2017/02/18

並河靖之七宝展

東京都庭園美術館で『並河靖之七宝展』を観てまいりました。

最近は明治時代の工芸品の展覧会も多く、並河靖之の七宝作品を観る機会も増えましたが、私自身あまり工芸に明るくないので、実際のところよく分かってなかったりします。それでも東京国立博物館の『皇室の名宝』で並河靖之の「四季花鳥図花瓶」を観て衝撃を受けて以来、明治以降の工芸家の中では一番注目していて、京都の並河靖之七宝記念館にも足を運びました。

本展は並河靖之の没後90年を記念する回顧展で、初期から晩年まで、ここまでの規模で作品が一堂に会するのは初めてだといいます。七宝作品だけでも出品数は90点を超え、そのほか貴重な下絵なども展示されていて、大変充実した展覧会になっていました。


並河靖之は工芸を生業とする家に生まれたわけでなく、もともとは武家の生まれで、宮家に仕えていたりした人で、一念発起して七宝制作を始めたのも20代後半になってからといわれています。最初は失敗も多かったようで、クオリティーの悪さから輸出業者に買い取ってもらえなかったというエピソードも紹介されていました。

並河靖之 「松に鶴図花瓶」
明治前期 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館蔵

並河靖之 「鳳凰草花図飾壷・草花図飾壷」
明治中期 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館蔵

初期の作品は伝統的な京七宝や中国の泥七宝を参考にした作品が多く、光沢はなく、色調も少し濁っていたりします。とはいえ、これこれこうですと説明されればなるほどと思いますし、比較して見れば確かに後年の作品の水準には遠いと分かりますが、どれも緻密で繊細で美しく、いきなり完成形なのに驚きます。

「鳳凰草花図飾壷・草花図飾壷」は茶金石という並河が発明したという技法が使われていて、よく見ると褐色の地がキラキラしています。黒地の質にもこだわり、七宝の色彩を引き立たせる艶やかな漆黒の黒色透明釉薬を開発するなど、有線七宝の概念を覆す技を次々と考案。独自の美意識で日本の伝統美を表現するようになります。

並河靖之 「四季花鳥図花瓶」
明治32年 宮内庁三の丸尚三館蔵

そんな並河の転機となったのが、『皇室の名宝』にも出品されていた「四季花鳥図花瓶」で、パリ万博で金賞を受賞し、七宝家としての名を知らしめることになります。時に並河54歳。ここに辿り着くまでにどんな苦労を重ねてきたか。

並河靖之 「菊紋付蝶松唐草模様花瓶」
明治中期 泉涌寺蔵

並河の七宝は、植線と呼ばれる金属線で文様や絵柄の輪郭を作り、そこに釉薬を流し込むという有線七宝という技術で制作されていて、会場ではその制作工程がパネルで分かりやすく解説されています。第二会場では制作風景をビデオで紹介していたりするのですが、現代の工芸家でさえも並河の有線七宝は再現不可能の様子で、その仕上がり具合が並河作品と差があり過ぎて、並河の技術がどれだけ難易度が高く超絶で技巧的なのかが凄く実感できます。

並河靖之 「桜牡丹菊蝶文小花瓶」
明治後期 並河靖之七宝記念館蔵

円熟期の作品は技術だけでなく意匠的にも幅が広がり、クオリティの高さに舌を巻きます。その超細密な模様の美しさ、華麗な色彩にため息が漏れるばかり。超絶技巧という言葉で簡単に一括りにしてしまいたくない、究極の美と技術の高さに圧倒されます。単眼鏡で覗くとさらに驚くこと必至。制作工程のことが知ると、植線に肥瘦を付けるとか水墨画のようなボカシを入れるとか、最早神技なんだということがよく分かります。単眼鏡は会場でも貸出しているので、是非借りて観てみてください。

並河はいわばプロデューサーのような役割をしていて、七宝制作は多くの職人により分業で行われていたようです。会場には工房の様子を写した写真があったり、並河作品の図案を多く手掛けた中原哲泉の下画もあって、実際の作品を比べながら観ることもできます。

並河靖之 「菊御紋章藤文大花瓶」
明治時代~大正時代  並河靖之七宝記念館蔵

並河の七宝作品は輸出工芸品として制作されたこともあり、大部分は海外に渡っているわけですが、本展は国内外の博物館・美術館から重要な作品が集まり、大変見応えがあります。旧朝香宮邸の建物ともとてもマッチしていて、雰囲気も抜群です。


【並河靖之七宝展 明治七宝の誘惑-透明な黒の感性】
2017年4月9日(日)まで
東京都庭園美術館にて


別冊太陽217 明治の細密工芸 (別冊太陽 日本のこころ 217)別冊太陽217 明治の細密工芸 (別冊太陽 日本のこころ 217)

0 件のコメント:

コメントを投稿