不染鉄(ふせん てつ)、初めて名前を聞く画家です。どうしてここまで優れた技術を持つ画家が評価されることもなく長く忘れられていたのか。とても不思議に思うほど、大変素晴らしい展覧会でした。今年一番の衝撃かもしれません。
回顧展は21年前に奈良県立美術館で一度あったきり。なので東京で展覧会が開かれるのも初めて。また東京ステーションギャラリーの雰囲気に合うんですね、これが。
不染鉄の経歴が面白いのですが、10代の頃に日本美術院の研究会員となって本格的に絵の勉強を始めるも、伊豆大島に移り住み、一転漁師に。その後、京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)に入学し、首席で卒業。帝展に入選するなど一定の評価を得ていたようですが、戦後は画壇からは距離を置き、学校で教鞭をとったり、校長先生をしてたりしていたようです。
第1章 郷愁の家
比較的初期とされる作品は朦朧体や片ぼかしで描かれた作品が多く、横山大観や菱田春草といった日本美術院の画家の影響を強く感じます。煙るような筆触が何とも言えない雰囲気を創り出していて、朦朧体の作品の中でも個人的にかなり好み。夜道を三味線弾きが歩いてたり、暗闇の中フクロウが枝に止まってたり、詩情溢れる画面作りや懐かしい田舎の風景、また俯瞰的な構図という方向性はこの頃既に固まっていたのかもしれません。特徴的な丸っこい家屋は牛田雞村を思い起こさせます。雞村も日本美術院院友で年齢もほぼ同じなので、何らかの形で繋がりがあったのでしょうか。
不染鉄 「林間」
大正8年(1919)年頃 奈良県立美術館蔵
大正8年(1919)年頃 奈良県立美術館蔵
画風が変わるのは伊豆大島へ移って以降。興味深いのは、画風が変わるだけでなく、不染の思い出が作品に投影されるようになり、それが彼のスタイルになっていくところ。繊細な筆致で描かれた農村や漁村の風景からは自然とともに生きる人々の暮らしが見え、郷愁を誘います。不染が育った小石川や房総、伊豆大島などを描いた作品には、「母はランプの下でしきりにはたををっていた事などを覚えております」(原文ママ)のように画中に思い出が綴られたものが多く、これがまた心に沁みます。
奈良の田園、京都の水郷、下田の海辺を描いた3巻からなる「思出之記」にも人々の慎ましい暮らしぶりがこまごまと描かれ、思わず引き込まれずにいられません。軒先で洗濯を干していたり、家の中では針仕事をしてたり、庭先で母親が魚を捌くのを小さな子どもが見ていたり、そうした生活の風景を見つめる不染の眼差しが温かい。
第2章 憧憬の山水
初期にも大正期に流行した新南画の影響を受けたと思しき作品がありましたが、南画への関心は高かったようで、「雪景山水」や「萬山飛雪」など印象的な南画作品がありました。特に「雪景山水」は幾重もの山並みのところどころに胡粉が使われ、雪の白さを際立たせているのが面白い。南画ではありませんが、「凍雪山村之図」では屋根の雪の白さを胡粉で表現し、家の中の灯りの温かみを強調していて、うまいなと思います。
当時暮らしていた奈良の風景を描いた絵巻「南都覧古」がまた面白くて、「町と申しましてもすっかり田舎です」とか「こうして描いているうちに実際の景色と地理のようなものにとらわれてきて固苦しくなってきます」とか、ちょっと山口晃的なところもあって笑えます。
第3章 聖なる塔・富士
一つフロアーを下りたところにあったのが「薬師寺東塔の図」。薬師寺東塔のバックに奈良の町並み、そして若草山を縦一列に描いていて、ほぼ同構図の作品が複数あったので、この構図にこだわりを持っていたのが分かります。そのなかでひと際大きかった「薬師寺東塔之図」(個人蔵)は写実的な塔に対し、森や木立は点描風に描かれ、秀逸。
不染鉄 「薬師寺東塔の図」
昭和45年(1970)年頃 個人蔵
昭和45年(1970)年頃 個人蔵
富士山を描いた作品も複数あるのですが、そのなかでも最も大きく、インパクトが強いのが「山海図絵」。伊豆の海や漁村の風景から雪を頂いた富士の高嶺までを俯瞰で描いた作品。海には魚やカニ、サメの姿があったり、真ん中のあたりには汽車が走っていたり(窓に映る人の姿も)、不染の農村や漁村を描いた風景画と富士山図が合わさったユニークで不思議で魅力的な傑作です。
「山海図絵」やほかの縦の構図に富士山を描いた作品を観て思い出したのが、駿河湾から浅間神社そして富士山までを縦に描く富士山曼荼羅図の伝統的な構図。薬師寺から若草山を望む作品も春日神社やその周辺そして若草山を描く春日社寺曼荼羅図が頭に浮かびます。恐らくこうした参詣曼荼羅図が着想の源にあったのかもしれません。
不染鉄 「山海図絵(伊豆の追憶)」
大正14年(1925) 木下美術館蔵
大正14年(1925) 木下美術館蔵
第4章 孤高の海
昭和30年代になると不染は海をテーマにした作品を繰り返し描いています。大海原に浮かぶ一艘の舟と大きな岩山の孤島。島は伊豆大島をモデルにしてるといいますが、大海原に屹立する姿はまるで蓬莱山のようです。そのモノトーンの色調と、画面から伝わる物寂しさや孤独感が心の奥にドーンと響いて来るというか、しばらく絵の前から動けなくなりました。こんな日本画があったという驚きもさることながら、深遠な思想すら感じられるその水墨の世界に心打たれました。
不染鉄 「南海之図」
昭和30年(1955)頃 愛知県美術館蔵
昭和30年(1955)頃 愛知県美術館蔵
夜の海の中に家並みが描かれる幻想的な「海」や、絵の外にまで波や魚がビッシリ描きこまれた「思い出の岡田村」、巨大な廃船と漁村の小さな家並みの対比が圧倒的な「廃船」など、非常に印象的な作品が多くあります。
不染鉄 「廃船」
昭和44年(1969)頃 京都国立近代美術館蔵
昭和44年(1969)頃 京都国立近代美術館蔵
第5章 回想の風景
不染鉄は小石川にある光圓寺の住職の子ということもあってか、お寺や仏像を描いた作品も残していて、雨の中のお寺から覗く阿弥陀如来を描いた「静雨(静光院)」や無数の無縁仏を描いた「春風夜雨」が印象的。光圓寺のイチョウの大木を描いた作品には小さなお地蔵さんが描かれていて、それがまたなんかとてもいい。
不染鉄 「落葉浄土」
昭和49年(1974)頃 奈良県立美術館蔵
昭和49年(1974)頃 奈良県立美術館蔵
晩年は奈良のお土産の絵を描いたり、焼き物の下絵を描いたり、扁額に絵を描いたり、制作活動の幅も広がっていたようです。知られざる画家というと、どこか辺鄙な山や島に籠ったり、交流を遮断して創作に打ち込むという姿が浮かびますが、不染鉄はそういう意味での孤高の画家という感じではないようですね。2時間近く観てたのですが、とても離れ難く、後を引く展覧会でした。
【没後40年 幻の画家 不染鉄展】
2017年8月27日(日)まで
東京ステーションギャラリーにて
「朦朧」の時代―大観、春草らと近代日本画の成立
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