去年も山種美術館で『竹内栖鳳 -京都画壇の画家たち』があったばかりなので、どーしようかなぁと思ったのですが、出展作品数も多く、代表作とされるものが一堂に介すようですので、こういう機会は今後あまりないかと思い、足を運んできました。
山口晃さんが著書『ヘンな日本美術史』の中で、「あまりに突き抜けた上手さにまで到達して、その上手さが鼻に付かなくなるくらいになることで、『上手のいやらしさ』から脱却」した画家として、西洋画ではルーベンスを、日本画では竹内栖鳳の名を挙げていますが、プロの画家が歴史上の名だたる画家の中でも栖鳳の名を引き合いに出すほどですから相当なのだと思います。その「突き抜けた上手さ」を実感する展覧会です。
【第1章 画家としての出発 1882-1891】
「東の大観、西の栖鳳」と称されるように、竹内栖鳳は明治から昭和戦前にかけての京都画壇を代表する日本画家。もとは四条派の土田英林、そして同派の名手・幸野楳嶺に学び、すぐに頭角を現したといいます。楳嶺がもとは円山派の出ということもあり、円山派の事物観察と四条派の軽妙洒脱な筆遣いによる情緒表現を身につけた栖鳳は、さらに狩野派など他派の筆法も貪欲に吸収。さまざまな流派を寄せ集めて描いたその画は「鵺派」と揶揄されたそうです。
竹内栖鳳 「池塘浪静」
明治20年代 京都市美術館蔵
明治20年代 京都市美術館蔵
初期の代表作「池塘浪静」は鯉を円山派、萱を四条派、岩を狩野派の画法で描くことで、画壇の古い習慣を打ち破ろうとしたという作品。そばには雪舟の「山水長巻」や高山寺の「鳥獣人物戯画」の模写や鳥類などの写生帖も展示されていて、伝統的な画題や伝統的な筆致の修練に余念がなかった様子がうかがえます。
【第2章 京都から世界へ 1892-1908】
時代は明治も後半、政府の欧化政策により西洋美術教育に力が入れられる一方、その反動で岡倉天心らにより日本画の復興が叫ばれていた時期でもあります。栖鳳はその中で、西洋画に負けない日本画の創作を目指したといいます。1900年から7ヶ月に及ぶヨーロッパ旅行で西洋画に強い衝撃を受けた栖鳳は、以降西洋画に感化された作品を多く発表するようになります。
竹内栖鳳 「虎・獅子図」
明治34年(1901年) 三重県立美術館蔵 (展示は9/23まで)
明治34年(1901年) 三重県立美術館蔵 (展示は9/23まで)
この章のメインは、ヨーロッパの動物園で初めて目にしたというライオン(獅子)や虎、象といった動物を描いた屏風のコーナー。ライオンのタテガミが細い墨線で一本一本丁寧に描かれていて、もっさりとゴワゴワした感じまで伝わってくるようです。しなやかな筋肉や今にも動きそうな尻尾もかつての日本画にはないリアリティで、巧みな描写が目を見張ります。「虎・獅子図」のライオンが寄りかかる木は水墨画的な勢いあるタッチで描かれ、一枚の屏風に混在する写実と古典の描写の妙に驚かされます。虎の縞模様の描き分けも見事で、虎の息づかいまで感じ取れるようです。
竹内栖鳳 「金獅」
明治34年(1901年) 株式会社ボークス蔵
明治34年(1901年) 株式会社ボークス蔵
そのほか、今にも動きだしそうな躍動感のある「象図」や、自宅に猿を飼って写生を徹底し描いたという「飼われたる猿と兎」、一転文人画風の「洞天鳴鶴・仙壇遊鹿」、またヨーロッパ渡航前の作品としては源平の富士川の合戦を描いた「富士川大勝」、まだ円山派の写実を感じる「枯野狐」や雀の群れと犬の親子が和む「百騒一睡」など非常に充実した作品群を観ることができます。
四代 飯田新七作、竹内栖鳳原画 「ベニスの月」(ビロード友禅)
明治40年(1907年) 大英博物館蔵
明治40年(1907年) 大英博物館蔵
途中には≪美術染色の仕事≫という特集展示がありました。栖鳳は一時期、高島屋の図案部にいたことがあり、 美術染織や刺繍の原画などを手掛けていたそうです。会場には栖鳳が原画を描いたビロード友禅の「ベニスの月」という作品が展示されてます。友禅というからには染物なのですが、全く染物には見えないというか、ベニスを描いた水墨画にしか見えません。そばには刺繍の「雪中松鷹」と栖鳳の原画「雪中蒼鷹図」があり、原画がどのように刺繍に仕上がるのかを見る上でも大変興味深かかったです。
【第3章 新たなる試みの時代 1909-1926】
ここでは明治末から大正期にかけての作品を展示しています。多くの弟子を抱え、また文展の審査員となるなど、日本美術界でも確固たる地位を確立しますが、一方で伝統的な山水表現に西洋の遠近法を取り入れたり、心情描写を試みたり、新たな表現の創出に意欲的な様子がその作品から見て取れます。
竹内栖鳳 「アレ夕立に」
明治42年(1909年) 高島屋史料館蔵 (展示は10/8から)
明治42年(1909年) 高島屋史料館蔵 (展示は10/8から)
栖鳳の人物画はそれほど多くないのですが、モデルが服を脱ぐ瞬間の恥じらいを切り取った「絵になる最初」や、長い間行方不明で昨年95年ぶりに所在が確認された「日稼」などが展示されています。後期には代表作の「アレ夕立に」も展示されます。
また、東本願寺の天井絵(未完)のための裸婦の素描や天女画の試作「散華」などもありました。天女を描くためにヌードモデルに様々なポーズをさせ写生を行うなど(結局そのモデルが急死し、計画は頓挫してしまったらしい)、栖鳳のこだわりがうかがえます。
竹内栖鳳 「蹴合」
大正15年(1926年)
大正15年(1926年)
このほか、山種美術館での竹内栖鳳展でも話題になった「熊」、金地に描かれた雀がかわいい「喜雀図」、軍鶏の羽ばたきやけたたましい声が聞こえてきそうな「蹴合」などが展示されています。後期には重要文化財の「斑猫」が登場します。
竹内栖鳳 「羅馬之図」
明治36年(1903年) 海の見える杜美術館蔵 (展示は9/23まで)
明治36年(1903年) 海の見える杜美術館蔵 (展示は9/23まで)
特集展示の≪旅≫では、ローマの遺跡の風景を水墨画風の屏風に仕立てた「羅馬之図」、中国・蘇州の印象を描いた「城外風薫」や「南清風色」、また栖鳳が好んで写生に出かけたという潮来を描いた「潮来風色」、雪舟風の壮観な山水屏風「千山万壑之図」などが展示されています。
竹内栖鳳 「城外風薫」
昭和5年(1930年) 山種美術館蔵 (展示は9/23まで)
昭和5年(1930年) 山種美術館蔵 (展示は9/23まで)
【第4章 新天地をもとめて 1927-1942】
昭和期の晩年の作品を集めています。この頃、栖鳳は体調を崩し、転地療養で湯河原へ赴くもその地を気に入り、回復後も湯河原と京都を行き来したそうです。老いてなお精力的に活動を続け、意欲的な実験的な作品も試みていたようです。晩年の作品では、鹿の動きと表情が素晴らしい「夏鹿」や、二頭の龍が争い絡まりあっている「二龍争珠」、枯れた蓮とシジュウカラが印象的な「しぐるる池」、物語性を感じる「おぼろ月」、濡れそぼった木の微妙な色加減で湿潤な空気を見事に表した傑作「驟雨一過」、初期の「虎・獅子図」の虎ともまた異なる、熟達した境地を感じさせる「雄風」などが展示されています。
竹内栖鳳 「驟雨一過」
昭和10年(1935年) 京都市美術館蔵
昭和10年(1935年) 京都市美術館蔵
最後には特集展示≪水の写生≫を紹介。栖鳳は生涯を通じ、≪水≫というモチーフにこだわりをみせていたそうで、ここでは初期から晩年まで川や滝を描いた作品を展示しています。一番最後に飾られていた「渓流(未完)」は完成していればどれだけ素晴らしかっただろうと思わずにいられない作品でした。
人気の高い近代日本画家、竹内栖鳳の作品は比較的観る機会がありますが、本展は過去最大の回顧展とのこと。前後期で一部入れ替えがありますが、写生など関連作品もあわせると180点というボリュームになります。個人蔵の作品も多く、非常に充実した展覧会でした。
※当ブログで紹介した作品には前期展示のものがあります。前期後期で展示作品が異なりますのでご注意ください。
【竹内栖鳳展 近代日本画の巨人】
2013年10月14日(日)まで
東京国立近代美術館にて
竹内栖鳳: 京都画壇の大家 (別冊太陽 日本のこころ 211)
もっと知りたい 竹内栖鳳 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
こんにちは。
返信削除私も竹内栖鳳展を見てきました。
竹内栖鳳展に出品されていたたくさんの作品を思い出しながら、興味深くブログを読ませて勉強させていただきました。
竹内栖鳳が、狩野派、丸山派、琳派などの江戸絵画の様々な流派や水墨画からコロー、ターナーに至るまで様々な技法を試みて新しい表現に挑戦しているのには驚きました。
また、水墨画と色彩のある日本画、時には水墨画とコロー、ターナーといった異質の技法を組み合わせて、今まで見たことのないような絵画を描いている作品は極めて斬新に感じました。
私も竹内栖鳳展を見て、竹内栖鳳の芸術について私なりにまとめてみました。
読んでいただき、ご感想、ご意見などどんなことでも結構ですから、ブログにコメントなどをいただけると感謝します。
>dezireさん
返信削除はじめまして。コメントありがとうございます。
栖鳳の卓越した技量や感性の豊かさをひしひしと感じるいい展覧会でしたね。
dezireさんのブログにもお邪魔させていただきます!
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