2014/06/29

鉄斎 TESSAI

出光美術館で開催中の『鉄斎 TESSAI』に行ってきました。

本展は、幕末・明治・大正と激動の時代を生きた文人画家で、最後の文人と評された富岡鉄斎の没後90年を記念しての展覧会。出品作はすべて出光美術館の所蔵作品で構成されています。

出光美術館には約80件の鉄斎のコレクションがあるそうで、その内の69作品が今回展示されています(他の画家の関連作品を含めると総展示数は計74点)。

こうした形で鉄斎コレクションを一堂に公開するのは10年ぶりとのこと。期間中展示替えはなく、若書きから最晩年の作品まで鉄斎画をまとめて観るには大変いい機会です。


会場は5つの章に分かれています。
Ⅰ 若き日、鉄斎の眼差し― 学ぶに如かず
Ⅱ 清風への想い ―心源をあらう
Ⅲ 好古趣味 ―先人への憧れと結縁
Ⅳ いざ、理想郷へ
Ⅴ 奇跡の画業 ―自在なる境地へ


30~40代の作品を集めたⅠ章や最晩年の作品から成るⅤ章を除いては、40代から晩年に至るまで織り交ぜながらテーマに沿って作品を紹介しています。初期の作品にはまだどちらかというと俳画風の文人画というのもあり、「十二ヶ月図」や「高賢図」のような風流な掛軸に逆に意外な新鮮味を感じたりします。

富岡鉄斎 「陽羨名壷図巻」
明治3年(1870) 出光美術館蔵

≪清風への想い≫では、“清風”(=喫茶趣味)への関心を表す作品を集めています。いろんな形や色の急須や茶道具が楽しい「陽羨名壷図巻」や、中国の故事に因んだ「陸羽煮茶図」、晩年の「高士煎茶図」が風雅でいい。

鉄斎は自分は儒者であって画師ではないと常日頃語っており、その画はほとんど独学だったといいます。たくさんの書物から学んだ知識や世界観といった好古趣味が鉄斎の源泉にはあったといい、高橋草坪や青木木米といった幕末の文人画家の影響を感じさせる作品も展示されていました。

富岡鉄斎 「蘭亭曲水図」
明治25年(1892) 出光美術館蔵

「蘭亭曲水図」は基にしたとされる高橋草坪の作品と並んで展示されていて、画としての巧さでいえば高橋草坪の方が上なのですが、鉄斎の味わいは抗しがたいものがありますし、米法山水を自己流に噛み砕いている感じがします。そういった意味では「米法山水図」もいい。

富岡鉄斎 「口出蓬莱図」
明治26年(1893) 出光美術館蔵

鉄斎といえば山水とは別に飄逸さやおおらかさも魅力ひとつ。ユーモラスな「太秦牛祭図」、仙人の口から煙のように蓬莱山が出てくる「口出蓬莱図」、ちょっと楽しい地獄絵図「萬古掃邪図」などやはり面白い。

「余に印癖有り」というほど実に500顆を超える印を持っていたという鉄斎。そうした蒐集癖を物語るような前漢の文人・司馬相如が夢に出てきたら司馬の印を手に入れたという「奇夢得印図」が秀逸です。

富岡鉄斎 「明恵上人旧廬之図」
明治34年(1901) 出光美術館蔵

富岡鉄斎 「東瀛僊閣図」
大正7年(1918) 出光美術館蔵

後年の作品では、やまと絵の画法を意識したという紅葉の赤と山の緑の色調が明るく華やかな印象を与える「明恵上人旧廬之図」、野に放たれた牛と咲き乱れる桃の花がなんとも長閑で美しい「放牛桃林図・大平有象図」、近景と遠景の描写と青緑山水の美しさが秀逸な「東瀛僊閣図」が印象的です。

富岡鉄斎 「梅華邨荘図」
大正10年(1921) 出光美術館蔵

最晩年の作品はまさにカオス。自在な筆勢によるダイナミックな水墨表現に圧倒されます。その中でも白眉は「梅華邨荘図」で、全面を覆う墨絵のところどころに咲き誇る桃の花がいい。最晩年の大作「蓬莱仙境図」はもはや抽象画で、山が生きているような不思議な錯覚に陥らせます。

富岡鉄斎 「蓬莱仙境図」
大正12年(1923) 出光美術館蔵

ほかにも、扇面に描いた作品の小特集も組まれていて、軽妙な「福内鬼外図」や「狗子図」など楽しげな作品も出ていました。

出光美術館の所蔵作品だけなので、もっと観たいという向きには物足らなさもあるかもしれませんが、それでもこれだけのコレクションを一堂に観られるのは圧巻です。鉄斎は「自分の画を見るならば賛から先に読んでくれ」と語ったということですが、わたしのように賛文を読めるほど教養がなくても、パネルで説明されているので、鉄斎がどのような意味をその画に込めたか理解しながら作品を味わえるのが良かったと思います。
 

【没後90年 鉄斎 TESSAI】
2014年8月3日(日)まで
出光美術館にて


富岡鉄斎 仙境の書富岡鉄斎 仙境の書

2014/06/27

徒然草 美術で楽しむ古典文学

サントリー美術館で開催中の『徒然草 美術で楽しむ古典文学』に行ってきました。

鎌倉時代末期に兼好法師(今は“吉田兼好”と言わないそうな)によって書かれ、『枕草子』『方丈記』とともに日本三大随筆と呼ばれる『徒然草』。実は執筆から100年あまりの間は注目されず、広く知られるようになるのも慶長年間(1596~1615)になってからなのだそうです。

本展は、『徒然草』について触れた室町時代の史料や最初期の写本、江戸時代に登場する“徒然絵”などをとおして、『徒然草』の新たな魅力を教えてくれます。


第1章 兼行と徒然草

まずは兼行法師の肖像から。いずれも江戸時代に描かれたものですが、寛永の三筆といわれた松花堂昭乗の「兼行図」は手にした団扇も止まったまま巻物をじっと見つめ、海北友雪の「兼行法師像」(模本)も筆を手にしたまま一点を見つめ、いずれも何か熟思するような姿が印象的。一方、尾形乾山の「兼好法師図」は略画体の楽しい兼好法師。乾山は兼好が晩年を過ごした双ヶ丘に居を構えていたといい、隠士を自称していただけあって兼行に理想の姿を見ていたのかもしれません。

尾形乾山 「兼好法師図」
江戸時代・17世紀後半〜18世紀後半 個人蔵

ここでは高師直が恋文の代筆を依頼した和歌の名手として兼行が登場する「太平記絵巻」や兼行の短冊を含む国宝「宝積経要品 紙背 和歌短冊」のほか、兼行の伝記を紹介し『徒然草』再発見のきっかけを作ったとされる歌論書「正徹日記」、最初期の『徒然草』の写本、また兼行が生きた末法の世を代表する作品として国宝「法然上人絵伝」などが展示されています。


第2章 徒然草を描く

『徒然草』を絵画化した“徒然絵”を紹介。江戸初期・慶長年間になって『徒然草』が広まった理由には、古典文化復興のブームがあったのと、木版による本が大量に流通するようになったということがあるようです。いずれにしても戦国の世が終わり、それだけ平和になったということなのでしょう。

伝・住吉如慶 「徒然草図屏風」(右隻)
江戸時代・17世紀 熱田神宮蔵

『源氏物語』が“源氏絵”、『伊勢物語』が“伊勢絵”であるように、『徒然草』は“徒然絵”といいます。ここでは“徒然絵”に少なからぬ影響を与えたという『徒然草』の絵入注釈書『なぐさみ草』の図様や、広く流布した奈良絵本、そして徒然絵の画帖や屏風などを展示。中には、嫁入り道具なのでしょうか、金泥を加えた贅沢な絵本まであり、『徒然草』が当時の人々にどれだけ受け入れられていたかが分かります。

英一蝶 「徒然草・御室法師図」
江戸時代・17世紀後半 個人蔵

作品としては住吉如慶・具慶など住吉派の作品が多く、土佐光起の作品も一点ありましたが、同じやまと絵系でも土佐派による徒然絵は意外と少ないのだそうです。そんな中でも、世間のニーズに応じて狩野派もやまと絵的な徒然絵を手掛けていたようで、狩野常信の徒然絵(模本)など狩野派の作品もありました。狩野派では江戸後期に活躍した狩野寿信の「徒然草屏風」や英一蝶のユーモラスな「御室法師図」などが◎。

狩野寿信 「徒然草図屏風」(左隻)
江戸時代・19世紀 板橋区立美術館蔵

そのほか、奈良絵本を解体し屏風に貼った「奈良絵本『徒然草』貼交屏風」が面白い。本文と隣の挿絵が関連してなく、どうも無頓着に貼ったらしい(笑)。米沢市上杉博物館蔵の「徒然草図屏風」もかなりの見もの。挿絵と挿絵の境に金雲を施していて豪華。狩野派系の絵師によるものだろうとのことです。

「徒然草図屏風」(右隻)
江戸時代・17世紀 米沢市上杉博物館蔵


第3章 徒然草を読む

ここではサントリー美術館が近年収蔵した海北友雪の「徒然草絵巻」を全二十巻を公開。全段ではありませんが、相当のスペースを使ってるので、かなり見応えがあります。多くの徒然絵に影響を与えている「なぐさみ草」の図様とは関連性がなく、また成立年も徒然絵の中ではかなり早い時期のものではないかと指摘されているそうです。

海北友雪 「徒然草絵巻」 巻一部分
江戸時代・17世紀後半 サントリー美術館蔵

海北友雪 「徒然草絵巻」 巻九部分
江戸時代・17世紀後半 サントリー美術館蔵

友雪の絵巻はやまと絵系の作品の端正さとも違い、繊細かつ飄逸な筆致が印象的。徒然絵は“源氏絵”など物語絵とも異なり、どちらかというと一段読み切りといった感じの簡潔な話ばかりなので、分かりやすいのもポイント。恋愛経験の少ない男はつまらないとか、相手に気を使って話をしてると虚しくなるとか、家にごちゃごちゃと調度品が多いのは下品だとか、いろいろ面白い。


第4章 海北友雪の画業と「徒然草絵巻」

「徒然草絵巻」の海北友雪にスポットを当てています。海北友雪は『栄西と建仁寺展』で作品が多く紹介されていた安土桃山時代を代表する絵師の一人・海北友松の子。狩野派、長谷川派に押されて、なかなか注目される機会の少なかった海北派がこうして紹介されるのはとても嬉しいことです。

海北友雪 「一の谷合戦図屏風」
江戸時代・17世紀 埼玉県立歴史と民族の博物館蔵

素晴らしいのが水墨で、「五行之図」や「南都八景」、最後に展示されていた「秋蓮白鷺図」など、いずれも墨の濃淡の巧みな表現と柔らかな筆の運び、余白の使い方などがいい。屏風でも、扇を大胆にあしらった「一の谷合戦図屏風」や、人々の生き生きした表情や活気が伝わってくる「日吉山王祭礼図屏風」など見るべきものがあります。


『徒然草』を読むのは古典の教科書以来ですが、いま読んでみると、随筆というより“つぶやき”のようでもあり、ある種の自己啓発本だなと感じるところもあります。結構現代に通じる話も多く、そうだよなぁと納得しきり。それぞれの段の詞書には現代語訳も添えられていて解説も丁寧なので、古典文学に通じてなくても全く問題ありません。逆に古典だからといって敬遠しがちな人にオススメの展覧会です。


【徒然草 美術で楽しむ古典文学】
2014年7月21日(月・祝)まで
サントリー美術館にて


吉田兼好とは誰だったのか 徒然草の謎 (幻冬舎新書)吉田兼好とは誰だったのか 徒然草の謎 (幻冬舎新書)


使える!『徒然草』 (PHP新書)使える!『徒然草』 (PHP新書)

2014/06/25

六月大歌舞伎

歌舞伎座で六月大歌舞伎を観て参りました。今月は右肩の手術による休養から復帰の仁左衛門と、尾上松緑の長男・藤間大河くんの三代目尾上左近襲名が見どころ。

まずは昼の部。
最初は舞踊で『お国山三 春霞歌舞伎草』。
新作舞踊なのかと思ったら、初演は大正3年、六代目菊五郎なんですね。出雲の阿国一座の歌舞伎踊りを披露しているところに名古屋山三の亡霊が現れるという幻想的かつ春らしい舞踊で、時蔵、菊之助に加えて若手花形衆が華やか。中でも、成長株の米吉の可愛らしさと上手さが目立っていました。ただ、時蔵・菊之助で舞踊なら、他に何か適した演目がなかったのかな、と。

つづいて 『実盛物語』。実盛に菊五郎、小万に菊之助、葵御前に梅枝、瀬尾十郎に左團次。菊五郎の実盛はたっぷりした味わいを見せつつも、時代物の重厚さはあまり感じられず。これはこれで菊五郎の味なのでしょう。梅枝が実に良く、武家の品格を見せ素晴らしい。菊之助はさすがの安定感ですが、今月は先ほどの舞踊とこの小万と夜の水無瀬御前というのがファンには物足らない。左團次もこの人ならではの大きさと手堅さ。家橘と右之助の九郎助夫婦は少々地味というか、味わいに欠けるというか、劇団の芝居にちょっと染まってない感じがしました。

次に真山青果の『大石最後の一日』。討ち入りのあとに“お達し”を待つ重苦しい空気の中の芝居ということもあり、また昼食後の動きに乏しい台詞劇ということもあって(しかも場内暗転)、睡魔との闘い。何度か寝落ちしました(笑)。大石の幸四郎がとうとうと語る台詞は長く、さして面白いものではありませんが、孝太郎のおみのと彌十郎の堀内のやりとりは聞かせるものがありました。ただ、やはり暗い芝居。

最後は、待ってました!の仁左衛門の『お祭り』。仁左衛門丈の元気そうな様子と千之助くんの成長ぶり、何よりいつまでも若々しい仁左衛門ですが孫を見て嬉しそうな様子が微笑ましい。


さて、夜の部。
こちらは左近くんの襲名興行で『蘭平物狂』。奴蘭平実は伴義雄に松緑、一子繁蔵に左近、女房おりく実は音人妻明石に時蔵、水無瀬御前に菊之助、そして在原行平に菊五郎。左近くんは既に堂々としたもので、子役の危なげなさもなく立派。松緑も力が入っていて、実に魅せる芝居でした。蘭平・繁蔵の父子関係と松緑・左近の父子関係が重なり、左近を見つめる松緑の目が蘭平のものなのか、松緑としてのものなのか交錯します。

アクロバティックな大立ち回りも素晴らしく、ちょっとしたサーカス気分。花道寄りのかぶり席で観ていたものですから、梯子の真下でハラハラドキドキしておりました(笑)。やゑ亮くんは大活躍ですね。テーピングやシップ(?)巻いてる人や、舞台袖で足をモミモミしてる人もいて、これ大変だわと痛感。みなさん怪我なく千秋楽まで務められたでしょうか? 最後に襲名口上。

つづいて松羽目物で『素襖落』。太郎冠者に幸四郎。観る前は少し不安だったのですが、幸四郎のコミカルさと大名某の左團次、次郎冠者の彌十郎の軽妙さが相まってなかなか面白かったです。ただ、『素襖落』は初めて観たので比較対象がないのですが、こんなものですかね。吉右衛門や三津五郎も演じているようなので、機会があれば観てみたいなと思います。高麗蔵の姫御寮も良し。

最後は『名月八幡祭』。縮屋新助に吉右衛門、芸者美代吉に芝雀。婀娜っぽさで売る深川芸者にはどうしても見えないのですが、根っからの男に甘い女というか、悪気のない浅はかさというか、福助とはまた違う美代吉。芝雀にしては珍しい役でこれが意外な発見でした。ここの見ものはやはり播磨屋。段々と狂っていく様子が非常にリアルで、『籠釣瓶』とはまた別の気狂い。その心理描写は抜群ですが、少し作り込みすぎていて、芝居から浮いてしまってるような気もしないでもありません。脇が充実していて、三次の錦之助、魚惣の歌六、女房の歌女之丞、藤岡の又五郎をはじめ、美代吉の母の京蔵、松本女房の京妙、幇間の吉三郎といった面々が要所要所をしっかり固め、ドラマに重層的な厚みと江戸のリアリティを与えていました。

2014/06/15

描かれたチャイナドレス

ブリヂストン美術館で開催中の『描かれたチャイナドレス展』のブロガーナイトに参加してまいりました。

Twitter のTLにときどき流れてくる感想ツイを読んでると、なかなか評判もいいようで、早く観に行かないといけないなと思ってたところでした。会社から急いで美術館に着くと、1Fのティールーム《ジョルジェット》に案内されて、ウェルカムドリンクのサービス。冷たいシノワズリティーに汗もスーッと引いていきます。

さて本展は、大正から戦前にかけての、中国への憧憬や愛着を抱いた洋画家たちが描いたチャイナドレス姿の女性像だけを集めたユニークな企画展。

かつての中国は文化の先進国。大正時代の日本では中国趣味のブームというのがあって、まだ女性の半数は和服姿という時代にもかかわらず、チャイナドレスを着た女性を街中で見かけることも珍しくなかったというから驚きです。

展覧会は第1室と第2室を使い、28作品が展示されています。壁も展覧会に合わせて赤く塗られていたり、チャイナドレスが飾られていたりと、気分はオリエンタル。当日は学芸部長の貝塚氏の解説を伺いながら、作品を拝見しました。


第1室は日本人女性に中国服を着せて描いた作品で構成されています。最初に登場するのが藤島武二。「匂い」は日本の洋画家がチャイナドレスを着た女性を描いた最も早い時期の油彩画だそうです。ヨーロッパ留学からの帰国後に描いた作品で、藤島は60着もチャイナドレスを買い集めていたといい、それをモデルに着せて描いたようです。ちょっと浅丘ルリ子似の美人。

藤島武二 「匂い」
大正4年(1915) 東京国立近代美術館蔵

メインヴィジュアルにも使われている「女の横顔」は赤い中国服とピンクの髪飾りの彩りも美しく、女性の顔がパーッと明るく輝いて見えます。横顔の肖像はイタリア・ルネサンスの肖像画の典型で、藤島はルーブルでこうした肖像画の模写に励んでいたそうです。モデルの“お葉さん”は竹久夢二の元恋人で、藤島を満足させた数少ない“横顔美人”ということでした。

[写真右から] 藤島武二 「芳蕙」 大正15年(1926) ※パネル展示
藤島武二 「女の横顔」 大正15~昭和2年(1926-27) ポーラ美術館蔵
藤島武二 「鉸剪眉」 昭和2年(1927) 鹿児島市立美術館蔵

同じく“お葉さん”を描いたとされる「芳蕙」がパネル展示であったのですが、現在所在不明なのだとか。会期前半には「東洋振り」という、滅多にお目にかかれない藤島武二の代表作も展示されていたようです。その「東洋振り」から約3年ほど、藤島は中国服を着た女性の横顔を集中的に描いていたというお話でした。

[写真右] 小林萬吾 「銀屏の前」
大正14年(1925) 福富太郎コレクション資料室蔵
[写真左] 久米民十郎 「支那の踊り」
大正9年(1920) 個人蔵

小林萬吾の「銀屏の前」は北京から中国服を取り寄せて描いたといい、中国服の模様や色合いがとても良いというか、仕立てや着心地は最高だろうなという感じまで伝わってきます。小林は黒田清輝の弟子で、東京美術学校で教鞭をとっていたそうです。久米民十郎の「支那の踊り」は不思議な動きで体をくねらせ、当時は“霊媒画”と呼ばれていたとか。久米はイギリスで絵を学んだ人で、渦巻派(ヴォーティシズム)の影響を受けているとありました。この方は関東大震災で若くして亡くなっているのですね。

岸田劉生 「照子像」
大正9年(1920) 郡山市立美術館蔵

個人的にオススメは、劉生の「照子像」と矢田清四郎の「支那服の少女」。「照子像」は劉生の5歳下の妹で、病気療養のため劉生宅に身を寄せ、そのときに描かれた1枚とのこと。心なしか顔色も少し悪い。中国服の風合いというか質感の表現が素晴らしく、娘・麗子像とはまた違った魅力があります。「支那服の少女」は撮影NGだったのですが、柔らかな光の中に佇む少女の姿が美しく、とても印象的な作品。

[写真右] 三岸好太郎 「中国の女」
昭和2~3年(1927-28) メナード美術館蔵
[写真左] 三岸好太郎 「支那の少女」
大正15年(1926) 北海道立三岸好太郎美術館蔵

つづいて第2室。こちらは中国を訪れ、中国服の女性を描いたり、その印象を日本で描いたりした作品が中心。夭折の画家・三岸好太郎は岸田劉生やルソーの影響を受けているそうで、独特のタッチが印象的。三岸はヨーロッパに行きたかったけれども行けなかった画家で、唯一の渡航先が上海だったそうです。当時の上海はヨーロッパへの玄関口で、ヨーロッパを夢見させる街だったのですね。

[写真右から] 小出楢重 「周秋蘭立像」 昭和3年(1928) リーガロイヤルホテル蔵
正宗得三郎 「赤い支那服」 大正14年(1925) 府中市美術館蔵
正宗得三郎 「支那服」 大正14年(1925) 府中市美術館蔵

小出楢重といえば大正時代を代表するよう画家の一人。「周秋蘭立像」は大阪のリーガロイヤルホテルのメインラウンジに飾られている作品とのこと(美術館の方が照明の効果できれいに見えるとの話)。神戸在住の上海生まれのダンサーをモデルに描いたのですが、顔はあまり似ておらず、実は奥さんの方に似ていたというエピソードがあるそうです。

[写真左から] 児島虎次郎 「花卓の少女」
大正15年(1926) 高梁市成羽美術館蔵
児島虎次郎 「西湖の画舫」
大正10年(1921) 高梁市成羽美術館蔵

児島虎次郎は日本よりパリで作品を発表することが多かったという画家。「花卓の少女」は少女の愛らしさと花の美しさ、中国家具のトーンがなんとも品のいい一枚。「西湖の画舫」は画舫(屋形船)での酒宴を描いたもので、古都・西湖の風流な遊興の様子が伝わってきます。

安井曾太郎 「金蓉」
昭和9年(1934) 東京国立近代美術館蔵

さて、本展のメインの一つ安井曾太郎の「金蓉」。言わずと知れた安井の代表作。本展の企画そのものが、この作品を東京国立近代美術館から借りられたことにより始まったのだそうです。モデルは上海総領事の令嬢で、中国好きで普段から中国服を着ていたとか。細川護立(細川護熙元首相の祖父)の依頼により描いた作品で、政財界には彼女のファンも多かったようです。鮮やかな紺色の中国服や全体の色味といい、構図的なバランスといい、どれも素晴らしいのですが、やはり彼女の落ち着いた雰囲気というか、知的な内面性が伝わってくるところが秀逸です。

恩地孝四郎 「白堊(蘇州所見)」
昭和15年(1940) 千葉市美術館蔵

そのほか、中国といえば…の梅原龍三郎の作品や、中国の大道芸人とその家族を描いた藤田嗣治のインパクトのある作品など見どころも多いのですが、個人的に特に印象深かったのが恩地孝四郎の版画作品。白い壁の空間に背を向けて佇む中国服の女。なにか空気の冷たさと、感情のよそよそしさがあります。制作年からして中国とは戦争の様相を呈し、日本でもモガの時代は遠い記憶と化した時代、そんな時代の空気感さえ伝わってくるようです。


残りの第3室から第10室は、ブリヂストン美術館のコレクション展示となっています。ルノワールやマネ、モネなど印象派の作品から、マティスやピカソ、ポロックやフォートリエなど20世紀の美術まで、良質の作品が展示されています。

チャイナドレスと洋画家たちとの素敵な関係に、中国文化に憧れを抱き、中国趣味に洗練を感じた時代に思いを馳せるのもいいのではないでしょうか。


※展示会場内の画像は特別に主催者の許可を得て撮影したものです。


【描かれたチャイナドレス -藤島武二から梅原龍三郎まで】
会期: 2014年4月26日(土)~7月21日(月)
会場: ブリヂストン美術館
開館時間: 10:00~18:00(毎週金曜日は20:00まで) ※入館は閉館の30分前まで
休館日: 月曜日


チャイナドレスの文化史チャイナドレスの文化史

2014/06/07

非日常からの呼び声

国立西洋美術館で開催中の『非日常からの呼び声』展に行ってきました。

本展は、小説家の平野啓一郎さんがゲストキュレーターとして、コンセプトから、作品選び、配置、そして解説まで書いたという企画展。国立西洋美術館の収蔵品の中から「特に素晴らしいと思うもの、興味を引かれたもの」を選び、「そこから見えてきた全体像に沿って、最終的な取捨選択」を行い、「結果として、浮かび上がってきた」テーマにより構成されています。

同時開催の『ジャック・カロ展』と会場が別なのかと思いきや、『ジャック・カロ展』のつづきの部屋になっています。つまり『非日常からの呼び声』を観るにはまず『ジャック・カロ展』を観てからでないと観られない、言い換えれば『ジャック・カロ展』を観るともれなく『非日常からの呼び声』が観られるというわけです。


Ⅰ. 幻想

最初に登場するのがクリンガーの代表作「行為」。一昨年、西美の版画素描展示室でクリンガーの連作版画が公開され、そのときにも拝見し、面白いなぁと思った作品です。一見ボーリングで女性がピンのように倒れたのかと見える不思議な構図。実は、女性が落とした手袋を取ろうとしています。しかも男性は女性に恋をしてしまうという。

マックス・クリンガー 「『手袋』:行為」
1881年 国立西洋美術館蔵

ここではほかに、何か訴えかけてくるような労働者の表情が強い印象を残すムンクの「雪の中の労働者たち」、パステル調の空を駆けて行く馬車が幻想的なルドンの「アポロンの二輪馬車」など。


Ⅱ. 妄想

妄想、空想の世界。ここで観ておくべきはデューラーの傑作「メレンコリア I」。ジャック・カロの細密な銅版画に驚嘆したばかりなのに、デューラーの驚くべきエングレーヴィングには圧倒されます。まるで鉛筆素描のような緊密で凝縮された線、うつむいた天使や謎の魔法陣など示唆に富んだ描写。平野さんも語っていますが、デューラーは別格だなと感じます。

アルブレヒト・デューラー 「メレンコリア I」
1514年 国立西洋美術館蔵

もうひとつオススメは、15世紀ドイツの画家クラーナハの「聖アントニウスの誘惑」。一瞬よく分からないのですが、聖アントニウスが悪魔たちに空中に引っ張り上げられています。クラーナハというと、有名な「マルティン・ルターの肖像」やベルリン国立美術館展で来日した「ルクレティア」などが浮かびますが、こうした奇想系の作品もあるのですね。

同じ「聖アントニウスの誘惑」ではテニールスの作品も興味深い。こちらはクラーナハやカロの作品ほど奇怪な感じはないのですが、聖アントニウスにグラスを差し出す女性の足元を見ると実は猛禽類のような足でゾッとします。

ルカス・クラーナハ(父) 「聖アントニウスの誘惑」
1506年 国立西洋美術館蔵

ほかにゴヤの晩年の版画連作の一枚「飛翔法」や、ルネサンス期に制作された最も奇抜な主題の版画として知られるというライモンディとアゴスティーノ・ヴェネツィアーノの「魔女の集会(ストレゴッツォ)」なども不気味。


Ⅲ. 死

ここで印象的だったのがドラクロワの「墓に運ばれるキリスト」。キリストの死を描いた絵画はあまたありますが、その亡骸を地下の墓に運ぶ絵というのは初めて観た気がします。棺に埋葬するというパターン化した画題を、地下への、S字に曲がった階段を降りるという動的な構図にすることで、キリストの埋葬がよりドラマティックで悲壮的なものに感じられます。

ウジェーヌ・ドラクロワ 「墓に運ばれるキリスト」
1859年 国立西洋美術館蔵

ほかにデューラ、パルミジャニーノ、ドラクロワの版画作品が並ぶ中、ひと際目を引いたのがアゴスティーノ・ヴェネツィアーノの「死と名声の寓意」。亡者(といっても骸骨ですが)の周りを囲む羽の映えた骸骨や亡霊のような人々。彼らは死の使者なのか。伝統的なキリスト画のパロディという話もあるようです。

アゴスティーノ・ヴェネツィアーノ 「死と名声の寓意」
(ロッソ・フィオレンティーノ原画)
1518年 国立西洋美術館蔵


Ⅳ. エロティシズム

ここではカヴァッリアーノの「ヘラクレスとオンファレ」が面白い。なんでしょ、女性に辱められているようなヘラクレス。リディアの女王オンファレに奴隷として売られたヘラクレスが女装して糸紡ぎをさせられたという神話に基づくものなのだそうです。

ベルナルド・カヴァッリアーノ 「ヘラクレスとオンファレ」
1640年頃 国立西洋美術館蔵

個人的にはモローの「牢獄のサロメ」の美しさにも惹かれました。よく見ると奥ではヨハネが今にも首をはねられようとしていて、サロメは不気味な笑みを浮かべています。その隣にはモローのサロメとは対照的なティツィアーノ工房作の肉づきのいいサロメも展示されてました。

ギュスターヴ・モロー 「牢獄のサロメ」
1873~76年頃 国立西洋美術館蔵

フェルナン・クノップフ 「仮面」
1899年 国立西洋美術館蔵

クノップフの「仮面」もなんとも妖しげ。19世紀末にこうしたフェッティッシュな絵があったのですね。


Ⅴ. 彼方への眼差し

ここでは信仰のもと、天を仰ぎ、祈る姿を描いた作品を集めています。印象的だったのはドーミエの「マグダラのマリア」。大きく体を仰け反らせ祈る姿からは、劇的ともいえる感情の昂ぶりと信仰の強さが伝わってきます。

オノレ・ドーミエ 「マグダラのマリア」
1849~50年頃 国立西洋美術館蔵


Ⅵ. 非日常の宿り

平野啓一郎さん曰く、芸術に何を求めるかは人それぞれだと前置きをしつつ、「日常から連れ出してくれる『呼び声』としての作品」を様々なかたちでこの展覧会では見てきたとし、最後は「日常の中に懐胎された、芸術的なるものに目を凝らし、耳を澄ます作品」を眺めたいと。ここでは日常的な光景の中にある非日常的な瞬間を描いた作品を紹介しています。

ヴィルヘルム・ハンマースホイ 「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」
1910年 国立西洋美術館蔵

国内に唯一あるハンマースホイ作品。北欧の柔らかい光と冷たく澄んだ空気、静謐な時間が流れています。生活のワンシーンなのに生活感がない、隣の部屋に妻の後ろ姿が見えるのに声も手も届かない…。確か『ハンマースホイ展』と同じ年ぐらいに購入した作品で、今では西美でも一番人気の高い作品の一枚なんじゃないかと思います。

エドヴァルド・ムンク 「接吻」
1895年 国立西洋美術館蔵

ここではロダンの彫刻「私は美しい」も印象的。ありえない形で抱擁しているのですが、女性を抱きあげる男性の筋肉の美しいこと。タイトルは台座に刻まれたボードレールの詩によるという。抱擁した男女ではもうひとつ、ムンクの「接吻」。ムンクはたびたび接吻する男女(しかも同じポーズ)を描いていますが、本作は最初期の接吻の版画だそうです。ほかに、鬱蒼とした木々の細密な描写と光と闇のコントラストが素晴らしいブレダンの「善きサマリア人」もいい。最後はクールベの「波」。


国立西洋美術館の常設展でときどき見かける作品もあるのに、いつもの展覧会とはまたひと味違うユニークな展覧会でした。 また、別のゲストキュレーターに違った視点で作品を選んでもらうと面白いですね。


【非日常からの呼び声 平野啓一郎が選ぶ西洋美術の名品】
2014年6月15日まで
国立西洋美術館にて


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ジャック・カロ展

国立西洋美術館で開催中の『ジャック・カロ - リアリズムと奇想の劇場』を観てきました。

ジャック・カロは17世紀前半にフランス(ロレーヌ)やイタリアで活躍した版画家。非常に細密な描写と、ユニークな画風が魅力です。銅版画の新しい技法を開拓したことでも知られているといいます。

本展は国立西洋美術館の所蔵作品で構成した展覧会。版画といえども、一人の画家でこれだけの作品を持っていたということも驚きですが、それをたった600円で観られるというのがうれしい。さらに、画が細かいだけに閲覧用のルーペまで貸してくれるサービスも有り難いところ。会場の入口にルーペが置いてありますので、忘れずに借りていきましょう。


Ⅰ.ローマ、そしてフィレンツェへ

まずは初期の作品から。カロはフランスからイタリアへ移り、ローマの工房で版画の模刻やエングレービングなどの技法を学び、さらにフィレンツェで研鑽に励んだといいます。ここでは連作<ローマの絵画>のほか、マニエリスムっぽい「キリストと穀物の計量人」など宗教画が展示されています。

ジャック・カロ 「キリストと穀物の計量人」
1611年頃 国立西洋美術館蔵


Ⅱ.メディチ家の版画家

メディチ家の宮廷附き版画家として、メディチ家の宮廷文化やフィレンツェの都市の活気を描いた作品を紹介。

ジャック・カロ 「二人のザンニ」
1616年頃 国立西洋美術館蔵

「二人のザンニ」はコメディア・デラルテ(即興喜劇)を描いた作品。メディチ家の当主コジモ2世が熱心な愛好家だったそうで、カロの作品にはコメディア・デラルテを描いた作品が多くあります。

ジャック・カロ 「第二の幕間劇:地獄はキルケの仇討をするために武装する」
連作<幕間劇>より
1617年 国立西洋美術館蔵

演劇的な雰囲気や奇想的なイメージはこの頃すでに出来上がっていたようです。シンメトリックな構図と廃墟的な建物も面白い。地獄のキルケはまるでデビルマンのよう。

ジャック・カロ 「インプルネータの市」
1620年 国立西洋美術館蔵

「インプルネータの市」の細かさと言ったら! 聖ルカを祝うお祭りの様子を描いた作品で、露天商や見せ物、遊戯に集まる実に1000人以上ともいわれる人々が描かれています。顔なんて2~3ミリしかないんじゃないかと思うのですが、細かなところまで明瞭な描写がされていて、ルーペで覗くと表情まで分かります。まさに驚異的!

なお、会場内に“みどころルーペ”というタッチパネル式の鑑賞システムも置いてあり、「インプルネータの市」の精細な描写を見ることができます。


Ⅲ.アウトサイダーたち

カロは、乞食やジプシー、不具者やフリークスなど社会から虐げられた人々をよく取り上げてもいて、ここではそうした“アウトサイダー”を描いた作品を紹介。

ジャック・カロ 「ジブシーたちの宴」
国立西洋美術館蔵

サーカスなどで人気のあった小人や傴僂たちを描いた連作<小さな道化たち>、さまざまな乞食を観察した連作<乞食>、ヨーロッパでは強い警戒心を持たれていたというロマ(ジプシー)を描いた連作<ジプシー>などが展示されています。道化などは多少デフォルメされてもいますが、そこには彼らの暮らしの様子だけでなく、生きることの悲哀や社会批判めいたものまで感じられます。


Ⅳ.ロレーヌの宮廷

故郷ナンシーに戻ってからのカロの作品を紹介。ロレーヌ公国は1670年にフランスに占領されますが、カロの作品からは在りし日の公国の繁栄の様子を見ることができます。

ジャック・カロ 「ナンシーの宮殿の庭園」
1625年 国立西洋美術館蔵

「ナンシーの宮殿の庭園」や「ナンシーの競技場」などの作品を観ていると、フィレンツェ時代の作品とは異なり、フランス的な雰囲気を強く感じます。それにしても細かい。手抜き一切なし。

ジャック・カロ
「『槍試合』:ド・ヴロンクール殿、ティヨン殿、マリモン殿の入場」
国立西洋美術館蔵

宮廷で行われていた“槍試合”の様子を描いた連作の一枚。まるでシャチホコ(解説によるとイルカらしい)ですが、これは槍兵を乗せて登場するための“山車”なのだそうです。しかもこれ、宮廷の試合の記録画ですからね、一応(笑)。巨大魚が出てくる時点で破天荒すぎます。


Ⅴ.宗教

本展はサブタイトルに≪奇想の劇場≫とありますが、カロの作品のうち最も多くを占めるのが宗教画なのだそうです。17世紀前半は宗教改革や、それによるカトリック教会内部の対抗宗教改革の動きもあった時代。当然のことながら生活はキリスト教とともにあり、こうした時代であることを考えると、銅版画家の収入の大きな部分は宗教を題材にした作品なんでしょう。

ジャック・カロ 「日本二十三聖人の殉教」
国立西洋美術館蔵

豊臣秀吉によるキリスト教の弾圧で磔の刑に処された23人のカトリック信者を描いた「日本二十三聖人の殉教」が印象的。日本人の殉教がヨーロッパで聖人として祀られていたのですね。画面を三層に分けたスケール感のある構図で聖母を神格化した「ラ・プティット・テーズ(聖母の勝利)」、カラヴァッジョの影響ともいう「食卓の聖家族」もいい。

ジャック・カロ 「聖アントニウスの誘惑(第2作)」
1635年 国立西洋美術館蔵

悪魔の誘惑にさらされ、信仰心を試された聖アントニウスを描いた大作。本作は最晩年の作品で、初期にも同題の作品があるため「第2作」となっています。“聖アントニウスの誘惑”というと、ブリューゲルやヒエロニムス・ボス、マルティン・ショーンガウアーらの作品でも有名な主題で、いずれも空想的な魔物や悪魔が登場していますが、カロもしかり。ネーデルラントの奇想の伝統が受け継がれているようです。武器を持った悪魔や奇怪な化け物、裸の女など、その摩訶不思議な世界から目が離せません。


Ⅵ.戦争

カロで最も有名な作品というのが連作『戦争の悲惨』。調べてみると、(大)と(小)があり、本展では(大)が全18点展示されていました。三十年戦争に取材したもので、戦闘や襲撃、銃殺、絞首刑、虐殺、掠奪、報復など戦争により起きた悲惨な出来事がカロ的なタッチで表現されています。版画集『戦争の惨禍』で知られるゴヤも影響を受けたといわれているとか。

ジャック・カロ 「『戦争の悲惨(大)』:絞首刑」
1633年出版 国立西洋美術館蔵

どの作品も強く印象に残るのですが、やはりこの作品のインパクトは最たるもの。まるで果実が樹になるように吊るされた人がぶらさがっているという。一見、空想画のようなイメージが、しかし実は戦争の現実であると思うとゾッとします。

ジャック・カロ 「ブレダの攻略」
1628年 国立西洋美術館蔵

「ブレダの攻略」はカロ最大の作品。スペイン軍がいかにして新教徒軍の要衝ブレダを陥落させたかを描いた作品で、前景には無数の兵士が描かれ、だんだんと人間は豆粒大になり、やがて地図と化するという壮大な作品。


Ⅶ.風景

最後は風景画。イタリアやパリの景観、故郷ロレーヌの景色。戦争画のあとだけにホッとします。一番惹かれたのが完成したばかりのポン・ヌフを描いた作品。奥にはノートルダム大聖堂の塔も見えます。

ジャック・カロ 「『パリの景観』:ポン・ヌフの見える光景」
1628-1630年頃 国立西洋美術館蔵

カロは生涯1400もの作品を残したそうで、国立西洋美術館ではその内400点を所蔵しているとのこと。本展ではその半分にあたる220点が展示されています。ブリューゲルやボスあたりが好きな方なら必見の展覧会です。


【ジャック・カロ - リアリズムと奇想の劇場】
2014年6月15日(日)まで
国立西洋美術館にて


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