もう3週間も前のことを書くのもなんなのですが、五月大歌舞伎の夜の部『籠釣瓶花街酔醒』の通し狂言を観てきましたので備忘録として。
今回はなんといっても、明治以来の通しということで、これを見逃したら、もしかしたら今生では観ること叶わないかもしれないわけですから、ちょっと観ずにはいられません。それに、八ツ橋の福助の評判が珍しく(失礼)すこぶる良いようで、これも背中をポンと押しました。
「籠釣瓶」は、あばた面の生真面目な田舎の絹商人・次郎左衛門(吉右衛門)が土産話にと寄った吉原で花魁・八ツ橋に一目惚れして通いつめ、やがて身請け話を持ち出すが、満座で縁切りをされ、それを恨んで妖刀・籠釣瓶で八ツ橋を斬殺するという人気狂言。全八幕の内、普段は5、6、8幕の一部が上演されているのですが、今回は普段は上演されないこの前後の話がついていて、次郎左衛門の“あばた面”の因縁や妖刀“籠釣瓶”の入手の経緯、また八ツ橋を惨殺したあとの顛末などが語られています。
総じて言うと、やはり現在でも上演されている「見染の場」や「縁切の場」、最後の「立花屋二階の場」の面白さは群を抜いていて、今回久しぶりに上演された場はというと、縁切の場と立花屋二階の場の間の“九重花魁の部屋の場”が八ツ橋の心情が吐露され、捨て難い場面だと思ったのと、最後の大詰めが演出次第ではかなり楽しめるのではないかと思ったぐらいでした。期待していた次郎左衛門の両親の因縁や、妖刀“籠釣瓶”を次郎左衛門に渡した侍・都築武助(歌六)の挿話は思ったよりあっけなく、まあカットされてもしょうがないのかなと思ったりしました。
とはいえ、観る側も筋がより分かるからか、吉右衛門にしても福助にしても芝居がより丁寧になっているからなのか、ドラマティックな「籠釣瓶」だったと感じました。吉右衛門の迫力は言うに及ばず、福助の心理描写はいつにもまして情がこもり、八ツ橋の苦しい胸の内がひしひしと伝わってきました。通常の上演だと歌舞伎にありがちな愛憎劇で終始してしまうところが、いつもは上演されない“九重花魁の部屋の場”などが入ることで、心理劇としても一流の芝居になっていたと思います。
通し狂言はなかなか上演が難しいかもしれませんが、これを機会に、今回評判の良かったいくつかの場面を復活させた「籠釣瓶」をまた観たいなと思いました。
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