浮世絵誕生から錦絵(多色刷り浮世絵版画)が登場するまで、初期の浮世絵の流れを追った展覧会です。彩色の肉筆浮世絵は別として、印刷技術も未発達なので色も墨一色、せいぜい色がついていても手彩色といった具合。構図だって江戸後期の浮世絵のように凝ったものがあるわけではありません。
わたしも実際観るまでは、恐らく地味で、退屈するかと思ってましたが、それが大間違い。初期の浮世絵がこんなにも魅力的だと思ってもいませんでした。菱川師宣はもちろん、杉村治兵衛や鳥居清倍、石川豊信といった人気浮世絵師に隠れてなかなかスポットの当たらない絵師の作品も充実していて、これがまたとても面白い。
日本には現存せず海外から里帰りした貴重な作品も多く、大英博物館やシカゴ美術館、ホノルル美術館といった浮世絵のコレクションで知られる海外の美術館をはじめ、国内外の美術館・博物館から版画・肉筆画が約200点集められています。浮世絵草創期の世界を紹介するこの規模の展覧会は日本初だといいます。
プロローグ 浮世の楽しみ -近世初期風俗画
浮世絵誕生前夜の日本画の流れとして、17世紀前半の風俗画を紹介しています。最初に登場する細見美術館蔵の「江戸名所遊楽図屏風」は浅草寺や周囲の芝居小屋など江戸の賑わいや風俗が伝わってくる豪奢な屏風。腕の確かな絵師によると思われ、又兵衛工房説もあるようです。
「桜狩遊楽図屏風」はそうした名所図屏風から風俗描写を切り取ったような作品。寝そべって煙草をくゆらしていたり、暇を持てあまりしてる風だったり、もったいぶってそうだったり、全体的に艶めかしさと気だるさが同居しています。顔立ちはどれも似ていて、下膨れした感じは又兵衛系の面相を思わせます。展示されているのは実は右隻で、対となる左隻はブルックリン美術館にあり、そちらには若衆の集団が描かれているとか。
「桜狩遊楽図屏風」(重要美術品)
寛永期(1624-44) 個人蔵
寛永期(1624-44) 個人蔵
寛永期によく描かれたという文使い図や、寛文美人図の代表的な作例という扇舞図など、浮世絵の立姿美人図の先駆けとなるような作品もあります。江戸初期の風俗画をまとめて観る機会というのもそうは多くないので嬉しいところです。
1 菱川師宣と浮世絵の誕生 -江戸自慢の時代
浮世絵の始祖といわれるのが菱川師宣。図録には師宣の生い立ちや、どのような経緯で浮世絵を描くに至ったかが詳しく書かれているのが有り難い。
師宣は当初、風俗絵師として活躍していたと考えられていて、その中で当時興隆していた大衆向けの草双紙(絵入版本)を手掛けるようになったのではないかといわれています。師宣の名前が初めて登場するのが「武家百人一首」。それは名前を出せるほどの人気絵師になった証しな訳ですが、ここではそれ以前の、師宣の作かどうか分からないものも含め、師宣風の絵入版本も多数紹介されています。
菱川師宣 「武家百人一首」
寛文12年(1672) 千葉市美術館蔵
寛文12年(1672) 千葉市美術館蔵
絵入版本にはテキストが入っているので、『曽我物語』や『源氏物語』のような物語の挿絵的なものもあるのですが、絵だけの版本や大人向けの好色本が出てきたり、やがて最初の浮世絵版画といわれる組物(12枚組の墨摺絵)が登場します。
菱川師宣 「隅田川上野風俗図屏風」
延宝期(1673-81) 千葉市美術館蔵
延宝期(1673-81) 千葉市美術館蔵
師宣の肉筆画も充実していて、初期から晩年のものまで多彩。「隅田川上野風俗図屏風」や「遊里風俗図巻」など早期の作品を観ると、初期風俗画から浮世絵への変遷を見る思いがするし、後期の「江戸風俗図巻」や「上野花見・歌舞伎図巻」などはその筆致のこなれ感もさることながら、こうした作品を手掛けられる程、師宣の人気が高かったんだろうなと感じます。
師宣の珍しい仏画もあって、柔和な表情や流れるような線は浮世絵のものとはまた異なって興味深い。縫箔師の家に生まれ、一流の書画を学んだとされるその確かな背景を見る思いがします。縫箔師だった父・吉左衛門の手の込んだ縫箔刺繍による作品も展示されていて貴重。
菱川師宣 「地蔵菩薩像」
貞享~元禄期(1684-1704) 大英博物館蔵
貞享~元禄期(1684-1704) 大英博物館蔵
春画はないだろうとは思っていましたが、“枕絵”という呼び方でソフトな“春画”がいくつか紹介されています。当時の絵入版本で人気のあったものに枕絵本(春画本)があって、師宣はそうした枕絵をかなり量産しています。枕絵の版本や組物の中でもおとなしい絵を展示してるのでしょうし、さすがに局部が描かれたものはありませんが、初期浮世絵からこうした枕絵(春画)は外せないので、その点でも今までの浮世絵展に比べて少し踏み込んでる気がします。ただ公営の美術館としてはこれがギリギリなのでしょう。
余談ですが、もとは相撲の言葉だった四十八手を性行為の体位に最初に使ったのは一説には師宣とも言われ、「恋の睦言四十八手」という作品も出品されています。男女の親密な様子や情交の形を48図掲載しているそうです。いわば四十八手の元祖。
菱川師宣 「恋の睦言四十八手」
延宝7年(1679) 千葉市美術館蔵ラヴィッツ・コレクション
延宝7年(1679) 千葉市美術館蔵ラヴィッツ・コレクション
菱川師宣 「衝立のかげ」
延宝(1673-81)後期 千葉市美術館蔵ラヴィッツ・コレクション
延宝(1673-81)後期 千葉市美術館蔵ラヴィッツ・コレクション
師宣のすぐ後を追うように活躍したのが杉村治兵衛。浮世絵の展覧会でも稀に見かけますが、まとめて作品を観る機会というのはなかなかありません。治兵衛も春画が多いので知られ、本展でも多くの枕絵が並んでいます。師宣の画風ともまた違い、全体的に丸みのあるおおらかな線や少しふっくらした人物描写がいいし、枕絵がまた艶めかしい。
杉村治兵衛 「遊女と客」
天和~貞享期(1681-88)頃 個人蔵
天和~貞享期(1681-88)頃 個人蔵
治兵衛の「遊歩美人図」は墨摺絵を彩色したもの。当時の墨摺絵は主に12枚の組物ですが、これは一枚絵の浮世絵版画。一枚絵のごく最初期の貴重な作品で、世界でもこれ一点しかないそうです。菱川派が多く手掛けていた肉筆の立美人図に代わる安価な商品として生まれたのではないかとのことでした。着物には『伊勢物語』の場面が描かれています。
杉村治兵衛 「遊歩美人図」
貞享期(1684-88)頃 シカゴ美術館蔵
貞享期(1684-88)頃 シカゴ美術館蔵
2 荒事の躍動と継承 -初期鳥居派の活躍
師宣や治兵衛に歌舞伎を描いたものはあっても本格的な役者絵はなく、歌舞伎が浮世絵の主要な画題となるのは鳥居派が最初といわれています。鳥居派の祖・清信の父は女方の役者だったそうで、清信も芝居小屋で絵看板を描き評判になります。絵看板は興行が終わると捨てられ現存しませんが、幸い肉筆画や墨摺の役者絵は残されているので、当時の絵看板をイメージする手掛かりになります。
初代鳥居清倍 「二代目市川団十郎の虎退治」
正徳3年(1713) 千葉市美術館蔵
正徳3年(1713) 千葉市美術館蔵
清信とその子(兄説もあり)・清倍、さらにそれぞれの2代目がいて、ほぼ同時代に活動しているのと代変わりが明確でないので、清信や清倍と名のついた一枚絵は半世紀以上に渡って江戸に流布したといいます。いずれも画風は似ていて、量感ある人物描写や、荒事に見る勇壮で躍動感のある表現に特徴があります。特に清倍の勢いのある線がいいですね。初期の役者絵の8割は“清倍”のものだそうです。
初代鳥居清倍 「月を眺める遊女」
宝永期(1704-11)頃 シアトル美術館蔵
宝永期(1704-11)頃 シアトル美術館蔵
清倍は立姿美人図も多くて、ふくよかな女性の姿や線の肥痩は同時代の懐月堂派を思わせます。「月を眺める遊女」は月を眺める姿も艶めかしい逸品。文字散らしの模様の着物は初期浮世絵の美人画や役者絵によく描かれたそうです。この時代は丹絵ですが、一人立の美人図に背景が描かれるのはまだ珍しく、その点で後の美人画の先を行っていたのかもしれません。
3 床の間のヴィーナス -懐月堂派と立美人図
ここでは肉筆浮世絵を主とした懐月堂派と宮川派の作品を紹介。版本や浮世絵版画の一種の反動として、肉筆の美人図に人気が集まったといいます。懐月堂派はパターン化された図像であったり、高価ではない絵具だったりと庶民向けの量産型で、宮川派は絹地に上質な絵具を使い、裕福な享受層向けの比較的高価な肉筆浮世絵だったようです。
懐月堂安度 「遊女立美人図」
宝永~正徳期(1704-16) 東京国立博物館蔵(展示は1/31まで)
宝永~正徳期(1704-16) 東京国立博物館蔵(展示は1/31まで)
懐月堂派が描く女性はスタイルがだいたい決まってますが、着物の文様が色とりどりで、まるでファッション誌を見るような楽しさがあります。一方、宮川派の美人画は洗練された、艶やかなイメージがあったのですが、初期のものはかなり懐月堂派に近いんですね。それだけ懐月堂派の美人画は流行したということなのでしょう。
宮川一笑 「吉原風俗図」
元文期(1736-41) 千葉市美術館蔵
元文期(1736-41) 千葉市美術館蔵
4 浮世絵界のトリックスター -奥村政信の発信力
これまで奥村政信の作品をあまり意識して観たことはなかったのですが、本展では大きく取り上げられています。かなりのアイディアマンだったみたいですね。
奥村政信 「小倉山荘図」
享保期(1736-44) 東京国立博物館蔵(展示は1/31まで)
享保期(1736-44) 東京国立博物館蔵(展示は1/31まで)
先日の『肉筆浮世絵-美の競艶』でも鯉に乗る琴高仙人を遊女に置き換えた「やつし琴高仙人図」が印象的でしたが、本展でも『源氏物語』を当世風に描いたり、吉田兼好を遊女に置き換えて描いたり、藤原定家と式子内親王の恋愛譚を男色に脚色したりと、ウイットに富んだやつし絵(見立て絵)など趣向を凝らした作品が多くあります。
奥村政信 「初代尾上菊五郎の曽我五郎」
延享~寛延期(1744-51) ホノルル美術館蔵
延享~寛延期(1744-51) ホノルル美術館蔵
画題の面白さだけでなく、極端に縦長な柱絵や、西洋画の遠近法を浮世絵に取り入れた“浮絵”など、見た目にもユニークな浮世絵も次々生み出したのだそうです。無駄な余白を取り除いてトリミングした柱絵なんて、いま見ても斬新で洒落てると感じます。
奥村政信 「両国橋夕涼見大浮絵」
寛保~延享期(1741-48) ホノルル美術館蔵
寛保~延享期(1741-48) ホノルル美術館蔵
5 紅色のロマンス -紅摺絵から錦絵へ
これまでの浮世絵版画は基本的に墨摺絵(後に丹絵も)で、そこに筆で彩色をしていたわけですが、18世紀半ばになると版による彩色が行われるようになります。最後の章では、墨+2色からなる紅摺絵を中心に最初期の錦絵まで展観していきます。
鳥居清広 「風に悩む美人」
宝暦(1751-64)前期 大英博物館蔵
宝暦(1751-64)前期 大英博物館蔵
春信の作品は浮世絵の展覧会では観る機会があるので、かなり見慣れた感が出てきます。春信のデビューの年の作品というのがあったのですが、初期の作品などを観ると、一世代前の奥村政信や西村重長、石川豊信、鳥居清広といった絵師に近いことが分かりますし、春信ののびやかで軽妙な線描や細身で可憐な美人画は彼らの影響を受けているんだろうなと感じます。
鈴木春信 「風流やつし七小町 雨ごい」
宝暦(1751-64)末期 大英博物館蔵
宝暦(1751-64)末期 大英博物館蔵
浮世絵の展覧会というと、歌麿や北斎だったり、写楽だったり、国芳だったり、美人画や役者絵、江戸や東海道の風景画、戯画といった色彩豊かな錦絵がイメージされますが、本展にはそうした作品は一つも出ていません。浮世絵の爛熟期に向けて少しずつ完成されていく過程が見えて、非常に興味深いものがあります。本展の図録がまた充実していて、各作品の解説も詳しく、浮世絵ファンなら買いだと思います。オススメの展覧会です。
期間中、『新寄贈寄託作品展-花づくし』が同時開催されています。甲斐庄楠音の「如月太夫」や土田麦僊の「舞妓図」、三熊露香の画帖「桜花藪」など、こちらもなかなか。
【初期浮世絵展 -版の力・筆の力-】
2016年2月28日(日)まで
千葉市美術館にて

















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