2015/11/10

モネ展

東京都美術館で開催中の『モネ展』に行ってきました。(といっても、もうひと月前ですが…)

またモネか、と思うのですが、毎回アートファンの心をそそる傑作が来たりするので、もうモネはいいよと思いつつ、ついつい足を運んでしまうのです。今回はそれが「印象、日の出」だったりしたものですから、行かないわけにはいきません。

初めて一人で観に行った美術展も、思えば『モネ展』でした。かれこれ30年ぐらい前のことになりますが…。

今回の『モネ展』は世界最大級のモネのコレクションで知られるパリのマルモッタン美術館の所蔵作品で構成されています。マルモッタン美術館のモネ・コレクションは遺族から遺贈されたものが中心で、さすがはモネが最後まで手放さなかった作品というだけあり、初期から晩年までモネの歩みを90点の充実したコレクションで展観できます。


会場の構成は以下の通りです:
家族の肖像
モティーフの狩人Ⅰ
収集家としてのモネ
若き日のモネ
ジョルジュ・ド・ベリオ・コレクションの傑作-マルモッタン美術館の印象派コレクションの誕生
モティーフの狩人Ⅱ (ノルマンディーの風景)
睡蓮と花-ジヴェルニーの庭
最晩年の作品

ジャン・ルノワール 「新聞を読むクロード・モネ」 1873年

まずは盟友ルノワールが描いたモネの肖像画と最初の妻カミーユの肖像画から。モネの自画像はほんの数作しかないと聞いたことがありますが、ルノワール以外にもマネもモネの肖像画を描いているので、被写体になるのは嫌ではなかったのかもしれません。妻カミーユを描いた作品はいくつもありますが、モネは肖像画自体をあまり描かなかったそうで、ここでは家族を描いた数少ない肖像画が展示されています。

クロード・モネ 「ポンポン付きの帽子をかぶったミシェル・モネの肖像」 1880年

カミーユの名前の付いた作品(「海辺のカミーユ」)が一点だけ展示されていましたが、顔の形もあいまいで、いかにもモネらしいタッチなのに対し、モネの息子たちを描いた作品は丁寧に一筆一筆色を添え、子どもの表情を描き移そうとしている印象を受けます。モネの愛する家族への思いが伝わってくるようです。

クロード・モネ 「海辺のカミーユ」 1870年

クロード・モネ 「トゥルーヴィルの海辺にて」 1870年

モネがカリカチュア画家として活動していた頃、その絵がウジェーヌ・ブーダンの目に留まり、戸外で自然に基づき絵を描くよう勧められたのがモネが画家の道を歩みきっかけだったといいます。トゥルーヴィルといえばブータンが好んでよく描いた海岸なので、1870年頃はまだブータンとの関係も深かったのでしょう。前述の「海辺のカミーユ」も海辺の様子からトゥルーヴィルであることが分かります。 「トゥルーヴィルの海辺にて」の女性もカミーユなのかもしれません。

クロード・モネ 「ジヴェルニーの黄色いアイリス畑」 1887年

1870年代初頭、モネはロンドンに滞在し、そこで出会ったターナーの作品に大きな感銘を受けます。モネのパレットはいっそう豊かになったと解説されていました。1870年代中ごろから1880年代にかけての作品は、印象派のど真ん中の黄金時代。モネの風景画は印象派らしい明るい光に満ち、豊かな色に溢れています。「ジヴェルニーの黄色いアイリス畑」の風にきらめく一面のアイリスの花、いかにもオランダらしい色鮮やかな「オランダのチューリップ畑」、画面いっぱいのクレマチスの美しさにハッとする「白いクレマチス」。初期のモネの風景画は絶品です。

クロード・モネ 「白いクレマチス」 1887年

モネはコレクターとして、師と仰いだブータンやヨンキント、ドラクロワ、仲間のルノワールやピサロらの作品を集めていて、そうした一連のコレクション(主に水彩画)も出品されています。面白いのはモネより全然年下のシニャックの作品も含まれていて、若い世代の作品も評価し、恐らくは研究していたのが見て取れます。

クロード・モネ 「印象、日の出」 1872年 (展示は10/18まで)

そして、「印象、日の出」(すいません、もう展示終了しています…)。“印象派”という名前の由来になったといわれるモネの歴史的傑作。21年ぶりの来日だそうです。

ちょっと凝りすぎ(?)の照明のせいで、バックライトをあてたように不自然に明るかったのが少々残念でしたが、瞼に焼き付いた風景の印象的な瞬間を描いたその作品は、ターナーの影響を感じさせつつも、モネらしい繊細な色調と早朝の静寂さを見事に表した構図が秀逸です。面白いのは、この絵が何月何日の何時何分の光景かなんて解き明かされていて、そんなことまで研究されているんだと驚きました。“印象派”という言葉には嫌みがこもっていたといわれますが、それが絵画の新しい扉を開けるのですから皮肉なものです。

クロード・モネ 「睡蓮」 1903年

モネといえば、やはり「睡蓮」。わたしの美術展デビューの『モネ展』も確かテーマは「睡蓮」だったはず。どこの美術館所蔵の「睡蓮」かは全く覚えていませんが。

本展でも何点か「睡蓮」が展示されていますが、1890年代の「睡蓮」はジヴェルニーの庭の太鼓橋を中心に池とその周辺を描いたのに対し、1902年に池を改修した以降は睡蓮の浮かぶ池の広がりだけで画面を構成したといいます。

水面に映る柳やポプラの様子もその絵その絵で雰囲気が違って、同じ「睡蓮」でも随分雰囲気の異なるものもあります。オランジュリー美術館の「睡蓮」の大装飾画のための準備として描かれたという「睡蓮」も3点出品されていて見応えがありました。

クロード・モネ 「睡蓮」 1907年

クロード・モネ 「小舟」 1887年

「睡蓮」のコーナーで目に留まったのが同じ睡蓮の池を描いた「小舟」。ゆらめく水草に覆われた画面がとても印象的です。ジヴェルニーの庭をそよぐ風と静かな水のせせらぎが伝わってくるようです。モネは水底でゆらめく水草と水をとらえるという不可能なことに取り掛かり気が狂いそうだと語ったといいます。同じモティーフを描いた後年の作品もあり、モネがそのあとも葛藤していたことが分かります。

クロード・モネ 「睡蓮」 1917-1919年

「印象、日の出」や「睡蓮」で感動して満足していたら、本当の感動はその上のフロアーにありました。最晩年の作品は以前にも観たことはありますが、本展は最後のフロワー(2階)を全て最晩年の作品にあてていて、その数とその強烈な色彩にただただ圧倒されます。白内障の影響で色彩やものの形がうまく捉えられなくなっても、色と光を追い続けようとするその執念に言葉を失います。なんて力強い筆でしょう。

クロード・モネ 「日本の橋」 1918-1919年

輪郭は最早消え失せ、モティーフはほとんど判別できず、そこにあるのは風景の気配とこぼれんばかりの色彩だけ。白内障の進行とともに視力は低下し、恐らく風景は霞み、光がまぶしく感じられて外で絵を描くこともままならなかったでしょう。しかし解説によると距離は完全に見えていたともいわれ、モネの最晩年の作品群はただ単に白内障の影響だけとは捨てきれず、抽象化していくモネの画風の変遷の行き着いた先として、ある意味意図的に描かれたのかもしれないという気がしないでもありません。

クロード・モネ 「日本の橋」 1918-1924年

「印象、日の出」は期間限定展示で、後期は「ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅」が展示されています。なお、本展は東京展のあと、福岡、京都にも巡回(新潟展では展示なし)するので、そちらで引き続き「印象、日の出」を観ることができます。


【マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展 「印象、日の出」から「睡蓮」まで】
2015年12月13日(日)まで
東京都美術館にて


ジヴェルニーの食卓 (集英社文庫)ジヴェルニーの食卓 (集英社文庫)

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