都の賑わいを屏風に描いた豪華な洛中洛外図や、京都を象徴する京都御所、二条城、龍安寺の障壁画を通して、京都ならではの美の空間を体感してもらおうという企画展です。
出展作品はわずか20点ほど。どんな構成になっているのだろうと思っていたのですが、ケースに並んだ絵画をただ観てもらうのではなく、まさに京都を体感してもらうという、まるでテーマパークのような展覧会になっていました。
会場に入ると、まず壁一面の巨大スクリーンに本展の目玉作品「洛中洛外図屏風 舟木本」の見どころを高精細で写した映像が上映されています。単眼鏡などで覗かないとよく分からないような細かく描き込まれた人々の表情や風俗、お祭りや寺院といった京都の風景が超ドアップで写されます。ここは飛ばしてしまわず、おすすめポイントを押さえておくと実際の作品を観たときの面白さもアップするはず。
巨大スクリーンの前を過ぎると、いよいよ洛中洛外図屏風の登場です。前期に4作品、後期に4作品(内「洛中洛外図屏風 舟木本」は前後期とも出品)。現在、国宝や重要文化財に指定されている7つの洛中洛外図屏風が全て出品されます。
岩佐又兵衛 「洛中洛外図屏風 舟木本」(重要文化財)
江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵
江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵
洛中洛外図とは、京都の洛中と洛外、いわゆる市街と郊外を俯瞰で描いた図で、都の名所や神社仏閣、四季の風物を追い、公家や武士から町人や農民、遊女に至るまで、京都に生きる人々の生活と風俗が描かれています。多くは6曲1双(6つ折れの屏風が2つ)の屏風絵で、現在約100点が確認されていると言われています。
その代表作のひとつが岩佐又兵衛の「洛中洛外図屏風」、俗にいう「舟木本」で、以前から又兵衛の作だろうといわれていましたが、本展でははっきりと岩佐又兵衛筆と断定して紹介しています。横7mにおよぶ大きな屏風で、鴨川の橋の上で浮かれ騒ぐ花見帰りの客や、人形浄瑠璃や遊女歌舞伎などの芝居小屋、商いや祭りの賑わい、生活感溢れる市井の人や僧侶、南蛮人の姿、雅な御所の様子など、京都の町の喧騒が所狭しと描きこまれています。人々の欲望が垣間見られるのも、浮世又兵衛らしいところです。
本作は大坂の陣の直前(1614~15年頃)に描かれたと言われ、当時の政治や世相を反映してか、右隻の端には豊臣秀吉が建てた方広寺大仏殿が、左隻の端には徳川家康の二条城が描かれています。人々の顔がうりざね顔をしているのは又兵衛の特徴。右隻に比べて、左隻の方が人物が若干大きく描かれているのは、右隻が又兵衛筆で、左隻が弟子によるものという説と関係があるのかもしれません。
この「洛中洛外図屏風 舟木本」の後ろを振り返ると、狩野永徳の「洛中洛外図屏風 上杉本」がドンと控えています。まさに夢のような空間です。
「洛中洛外図屏風 舟木本」は常設展でも数年に一度しか公開されず、私自身もお目にかかったのは今回で3度目。狩野永徳の「洛中洛外図屏風 上杉本」は2009年の『天地人展』で観て以来になります。(先日Twitterで過去に複製しか見たことがないとつぶやきましたが、よく調べたらサントリー美術館で観てました。テヘ)
狩野永徳 「洛中洛外図屏風 上杉本」(国宝)
室町時代・16世紀 山形・米沢市上杉博物館蔵(展示は11/4まで)
室町時代・16世紀 山形・米沢市上杉博物館蔵(展示は11/4まで)
永徳の「洛中洛外図屏風」、俗に「上杉本」は洛中洛外図の唯一の国宝。京都の名所の数々に、公家や武士から市井の人々、風俗や季節の風物、それらが非常に精緻なタッチで描かれています。状態も非常に良く、贅沢に使われた金泥も美しく豪華絢爛。人々の顔の表情や風俗の描写が岩佐又兵衛の「舟木本」とは違って、なんとも品が良いのも永徳らしいところです。
「上杉本」はいろいろと謎に包まれていて、 足利義輝が永徳に描かせ、義輝暗殺後、 信長が譲り受け、それを上杉謙信に贈ったというのが通説ですが、もともと義輝が謙信に贈るために描かせたとか、屏風の中に描きこまれた足利家の御所に向かう行列は実は謙信を描いたものだとか、その行列は後から付け足されたものだとか、いろんな説があります。それも戦国の世らしいというか、歴史を感じさせて面白いところです。
このほか、前期には「洛中洛外図屏風 歴博乙本」と「洛中洛外図屏風 勝興寺本」が展示されているほか、後期には現存最古の洛中洛外図である「洛中洛外図屏風 歴博甲本」や「洛中洛外図屏風 福岡市博本」、描写人数が3000人を超える「洛中洛外図屏風 池田本」が展示されます。未展示期間もその写真が飾ってあり、各屏風の違いを確かめることができます。
ちなみに、本館2階の7室にも初期の洛中洛外図屏風の画面構成を伝える模本(いわゆる「東博模本」)や、江戸時代に描かれた洛中洛外図が展示されています。
本館7室の様子 (展示は11/10まで)
さて、つづいて<第二部 都の空間装飾—障壁画の美>。
ここでは、かつて京都御所の障壁を飾った狩野孝信の端麗な「賢聖障子絵」や狩野永徳の「群仙図屏風」が展示されています。永徳の「群仙図屏風」は傷みが激しいのが残念でしたが、当時は狩野派や長谷川派などによるこうした障壁画が京都の御所や寺院に贅沢に使われていたかと思うと、ため息が出るような思いです。
狩野永徳 「群仙図襖」(写真は一部)(重要文化財)
安土桃山時代・天正14年(1586年) 南禅寺蔵
安土桃山時代・天正14年(1586年) 南禅寺蔵
第二会場へ進むと、1年にわたって超高精細映像4Kで撮影された龍安寺の石庭の移り変わる季節の映像がほぼ実寸大の巨大スクリーンに映し出されます。美術展は絵画や工芸品などの美術品しか展示されませんが、こうした石庭やそこに彩られる季節の風景も美術品と同じように昔の人は愛でたわけで、これも一つの見せ方だなと思いました。
続くコーナーには、その龍安寺の襖絵が展示されています。現在の龍安寺の方丈は塔頭の西源院の方丈を移築したもので、そこには狩野派(狩野孝信ともいわれる)の見事な襖絵が71面あったそうです。しかし明治に入り、その襖絵は売却され、現在所在が確認されているのはその半分もないとか。本展ではその内の18面が展示されています。
「列子図襖」
江戸時代・17世紀 メトロポリタン美術館蔵
江戸時代・17世紀 メトロポリタン美術館蔵
最後に登場するのが二条城の二の丸御殿を再現した空間で、黒書院一の間、二の間、大広間四の間の障壁画、計84面がトーハクにそのまま移されています。美術館でありながら美術館でない、まさに二条城に迷い込んだようで、こうした展示ができるのはトーハクだけかもしれません。昨年、江戸東京博物館で『二条城展』があり、同じく四の間などの障壁画を展示し、展示方法も少し工夫していましたが、この徹底ぶりはそれを遥かに凌駕しています。
狩野尚信 「桜花雉子図」(重要文化財)
二条城二の丸御殿 黒書院二の間障壁画(東側) 4面(全69面のうち)
江戸時代・寛永3年(1626)
二条城二の丸御殿 黒書院二の間障壁画(東側) 4面(全69面のうち)
江戸時代・寛永3年(1626)
今回の展覧会は、洛中洛外図を一堂に集めたり、貴重な障壁画を展示したりと、その質の高さもさることながら、高精細画像を映したスクリーンや二条城二の丸御殿の再現など、企画力の面白さや新たな視点に圧倒された展覧会でした。
【京都-洛中洛外図と障壁画の美】
2013年12月1日まで
東京国立博物館にて
DVD>洛中洛外図屏風舟木本 東京国立博物館バーチャルリアリティミュージアム (
増補 洛中洛外の群像―失われた中世京都へ (平凡社ライブラリー)
狩野永徳の青春時代 洛外名所遊楽図屏風 (アートセレクション)
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