2016/05/03

髙島野十郎展

目黒区美術館で『没後40年 髙島野十郎展 -光と闇、魂の軌跡』を観てまいりました。

去年の暮れから福岡県立美術館で行われ、好評だった回顧展の巡回展。個人的には名前は知っていても作品をよく知らない画家の一人で、今回の展覧会でその全貌にようやく触れられたように思います。

髙島野十郎は東京帝大農学部水産学科を首席で卒業するも、その後画家に転身したという変わり種で、絵画は独学、画壇とも無縁。そのため生前は広く名を知られることはなく、没後テレビで紹介されたりして、じわりじわり評価が高まっていったといいます。

出品数は約150点。東京では1988年目黒区美術館、2006年三鷹市美術ギャラリーに次いでの展覧会とのことです。


第1章 初期作品 理想に燃えて

帝大在学中に描いたという自画像が衝撃的です。画家の自画像もいろいろ観てますが、首や脛から血を流してる自画像なんて初めて。何か思い詰めてるのか、神経が昂ってるのか、目もどこかうつろで凄い形相です。33歳のときの自画像は片手には青りんご、片手は仏像のような印相で、これまた謎めいた表情を浮かべています。ちょっと変わった人なのかなという印象。

髙島野十郎 「りんごを手にした自画像」
大正12年(1923) 福岡県立美術館蔵

いきなりインパクトのある自画像に面喰いますが、この人の真骨頂は精緻な写実の静物で、初期の作品からその画力の高さは圧倒的です。布の表現にまだ完成されてない感がありますが、果物や花など一貫して徹底した写実表現が素晴らしい。ただの再現性の高い写実というのではなく、何か妖しかったり、どこかおどろおどろしかったり、ちょっとクセのあるフィルターを通しているというか、再構築されているようなところがあり、そこが独特の味になっています。

髙島野十郎 「けし」
大正14年(1925) 三鷹市美術ギャラリー

独学であるとはいえ、同世代の岸田劉生やデューラー、またゴッホなどの影響を受けているようです。特に、自画像や恩師の肖像画などを観ても岸田劉生に近いものを感じますし、デロリ的なものも影響されているのかもしれないと思ったりします。

髙島野十郎 「百合とヴァイオリン」
大正10年代頃(1921-26) 目黒区美術館蔵


第2章 滞欧期 心軽やかな異国体験

39歳の頃、画家志望だった兄の支援を受けて渡航。誰に師事するでもなく、またパリに集う日本人画家たちと交流するわけでもなく、行く先々でスケッチしたり、美術館に通ったりしていたのでしょう。3年に及ぶアメリカやヨーロッパでの体験は有意義だったようで、レパートリーに風景画が加わり、作風や色彩に変化をもたらします。

髙島野十郎 「日曜日の夕方、巴里のオーステルリッツ橋」
昭和5~8年(1930-33) 個人蔵

ニューヨークやパリ、ヴェネチア、さまざまな場所を描いた作品がありますが、それぞれタッチが違っていて、ユトリロぽかったり、ホイッスラーぽかったり、いろいろと研究していたのかもしれないなとも思いました。野十郎の絵はストイックで、執拗に突き詰めた感じがしますが、研究畑出身ということもあり絵を描くにも学究肌みたいなところがあったのかもしれません。


第3章 風景 旅する画家

帰国後の重要なモチーフとなる風景画を展観。南青山という都心に住んでいたようですが、東京ぽい風景画は皆無で、あっても新宿御苑や石神井公園といった自然豊かな場所や、あとは旅先での山や野、鄙びた村の風景が多いようです。

髙島野十郎 「御苑の春」
昭和23年以降(1948~) 福岡県立美術館蔵

これも海外を旅した影響なのでしょうが、それまでの静物から受ける印象とは打って変わって、明るさと軽やかさが風景画に現れています。野十郎は風景画も人気のようですが、静物ほどの個性はあまり感じられず、個人的にその良さはいま一つ分かりませんでした。遠近感のある広大な風景や季節感のある景色、写生を基本とした忠実な描写は確かに安心感があります。

髙島野十郎 「れんげ草」
昭和32年(1957) 個人蔵

奈良の古刹を描いた作品がいくつかあって、会場の一角に特別に展示されているのが「雨 法隆寺塔」。所蔵者宅から盗難に遭い、数年後発見されるもカビと湿気で酷く傷んだ状態になっていて、今度はその家が火事に遭って煤と熱で変色してしまったという作品で、二度の苦難を乗り越えながらも奇跡的に修復されたと、その過程が解説されています。そぼ降る雨の表現も秀逸で、情緒感のあるとても素晴らしい作品ですが、よくまあここまで修復されたと驚きます。

髙島野十郎 「雨 法隆寺塔」
昭和40年(1965)頃 個人蔵


第4章 静物 小さな宇宙

ここでは主に帰国後の静物が中心。滞欧米前と比べると、行き過ぎた作為性は薄れ、色彩や光がより繊細で、筆致も流れるように素直な感じを受けます。

髙島野十郎 「からすうり」
昭和23年以降(1948~) 個人蔵

髙島野十郎 「こぶしとリンゴ」
昭和41年(1966)頃 福岡県立美術館蔵

野十郎の静物は題材の選択や取り合わせ、画面の構成力にすごく特色があって、何より見た目的な写実の裏にある心の写実というか内面的なものを強く感じます。その絵の醸し出す静謐さ、空気感が心に浸透していく感じがあって、個人的にはかなり好みです。

髙島野十郎 「割れた皿」
昭和33年(1958)頃 福岡県立美術館蔵

煙草のひと筋の煙。写実を超えた深く感情的なイメージが表されているようで、ちょっとドキッとしました。

髙島野十郎 「煙(夜の)」
大正10年(1921) 個人蔵


第5章 光と闇 太陽・月・蝋燭

最後に野十郎がライフワークのように描いた“蝋燭”の絵や、太陽や月を描いた連作を紹介。初期の作品から光と闇、また仏教への関心は見え隠れしていましたが、それが最も特徴的に表れているのがこれらの作品で、野十郎の行き着いた心境を見る思いがします。

髙島野十郎 「蝋燭」
大正時代 福岡県立美術館蔵

ほぼ同一の構図、蝋燭の長さも炎の大きさもほとんど一緒。まるでミニマリズムです。売るために描いたのでなく、多くは知人に譲っていたというのも何か象徴的。月を描いた絵も、太陽を描いた絵も、どこか宗教的ですらあります。静読深思ならぬ静“描”深思とでもいうんでしょうか、極めて高い精神性を感じます。

髙島野十郎 「満月」
昭和38年(1963)頃 東京大学医科学研究所蔵

孤高の画家といわれ、美術運動の流行にも囚われることなく、自分の世界を追求した訳ですが、全くブレないというか、どの作品も徹底して考え抜かれた上で描かれている感じがして、こういう画家がいたんだと驚きました。


【没後40年 髙島野十郎展】
2016年6月5日(日)まで
目黒区美術館にて

巡回: 足利市立美術館 2016年6月18日(土)~7月31日(日)


高島野十郎画集―作品と遺稿高島野十郎画集―作品と遺稿

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