2015/04/28

桃山時代の狩野派

京都国立博物館で開催中の『桃山時代の狩野派 永徳の後継者たち』を観てまいりました。

わたし的にドストライクな展覧会。ちょうどいい具合に関西出張が入りまして、金曜日の夜間開館に寄れるように、まぁいろいろと裏工作してスケジュールの都合をつけました(笑)

京博では2007年の『狩野永徳展』、2013年の『狩野山楽・山雪展』につづく狩野派の展覧会。今回は『狩野永徳展』の続編といいましょうか、永徳の後を継いだ狩野派の絵師たちにスポットを当てています。時代でいうと、永徳急逝から探幽が江戸で盤石な体制を敷くまでの約50年ぐらいです。


第一章 永徳の残映 -金碧大画-

まずは導入部として、永徳の長男・光信、永徳の影武者・宗秀、京狩野の祖・山楽、永徳の次男にして探幽ら三兄弟の父・孝信の作品を展観。永徳は絶頂期の40代半ばで過労死のような死に方をしますが、永徳の豪壮な金碧障壁画はその後継者たちにもしっかり引き継がれています。

狩野山楽 「槇に白鷺図屏風」

本展のメインヴィジュアルにもなっている山楽の「唐獅子図屏風」は永徳の「唐獅子図屏風」の親獅子だけを描いたような感じ。背景は総金地で、勇壮孤高な雰囲気を醸し出しています。山楽ではもう1点、昨年末に発見されニュースになった「槇に白鷺図屏風」。永徳の「槇図屏風」を思わせる槇の枝ぶりに白い鷺の取り合わせが印象的です。

永徳の弟で兄の片腕として活躍した宗秀の現存唯一の金碧大画という「柳図屏風」も素晴らしい。こんな大きな柳があるんだろうかというぐらい巨木の柳と、対照的にか細い枝葉が絶妙なバランスで配されていて見事。


第二章 華麗美の極致 -後継者・光信-

光信というと、これといった特徴をあまり感じたことがなかったのですが、こうしてまとめて観ると、光信の卓越したセンスや個性を強く感じます。壮麗な永徳画とは異なる、優美で華麗な世界。

狩野光信 「四季花木図襖」(重要文化財)
慶長5年(1600年) 園城寺蔵

永徳の下で活動していた頃の作品とされる「四季花鳥図屏風」の繊細で丁寧な絵作り、「四季花木図襖」の凛とした美しさ、「源氏物語図屏風」のめくるめく華麗な王朝文化。とりわけ素晴らしいのは、秀吉の子・鶴松の遺品という「松竹鶴亀図童具足」や、貝合わせの道具をしまう「唐人物図貝桶」の非常に細やかな線描と表現。爛熟期の桃山文化を見る思いがします。

狩野光信 「源氏物語図屏風」(右隻)
檀王法林寺蔵


第三章 より凛々しく、美しく -権力者の肖像-

光信は秀吉を描いた作品を複数残しているようで、「秀吉像」が前後期で1点ずつ公開されるのですが、図録で見比べると顔の形・表情は全く同じなんですね。本などでよく見る有名な高台寺の秀吉像(光信筆)ともこれまた同じ。光信の人物画は、体躯に比べて顔や手が小さいのが特徴なのだそうです。

狩野光信 「豊臣秀吉像」 (重要文化財)
慶長4年 宇和島伊達文化保存会蔵 (展示は4/26まで)

ほかにも淀殿とされるものや北政所(高台院)、小早川秀秋を描いたものなどがあり、特に「小早川秀秋像」は光信筆の可能性が高いとか。戦国武将とは思えない気弱そうな表情が面白い。


第四章 にぎわいを描く -百花繚乱の風俗画-

絢爛豪華な桃山美術を象徴する洛中洛外図や遊楽図を紹介。金雲の中に咲く満開の桜が美しい「吉野花見図屏風」や、風流踊りの大輪舞が楽しい「花下群舞図屏風」、孝信工房の作とされる「洛中洛外図屏風 勝興寺本」など、まさに百花繚乱。濃麗な彩色美にクラクラします。

中でも、先の山楽の「槇に白鷺図屏風」と同じく新発見として話題になった孝信筆の「北野社頭遊楽図屏風」は絶品。非常に状態がよく、また境内の賑わいや武士の宴席の様子が実に生き生きと描かれています。細部に至るまで丁寧に描き込まれていて、人々の衣装がまた色とりどりで美しい。いずれ重文になるでしょうね。

狩野孝信 「北野社頭遊楽図屏風」

桃山の狩野派に見られる風俗画が江戸時代になると極端に少なくなるのが個人的にずっと謎で、てっきり探幽の好みの問題かと思っていたのですが、時代の変転を嫌う徳川幕府の意向で狩野派は風俗画の制作に消極的な姿勢をとるようになったとあって、なるほどなと思いました。

ほかにも見事な「調馬・厩馬図屏風」や、当時の狩猟文化を知る上でも貴重な「犬追物図屏風」、これまた細部まで克明で素晴らしい孝信の「唐船・南蛮船図屏風」など、見応えがあります。


第五章 狩野派の底力 -影武者たちの活躍-

狩野派は血族と一部の門弟で構成されていますが、その下には工房で働く名もない絵師たちがいて、“ゼネコン”狩野派の大事業を支えていたわけです。ここでは実力はあるものの美術史に登場しない影武者たちの作品を紹介。「唐美人製茶・唐子図屏風」や「文王霊台・鞨鼓催花図屏風」などは高いクオリティで、素人には判断が付きません。


第六章 光信没後の大黒柱 -宮廷絵所預・孝信-

永徳の死後、長谷川派の躍進におびやかされる狩野派。生き残りを賭けた“三面作戦”で朝廷の窓口となり、宮廷絵所預として高く評価されたのが孝信でした。東博の『京都-洛中洛外図と障壁画の美』で仁和寺の「牡丹図襖」や「賢聖障子絵」などは観ていますが、ここまでまとまった形で観る機会がなく、今回その傑出した技量に正直驚きました。

狩野孝信 「牡丹図襖」
慶長18年(1613年) 仁和寺蔵

永徳の血を感じる「雪松図屏風」、堅固かつ繊細な筆致の唐人物図と花鳥図の衝立「唐人物・花鳥図座屏」、空を自由に飛んだり水浴びをしたり、餌を啄んだりとツバメの様々な姿が魅力的な「芒燕図屏風」、明兆の下絵をもとに描いたという「羅漢図」など、どれも素晴らしい。

狩野孝信 「羅漢図」
東福寺蔵

中でも興味深かったのが「三十六歌仙図扁額」や「紫式部像」といった人物画で、強い線描が女性はしっかりとした意志を持ち、男性は彫り深くキリリとした印象を与えます。「三十六歌仙図扁額」は光信や山楽のものも出品されているので、比較して見ると面白いと思います。三人それぞれの特徴が良く分かりますよ。

狩野孝信 「紫式部像」
石山寺蔵


第七章 女御御所に描く -狩野派新世代-

孝信亡きあと狩野派を継いだ貞信による徳川秀忠の娘・和子(東福門院)の内裏女御御所の障壁画を紹介。まだ18歳の頃の作品という探幽の「唐美人図張台構貼付」が見ものですが、ちょっと状態が悪いのが残念。

貞信というと若くして亡くなってしまうため、現存する作品が極めて乏しいといいます。本展で展示されている「住吉社頭図壁貼付」や「楼閣山水図戸襖」は瀟洒で詩情豊かな味わいがあって、探幽に繋がる狩野派の画風の変遷が見て取れます。

狩野貞信 「住吉社頭図壁貼付」(重要文化財)
元和5年(1619年) 京都国立博物館蔵


第八章 江戸絵画の扉を開く -早熟の天才・探幽-

ときはすでに江戸時代ですが、ここでは探幽の初期の作品である二条城二の丸御殿と名古屋城本丸御殿の障壁画を紹介。二条城の障壁画は探幽25歳、名古屋城は33歳。まだ桃山時代の狩野派の流れを汲むスケールの大きさも感じられますが、永徳の激しさや誇張された表現とは明らかに違います。空間の使い方や余韻を残す表現。名古屋城の障壁画の瀟洒な雰囲気のなんと美しいことか。新しい時代に敏感な探幽の感性の高さを感じます。

狩野探幽 「松に孔雀図壁貼付・襖」(重要文化財)
寛永3年(1626年) 元離宮二条城事務所蔵

会場の最後には、徳川家光が自分の夢に現れて病が治ると告げた狐を探幽に描かせたという掛軸が特別出品されています。明治時代に所在不明になり、今年2月に見つかったという作品で、右上には家光の自筆による日付が入っています。八尾の狐はどちらかというと可愛いらしくて、探幽の個性が出ているというより家光の意向が強い作品なのだろうなという感じを受けます。

狩野探幽 「八尾狐図」
寛永14年(1637年)

永徳と探幽の間にあって飛ばされがちな時代をガッチリ抑えた展覧会。桃山時代の狩野派というと、ダイナミックでゴージャスというイメージがありますが、それだけではない繊細で優美な世界も堪能できます。桃山文化、ここに極まれり。

本展には狩野永徳の作品は出品されていませんが、常設展には永徳の作品が出ています。ほかにも狩野元信や長谷川等伯の作品も展示(5/10まで)されているので忘れずに。


【桃山時代の狩野派 永徳の後継者たち】
2015年5月17日(日)まで
京都国立博物館にて


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聚美 vol.15(2015 SPR 特集:狩野派の隆盛と栄光聚美 vol.15(2015 SPR 特集:狩野派の隆盛と栄光

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