ラベル 太田記念美術館 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 太田記念美術館 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2018/08/15

落合芳幾展

太田記念美術館で開催中の『落合芳幾展』を観てきました。

落合芳幾、たぶんとてもマイナーな浮世絵師。浮世絵ファンでも幕末から明治にかけての浮世絵が好きな人でないと、ちょっと分からないかもしれませんね。

そんな落合芳幾の初めての展覧会。出品数はなんと100点強。

明治の浮世絵師というと、月岡芳年や河鍋暁斎、小林清親が有名で、彼らの作品を観る機会はままありますが、これまであまり注目されることのなかった落合芳幾だけでここまでの数の作品が観られるなんて空前絶後レベルです。

落合芳幾は幕末の人気浮世絵師・歌川国芳の門人で、月岡芳年とは兄弟弟子。国芳や芳年は知っていても、芳幾は知らないという人がほとんどではないでしょうか。いつもは混んでる日曜日の午後に行ったのですが、お客さんに日本人はほとんどおらず、観光目的で来ている外国人ばかりでした。


会場の構成は以下のとおりです。
Ⅰ 花開く多彩な才能
Ⅱ 奇想の表現 -歌川国芳の継承者
Ⅲ 血みどろ絵 -月岡芳年との競作
Ⅳ 新時代の美女たち
Ⅴ 新しいメディアへの挑戦 -新聞挿絵と雑誌
Ⅵ 衰えぬ晩年 -役者絵への回帰

17歳の頃、国芳のもとに入門。22歳の頃から単独の作品も発表していたという芳幾。同門の芳年は6歳下ですが、入門は1年違いなので、ほぼ同じ時期に修業をしていたのでしょう。10代の6歳違いはかなり大きいので、たぶん芳幾は先輩風を吹かせていたのでしょう。国芳の葬式のとき芳年を足蹴りしたなんて話もあるようです。芳幾が描いた国芳の死に絵もあって、力関係では年上の芳幾の方が強かったんだろうなと思います。

芳幾の作品を見ていると、これどこかで観たなと感じるものが時々あります。作風は師匠に似て、国芳と同じような場面、モチーフを描いたものも多くあるようです。ただ、国芳に比べてややおとなしいというか、奇抜さや迫力という点では弟弟子の芳年の方にやはり軍配が上がります。国芳は芳幾と芳年について「芳幾は器用に任せて筆を走らせば、画に覇気なく熱血なし、芳年は覇気に富めども不器用なり」と語ったといいます。

落合芳幾 「英名二十八衆句 鳥井又助」
慶応3年(1867) 個人蔵

芳幾の代表作というと、芳年と競作した「英名二十八衆句」。芳幾と芳年は半分ずつ描いていて、本展では芳幾の描いた14点すべてが展示されています。芳年に負けず劣らずの血みどろ。芳年とのライバル心なのか、血みどろ絵は芳年と甲乙つけがたい。前回の『江戸の悪 PART Ⅱ』にも芳幾の「英名二十八衆句」は数点出ていましたが、首を加えて水中を泳ぐ「鳥井又助」や、『名月八幡祭』の絶命する美代吉を描いた「げいしゃ美代吉」なんかとてもいい。

落合芳幾 「時世粧年中行事之内 競細腰雪柳風呂」
明治元年(1868) 太田記念美術館蔵

芳幾はもともと武者絵や役者絵、風刺画が多く、戯画も国芳譲りの面白さがあります。美人画を手がけるようになったのは遅かったようで、特徴的な表現があるわけでもなく、少し平凡な美人画という感じがします。女風呂を描いた作品が数点あって、女同士取っ組み合いの喧嘩をしてたり、明治初期の銭湯の様子も知れて面白い。

落合芳幾 「東京日々新聞 八百三十三号」
明治7年(1874) 個人蔵

明治期の浮世絵というと新聞の挿絵や横浜絵のように時代の流れの中で新しい浮世絵が生まれますが、芳幾もそのあたりはよく描いていたようです。芳幾は毎日新聞の前身の東京日々新聞の創刊メンバーの一人だったそうで、新聞挿絵の分野では先駆的存在だったのでしょう。国芳門下らしいどぎつい色合いやドラマティックな表現力、血みどろ絵のような残虐性など、芳幾のカラーがよく出ています。子どもを残して死んだ母親が幽霊になって現れるとか、川に女性を投げ落とすとか、今でいうところのワイドショーのような感覚なんでしょうね。

写真の台頭は浮世絵が衰退していく最も大きな原因の一つですが、写真風に陰影を施した「俳優写真鏡」というシリーズがあり、なかなか興味深かったです。写真に対抗する苦肉の策だったのでしょうけど。役者絵はいいものが多く、特に晩年は見どころがあります。芳幾が表紙を描いた初期の歌舞伎座の筋書(パンフレット)なんて貴重なものもありました。

落合芳幾 「俳優写真鏡 五代目尾上菊五郎の仁木弾正」
明治3年(1870) 太田記念美術館蔵


【落合芳幾展】
2018年8月26日(日)まで
太田記念美術館にて


歌川国芳 21世紀の絵画力歌川国芳 21世紀の絵画力

2018/06/23

江戸の悪 PARTⅡ

太田記念美術館で開催中の『江戸の悪 PARTⅡ』を観てきました。

2015年に同じ太田記念美術館で開催され、好評を博した『江戸の悪』の第2弾。単純に前回の続きなのかなと思ってたのですが、前回の内容をさらにパワーアップして、出品作品数も約220点に倍増し、あらためて焼き直しした展覧会なのですね。

だから、前回の展覧会と被っている作品も結構あります。前回は“悪”をテーマにするならこれを出さなきゃという作品も多かったので、そうした作品がまた観られて、さらに前回ラインナップから漏れた作品も加わるとなれば、こんなに嬉しいことはありません。

今回は前期・後期に分けて2カ月に渡っての展覧会とあり、かなり力が入ってます。前回は間に合わなかった図録もちゃんと用意されていました。解説も読みごたえがあり、江戸の“悪”を知る上で資料性も十分です。展示作品も太田記念美術館の所蔵作品だけでなく、個人蔵の作品も多くて、内容的にも充実しています。


会場の構成もほぼ前回の展覧会を踏襲しています。
Ⅰ 悪人大集合
Ⅱ 恋と悪
Ⅲ 善と悪のはざま
Ⅳ 言葉としての悪

歌川国貞(三代豊国) 「東都贔屓競 二 清玄 桜姫」
安政5年(1858) (※展示は6/27まで)

まずは<悪人大集合>。盗賊、侠客、浪人、悪僧、悪臣、悪女、女伊達、妖術師…。ずいぶん悪い奴らがいるものです。

歌舞伎や人形浄瑠璃といった芝居を題材にしているものがやはり多いのですが、それらも元を辿れば、実際に起きた事件や史実、古くから伝わる伝説だったりするわけで、“悪”というのは、いい意味でも悪い意味でも、昔も今も人の興味を引く格好の素材なのかもしれません。「怖い事件だね~」「嫌な世の中だね~」「くわばらくわばら」などといいながら、目と耳は“悪”に向いていたのでしょう。

葛飾北斎 「仮名手本忠臣蔵 初段」
文化3年(1806) (※展示は6/27まで)

展示作品の多くは19世紀に入ってからのもの。19世紀後半に集中しているのは、華麗でダイナミックな役者絵で人気を博した歌川国貞をはじめとする歌川派の隆盛が大きく関係しているのでしょうが、その裏には幕末の不穏な時代の空気というのもあったのかもしれません。同じ歌舞伎の芝居を題材にした葛飾北斎や歌川広重、勝川派など一時代前の浮世絵師による作品と見比べても、“悪”がずっと引き立てられているというか、魅力的に見える気がします。明治に入ってからの月岡芳年や豊原国周、楊洲周延らの作品も多く、過剰なまでに“悪”の魅力が演出されていると感じるものも多々あります。

落合芳幾 「英名二十八衆句 佐野治郎左エ門」
慶応3年(1867) (※展示は6/27まで)

巨大な蝦蟇の背中に乗った天竺徳兵衛という定番の構図の絵はいくつか観たことがありますが、歌川国芳の「尾上梅寿一代噺」は何匹もの巨大な蝦蟇が画面を覆い尽くすというユニークな作品。ここまで来るともう歌舞伎の舞台演出を超えています。国芳の「清盛入道布引滝遊覧悪源太義平霊討難波次郎」もさすがのインパクト。四方に走る稲妻と恐ろしげな清盛に度肝を抜きます。『鬼一法眼三略巻』に取材した国周の「明治座新狂言 摂州布引瀧之場」も悪源太義平の亡霊も雷光と炎に包まれるという歌舞伎というより映画的な感じさえします。

残酷な殺害場面がある歌舞伎は多く、『東海道四谷怪談』の民谷伊右衛門や『夏祭浪花鑑』の団七九郎兵衛、『伊勢音頭恋寝刃』の福岡貢など本展にも惨たらしい殺害シーンを描いた作品がいくつも出ていますが、やはり“無惨絵”の芳年はほんと酷いなと思います(褒めてます)。芳年の「英名二十八衆句」シリーズの「直助権兵衛」や「団七九郎兵衛」は正に血みどろでしたが、今回観た作品の中では『籠釣瓶花街酔醒』の八ツ橋を惨殺する場面を描いた「新撰東錦絵 佐野次郎左衛門」が秀逸。同じシーンを描いた落合芳幾の「英名二十八衆句 佐野治郎左エ門」も迫力がありますが、芳年の「佐野次郎左衛門」は懐紙が宙に舞うストップモーションのような描写と妖刀にべっとりついた血糊のような赤が鮮烈です。歌舞伎の名場面がありありと目に浮かびます。

月岡芳年 「新撰東錦絵 佐野次郎左衛門の話」
明治19年(1886) (※展示は6/27まで)

今回の『江戸の悪 PARTⅡ』に併せて“多分野連携展示”として、関連企画が開催されています。
 
東洋文庫ミュージアム『悪人か、ヒーローか Villain or Hero』
國學院大學博物館『惡-まつろわぬ者たち-』
ヴァニラ画廊『HN【悪・魔的】コレクション~evil devil~』
国立劇場伝統芸能情報館『悪を演る -歌舞伎の創造力-』


この内、東洋文庫ミュージアムの『悪人か、ヒーローか Villain or Hero』と國學院大學博物館の『惡-まつろわぬ者たち-』も一緒に回ってきました。

國學院大學博物館は「悪」の意味するところは何なのかを古代中国の「悪」という言葉の根源から日本に伝わりどのように「悪」が受容されたのかを振りかえるという、少ない展示ながらもとても示唆に富んだ内容でした。東洋文庫ミュージアムは中国と日本を中心に古今東西の悪人列伝といった様相。歴史上の有名な「悪人」(そうでない人もいるけど)を歴史資料や浮世絵などを通して観て行きます。パネル解説も多く、分かりやすくていいですね。こちらもオススメです。


【江戸の悪 PARTⅡ】
前期:6月2日(土)~6月27日(水)
後期:6月30日(土)~7月29日(日)
太田記念美術館にて


悪の歴史 日本編(上)悪の歴史 日本編(上)


悪の歴史 日本編(下)悪の歴史 日本編(下)

2018/03/24

江戸の女装と男装

太田記念美術館で開催中の『江戸の女装と男装』を観てきました。

日本には古来、異性装の風俗があったといいます。古くはヤマトタケルが女装して宴会に紛れ込みクマソタケルを退治したとか、女性の衣装を身にまとった牛若丸が弁慶と闘うとか、女武者・巴御前の活躍とか、神話や物語だけでなく、中性の稚児の女装の習慣や、白拍子の男装や歌舞伎の女形、芸者の男装といった芸能の異性装などがあり、そうした描写は浮世絵にも多く描かれています。

本展はそうした浮世絵に描かれた異性装から江戸の風俗や文化を知るというもの。昨今、多様な性のあり方についていろいろ話題になりますが、それは現代の特殊な問題ではなく、日本は神話の時代から性の多様性を受容し、認知されていたことも分かってきます。


展覧会の構成は以下のとおりです:
第1章 風俗としての女装・男装
第2章 物語の中の女装・男装
第3章 歌舞伎の女形たち
第4章 歌舞伎の趣向に見る男女の入替
第5章 やつし絵・見立絵に見る男女の入替

月岡芳年 「風俗三十二相 にあいさう 弘化年間廓の芸者風俗」
明治21年(1888)

展示品で多かったのが、芸者の男装と歌舞伎の女形。芸者の男装は主に“吉原俄”といわれる吉原の三大行事とされる夏のお祭りで、芸者が男髷に男装して手古舞を演じています。廓内だけでなく神田祭など祭礼でも鯔背な手古舞姿の女芸者が華を添えたようで、祭礼の賑わいを描いた作品も複数並んでいました。“俄”が“仁和嘉”と当て字になっているのは江戸の遊び心。歌舞伎舞踊の『神田祭』で手古舞姿に“男装”した女形が登場するので、歌舞伎ファンにはお馴染みでしょう。展示されていた「勇肌祭礼賑」にも九代目團十郎と五代目菊五郎らに交じって、当時人気の女形・四代目福助(五世歌右衛門)と助高屋高助が手古舞の格好で描かれていました。

歌川国芳 「祭礼行列」
天保15年(1844)頃

これは女装・男装というより仮装行列という感じですが、国芳の「祭礼行列」が面白い。幕末の山王祭を描いたものとかで、大津絵の藤娘や鬼の念仏、武者に貴族に女伊達、さらには独楽や珊瑚の仮装なんかもいます。いまでいうハロウィンやコスプレのノリでしょうか?

石川豊信 「若衆三幅対」
寛延〜宝暦(1748-64)頃

2階にあがったところにあったのが艶やかな女性の羽織を羽織った若衆を描いた「若衆三幅対」。桜の枝をもった若衆、編み笠を被った若衆、腰に刀を添えた小姓風の若衆という江戸の美少年たち、いわゆる陰間なんでしょう。編笠をさしてるのは髷が崩れるのを防ぐためとか。オシャレ~。

今回の展覧会では若衆の絵はほんの数点しかありませんでしたが、ほかの浮世絵の展覧会でも若衆を描いた作品はたびたび目にしますし、実際本展の解説にも、中性的な若衆の絵は好まれ多く描かれたとあり、比較的人気の高い題材だったのでしょうに、ちょっと残念な気がします。まぁ、この美術館はあまり性的なイメージを直接喚起する作品は昔から展示しないので、多分ないだろうなとは思ってましたが。

菊川英山の「女虚無僧」というのもありました。歌舞伎の『毛谷村』には武術の腕前をもつお園が男装して虚無僧姿で現れるという場面がありますが、解説によると実際に市中で見られたかは定かでないとのことです。

月岡芳年 「月百姿 賊巣の月 小碓皇子」
明治18〜25年(1885-92)頃

物語や歌舞伎に描かれた女装や男装がピックアップされたのを観ると、理由は様々とはいえ、男性が女装する、女性が男装するという話が日本には大変多いのが分かります。それが文化になっているのがヨーロッパにはない日本のユニークなところかもしれません。歌舞伎の女形が芸者役で男装する手古舞や、女形が男性役として女装する『三人吉三』のお嬢、立役が女装する『白浪五人男』の弁天小僧菊之助、あえて立役が女装することで怖さを強調する『鏡山』の尾上など、歌舞伎の中の男と女の概念はとても自由で、逆にそれが歌舞伎の面白さを生んでもいます。

月岡芳年 「月百姿 水木辰の助」
明治24年(1891年)

歌舞伎の女形の役者絵も多くありましたが、楽屋裏の姿や普段の生活を描いたものもあって、人気の女形ともなると、いまでいうグラビアアイドルみたいな存在だったのかもしれませんね。歌舞伎の女形は普段から女性のように暮らすのが推奨されていたと解説にあったのですが、それだけ女形の役者の女性性が江戸時代は認められていたということでもあるのでしょう。

浮世絵で多いのがやつし絵と見立絵。“やつし”は古典や昔の風俗を題材に今様に描いたもの、“見立”はあるものを違うものになぞらえたものでちょっと分かりづらいところがありますが、鶴仙人として知られる中国の費長房や鯉に乗って水注から現れるという琴高仙人を女性に変えて描いた“やつし絵”、忠臣蔵を女性に見立てた見立絵や中国故事の二十四孝を芸者の手古舞に見立てた見立絵など、創意工夫されたユニークな作品も多くあり楽しめました。

鈴木春信 「やつし費長房」
明和2年(1765)

テーマはとても興味深いものなのですが、女装・男装というタイトルからイメージされる倒錯的なもの、たとえば女装した若衆みたいなものはほとんどなく、歌舞伎は芸能だし、吉原俄は言ってみれば余興だから、異性装といわれたらその通りかもしれませんが、意外性はあまりありませんでした。ちょっと突っ込みが足らなかったかなという気もします。


【江戸の女装と男装】
2018年3月25日まで
太田記念美術館にて


江戸の女装と男装江戸の女装と男装

2017/09/16

月岡芳年 月百姿

太田記念美術館で開催中の『月岡芳年 月百姿』を観てまいりました。

先月まで開催していた『月岡芳年 妖怪百物語』につづいて、月岡芳年の代表作「月百姿」シリーズの全点を公開するというファン待望の展覧会。わたしも全点観るのは初めてです。

「月百姿」は、月をテーマにした作品100点からなる摺物シリーズ。最晩年の47~54歳にかけて制作されたもので、『月岡芳年 妖怪百物語』で紹介されていた「和漢百物語」シリーズや「新形三十六怪撰」シリーズのようなダイナミックさや奇抜さは影を潜め、物語主体の表現や情緒的な描写が印象的です。

同じ月をテーマにしているといっても、さすが100点もあるとヴァリエーションも豊か。会場は、<美しき女たち>、<妖怪幽霊・神仏>、<勇ましき男たち>、<風雅・郷愁・悲哀>と4つのカテゴリーに分けて紹介されています。


まずは小野小町と紫式部という平安王朝を代表する女流歌人を描いた作品が興味深い。紫式部は石山寺の有名な場面で、『源氏物語』のイメージを膨らませているのか、ほおづえをついて月をぼんやりと眺めています。一方の小野小町は、深草少将の怨霊に取り憑かれた小町が老いて乞食になる能の『卒都婆小町』を描いたもの。かつて絶世の美人と謳われた姿からは想像もできない老婆となって月を見つめています。

月岡芳年 「月百姿 卒塔婆の月」
明治19年(1886)

月岡芳年 「月百姿 きぬたの月 夕霧」
明治23年(1890)

この日は山種美術館で『上村松園 -美人画の精華-』を観た足で伺ったのですが、松園の「砧」と同じ画題の作品がありました。松園の「砧」は夫の帰りを待ち立ちすくむ妻の姿を描いていますが、芳年の「砧」は夫の身を案じながら砧(洗濯した布を棒で叩いて皺をのばすための道具)を打つ場面そのものが描かれていて、そばには松園も最初は描くつもりだったという腰元の夕霧が静かに座っています。

ほかにも『上村松園 -美人画の精華-』に出品されていた作品(松園作品ではありませんが)と共通の画題では『平家物語』の小督を描いた「嵯峨野の月」、『源氏物語』の夕顔を描いた「源氏夕顔巻」が展示されているので、違いを観るのも面白いかも。

月岡芳年 「月百姿 名月や畳の上に松の影 其角」
明治18年(1885)

「名月や畳の上に松の影」は芭蕉の弟子・其角の俳句を描いた作品。月そのものは描かず、畳に映る松の影で月夜の風情を表現した風流な一枚です。抱一か其一かという感じの琳派風の屏風がまたいいですね。

月岡芳年 「月百姿 孤家月」
明治23年(1890)

妖怪や幽霊を描いた作品は、それまでの観る人を脅かすような恐怖を煽る演出はあまりなく、どちらかというと物語の一場面を切り抜き暗示的に描くなど、物語性の高さをより感じます。「孤家月」は“浅茅ヶ原の鬼婆”として知られる伝説を描いたもの。鬼婆を描いた芳年の作品というと、妊婦を逆さづりした恐ろしい「奥州安達が原ひとつ家の図」を思い浮かべますが、ここでは縄の先を描かず(縄には石が吊るされていて、石を落して人を殺そうとしている)、隙を窺う鬼婆だけを描いています。

月岡芳年 「月百姿 大物海上月 弁慶」
明治19年(1886)

「大物海上月 弁慶」は有名な「船弁慶」を描いた作品。芳年の「新形三十六怪撰」にも「大物之浦ニ霊平知盛海上に出現之図」という平知盛の亡霊に立ち向かう弁慶の姿を描いた作品がありますが、「月百姿」の「弁慶」は俄かに海が荒れ出し、この先を暗示しているかのよう。

月岡芳年 「月百姿 山城 小栗栖月」
明治19年(1886)

月岡芳年 「月百姿 雪後の暁月 小林平八郎」
明治22年(1889)

物語の脇役にスポットを当てている作品がいくつかあったのも興味深いところ。「山城 小栗栖月」は本能寺で織田信長を襲撃した明智光秀を討とうと竹やぶに身を潜める村人を描いたもの。「雪後の暁月 小林平八郎」は『忠臣蔵』の吉良上野介側の侍を描いたもの。表舞台には決して出ない人々を描くことで、“月”の寂しさや切なさを強調しているのかもしれません。

月岡芳年 「月百姿 名月や来て見よかしのひたい際 深見自休」
明治20年(1887)

深見自休は江戸の侠客。歌舞伎『助六』の髭ノ意休のモデルともいわれています。桜吹雪の中夜道を堂々と歩く大きな背中がかっこいい。着物の黒は一見無地に見えるのですが、ちょっと下から覗きこむと市松模様の正面摺りが施されているのが分かります。

月岡芳年 「月百姿 烟中月」
明治19年(1886)

火事と喧嘩は江戸の華。江戸火消を描いた「烟中月」もかっこいい。あえて纏持ちの動きを止めることで火災の激しさがより強調して見えます。

月岡芳年 「月百姿 あまの原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」
明治21年(1888)

美しく輝く月を見ながら、遠い故国の三笠の山にかかる月を思い浮かべる阿倍仲麻呂。何ともしみじみとした一枚ですね。シンプルなんだけど、仲麻呂の和歌とともに心に深く響きます。

月岡芳年 「月百姿 たのしみは夕顔だなのゆふ涼男はててら女はふたのして」
明治23年(1890)

久隅守景の「納涼図屏風」を思い出さずにはいられない一枚。直接描かれてはいませんが、妻は乳飲み子を抱いてるんでしょうか。夫はちょっとお酒でも入ってるのでしょうか。リラックスして楽しそう。観てるこちらにも夫婦の屈託のない会話や涼しい夜風が感じられるようです。

「盆の月」も面白い。天に昇っていくかのような構図。はっちゃけた盆踊りの雰囲気がとても伝わってきます。

月岡芳年 「月百姿 盆の月」
明治24年(1891)

ほかにも印象的な作品がいくつもあって、全部紹介しきれないほど。「月百姿」は芳年の展覧会では必ず並ぶぐらいの代表作ですが、全点揃うことはあまりありません。状態もとても良く、見応えがありました。月が照らし出す世界はみんな趣き深い。


【月岡芳年 月百姿】
2017年9月24日(日)まで
太田記念美術館にて


月岡芳年 月百姿月岡芳年 月百姿

2017/08/14

月岡芳年 妖怪百物語

太田記念美術館で開催中の『月岡芳年 妖怪百物語』を観てまいりました。

月岡芳年の代表作である「和漢百物語」シリーズと「新形三十六怪撰」シリーズ、そして「月百姿」シリーズの全点を2カ月に分けて公開するという展覧会。

ちょうど5年前ですが、芳年が観たい、芳年が観たいとほうぼうで言っていたら、東京で約17年ぶりという『月岡芳年展』が同じ太田記念美術館で開かれ、あらためて芳年のドラマティックでエネルギッシュな浮世絵版画の世界に惚れ込みました。その中で、とりわけ印象に残ったのが、この「和漢百物語」と「新形三十六怪撰」と「月百姿」。その時の展覧会では全点は観られなかったので、これはもう芳年好きにはたまらないのではないでしょうか。

今月8月は芳年初期を代表する「和漢百物語」シリーズと晩年の傑作「新形三十六怪撰」シリーズを全点展示。ほかにも芳年の怪奇もの妖怪ものの浮世絵版画を集め、夏にぴったりの展覧会になっています。

月岡芳年 「羅城門渡辺綱鬼腕斬之図」
明治21年(1888)

まずは畳の座敷に上がらせていただいて、並んだ作品をじっくり拝見。
いきなり「岩見重太郎兼亮 怪を窺ふ図」は半裸の女性が生贄にされているというショッキングな浮世絵。ヒヒの姿をした妖怪というのも珍しい。「不知藪八幡之実怪」はなんと水戸黄門が登場。一度入ったら二度と出られないという藪の前でいかつい白髪の老人が光圀が藪に入るのを防ぐという絵。「羅城門渡辺綱鬼腕斬之図」は上空から襲いかかる鬼とそれを見上げる渡辺綱という竪二枚継のスリリングな構図が見事。横殴りの雨と稲光の描写もインパクトがあります。渡辺綱の鬼退治の話は妖怪物の浮世絵ではよく見かけ、本展でも同画題の作品が他にもありました。

月岡芳年 「和漢百物語 伊賀局」
慶応元年(1865)

「和漢百物語」からは「伊賀局」。後醍醐天皇の妃に仕えた女官の話で、亡霊をものともせず涼しげな顔で団扇を仰ぐ姿が面白い。


第1章 初期の妖怪画

芳年は数え12歳の頃に歌川国芳のもとに入門。その3年後には三枚続の大判錦絵を手掛けるまでになったといいます。「桃太郎豆蒔之図」は数え21歳のときの作品。この頃はまだ後年のような複雑な線は見られず、構図もそれほど凝ってません。ただ翌年制作の「楠多門丸古狸退治之図」を見ると、闇に浮かぶ化け物を黒い影のように描くなど、師・国芳の画風を継承しながらも構図や表現に独自性を出そうとしていたようです。

月岡芳年 「楠多門丸古狸退治之図」
万延元年(1860)

青い色の山姥が不気味な「正清朝臣焼山越ニ而志村政蔵山姥生捕図」や、日本の動物と異国の動物の対決というユニークな「和漢獣物大合戦之図」、禿や山伏の姿をしたユーモラスな妖怪が楽しい「於吹島之館直之古狸退治図」、歌舞伎の曽我ものでは脇役の朝比奈三郎が閻魔大王を叩きのめすという「一魁随筆 朝比奈三郎義秀」など、題材の幅の広さもさることながら、芳年の表現力・構成力がどれも楽しい。


第2章 和漢百物語

「和漢百物語」はその名のとおり、日本(和)や中国(漢)の怪異譚を取り上げた揃物の浮世絵版画。百物語となってますが、実際には26図のみ。「酒呑童子」や源頼光朝臣の土蜘蛛、大宅太郎光圀のがしゃ髑髏、渡辺綱の鬼退治といった説話ものでよく見る妖怪もあれば、織田信長や豊臣秀吉に因んだ怪談や相撲の力士が化け物を退治する話など、そんな話もあるんだというようなものもあります。歌舞伎の『伽羅先代萩』の仁木弾正の名場面を描いたものもありました。

月岡芳年 「和漢百物語 酒呑童子」
元治2年(1865)

月岡芳年 「和漢百物語 白藤源太」
元治2年(1865)

「白藤源太」は河童が相撲を取ってる図が笑えますが、白藤源太が河童を投げ殺したという伝説に基づくのだとか。相撲絵にもよく描かれる小野川喜三郎も妖怪を退治したという伝説があるそうで、首長入道に煙草の煙を吹きかけるというユニークな作品がありました。

月岡芳年 「和漢百物語 頓欲ノ婆々」
慶応元年(1865)

「舌切り雀」も芳年が描くとこうなる(笑)。大きなつづらを開けると、そこには…。妖怪もユーモラスですが、頭を抱えて仰け反る婆さんも可笑しい。

月岡芳年 「和漢百物語 華陽夫人」
元治2年(1865)

「華陽夫人」はまるでピアズリーのサロメ。秦の皇帝の后で絶世の美女だが、実は悪狐だったという話だそうです。


第3章 円熟期の妖怪画

菊池容斎の『前賢故実』というと、松本楓湖や小堀鞆音などに代表される明治期の歴史画に多大な影響を与えた日本の歴史上の偉人たちの人物画伝ですが、芳年もその影響を強く受けていたのだそうです。人物の表現が明らかに緻密になっただけでなく、西洋画を意識した陰影法を取り入れたり、構図もよりダイナミックで劇的なものになっていくのが分かります。「大日本名将鑑 平惟茂」なんて、まるで劇画です。縦の構図で巨鯉に乗る金太郎を描いた「金太郎捕鯉魚」も迫力満点。庭の雪山が骸骨になっているだまし絵風の「新容六怪撰 平清盛」も面白い。

月岡芳年 「大日本名将鑑 平惟茂」
明治12年(1879)


第4章 新形三十六怪撰

「新形三十六怪撰」はその名のとおり36図からなる芳年最晩年の集大成。かつてのような過剰な演出や奇抜な表現は影を潜め、線もより繊細になり、どちらかというと様式美を感じるところさえあります。

月岡芳年 「新形三十六怪撰 清玄の霊桜姫を慕ふ」
明治22年(1889)

月岡芳年 「新形三十六怪撰 二十四孝狐火」
明治25年(1892)

「新形三十六怪撰」には「舌切り雀」や「分福茶釜」のようにオーソドックスな昔話もありますが、「四谷怪談」や「桜姫東文章」、「本朝二十四孝」、「関の扉」、「船弁慶」、「鷺娘」のように歌舞伎や能などで人気の演目や三遊亭圓朝の怪談噺「牡丹灯籠」、河鍋暁斎の作品でも知られる「地獄太夫」など、どちらかというと、江戸時代以降に創作された話や時代的にも新しい怪談が中心になっているようです。

月岡芳年 「新形三十六怪撰 ほたむとうろう」
明治24年(1891)

芳年の弟子に美人画を得意とした水野年方がいて、昨年、同じ太田記念美術館で『水野年方展』も拝見しましたが、「新形三十六怪撰」の優美な女性像や、今回出品されてませんが、年方の美人画の代表作「風俗三十二相」などを観ると、年方や年方の門人である鏑木清方や池田輝方といった美人画に連なるものも感じます。

月岡芳年 「新形三十六怪撰 地獄太夫悟道の図」
明治23年(1890)

9月には「月百姿」が全点公開。本展の半券提示で次回の『月岡芳年 月百姿』が200円割引になります。


【月岡芳年 妖怪百物語】
2017年8月27日まで
太田記念美術館にて


月岡芳年 妖怪百物語月岡芳年 妖怪百物語