今回の展覧会は一部の作品を除き、ロンドンのテート美術館から30点以上の油彩画を含む、水彩画やスケッチなど約110点が来日しています。
テートといえば、世界最大のターナー・コレクションを誇る美術館。ターナーは自身の作品専門の展示室を作ることを条件に、ロンドン・ナショナル・ギャラリーに油彩画・水彩画・素描など約2万点を遺贈したそうで、その作品がナショナル・ギャラリーの分館として開設された現在のテートに収蔵されています。
Ⅰ. 初期
会場に入ったところにターナーの有名な肖像画が飾られていました(ただし版画)。ターナーは映画『マイ・フェア・レディ』の舞台として有名なロンドンの下町コベント・ガーデンに生まれます。早くから頭角を現し、史上最年少の26歳でロイヤル・アカデミー(英国王立美術院)の正会員になります。初期の作品のコーナーには10代後半から20代にかけての油彩画や水彩画などが並び、彼の早熟さをうかがうことができます。
「パンテオン座、オックスフォード・ストリート、火事の翌朝」
1792年(ロイヤル・アカデミー展出品)
1792年(ロイヤル・アカデミー展出品)
若き日のターナーは“ピクチャレスクな風景”(絵になる風景)に強い関心を抱いていたといいます。会場入ってすぐのところに、ターナーの10代の頃の作品「パンテオン座、オックスフォード・ストリート、火事の翌朝」が展示されていました。崩れゆく建物と慌てふためく人々の様子がまるで映画のワンシーンのようです。ターナーの作品には劇的なシーンを描いたものも多く、こうした好みは若い頃からのものだったことが分かります。
「ダラム大聖堂の内部、南側廊より東方向を望む」
1798年
1798年
教会に差し込む光の柔らかさと光と影の美しさが印象的な一枚。後年の作品と違い建物もきっちり描き込んでいますが、教会の描写に主眼を置くというより、光線の持つ厳かさを絵にしたかったんだろうなという気がします。ダラムはイングランド北東部の都市。ターナーは“ピクチャレスクな風景”を求めてイギリス各地にスケッチ旅行に出かけ、自分の描きたい絵を見つけていったといわれています。
「風景の中でひざまずき、片腕をあげて天を仰ぐ男性裸体像の習作」
1794-95年頃
1794-95年頃
ターナーには珍しい裸体画のスケッチも展示されていました。なんとも艶めかしいところがターナーぽくありませんが、修練に励んでいた頃はこうした人物描写も学んでいたのでしょう。当時はまだ風景画家の地位は低く、画家として食べていくには肖像画や歴史画などが第一というのもあったのかもしれません。
「月光、ミルクパンより眺めた習作」
1797年(ロイヤル・アカデミー展出品)
1797年(ロイヤル・アカデミー展出品)
初期作品の中で印象に残ったのが「月光、ミルバンクより眺めた習作」で、水面に映る月光が繊細に描かれています。とりわけ際立った個性はありませんが、光と水、湿潤な空気を捉えた表現は後年の、たとえばヴェネチアを描いた作品あたりに繋がるものを感じます。
「嵐の近づく海景」
1803-04年以前 東京富士美術館蔵
1803-04年以前 東京富士美術館蔵
ターナーといえばやはり海の絵で、初期の作品にも荒れた海を描いたものが多く、穏やかな海より、嵐や船の難破といったピクチャレスクな海の表情に強く惹かれていたことが分かります。「嵐の近づく海景」は光が差し込んだ前景の海と黒々とした雲の影になっている海の対比が見事で、また船上の漁師たちの描写が作品をよりドラマ性の高いものにしています。
Ⅱ. 「崇高」の追求
嵐の海を描いた作品のように、この頃のターナーはスケール感のある風景や気象を好んで描いていて、そこにある種の崇高さを求め、新たな絵画表現を生み出していこうとしていたようです。
「グリゾン州の雪崩」
1810年(ターナーの画廊に展示)
1810年(ターナーの画廊に展示)
雪崩の重さ、速さ、そして不気味な鉛色の雲。勢いを強調するためか、雪崩は厚めに塗られています。ターナーが実際に雪崩を体験したかは分かりませんが、自然の驚異や畏怖に対して強い関心を抱いていたことが伝わってきます。
そのほか、木漏れ日が美しい「バターミア湖、クロマックウォーターの一部、カンバーランド、にわか雨」や、ニコラ・プーサンを思わせる風景画と歴史画の融合「エジプトの第十の災い:初子の虐殺」、古代建築の精緻さと朝焼けの色調が素晴らしい「ディドとアエネアス」などが印象に残りました。
Ⅲ. 戦時下の牧歌的風景
18世紀末から19世紀前半にかけてはナポレオン戦争などイギリス海軍が活躍をした時代。ターナーも海軍を讃えた絵を多く手がけたほか、国王の庇護を得ようと描いたという作品なんかも展示されていました。「スピットヘッド:ポーツマス港に入る拿捕された二隻のデンマーク船」や「イングランド:リッチモンド・ヒル、プリンセス・リージェントの誕生日に」はそうした代表作で、1階会場のハイライトになる作品じゃないかと思います。
「スピットヘッド:ポーツマス港に入る拿捕された二隻のデンマーク船」
1808年(ターナー画廊に展示)
1808年(ターナー画廊に展示)
Ⅳ. イタリア
ターナーはグランドツアーというには少し年齢が遅い40歳を過ぎてからイタリアへ旅行しています。イタリアで目にしたルネサンスの絵画や建築、そして風景はターナーに大きな影響を与え、イタリアの風景を描いた作品群はターナー中期の重要な位置を占めています。
写真右 「ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って
回廊装飾のための絵を準備するラファエロ」
1820年(ロイヤル・アカデミー展出品)
写真左 「レグルス」
1828年(ローマで展示)/1837年加筆
回廊装飾のための絵を準備するラファエロ」
1820年(ロイヤル・アカデミー展出品)
写真左 「レグルス」
1828年(ローマで展示)/1837年加筆
回廊から眼下に見下ろすヴァチカンの壮大な風景が圧倒的な印象を与える「ヴァティカンから望むローマ…」は横3mを超える見応えある作品。手前には恋人や彫刻、自分の絵に囲まれるラファエロを描いているのがユニークなところです。「レグルス」はまぶたを切られ瞬きできないレグルスが眩い光に曝された様を描いた作品で、その劇的な瞬間が見事に絵画化されています。
イタリア時代のターナーの作品は、古代神話や歴史をモチーフにした作品が多く、ターナーが影響を受けたというニコラ・プッサンやクロード・ロランを彷彿とさせるものがあります。特に「レグルス」は構図的にも詩情性でも、クロード・ロランを思い起こさせ、ターナー独特の大気や光の表現はロランから学んだ部分も大きいのだろうと感じます。
「チャイルド・ハロルドの巡礼 − イタリア」
1832年(ロイヤル・アカデミー展出品)
1832年(ロイヤル・アカデミー展出品)
夏目漱石の『坊ちゃん』に登場する“ターナー島”のモデルになった作品ではないかという「チャイルド・ハロルドの巡礼」も展示されていました。
Ⅴ. 英国における新たな平和
このコーナーはスケッチや版画のための原画が多かったのがですが、スケッチといっても、完成度の高い作品が多く、あまり見劣りした感じはしません。見ものは、ターナーのパトロンの貴族ジョージ・ウィンダムの屋敷ペットワース・ハウスために描かれたグワッシュ画で、精彩に富んだ美しい風景画でとても印象的でした。
「座礁した船、ヤーマス:見本用習作」
1827-28年頃
1827-28年頃
「座礁した船、ヤーマス」はペットワース・ハウスの部屋を飾るために用意されたのですが、難破船は縁起が悪いということでボツになったそうです。
「逆賊門、ロンドン塔」(サミュエル・ロジャースの『詩集』のための挿絵)
1830-32年頃
1830-32年頃
Ⅵ. 色彩と雰囲気をめぐる実験
ここはちょっと毛色をかえて、ターナーの実験的な作品が展示されています。1810年代後半以降、アトリエで制作したという“カラービギニング(色彩のはじまり)”と呼ばれる実験的な作品群です。
「にわか雨」
1820-30年頃
1820-30年頃
「城」
1820-30年頃
1820-30年頃
印象派の登場の半世紀も前の時代に、近代絵画を飛び越え、現代美術に通じるような作品を手掛けていたことに驚かされます。
「三つの海景」
1827年頃
1827年頃
「三つの海景」は海景を三段に分けて描いたもので、まるで抽象表現主義的な、マーク・ロスコを思い起こさせる作品でした。晩年の独特のボワーンとした色彩感はこうした実験の成果なのでしょう。個人的には今回の展覧会で一番興味を引いたコーナーです。
ターナー愛用の金属製絵具箱
会場にはターナー愛用の絵具箱も展示されています。
Ⅶ. ヨーロッパ大陸への旅行
パリやスイス、ドイツ、ルクセンブルグなどの風景を描いた作品を展示。1830年代に入ると、ヨーロッパでは各地に鉄道網が張られ、旅行の概念を大きく変えていきます。ターナーの代表作に「雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道」(本展には未出品)がありますが、ターナーも列車に乗って各地を旅してまわったようです。
「ハイデルベルグ」
1844-45年頃
1844-45年頃
印象派の予言を思わせる「ルーアンの帆船」や、雄大な山々と壮麗な城が素晴らしい「ハイデルベルグ」が印象的でした。この頃からターナーの特徴的な黄色が目立つようになります。カレーマニアなどと揶揄されたと解説されていました。
Ⅷ. ヴェネツィア
ターナーはヴェネチアを3度訪れているそうで、特に60歳近くになってからヴェネチアへの思いは強くなったといいます。本展でもヴェネチアを描いた作品はどれも60歳を過ぎてからのものでした。
「ヴェネツィア、総督と海の結婚の儀式が行われているサン・マルコ広場」
1835年頃
1835年頃
「サン・ベネデット教会、フジーナ港の方角を望む」
1843年(ロイヤル・アカデミー展出品)
1843年(ロイヤル・アカデミー展出品)
ヴェネチアらしい作品でいえば、水の都の光景とは裏腹に連行される囚人が描かれた「ヴェネツィア、嘆きの橋」や、「サン・ベネデッド教会、フジーナ港の方角を望む」、水彩画の「ヴェネツィア、月の出」の透明感のある色彩も素敵でした。モネはターナーに影響を受けたといわれますが、こういう作品を観ると確かに納得できます。
Ⅸ. 後期の海景画
やはりターナーらしさというか、面白さを感じるのは海景画で、若い頃のドラマティックな絵作りとは異なり後期の作品からは何か極めた感がビンビン伝わってきます。
「海の惨事」(別名「難破した女囚舟アンピトリテ号、
強風の中で見捨てられた女性と子どもたち」)
1835年頃
強風の中で見捨てられた女性と子どもたち」)
1835年頃
ジェリコーの「メデューサ号の筏」を意識したという「海の惨事」や、最早クジラだか嵐だかなんだか分からなくなっている「捕鯨船員たち」、ほとんど抽象絵画の「荒れた海とイルカ」などが印象的でした。
「荒れた海とイルカ」
1840-45年頃
1840-45年頃
Ⅹ. 晩年の作品
晩年のターナーの作品は曖昧さが増していき、どこか抽象絵画に繋がっていくというか、その登場を予感させるようなものがあります。晩年の作品には未完とも完成作とも言われる作品も多く、展覧会会場のその場でディテールを描き込むこともあったということです。老いてなお作品の仕上がりに満足せず、更なる高みを求めていたということでしょうか。
「平和-水葬」
1842年(ロイヤル・アカデミー展出品)
1842年(ロイヤル・アカデミー展出品)
「平和-水葬」はターナー晩年の代表作の一つ。旅の途中に死去した盟友の葬儀(水葬)の様子を描いた作品で、昼間なのに夜景のような幻想的な雰囲気を持ち、黒々とした船や煙が弔う哀しみや死を強くイメージさせます。
「湖に沈む夕陽」
1840-45年
1840-45年
生前未公開の作品だったという「湖に沈む夕陽」や、「戦争、流刑者とカサ貝」、「風景:タンバリンを持つ女」など、ターナーにしか出せない唯一無二の作品という味わいがあり、個人的にはかなり好きでした。
「ウォータールー橋上流のテムズ川」
1830-35年頃
1830-35年頃
テートからたくさんの作品が来日していますが、ターナーの傑作と呼べるほどの作品が少なかったのが少し残念でした。それでも、水彩画やスケッチ画も油彩画に引けを取らない素晴らしい作品ばかりで、満足度の高い展覧会でした。
(本レビューは11/8にアップしたブログの内容を、ブロガーイベントで撮影した写真を加え、加筆修正しています。)
※会場内の写真は主催者の許可を得て撮影したものです。
【ターナー展】
2013年12月18日(水)まで
東京都美術館にて
美術手帖 2013年 11月号増刊 ターナー 英国風景画の巨匠、その全貌に迫る
ターナー―モダン・アーティストの誕生
美術品はなぜ盗まれるのか: ターナーを取り戻した学芸員の静かな闘い
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