先日、新橋演舞場で「十月大歌舞伎」を観てまいりました。今月は夜の部です。
まずは『盛綱陣屋』。
それぞれの主人が敵味方に分かれたため、戦わざるを得なくなった佐々木盛綱・高綱兄弟の悲劇を描いた義太夫狂言です。舞台は源頼家と北條時政が争った鎌倉時代に設定されてますが、もとは豊臣と徳川が争った大阪冬の陣を題材にしていて、モデルは真田兄弟なのだとか。
冒頭、盛綱(仁左衛門)の子が高綱の子・小四郎を捕らえ手柄をあげるのですが、そこに頼家方から和田兵衛秀盛(團十郎)が小四郎を返せとやってきます。盛綱は自分の判断では返せないと伝えると、和田兵衛は時政に直談判するため屋敷をあとにします。盛綱は悩んだ挙句、小四郎に切腹するよう説得してほしいと母(小四郎にとっては祖母)に頼みます。当初、高綱が時政方に寝返るよう小四郎を生かしておこうと考えていたのですが、子への情愛で寝返るのは武将としては恥であり、高綱の名誉、そして家の名誉のためにも小四郎は切腹させるべきと考えたのです。なんで幼子を切腹させなければならないのか、今の世の常識では想像もできないことですが、武士の世の中とはかくあるものだったのでしょう。仁左衛門が母・微妙(秀太郎)に語る一言一言の言葉の重さが胸に迫ります。夜が更けると、小四郎の母・篝火(魁春)が心配のあまり、盛綱の屋敷を覗きに来ます。微妙は小四郎に父のためにと切腹を迫りますが、小四郎は頑なに拒否。そこに高綱、討ち死にの知らせがやってきます…。
実は討ち死にしたのは高綱の影武者で、小四郎が盛綱に捕えられて切腹をするのも、和田兵衛が盛綱を訪れるのも、全て高綱の計略という、非常に巧妙なトリックが『盛綱陣屋』には隠されています。なるほどそういうことだったのか、と最後に明らかになるのですが、親子の情、兄弟の情、武士の情けを描きながら、戦国の世の厳しさ、酷さがしっかりと語られていました。仁左衛門の丁寧な演技、そして秀太郎や魁春、孝太郎、團十郎といった確かな芝居があったからこそ、ここまで見応えある舞台に仕上がったのだと思います。
重厚な時代物につづいては、ホッと息のつける『どんつく』。
『どんつく』は本名題を「神楽諷雲井曲毬(かぐらうたくもいのきょくまり)」といって、その名にあるように太神楽という曲芸師が主役の舞踊もの。今月の一座が総出演で、それぞれに見事な曲芸や軽妙な踊りを見せるという賑やかで楽しい狂言でした。当代三津五郎と巳之助の親子の息の合った舞踊の巧さとひょうきんな味わいと、團十郎のおおらかで飄々とした江戸の粋が劇場を沸かせていました。
最後は、義太夫狂言で『艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)』。通称『酒屋』。
酒屋のダメ息子・半七はお園という妻のいる身でありながら、外に子を作り、お園は実家に連れ戻されるのですが、一度は嫁にやった娘だからとお園は父に連れられ再び酒屋にやってきます。そこで次々驚くような事実が明らかにされるのですが、舞台の半分近くがみんなで泣き崩れているような重いお話で、最後に見るには正直ちょっとしんどかった。ただ、お園と半七を一人二役で演じた福助は神妙な面持ちで芝居をしていてとても感心したし、途中の“くどき”もお園の心情が細かな仕草に表現され、とても良かったと思います。大阪が舞台の話ということでか、福助以外は関西の役者さんというのも、それらしさを出していたのかもしれません。ただ、『どんつく』のあと帰ってしまったお客さんも多く、空席もちらほら。内容も暗いお話だし、『どんつく』の前にやればよかったのにと、ちょっとそんな気もしました。
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