせます。透けて見えるベールの表現や細部まで手の込んだ緻密な描写はさすがです。晩年の暁斎は観音像や天神像を描くことを日課にしていたといい、本展でも暁斎の仏画がいくつか展示されていますが、本作は暁斎の数ある仏画の中でも白眉だと思います。

河鍋暁斎 「観世音菩薩像」
明治12年(1879)または18年(1885)以降
日本浮世絵博物館蔵 (展示は3/4まで)

これまでも暁斎の展覧会では、暁斎が狩野派で学び、狩野派の絵師であることを晩年まで自負していた点については触れられていましたが、暁斎が6歳で入門した歌川国芳からの影響は語られることはあっても、狩野派絵師としての観点で暁斎が語られてきたことはほとんどなかったように思います。本展では逆に国芳のことには多く触れず、晩年まで続く狩野派との深いつながりに重点が置かれています。

狩野派の特徴的な力強い筆線や粉本学習で身に着けた安定した構図などが実際の作品とともに解説されていて、どこが狩野派的なのかということも分かりやすいのではないでしょうか。狩野探幽など狩野派絵師に倣った作品や、古画学習の成果をまとめた「暁斎縮図」など資料の展示もあり、狩野派絵師としての暁斎の活動が今までになくクリアーになった気がします。売りに出されていた駿河台狩野派絵師の作品を大量に買い集めたり、探幽が膨大な古画を写した「探幽縮図」を所持していたり、暁斎は晩年になっても研究熱心で、実は思ってた以上に狩野派の伝統を受け継ぐしっかりしたベースを持っていたことも分かります。

河鍋暁斎 「鷹に追われる風神図」
明治19年(1886) ゴールドマン・コレクション蔵

これまで国芳の影響で語られがちだった戯画も狩野派と関連づけていて、とても興味深いものがありました。狩野派ぽくない「鷹に追われる風神図」が探幽の戯画が着想源になっていたり、近年は探幽周辺でも戯画が制作されていたことが明らかになっているそうです。

中国・元代の絵師・顔輝の作品とそれを模写した暁斎の「鐘呂伝道図」が展示されていたり、室町時代の「放屁合戦絵巻」と暁斎の「放屁合戦絵巻」が並べてあったり、円山応挙の仔犬や鯉を模したとされる「鯉魚遊泳図」や「竹と仔犬」があったり、土佐派の祖・藤原行光が描いたとされる百鬼夜行図をもとにしたという「百鬼夜行図」があったり、「鳥獣戯画」や「九相図」を模写した作品があったり、暁斎が狩野派に限らず、非常に多くの古画学習を熱心に行っていたことも知ることができます。

河鍋暁斎 「百怪図」
明治四年(1871)頃 大英博物館蔵

今回の暁斎展の特徴の一つに、これまで目にする機会のあった河鍋暁斎記念美術館やゴールドマン・コレクション(旧福富太郎コレクションを含む)だけでなく、サントリー美術館や東京国立博物館、大英博物館など国内外から暁斎を代表する作品がいろいろ集まっている点があります。ここまで充実した作品が揃った暁斎展は関東圏では初めてではないでしょうか。大英博物館所蔵の「百怪図」や「幽霊図」、表を暁斎、裏を子の暁雲・暁翠が描いた湯島天満宮所蔵の大きな絵馬など、こういう機会でないと滅多に観られないものも多くありました。

[左] 河鍋暁斎 「幽霊図」
明治元年~3年(1868-70) ゴールドマン・コレクション蔵
[右] 河鍋暁斎 「幽霊図」 明治4年(1871)以降 大英博物館蔵

暁斎の「幽霊図」というと、藝大美術館の『うらめしや~、冥途のみやげ展』にも出品されていた妻の臨終の姿をもとに描いた「幽霊図」が有名ですが、本展では死首を持った「幽霊図」が並んで展示されていて、これがまた嫌になるぐらい恐ろしげ。

今回の出品作で一番驚いたのは、羽織の背に残酷な処刑の場面や九相図のような死体を描いた「処刑場跡描絵羽織」。全身血まみれで磔にされた死体や首吊りの死体、鴉が群がる朽ちた死体など、どれもひたすら不気味。図録を見ると表の袖や裏地にも処刑の様子を描かれていて、いったい誰が着るんやという感じです。過去に京博の暁斎展に出品されていたようですが、関東では初公開でしょうか。

[写真左] 河鍋暁斎 「地獄太夫と一休」
明治4年(1871)以降 ゴールドマン・コレクション蔵(※本展出品作)
[写真中・右」 参考:ウェストン・コレクション蔵(※未出品)、
ボストン美術館蔵(※未出品)

[写真左] 河鍋暁斎 「閻魔と地獄太夫」
明治前半 河鍋暁斎記念美術館蔵(※本展出品作。展示は3/4まで)
[写真右] 参考:プライス・コレクション蔵(※未出品)

地獄太夫も暁斎が好んだモチーフ。一休禅師との組み合わせや閻魔大王との組み合わせが知られていて、これまでも何度かお目にかかっています。一見同じ構図でも、地獄太夫の背後の屏風の絵が異なっていたり、打掛の絵柄が異なっていたり、落款の位置が異なっていたり、さまざま。人気があり依頼も多かったのだと思いますが、一体どれだけ描いてるのでしょうか。

ほかにも国芳譲りの錦絵や暁斎が得意とした席画なども多く展示されています。暁斎は‟狂斎‟時代に席画で描いた作品がもとで投獄され、以後名を暁斎に改めたという話は有名ですが、席画を描く暁斎自身をセルフパロディー化した「百書画会」なる楽しい作品もありました。後半には、何度読んでも面白い「暁斎絵日記」や、息子・暁雲、娘・暁翠の作品なども展示されています。

何度も暁斎の展覧会に足を運んでいる人にはお馴染みの作品も多く正直新鮮味は薄いのですが、それでも初めて観る作品もあり、見応えがありました。


【河鍋暁斎 その手に描けぬものなし】
2019年3月31日(日)まで
サントリー美術館にて

「画鬼」河鍋暁斎 (TJMOOK)「画鬼」河鍋暁斎 (TJMOOK)

0 件のコメント:

コメントを投稿