2019/09/21

桃源郷展

大倉集古館で開催中の『桃源郷展 −蕪村・呉春が夢みたもの−』を観てきました。

高層ビルに建て替えられたホテルオークラ東京本館「The Okura Tokyo」 のリニューアルオープンに併せて、こちらも待望のリニューアルオープンとなった大倉集古館。ホテルオークラ東京本館を取り壊す1年も前に閉館してしまっていたので、かれこれ5年半も休館してたんですね。

曳家で元の位置から少し移動し、免震化と地下階の増築をしていますが、国の登録有形文化財に指定された建物はそのまま。ホテルオークラ東京本館の正面エントランス前の広いスペースと大倉集古館が隔てるものなく繋がったこともあって、ホテルから建物全体も良く見え、より開放感のある佇まいになっていました。

さて、館内は新たに増築された地下を除けば、以前とほぼ同じ広さ。1階は開館記念の「大倉集古館名品展」、2階はリニューアル記念特別展の『桃源郷展』という構成になっていました。


『桃源郷展』の会場の構成は以下のとおりです:
第一章 呉春「武陵桃源図屏風」 -蕪村へのオマージュ-
第二章 桃の意味するもの -不老長寿・吉祥-
第三章 「武陵桃源図」の展開 -中国から日本へ-

与謝蕪村 「桃林結義図」
江戸・明和8年(1771) 岡田美術館蔵(展示は10/14まで)

メインは与謝蕪村が晩年熱心に取り組んだという桃源郷主題の作品と、その後を継いだ呉春の作品。2階のスペースの半分を占めています。大倉集古館の所蔵品だけでなく、他館や個人蔵の作品もあり、少ない点数ながらとても充実していました。

蕪村の「桃林結義図」は、『三国志演義』で劉備、関羽、張飛の3人が義兄弟の契りを交わした‟桃園の誓い”のエピソードを描いた作品。桃の花の鮮やかな色彩もさることながら、人物や山の斜面、卓子の上の酒肴などの丁寧な描写が印象的です。

中国六朝時代の詩人・陶淵明の『桃花源記』に由来するという「武陵桃源図」は同題作品がいくつかあって、中でも蕪村らしいアクの強い顔がユニークな双福の「武陵桃源図」が秀逸。うねるような山と桃の林を背景に小舟に乗った漁師を描いた「武陵桃源図」も印象的でした。

呉春 「武陵桃源図屏風」(写真は左隻)
江戸・天明4年(1784)

呉春は初公開という池田時代の「武陵桃源図屏風」が傑作。優しい色調と柔らかな筆致で描かれ、詩情豊かな桃園と愛らしい仙人に惹かれます。屏風に描かれた桃園や小舟、大樹の下に集う仙人などは、先に並んでいた蕪村作品を彷彿とさせるものがあって、呉春は蕪村の武陵桃源図へのオマージュとして描いたのであろうことが分かります。近くに円山応挙に学んでからの「武陵桃源図巻」も展示されていて、蕪村色の強い作品と応挙の写生を身に付けた後の作品と見比べられたのも良かった。

呉春 「柳陰帰漁図屏風」
江戸・天明3年(1783) 静岡県立美術館蔵

同じ池田時代の「柳陰帰漁図屏風」も個性的な顔貌表現や、木々や岩の描写がどこか蕪村を思わせます。漁帰りの3人の屈託のない表情とさわさわとした風の音が聞こえそうな長閑な景色は後の四条派に繋がる情趣を感じさせます。

沈南蘋 「鶴桃図」
清・乾隆15年(1750) 個人蔵(展示は10/16から)

中国画では伝・呂紀の「鶴桃図」、沈南蘋の「双寿図」が目に留まります。ほかにも、岸駒の弟子という河村文鳳の「武陵桃源図屏風」、尾張の文人画家・山本梅逸の「青緑桃源図」も印象的でした。

横山大観 「夜桜」
昭和4年(1928) 大倉集古館蔵(展示は11/17まで)

1階の名品展には、国宝の「普賢菩薩騎象像」や流麗な仮名文字が美しい「古今和歌集序」、横山大観の代表作「夜桜」など名品がずらり。紺地(実際には黒に近い)に金泥の下村観山の「不動尊」がかっこ良かったです。


【桃源郷展 -蕪村・呉春が夢みたもの-】
2019年11月17日(日)まで
大倉集古館にて

2019/09/08

坂本繁二郎展

練馬区立美術館で開催中の『坂本繁二郎展』を観てきました。

ブリヂストン美術館(現・アーティゾン美術館)の展覧会で青木繁の作品と一緒に観ることが多くあったので、夭折の画家・青木繁の盟友ということは頭にあるのですが、坂本繁二郎がどういう画家かというと、馬の絵と静物の印象があるぐらいで、実はよく知らないのです。

本展はその坂本繁二郎の没後50年を記念する回顧展。東京では約10年ぶりの本格的な展覧会だといいます。青木繁というと明治時代を代表する洋画家なので、坂本繁二郎も昔の画家とばかり思ってましたが、実はわたしが生まれた頃はまだ存命だったというのも驚きでした。


会場の構成は以下のとおりです:
第1章 神童と呼ばれて 1897-1902年
第2章 青春-東京と巴里 1902-1924年
第3章 再び故郷へ-馬の時代 1924-1944年
第4章 成熟-静物画の時代 1945-1963年
第5章 「はなやぎ」-月へ 1964-1969年

坂本繁二郎は福岡・久留米の生まれ。有名な話ですが、小学校の同級生には青木繁がいます。16歳で上京した青木に対し、坂本は久留米に残り、図画の代用教員をしていたのですが、東京で本格的に絵を学んだ青木の上達ぶりに焦りを覚え、上京を決めたといいます。

久留米時代の坂本の作品もいくつか展示されていました。確かに‟神童”と呼ばれただけあり、油絵具や水彩絵具が入手できず墨で描いたという「立石谷」や、夏空に広がる雨雲と広い田園の複雑な風景を見事に捉えた「夏野」などを観ると、これが15、16歳の少年の作品かと目を疑うぐらい完成度の高さに驚きます。

坂本繁二郎 「立石谷」
明治30年(1897)頃 個人蔵

坂本や青木に絵の手ほどきをした森三美という洋画家の作品と、それを模写したと思われる坂本の作品が並んで展示されていたのですが、この森三美もまだ明治時代中頃にもかかわらず、しっかりとした洋画の技術を身に付けていて、なかなかのものでした。東京から遠く離れた久留米にあって、優れた画家に指導してもらえたことは、坂本と青木にとって幸運だったのだと思います。

初期の坂本の作品は、いわゆる旧派の写実的で堅実な画風だったのですが、「張り物」や「魚を持ってきた海女」など1910年あたりの作品から印象派風の光に満ちた画風に変わっていきます。青木繁の作品も代表作「海景(布良の海)」や絶筆「朝日」などいくつか展示されていましたが、早くに亡くなってしまう青木に対し、坂本の絵はどんどん光の捉え方が発展していくのが印象的でした。

坂本繁二郎 「三月頃の牧場」
大正4年(1915) 東京国立近代美術館蔵

夏目漱石に高く評価されたという「うすれ日」にはじまり、「海岸の牛」や「三月頃の牧場」など、印象主義的な明るい色彩で描いた牛の絵があるかと思えば、黒一色で光を探求してみせた「牛」のような実験的な作品もあったりします。

坂本繁二郎 「帽子を持てる女」
大正12年(1923) 石橋財団アーティゾン美術館蔵

「帽子を持てる女」はフランス留学中の代表作。フランス留学中の作品に共通する淡く柔らかな色彩と、色面で表した女性の、穏やかな中にも強い意志をもったような佇まいが印象的です。

坂本繁二郎 「水より上る馬」
昭和28年(1953) 株式会社鉄鋼ビルディング蔵

坂本繁二郎というと馬の絵と静物の印象が強いのですが、日本に帰国後、最初に描いたのも馬だったそうです。「牛を馬に乗りかえた。馬と柿は一生描く」という言葉が紹介されていましたが、同じモチーフを繰り返し繰り返し描いているところを見ると、こだわりが強い人だったのだろうなと感じます。フランス留学前の作品と視力が衰えてからの最晩年を除いて、画風がほとんど変わらないというのもある意味すごい。

静物は柿だけでなく、栗や梨、茄子といった野菜や果物から、植木鉢や玩具、果てはモーターに至るまで、実はいろいろ描いているのですが、晩年、能面の静物に行きつくのも面白い。能面の無表情な独特の表情、一見単調な構図。それらを補うように様々な色彩や筆触がとても複雑な諧調やマチエールを生んでいます。何枚も並べられた能面の静物を観ていてモランディの静物を思い浮かべました。
 
坂本繁二郎 「能面と鼓の胴」
昭和37年(1962) 石橋財団アーティゾン美術館蔵

風景画もなかなか良くて、珍しい六曲一双の「雲仙の春・阿蘇の秋」はとても印象的でした。最晩年はほとんど視力を失うも、月の絵を繰り返し描き、幽玄とも東洋的印象主義とも評される独自の画境に行きつくところが凄いなと感じます。


【没後50年 坂本繁二郎展】
2019年9月16日まで
練馬区立美術館にて