2018/09/29

幕末狩野派展

静岡県立美術館で開催中の『幕末狩野派展』を観てきました。

静岡県立美術館は江戸絵画の良質のコレクションで知られ、いつも面白そうな展覧会を企画しているのですが、なかなか観に行く機会がなく、今回初めて訪問しました。

静岡駅までは新幹線で行けば東京からもすぐですが、静岡駅からの便があまり良くなくて、直通バスにしても、最寄の駅からのバスにしても30分に1本ぐらいしかなく、ちょっとその点が不便。少し足を延ばせば、日本平や久能山、清水も近いので、一日静岡で遊ぶつもりで時間に余裕をもって行くといいのでしょうね。

さて、本展は江戸時代末期に活躍した狩野栄信・養信父子を中心に江戸後期から幕末維新にかけての狩野派の作品を紹介するという展覧会。江戸時代の狩野派というと、時に粉本主義によるパターン化された制作体制が批判され、つまらないというイメージが先行していますが、果たしてそうなのか。江戸後期の狩野派がどのようにして新様式を確立し、それが日本画の近代化にどう結び付くかを紐解いていきます。


第一章 江戸後期江戸狩野派の革新

徳川吉宗の時代、木挽町狩野派が台頭する土台をつくったのが木挽町狩野家6代目の典信(みちのぶ)。出品は一点のみ、元信の山水画に倣ったという「山水図」。元信画という感じは然程しないのですが、精緻な細線や複雑なコントラスト、丁寧な淡彩が素晴らしく、さすが江戸後期狩野派を代表する名手たる実力を感じます。

典信の子・惟信(これのぶ)とさらにその子・栄信(ながのぶ)の合作が2点。対幅の「商山四皓図」は元信以来の伝統的な狩野派の描法による高士図、12幅からなる「十二ヶ月月次風俗図」は大和絵の情趣豊かな物語絵。ともに父子で半分ずつ分担しているのですが、父から子へしっかりと技術が伝承されているのが窺えます。

狩野探幽 「富士山図」
寛文7(1667)年 静岡県美術館蔵

元信の山水図屏風を彷彿とさせる栄信の「四季山水図屏風」、探幽が得意とした富士山図を継承した惟信の「富嶽十二ヶ月図巻」と「富嶽田植図」など、狩野派の伝統を受け継ぐ一方で、円山派の写実と見紛うような養信の「竹雀図屏風」、古典的な山水景観図でありながら遠景に実景描写を取り入れた栄信の「春秋山水花鳥図」といった新時代を思わせる作品もあって最初から観る方にも熱が入ります。


第二章 幕末狩野派の完成

《三幅対作品の様式の刷新》、《規範の継承とその新解釈》、《倣古図様式の展開》、《写生と名所絵・実景図における革新》というトピックに分けて、栄信が確立した新様式が子・養信(おさのぶ)にどう引き継がれたのかを観ていきます。探幽の瀟洒端麗なスタイルや空間構成を継承した江戸狩野らしい作品もあれば、古絵巻や中国絵画学習による古典回帰、大和絵や円山派、南蘋派、文晁周辺の実景図など他派の技術を貪欲に取り入れた新たな様式など狩野派の変革が見えてきます。

狩野栄信 「桐松鳳凰図屏風」
享和2年~文化13年(1802-16) 静岡県立美術館蔵(展示は10/8まで)

狩野派の江戸時代中後期の作品は東博や板橋区立美術館などでもいろいろ観てきたつもりですが、今回こうして栄信・養信を観ただけでも、これは侮れないなと思うし、美術史の過去の評価を信じず、やはり自分の目で観ないといけないなと痛感します。同時代に一世を風靡する南蘋派や円山四条派と違って、狩野派の発注主は幕府や諸大名なので、画題は自ずと武家に好まれる帝艦図や耕作図、また婚礼の調度品や吉祥画に限られます。その点がバラエティ豊かな江戸絵画の時代にあって、前時代的な古さやパターン化された面白みのなさを感じるのかもしれません。

狩野栄信 「楼閣山水図屏風」」
享和2~文化13年(1802-16) 静岡県立美術館蔵

今は失われた江戸城本丸御殿の障壁画の下絵や寛永寺障壁画の下絵なども見どころ。寛永寺の壮大な山水図障壁画、豪華な江戸城の障壁画、共に江戸後期の狩野派の実力が遺憾なく発揮されています。

「平治物語絵巻」など中世の絵巻の模写や、馬遠や玉澗など中国絵画の模写も多く並べられ、非常に積極的に古画から学んでいたことが分かります。千葉市美術館の『百花繚乱列島』にも狩野栄信の濃厚彩色な「花鳥図」が出てましたが、本展でも王淵の牡丹図に倣った作品があり、こうした中国画学習が実際の作品に活かされたということを知りました。

狩野養信 「角田川真景図」
文化10年(1813) 東京国立博物館蔵

意外だったのが狩野派による実景図。この時代、実景図というと谷文晁一派が得意としていましたが、隅田川(角田川)や江戸名所図などの実景図のほか、実景描写を活かした作品もあり、狩野派の絵師たちが新しい絵画形式を研究していたことも分かります。


第三章 幕末狩野派の創造性-京狩野派の個性

京狩野について章が設けられていて、江戸狩野と対比するという意味でも面白かったですし、江戸狩野がずっと続く中でいいアクセントになっています。出品は狩野永岳と冷泉為恭のみですが、いずれも優品揃い。

狩野永岳 「三十六歌仙歌意図屏風」
文政13年~慶応2年(1830-67) 静岡県立美術館蔵

京狩野というと永徳など桃山文化の面影を残す鮮やかな色使いの金屏風やダイナミックかつ優美な画面構成が挙げられますが、京狩野三代目・永納が積極的に取り入れた大和絵様式が永岳にも受け継がれていて、「三十六歌仙歌意図屏風」などを観ると土佐派より余程良いのではないかと感じます。

その一方で「富士山登龍図」は迫力のある水墨の龍と探幽のような淡彩の富士山が印象的な作品。不時(富士)を断つ(龍)という意味の吉祥画題で、井伊直弼の前で即興的に描いたものだそうです。

狩野永岳 「富士山登龍図」
寛永5年(1852) 静岡県立美術館蔵

冷泉為恭は永岳の甥ですが、狩野派というより復古大和絵の絵師という印象の方が強いのではないでしょうか。ただ解説を読むと、栄信が為恭に協力を依頼したとか、江戸狩野と京狩野の連携が見えてとても興味深いものがありました。為恭の王朝趣味を感じる濃厚な色彩の「鷹狩・曲水宴図襖絵」のほか、焼損の痕まで丁寧に模写された「粉河寺縁起絵巻 模本」も見もの。

冷泉為恭 「曲水宴図襖絵」
安政2~3年(1855-56) 個人蔵


第四章 狩野派の崩壊と近代のはじまり

感慨深かったのが養信の子・雅信(ただのぶ)の「伊豆浦黒船来航図」。黒船の様子を描いた貴重な史料という面がある一方、黒船来航に端を発する開国が狩野派の終焉に繋がることを考えると、このとき雅信は何を思ったのだろうかと考えずにはいられません。

狩野一信や河鍋暁斎といった幕末期の狩野派絵師の作品ある中で、やはり目が行くのは雅信の弟子、狩野芳崖と橋本雅邦の作品。先日観た『狩野芳崖と四天王』でも芳崖の「壽老人」が印象的でしたが、ここでも「寿老人図」があり、雪舟の山水画や寿老人図の学習の成果と解説されていました。雅邦の「出山釈迦図」や最早狩野派を全く感じない「三井寺」など、先日観た『狩野芳崖と四天王』に繋がるものもあり、大変興味深いものがあります。

狩野芳崖 「寿老人図」」
明治14~18年(1881-85) 静岡県立美術館蔵

江戸後期に狩野派筆頭となる木挽町狩野派はその命脈を保つため、古画や他派の技術も貪欲に取り入れるなど研鑽を重ねていたことが分かりますし、それが結果として実は日本画の近代化に繋がる重要なカギを握っていたことも感じます。粉本主義で旧態依然という固定観念が覆される充実した内容の展覧会でした。


【幕末狩野派展】
2018年10月28日(日)まで
静岡県立美術館にて


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