2016/01/30

ボッティチェリ展

東京都美術館で開催中の『ボッティチェリ展』に行ってきました。

昨年もボッティチェリの展覧会がありましたし、最初は「2年続けてか…」と思いましたが、いやいやいや、こんなに毎年ボッティチェリを観てしまっていいの?と、ちょっと罪悪感を覚えるぐらい贅沢な展覧会です。

なんといっても、現存するボッティチェリ作品は100点ぐらいしかないそうで、本展ではボッティチェリの工房作も含めて27点も作品が来ています。つまり、いま日本に世界中からボッティチェリ作品の約1/4が集まっているわけです。これってものすごいことだと思うんです。

「だいたいそういうのって習作や下絵が多いんじゃないの」と思う人もいるでしょうが、習作やインク画は5点ぐらい。残りはみんなテンペラ画や油彩画。それ以外にもボッティチェリの下絵による版画やタペストリーなどもあって、そうしたものも含めると実に30点以上もボッティチェリ関連の作品があるわけです。

展示作品数は全78点。ボッティチェリと、師匠のフィリッポ・リッピ、リッピの息子でボティッチェリの弟子でもあるフィリッピーノ・リッピに構成を絞っているので、地域と時代が集中していて、背景や流れも分かりやすく、とても密度の濃い見応えのある展覧会になっています。


第1章 ボッティチェリの時代のフィレンツェ

会場に入ると、いきなりボッティチェリの傑作「ラーマ家の東方三博士の礼拝」が登場! テンションもグンと上がります。

 
サンドロ・ボッティチェリ 「ラーマ家の東方三博士の礼拝」
1475-76年頃 ウフィツィ美術館蔵

この絵はボッティチェリが30歳の頃に描いたという出世作。フィレンツェの為替商ラーマ家の祭壇画に制作されたのですが、ラーマ家はメディチ家とのつながりを強調するため絵の中にメディチ家の面々を描かせたといいます。聖母子にひざまずいている老人が“祖国の父”と呼ばれたコシモ・デ・メディチ、左端にいる若者がボッティチェリのパトロンとなるロレンツォ、右端でこちらを向いているのがボッティチェリだといわれています。照明の効果もあるのでしょうが、思った以上の明るくはっきりした色彩に感動します。

ここではほかに、パトロネージ(芸術擁護運動)で知られるロレンツォが集めたという古物や彫刻、絵画などコレクションを展示しています。紀元前の美しいカメオやアリストテレス写本、ロレンツォの威圧感のある胸像、ボッティチェリに影響を与えたヴェロッキオの彫刻や絵画などが並びます。ロレンツォの弟ジュリアーノが暗殺されたとき、それを記憶にとどめるため造ったメダルとかもあって、そんなのでメダルを造るのか…とちょっとビックリ。


第2章 フィリッポ・リッピ、ボッティチェリの師

つぎにボッティチェリの師で、初期ルネサンスを代表するフィレンツェ派の巨匠フィリッポ・リッピの作品を紹介。フィリッポの作品だけでも10点以上あって、ここもとても充実しています。

フィリッポ・リッピ 「玉座の聖母と天使および聖人たち」
1430年代初頭 サンタンドレア参事会聖堂美術館蔵

初期の作品は前世期の宗教画を思わせるところがまだあって、光輪(ニンブス)に金が施されていたり、金で型押しされた飾りがあったりと、独立した絵画というより装飾的なところも含めて、あくまでも祭壇画の一部なんだなという感じを受けます。

フィリッポは同時代の画家マザッチョや彫刻家ドナッテロなどの影響を受けていて、人物などの背景に遠景の風景を描き込んだ初期フランドル絵画の作風もいち早く取り入れたといいます。遠近法で奥行きを出したり、空間を意識した構図になっていくのもこの辺りからで、それがボッティチェリに引き継がれていったことが分かります。

フィリッポ・リッピ 「ピエタ」
1440年頃 ポルディ・ペッツォーリ美術館蔵

空間構成といってもまだこなれてないので、ときどき不思議なものもあります。フィリッポの「ピエタ」をみて見て雪舟を思い出したのは内緒(笑)。


第3章 サンドロ・ボッティチェリ、人そして芸術家

そして、ボッティチェリ。フィレンツェという都市の成り立ちやボッティチェリとメディチ家の深い繋がりなどは昨年の『ボッティチェリとルネサンス -フィレンツェの富と美』のテーマと被るところがあるからなのか、本展ではそのあたりの詳しい背景説明はさほどされてなく、どちらかというとリッピ親子との関係や技術の継承にフォーカスされているような気がします。

サンドロ・ボッティチェリと工房 「パリスの審判」
1485-88年頃 チーニ邸美術館蔵

ボッティチェリは1460年頃にフィリッポ・リッピに弟子入りをするのですが、リッピが1467年に壁画制作のためフィレンツェをあとにしてしまったため、その後ベロッキオの下で修業し、1470年頃には独立して工房を持ったといわれています。本展には1460年代後半から作品があって、ボッティチェリの画風の変遷も感じることができます。

サンドロ・ボッティチェリと工房 「聖母子と4人の天使(バラの聖母)」
1490年代 パラティーナ美術館蔵

この時代は宗教画に限られ、ある程度その主題も決まっています。たとえば同じ宗教主題でも複数の作品が出品されてるので、その違いや共通点を比べるのも楽しい。それにボッティチェリとリッピ親子に作品をほぼ限定しているので各人の特徴がつかみやすいし、ボッティチェリの画力の高さもよく分かります。その点はこの展覧会の最大の魅力かもしれません。

サンドロ・ボッティチェリ 「聖母子(書物の聖母)」
1482-83年頃 ポルディ・ペッツォーリ美術館蔵

ボッティチェリは“聖母子”をたくさん残していて、本展にも複数の作品が来ていますが、その中でも白眉は本展のメインヴィジュアルにも使われてる「聖母子(書物の聖母)」でしょう。円熟期の傑作といわれるだけあって、精緻で繊細な描写の素晴らしさは言うに及ばず、聖母子の表情の神々しい美しさは感動的です。聖母の慈しみに溢れた感情が伝わってくるようです。

サンドロ・ボッティチェリ 「美しきシモネッタの肖像」
1480-85年頃 丸紅株式会社蔵

サンドロ・ボッティチェリ 「女性の肖像(美しきシモネッタ)」
1485-90年頃 パラティーナ美術館蔵

ボッティチェリは「プリマヴェーラ」や「ヴィーナスの誕生」に描かれた女神を理想的な女性の美の象徴として繰り返し描いたといいます。ここまでくると師フィリッポとは革命的といっていいぐらいの違いがあります。「美しきシモネッタの肖像」の息をのむ美しさにはただただ見惚れてしまいます。一転落ち着いたトーンの「女性の肖像(美しきシモネッタ)」もただ美しさだけではない深みがあって好きです。

サンドロ・ボッティチェリ 「書斎の聖アウグスティヌス」
1480年頃 オニサンティ聖堂蔵

作品の多くがテンペラ画の中、「書斎の聖アウグスティヌス」は壁画から剥離処理したフレスコ画で、それがまたガラスに覆われることなく直に観られて、思わず鳥肌がたちました。かなり大きな作品ですが、細部まで丁寧に描かれていて、その迫力ある画面に圧倒されます。テンペラ画やフレスコ画は温度や湿気にとても敏感で、扱いが難しいといわれます。三菱一号館美術館の館長さんがテンペラ画はなかなか貸し出してもらえないと以前おっしゃってましたが、今回来日している絵画のほとんどがテンペラ画やフレスコ画なので、そういった意味でも貴重です。

サンドロ・ボッティチェリ 「アペレスの誹謗(ラ・カルンニア)」
1494-99年頃 ウフィツィ美術館蔵

ロレンツォの死後、ボッティチェリの作品には受難や救済をテーマにした作品が増えていきます。「アペレスの誹謗」は古代ギリシャの画家アペレスの作品を復元したもので、誹謗中傷にあった人物の悲惨さを寓意的に描いているといいます。その構図はとてもダイナミックで、劇的な印象を強く与えます。ほかにも、当時の説教集の挿絵画の図像を引用したという面白い構図の「オリーヴ園の祈り」や、ユディトが将軍ホロフェルネスを殺害した直後の場面を描いた「ホロフェルネスの頭部を持つユディト」が印象的でした。

サンドロ・ボッティチェリ 「オリーヴ園の祈り」
1495-1500年頃 グラナダ王室礼拝堂蔵

サンドロ・ボッティチェリ 「ホロフェルネスの頭部を持つユディト」
1500-10年頃 アムステルダム国立美術館蔵


第4章 フィリッピーノ・リッピ、ボッティチェリの弟子からライバルへ

フィリッポ・リッピの息子で、父の死後ボッティチェリの弟子になったフィリッピーノにスポットを当てています。年齢はボッティチェリより一回り下ですが、ボッティチェリより早く亡くなっていて、弟子とはいえ活躍した時代はほぼ重なっています。当時の書物によると、ボッティチェリは「男らしく、よく考え抜かれ、完璧な比例がある」とされ、フィリッピーノは「より甘美な雰囲気があるが、技巧的でない」と評されていたようです。

フィリッピーノ・リッピ 「幼児キリストを礼拝する聖母」
1478年頃 ウフィツィ美術館蔵

初期の作品はボッティチェリ的で、素人目には違いはほとんど分かりません。ボッティチェリに比べてコントラストが強い傾向があり、階調が広いのか、色味が少しゴタゴタしている感じを受けました。とはいえ、やはりその腕は確かで、考え抜かれた構図やドラマティックな描写はとても面白い。

フィリッピーノ・リッピ 「神殿奉納、東方三博士の礼拝、嬰児の虐殺」
1469-72年頃 プラート市立美術館蔵

ボッティチェリの絵画表現が男らしいという言い方が合ってるかどうか分かりませんが、ボッティチェリの描く女性は理知的でクールな感じはします。その点、フィリッピーノの描く女性は表情が柔らかく、確かにより甘美な印象を受けます。ボッティチェリはラファエル前派の面々に再発見され評価が高まったといわれますが、甘美さという点ではフィリッピーノの方がラファエル前派に近い気がします。「受胎告知の大天使ガブリエル」なんて、まるでラファエル前派ですよ。

フィリッピーノ・リッピ 「受胎告知の大天使ガブリエル」
1483-84年頃 サン・ジミニャーノ市立美術館絵画館蔵

これからもボッティチェリの作品を日本で観る機会はあるでしょうが、これだけたくさんの、しかもクオリティの高い作品が一堂に会する機会はまず望めないでしょうし、これは見逃してはいけない展覧会だと思いますよ。


【ボッティチェリ展】
2016年4月3日(日)まで
東京都美術館にて


ボッティチェリ《プリマヴェラ》の謎: ルネサンスの芸術と知のコスモス、そしてタロットボッティチェリ《プリマヴェラ》の謎: ルネサンスの芸術と知のコスモス、そしてタロット

2016/01/23

初期浮世絵展 -版の力・筆の力-

千葉市美術館で開催中の『初期浮世絵展 -版の力・筆の力-』を観てまいりました。

浮世絵誕生から錦絵(多色刷り浮世絵版画)が登場するまで、初期の浮世絵の流れを追った展覧会です。彩色の肉筆浮世絵は別として、印刷技術も未発達なので色も墨一色、せいぜい色がついていても手彩色といった具合。構図だって江戸後期の浮世絵のように凝ったものがあるわけではありません。

わたしも実際観るまでは、恐らく地味で、退屈するかと思ってましたが、それが大間違い。初期の浮世絵がこんなにも魅力的だと思ってもいませんでした。菱川師宣はもちろん、杉村治兵衛や鳥居清倍、石川豊信といった人気浮世絵師に隠れてなかなかスポットの当たらない絵師の作品も充実していて、これがまたとても面白い。

日本には現存せず海外から里帰りした貴重な作品も多く、大英博物館やシカゴ美術館、ホノルル美術館といった浮世絵のコレクションで知られる海外の美術館をはじめ、国内外の美術館・博物館から版画・肉筆画が約200点集められています。浮世絵草創期の世界を紹介するこの規模の展覧会は日本初だといいます。


プロローグ 浮世の楽しみ -近世初期風俗画

浮世絵誕生前夜の日本画の流れとして、17世紀前半の風俗画を紹介しています。最初に登場する細見美術館蔵の「江戸名所遊楽図屏風」は浅草寺や周囲の芝居小屋など江戸の賑わいや風俗が伝わってくる豪奢な屏風。腕の確かな絵師によると思われ、又兵衛工房説もあるようです。

「桜狩遊楽図屏風」はそうした名所図屏風から風俗描写を切り取ったような作品。寝そべって煙草をくゆらしていたり、暇を持てあまりしてる風だったり、もったいぶってそうだったり、全体的に艶めかしさと気だるさが同居しています。顔立ちはどれも似ていて、下膨れした感じは又兵衛系の面相を思わせます。展示されているのは実は右隻で、対となる左隻はブルックリン美術館にあり、そちらには若衆の集団が描かれているとか。

「桜狩遊楽図屏風」(重要美術品)
寛永期(1624-44) 個人蔵

寛永期によく描かれたという文使い図や、寛文美人図の代表的な作例という扇舞図など、浮世絵の立姿美人図の先駆けとなるような作品もあります。江戸初期の風俗画をまとめて観る機会というのもそうは多くないので嬉しいところです。


1 菱川師宣と浮世絵の誕生 -江戸自慢の時代

浮世絵の始祖といわれるのが菱川師宣。図録には師宣の生い立ちや、どのような経緯で浮世絵を描くに至ったかが詳しく書かれているのが有り難い。

師宣は当初、風俗絵師として活躍していたと考えられていて、その中で当時興隆していた大衆向けの草双紙(絵入版本)を手掛けるようになったのではないかといわれています。師宣の名前が初めて登場するのが「武家百人一首」。それは名前を出せるほどの人気絵師になった証しな訳ですが、ここではそれ以前の、師宣の作かどうか分からないものも含め、師宣風の絵入版本も多数紹介されています。

菱川師宣 「武家百人一首」
寛文12年(1672) 千葉市美術館蔵

絵入版本にはテキストが入っているので、『曽我物語』や『源氏物語』のような物語の挿絵的なものもあるのですが、絵だけの版本や大人向けの好色本が出てきたり、やがて最初の浮世絵版画といわれる組物(12枚組の墨摺絵)が登場します。

菱川師宣 「隅田川上野風俗図屏風」
延宝期(1673-81) 千葉市美術館蔵

師宣の肉筆画も充実していて、初期から晩年のものまで多彩。「隅田川上野風俗図屏風」や「遊里風俗図巻」など早期の作品を観ると、初期風俗画から浮世絵への変遷を見る思いがするし、後期の「江戸風俗図巻」や「上野花見・歌舞伎図巻」などはその筆致のこなれ感もさることながら、こうした作品を手掛けられる程、師宣の人気が高かったんだろうなと感じます。

師宣の珍しい仏画もあって、柔和な表情や流れるような線は浮世絵のものとはまた異なって興味深い。縫箔師の家に生まれ、一流の書画を学んだとされるその確かな背景を見る思いがします。縫箔師だった父・吉左衛門の手の込んだ縫箔刺繍による作品も展示されていて貴重。

菱川師宣 「地蔵菩薩像」
貞享~元禄期(1684-1704) 大英博物館蔵

春画はないだろうとは思っていましたが、“枕絵”という呼び方でソフトな“春画”がいくつか紹介されています。当時の絵入版本で人気のあったものに枕絵本(春画本)があって、師宣はそうした枕絵をかなり量産しています。枕絵の版本や組物の中でもおとなしい絵を展示してるのでしょうし、さすがに局部が描かれたものはありませんが、初期浮世絵からこうした枕絵(春画)は外せないので、その点でも今までの浮世絵展に比べて少し踏み込んでる気がします。ただ公営の美術館としてはこれがギリギリなのでしょう。

余談ですが、もとは相撲の言葉だった四十八手を性行為の体位に最初に使ったのは一説には師宣とも言われ、「恋の睦言四十八手」という作品も出品されています。男女の親密な様子や情交の形を48図掲載しているそうです。いわば四十八手の元祖。

菱川師宣 「恋の睦言四十八手」
延宝7年(1679) 千葉市美術館蔵ラヴィッツ・コレクション

菱川師宣 「衝立のかげ」
延宝(1673-81)後期 千葉市美術館蔵ラヴィッツ・コレクション

師宣のすぐ後を追うように活躍したのが杉村治兵衛。浮世絵の展覧会でも稀に見かけますが、まとめて作品を観る機会というのはなかなかありません。治兵衛も春画が多いので知られ、本展でも多くの枕絵が並んでいます。師宣の画風ともまた違い、全体的に丸みのあるおおらかな線や少しふっくらした人物描写がいいし、枕絵がまた艶めかしい。

杉村治兵衛 「遊女と客」
天和~貞享期(1681-88)頃 個人蔵

治兵衛の「遊歩美人図」は墨摺絵を彩色したもの。当時の墨摺絵は主に12枚の組物ですが、これは一枚絵の浮世絵版画。一枚絵のごく最初期の貴重な作品で、世界でもこれ一点しかないそうです。菱川派が多く手掛けていた肉筆の立美人図に代わる安価な商品として生まれたのではないかとのことでした。着物には『伊勢物語』の場面が描かれています。

杉村治兵衛 「遊歩美人図」
貞享期(1684-88)頃 シカゴ美術館蔵


2 荒事の躍動と継承 -初期鳥居派の活躍

師宣や治兵衛に歌舞伎を描いたものはあっても本格的な役者絵はなく、歌舞伎が浮世絵の主要な画題となるのは鳥居派が最初といわれています。鳥居派の祖・清信の父は女方の役者だったそうで、清信も芝居小屋で絵看板を描き評判になります。絵看板は興行が終わると捨てられ現存しませんが、幸い肉筆画や墨摺の役者絵は残されているので、当時の絵看板をイメージする手掛かりになります。

初代鳥居清倍 「二代目市川団十郎の虎退治」
正徳3年(1713) 千葉市美術館蔵

清信とその子(兄説もあり)・清倍、さらにそれぞれの2代目がいて、ほぼ同時代に活動しているのと代変わりが明確でないので、清信や清倍と名のついた一枚絵は半世紀以上に渡って江戸に流布したといいます。いずれも画風は似ていて、量感ある人物描写や、荒事に見る勇壮で躍動感のある表現に特徴があります。特に清倍の勢いのある線がいいですね。初期の役者絵の8割は“清倍”のものだそうです。

初代鳥居清倍 「月を眺める遊女」
宝永期(1704-11)頃 シアトル美術館蔵

清倍は立姿美人図も多くて、ふくよかな女性の姿や線の肥痩は同時代の懐月堂派を思わせます。「月を眺める遊女」は月を眺める姿も艶めかしい逸品。文字散らしの模様の着物は初期浮世絵の美人画や役者絵によく描かれたそうです。この時代は丹絵ですが、一人立の美人図に背景が描かれるのはまだ珍しく、その点で後の美人画の先を行っていたのかもしれません。


3 床の間のヴィーナス -懐月堂派と立美人図

ここでは肉筆浮世絵を主とした懐月堂派と宮川派の作品を紹介。版本や浮世絵版画の一種の反動として、肉筆の美人図に人気が集まったといいます。懐月堂派はパターン化された図像であったり、高価ではない絵具だったりと庶民向けの量産型で、宮川派は絹地に上質な絵具を使い、裕福な享受層向けの比較的高価な肉筆浮世絵だったようです。

懐月堂安度 「遊女立美人図」
宝永~正徳期(1704-16) 東京国立博物館蔵(展示は1/31まで)

懐月堂派が描く女性はスタイルがだいたい決まってますが、着物の文様が色とりどりで、まるでファッション誌を見るような楽しさがあります。一方、宮川派の美人画は洗練された、艶やかなイメージがあったのですが、初期のものはかなり懐月堂派に近いんですね。それだけ懐月堂派の美人画は流行したということなのでしょう。

宮川一笑 「吉原風俗図」
元文期(1736-41) 千葉市美術館蔵


4 浮世絵界のトリックスター -奥村政信の発信力

これまで奥村政信の作品をあまり意識して観たことはなかったのですが、本展では大きく取り上げられています。かなりのアイディアマンだったみたいですね。

奥村政信 「小倉山荘図」
享保期(1736-44) 東京国立博物館蔵(展示は1/31まで)

先日の『肉筆浮世絵-美の競艶』でも鯉に乗る琴高仙人を遊女に置き換えた「やつし琴高仙人図」が印象的でしたが、本展でも『源氏物語』を当世風に描いたり、吉田兼好を遊女に置き換えて描いたり、藤原定家と式子内親王の恋愛譚を男色に脚色したりと、ウイットに富んだやつし絵(見立て絵)など趣向を凝らした作品が多くあります。

奥村政信 「初代尾上菊五郎の曽我五郎」
延享~寛延期(1744-51) ホノルル美術館蔵

画題の面白さだけでなく、極端に縦長な柱絵や、西洋画の遠近法を浮世絵に取り入れた“浮絵”など、見た目にもユニークな浮世絵も次々生み出したのだそうです。無駄な余白を取り除いてトリミングした柱絵なんて、いま見ても斬新で洒落てると感じます。

奥村政信 「両国橋夕涼見大浮絵」
寛保~延享期(1741-48) ホノルル美術館蔵


5 紅色のロマンス -紅摺絵から錦絵へ

これまでの浮世絵版画は基本的に墨摺絵(後に丹絵も)で、そこに筆で彩色をしていたわけですが、18世紀半ばになると版による彩色が行われるようになります。最後の章では、墨+2色からなる紅摺絵を中心に最初期の錦絵まで展観していきます。

鳥居清広 「風に悩む美人」
宝暦(1751-64)前期 大英博物館蔵

春信の作品は浮世絵の展覧会では観る機会があるので、かなり見慣れた感が出てきます。春信のデビューの年の作品というのがあったのですが、初期の作品などを観ると、一世代前の奥村政信や西村重長、石川豊信、鳥居清広といった絵師に近いことが分かりますし、春信ののびやかで軽妙な線描や細身で可憐な美人画は彼らの影響を受けているんだろうなと感じます。

鈴木春信 「風流やつし七小町 雨ごい」
宝暦(1751-64)末期 大英博物館蔵

浮世絵の展覧会というと、歌麿や北斎だったり、写楽だったり、国芳だったり、美人画や役者絵、江戸や東海道の風景画、戯画といった色彩豊かな錦絵がイメージされますが、本展にはそうした作品は一つも出ていません。浮世絵の爛熟期に向けて少しずつ完成されていく過程が見えて、非常に興味深いものがあります。本展の図録がまた充実していて、各作品の解説も詳しく、浮世絵ファンなら買いだと思います。オススメの展覧会です。

期間中、『新寄贈寄託作品展-花づくし』が同時開催されています。甲斐庄楠音の「如月太夫」や土田麦僊の「舞妓図」、三熊露香の画帖「桜花藪」など、こちらもなかなか。


【初期浮世絵展 -版の力・筆の力-】
2016年2月28日(日)まで
千葉市美術館にて


浮世絵に見る 江戸の食卓浮世絵に見る 江戸の食卓

2016/01/22

未来へつづく美生活展

東京国立近代美術館工芸館で開催中の『未来へつづく美生活展』を観てきました。

先人たちがどのような「暮らし」を思い描き、身の回りの器や家具に丁寧さや丹念さを込めてきたのか。近代から現代の工芸品約100点により、それらを振り返り未来につなぐという展覧会です。

作品は1930~40年代から高度経済成長期あたりまでが中心で、陶磁器や竹細工、蒔絵箱など優れた工芸品ばかり。メインは日本の工芸家のものですが、ルーシー・リーやマルセル・ブロイヤーなど海外作家のものもあったりします。

人間国宝による作品も多く、どれも技法や素材にもこだわった手の込んだ一級品なので、暮らしの中で使うにはちょっとハイソな感じもあります。ただ、こうしたモダンな工芸作品に囲まれた暮らしにみんな強く憧れたんだろうなと思うと、どれもとても愛おしく思えます。

会場はいくつかの小間に分かれていて、それぞれテーマごとに作品がまとめられています。フラッシュを使用しなければ、写真撮影OKです。

[写真左から] 三代徳田八十吉 「燿彩鉢 創生」 1981年
喜多川平朗 「刺納朽木文帯」 1974年

[写真左から] 木村雨山 「訪問着 群」 1963年
志村ふくみ 「紬織着物 水煙」 1963年

東博で開催された『人間国宝展』は技術的にどれだけすごいか、デザインとしてどれだけ優れているかという視点に立って近代工芸を見るというところがありましたが、本展はそんなお高く止まってなくて、もっと暮らしに根づいているといか、こういう工芸品が近代の生活に潤いを与えていたんだろうなという感じを持てます。まあ実際問題、徳田八十吉のお皿を日常の中で使えるかといったら、そうはいかないわけですが、少なくともこうした近代工芸から生まれたデザインや素材、センスは私たちの手の届く品々にも伝播していくんだと思います。

藤井達吉 「草花図屏風」 1916-20年

さりげなく藤井達吉の屏風とかランプとか、こういうイメージ好きです。展示ケースの中にただ並べるだけでなく、こうして住まいの空間の中に置かれていると作品が生きてきますね。

藤田喬平 「飾筥 細雪」 1998年

[写真左から] 高野松山 「牡丹木地蒔絵手箱」 1956年
生野祥雲斎 「白竹宗全花籃」 1969年

飯塚小玕斎 「竹刺編菱文堤盤」 1975

竹製の籠にしても、蒔絵の小箱にしても、形の美しいもの、質のいいものが普段の生活で身の回りにあると、生活に彩りや心に豊かさが生まれる気がします。

ルーシー・リー 「青釉鉢」  1978年

ルーシー・リー 「コーヒーセット」  1960年

ルーシー・リーの作品もいくつか展示されています。珈琲カップがシックでいいですね。手に入るんだったら欲しいぐらい。

minä perhonen 「skyfull」  2012年
寺井直次 「金胎蒔絵水指 春」 1976年

minä perhonenの皆川明氏とのスペシャルコラボレーションの展示も。minä perhonenのテキスタイルと工芸館の所蔵品を並陳しています。現代版“床飾り”といったところでしょうか。さりげなく置かれた須田悦弘の木の葉が素敵。

minä perhonen 「winter flags」  2011年
須田悦弘 「葉」 2007年

東京国立近代美術館の特別展を鑑賞すると、当日に限り無料で入場できます。北の丸公園に近いので散歩がてらにもいいですね。


【未来へつづく美生活展】
2016年2月21日(日)まで
国立近代美術館工芸館にて


ミナ ペルホネンのテキスタイル mina perhonen textile 1995-2005ミナ ペルホネンのテキスタイル mina perhonen textile 1995-2005

2016/01/10

鎌倉からはじまった。 PART 3: 1951-1965

神奈川県立近代美術館鎌倉館で開催中の『鎌倉からはじまった。 PART 3: 1951-1965』を観てまいりました。

本展の終了をもって閉館となる“カマキン”こと鎌倉近代美術館。近代美術館としては東京国立近代美術館よりも早い1951年(昭和26年)に開館し、日本で最も歴史のある近代美術館だったわけです。

鶴岡八幡宮との借地契約の期間満了と建物の耐震問題から、今回残念ながら閉館してしまうのですが、いつも参拝客で賑わう鶴岡八幡宮の喧騒から離れた静かな空間と、坂倉準三設計の雰囲気のある佇まいは、失うにはつくづく惜しすぎると思います。

さて、昨年の4月からはじまった“カマキン”最後の展覧会。なかなか行きそびれて、やっとのことでお別れに行くことができました。休日はかなり混んでいるとの情報があったので、平日に休みを取り、早い時間に伺ってきました。


今回のPART 3は開館当初の約14年間の歩みを追っています。開館した昭和26年といえば、まだまだ戦争の影を引きずっている時代。そんな中、少しずつ生活や心に一息つく余裕ができはじめた頃かもしれません。最初の展覧会『セザンヌ、ルノワール展』のポスターなど資料が展示されていましたが、長い間、西洋画を鑑賞することすら許されなかった人々にセザンヌやルノワールがどんなに輝いて見えたことでしょう。

コレクション第一号として展示されていたのがアンドレ・ミノーの『コンポジション』。開館当初は所蔵品すらなかった美術館がようやく購入できたこの作品に、当時の関係者の思いがどれだけ込められていたか。

萬鉄五郎 「日傘の裸婦」 1913年

展示構成は基本的に日本の洋画家で、戦後のものだけでなく戦前の作品からも多く出品されています。

茅ヶ崎に在住していたという萬鉄五郎が3点。キュビズム的な「裸婦」もいいけど、フォーヴィスムに影響された「日傘の裸婦」が面白いですね。日本髪の女性が裸で日傘をさすという構図も奇異ですが、敢えてバランスを悪くしてるのか、美人とはいいがたい裸婦像がユニークです。佐伯祐三や梅原龍三郎もいくつかの時代の作品があって、少ないながらも画風の変遷が分かります。

高村光太郎の珍しい油彩画も。彫刻は拝見する機会がよくありますが、洋画はセザンヌぽい感じがしました。妻・智恵子がセザンヌに傾倒していたという話があるので、それも関係しているのでしょうか。

古賀春江 「窓外の化粧」 1930年

後期印象派やフォーヴィスムといった20世紀初頭の西洋画の流れを受けたものとしては、川上涼花、中村彝、島崎鶏二、今西中通などが印象に残りました。藤島武二に師事したという内田巌の「少女像」も個人的にはかなり好きです。

三岸好太郎も2点あって、暗く重い色調と白い色調という対照的な作品。ともにモダニズムやシュルレアリスム以前のもので、こういう作品も描いていたんだと初めて知りました。シュルレアリスムといえば、古賀春江。青空から落下するパラシュートとビルの上で踊るモダンガール。昭和初期の年のイメージをモンタージュした古賀春江らしい一枚ですね。面白い。

松本竣介 「立てる像」 1942年

松本竣介は4点。横浜の橋を描いた作品より直線的な線の印象が強い「橋(東京駅裏)」、世田谷美術館の『松本竣介展』以来の再会となる「立てる像」。亡くなる前年に描いた、赤く塗りつぶしたカンヴァスに黒い輪郭線による「少女」が他とは違うタッチで興味深い。

同時代では靉光、また松本俊介と同郷の同級生だったという舟越保武の彫刻なども。

会場後半には、ブリヂストン美術館の『描かれたチャイナドレス』で衝撃を受けた久米民十郎があって、こんな戦後の抽象画のようなイメージの作品を1910年代に描いていたのかと驚きました。

戦後の作品では、一見抽象画のようだけど目を凝らすと死体が転がっているようにも見える麻生三郎の「死者」、ベトナム戦争を批判したという糸園和三郎の「黒い水」、また野見山暁治や勝呂忠などが印象的でした。

麻生三郎 「死者」 1961年

もちろん彫刻作品や立体作品も多く、別館も合わせるとかなりの点数が見れます。歴史があるだけに、日本の近代洋画も含め良質のコレクションが揃っているなと感じました。“鎌近”のコレクションは葉山の神奈川県立近代美術館に引き継がれるようですが、“鎌近”で観てこそのコレクションだと思います。残り1か月を切り、混雑が予想されますが、閉館前に行っておかないときっと後悔しますよ。



【鎌倉からはじまった。 PART 3: 1951-1965】
2016年1月31日(日)まで
神奈川県立近代美術館 鎌倉館にて


鎌倉からはじまった。「神奈川県立近代美術館 鎌倉」の65年鎌倉からはじまった。「神奈川県立近代美術館 鎌倉」の65年


空間を生きた。 ―「神奈川県立近代美術館 鎌倉」の建築1951-2016空間を生きた。 ―「神奈川県立近代美術館 鎌倉」の建築1951-2016