早いもので片岡球子が天命を全うして7年。亡くなられたのが103歳のときでしたので、今年で生誕110年なんですね。本展はそれを記念しての展覧会です。
本展では絵画作品約60点、遺されたスケッチや渡欧時の資料類約40点が展示されています。作品数は多くありませんが、代表作『面構』シリーズをはじめ、要所々々をおさえた展示で、球子の画業の全貌を知ることができます。
大好きなんですよ、片岡球子。亡くなられた後の追悼展も観に行きましたが、ここまでの規模の回顧展を観るのは初めて。とても楽しみにしていました。
第1章 個性との闘い-初期作品
初期の作品はまだおとなしく、筆も薄塗りで、いい意味で昭和初期の近代日本画の流れに乗ってるなという印象です。前田青邨に褒められたという「炬燵」は、着物の色とりどりの文様に球子のこだわりが既に出ているとはいえ、個性と呼べるものはまだ見られません。公募展にもなかなか入選せず、自らを“落選の神様”と称したといいます。
片岡球子 「炬燵」
昭和10年 北海道立近代美術館蔵
昭和10年 北海道立近代美術館蔵
描きたいものとか、実力とか、自分らしさとか、そうした葛藤の行き着いた先なのか、戦前の頃すでに球子の絵は“ゲテモノ”扱いされていたようです。会場に小林古径が球子に語ったという言葉が紹介されていました。
「あなたは、みなから、ゲテモノの絵をかく、と、ずいぶんいわれています。今のあなたの絵は、ゲテモノに違いありません。しかし、ゲテモノと本物は紙一重の差です。あなたは、そのゲテモノを捨ててはいけない。自分で自分の絵にゲロが出るほど描きつづけなさい。いつかは必ず自身の絵に、あきてしまうときが来ます。そのときから、あなたの絵は変わるでしょう。薄紙をはぐように変わってきます。それまでに、何年かかるかわかりませんが、あなたの絵を絶対に変えてはなりません。」
球子の絵は確かにお世辞にも上手いとは言えないし、アクが強く個性的なんですが、とはいえこの頃はまだ突き抜けたものは感じられません。
片岡球子 「祈祷の僧」
昭和17年 北海道立近代美術館
昭和17年 北海道立近代美術館
第2章:対象の観察と個性の発露-身近な人物、風景
片岡球子は約30年もの間、小学校で美術教師をしていたというのは有名な話ですが、どんな先生だったんでしょうね。球子に教えてもらっていた児童がうらやましい。
学校の仕事の傍ら、画家としての活動を続けていたわけですが、児童たちをモデルにした作品というのもありました。絵の上手な小学生が描いた作品といわれても分かりませんが(笑)。こうした児童たちを観察し描いた作品がその後の“面構”に繋がっていくんだろうなと感じます。
片岡球子 「飼育」
1954年 横浜市立大岡小学校蔵
1954年 横浜市立大岡小学校蔵
1950年代に入ったあたりから、ついにゲテモノが薄紙をはぎはじめ、鮮やかな色彩、個性的な造形、特徴的な構図が現れます。“火山”シリーズや、球子といえばという“富士山”を描いた作品など、強烈なインパクトをもった絵が並びます。太い輪郭線や主張の強い色彩。「桜島の夜」や「「海(小田原海岸)」、「海(真鶴の海)」、「カンナ」などは最早日本画の概念を飛び越え、フォーヴィスムやキュビスムを思わせます。
片岡球子 「海(真鶴の海)」
昭和34年 神奈川県立近代美術館
昭和34年 神奈川県立近代美術館
第3章:羽ばたく想像の翼-物語、歴史上の人物
会場の解説には、たびたび“フィルター”という言葉が登場します。独自の感性で磨きあげられたフィルターを通して、色彩や造形をとらえ、対象を突き詰めていく。球子ならではの手法は時に衝動的でアバンギャルドに見えますが、その図像を徹底的に研究するなど、入念な準備をしていたといいます。会場に「歌舞伎南蛮寺門前所見」という歌舞伎の舞台に取材した作品がありましたが、公演期間の1ヶ月の間ずっと、歌舞伎座に通い詰めたのだそうです。
片岡球子 「海(鳴門)」
昭和37年 神奈川県立近代美術館
昭和37年 神奈川県立近代美術館
片岡球子 「幻想」
昭和36年 神奈川県立近代美術館
昭和36年 神奈川県立近代美術館
「海(鳴門)」の生き物のように蠢く波、「幻想」のまるで細かな千代紙を貼り合わせたような圧倒的な色彩美。どの絵をとっても、ちょっとたじろぐインパクトです。
片岡球子 「面構 足利尊氏」
昭和41年 神奈川県立近代美術館
昭和41年 神奈川県立近代美術館
代表作の“面構(つらがまえ)”シリーズもいろいろと揃ってます。「足利尊氏」「足利義満」「足利義政」の面構三部作はまるでウォーホル。
片岡球子 「面構 国貞改め三代豊国」
昭和51年 神奈川県立近代美術館
昭和51年 神奈川県立近代美術館
都営大江戸線の築地市場駅にあるパブリックアートのもととなっている「国貞改め三代豊国」や、「葛飾北斎」「東洲斎写楽」といった歌舞伎絵師のシリーズや、晩年に描いた「雪舟」や「一休さま」も。 浮世絵や日本画の世界観を自由に再構築していくその頭脳回路の楽しいことといったら。
片岡球子 「面構 歌川国貞と四世鶴屋南北」
昭和57年 東京国立近代美術館
昭和57年 東京国立近代美術館
第4章:絵画制作の根本への挑戦-裸婦
最後は晩年のライフワークとなった裸婦画。この裸婦画に挑むにあたり、球子は一からデッサンの勉強を始めたのだそうです。最後の最後まで対象を表現することの追求に余念がなかったというその創造欲の凄さ。会場の最後に展示されていた作品は実に98歳のときのものでしたが、年齢や衰えを全く感じさせないから驚きです。
片岡球子 「ポーズ2」
昭和59年 札幌芸術の森美術館
昭和59年 札幌芸術の森美術館
ゲテモノがひと皮むけたら、さらに強烈なゲテモノになった。それが片岡球子なんだという気がします。何もかもエネルギッシュでした。常設展にも片岡球子の作品が出てるので忘れずに。
【生誕110年 片岡球子展】
2015年5月17日まで
東京国立近代美術館にて
もっと知りたい片岡球子―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
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