2017/10/15

運慶展

東京国立博物館で開催中の『運慶展』を観てまいりました。

春に奈良博で『快慶展』を観て、そして待望の『運慶展』。現在、運慶と確認もしくは推定されている仏像は31躯あるといいますが、その内の22躯(出品リスト上は19躯)が集結というこれ以上望めないレベル。さすがに見応え十分です。

会場には運慶の仏像以外にも、父・康慶や運慶の息子ら慶派の仏像もあって、運慶前後の慶派の流れが分かるのもいい。しかも運慶の仏像に限っては、全て全方位展示という贅沢さ。お寺に行ってもここまで間近で観られませんし、まして後ろ姿を拝むことなどできませんが、本展では隅々までじっくりと観ることができます。これも広いトーハクの平成館だからできること。

展示方法については賛否両論いろいろ声が聴こえてきます。ライティングにより仏像が立体的に浮かび上がり効果的だという人もいれば、照明が過剰すぎるという人もいます。ここ数年のトーハクの特別展の傾向ですが、展覧会がエンタテイメント化していることも、これでいいのだろうかと思うこともあります。それでもこれだけの運慶の仏像が観られるのですから、ありがたいことです。


第1章 運慶を生んだ系譜-康慶から運慶へ

最初に登場するのが円成寺の「大日如来坐像」。運慶の最初期の作品で、これがデビュー作ともいわれます。一般的な制作期間が3ヶ月ぐらいのところ、1年弱というかなり長い時間をかけ丁寧に造られたとか。表情や均整のとれた引き締まった体躯は瑞々しく、抑揚のある深い彫り、智拳印を結ぶ腕の力強さは新しい時代の彫刻という印象を受けます。

運慶 「大日如来坐像」(国宝)
平安時代・安元2年(1176) 円成寺蔵

運慶の「仏頭」は想像以上に大きくて驚きます。江戸時代に焼失した興福寺西金堂の本尊・釈迦如来立像の焼け残ったものですが、頭部だけでも1m近くあり、いわゆる丈六像(約4.8m)だったのではないかといわれています。

父・康慶の「四天王像」は、今年の春に拝見した興福寺仮講堂の『興福寺国宝特別公開2017 阿修羅~天平乾漆群像展』では“康慶一派”となっていましたが、本展では“康慶作”として紹介。力強い造形や躍動感は運慶に引き継がれていったことがよく分かります。踏まれてた邪鬼の表情も見もの。康慶の国宝「法相六祖坐像」も写実の追求、流れるような衣文の表現が素晴らしく、運慶に繋がるものを強く感じます。


第2章 運慶の彫刻-その独創性

本展では運慶の仏像は制作年順に並べられているのですが、次に来るのが伊豆・願成就院の「毘沙門天像」。運慶は源頼朝の義父・北条時政に請われ、興福寺再建の最中に東国へ下ったといい、願成就院の仏像は関東で運慶が最初に手がけたとされます。願成就院には運慶真作の仏像が5躯ありますが、今回は「毘沙門天像」のみ出陳。東大寺南大門の金剛力士像のように大きく腰をひねらせた動きのある姿が印象的です。忿怒の異形の姿というより若武者のような勇ましさを感じます。

運慶 「大日如来坐像」(重要文化財)
鎌倉時代・12〜13世紀 光得寺蔵

運慶 「大日如来坐像」(重要文化財)
鎌倉時代・12〜13世紀 真如苑真澄寺

運慶の「大日如来坐像」は現存する3点が全て出ています。2011年に金沢文庫で開催された『運慶展』でも3点が揃い比較展示されていましたが、いずれも造形が共通しているのが興味深い。とりわけ足利・光得寺の「大日如来坐像」は高さ30cmほどの小像ですが、肩にかかる髪や装身具など細緻な彫刻的表現が見事。仏像を360度ぐるりと観られる貴重な機会ではありますが、光得寺の「大日如来坐像」はこれまた見事な厨子と一つでさらに傑作だと思うので、別々に展示されていたのがちょっと残念でした。

運慶と息子・湛慶の合作とされる岡崎・瀧山寺の「聖観音菩薩立像」は寺外初公開の美仏。鮮やかな色彩は明治時代の補彩といいますが、艶かしく肉感的な肢体、写実的かつ細緻な衣文の表現、宝冠など豪華な装身具など、これも運慶なのかと驚くほどの美しさ。像内には頼朝の遺髪と歯が納められているということからも、ただの仏像でないことが分かります。ちなみに来年1月から金沢文庫で開催される『運慶 鎌倉幕府と霊験伝説』には瀧山寺の三尊のひとつ「梵天立像」が出陳されるそうです(前回の金沢文庫の『運慶展』には「帝釈天立像」が出陳されていました)。

運慶 「八大童子立像(写真は制多伽童子・恵光童子)」(国宝)
鎌倉時代・建久8年(1197)頃 金剛峯寺蔵

誰もが認める運慶の傑作といえば、高野山・金剛峯寺の「八大童子立像」。本展ではその内、運慶作とされる6躯が出陳されてます。ガラスケースに収まり並ぶ様はまるで高級宝飾店のショーケースのよう。今にも動き出しそうなリアルな表現の完成度の高さには唸らずにいられません。極めつけは玉眼の目で、何かを訴えかけるような目の表情は人間そのものです。

運慶 「無著・世親菩薩立像」(国宝)
鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 興福寺蔵

本展の一番の見どころが《四天王像が北円堂安置とみる仮説による再現》。興福寺南円堂の「四天王像」はもともと北円堂にあったとする説が現在有力ですが、その仮説に基づき、現・南円堂の「四天王像」と北円堂の「無著・世親菩薩立像」を一つのスペースに再現展示しています。「四天王像」の写実を超えたダイナミックな表現、「無著・世親菩薩立像」の圧倒的な造形力。本来中心にあるべき「弥勒如来坐像」の出陳がなく写真だけというのが残念ですが、台座も入れれば軽く2mを超える大きな仏像が居並ぶ威圧感は凄く、いずれも興福寺で過去に拝見していますが、こうした空間で観ると、そのインパクトに圧倒されます。ただ、北円堂は南円堂より一回り小さいはずなので、これだけ大きな仏像があったとすると、かなり圧迫感があるのではないかと思います。

現・南円堂の「四天王像」は運慶の息子たちの手によるものとする説がありますが、運慶がどこまでタッチしてたかは不明で、図録には持国天像と多聞天像は運慶作の可能性があると書かれていたり、先日拝聴した某運慶研究者の講演では多聞天像は運慶の創意が見られるとしていたりします。今後の研究の動向に注目したいところです。

無著と世親は興福寺の宗派である法相宗の教義を大成させた高名な学僧の兄弟。『運慶展』を観た日に興福寺・多川貫首の講演も拝聴したのですが、「無著・世親菩薩立像」は美術史的にいわれる老・壮の違いではなく到達した仏のレベル(唯識の修道階位)の差であるという興味深い話がありました。北円堂の創建時(奈良時代)に安置されていた羅漢2躯を南都焼討後の復興時に法相宗の唯識教学に基づき、羅漢を無著と世親に充てたのではないかとのことでした。


第3章 運慶風の展開-運慶の息子と周辺の仏師

興福寺の「天燈鬼立像・龍燈鬼立像」はいつもは四天王像に踏まれている邪鬼を取り上げたユニークな仏像。運慶の息子・康弁の現存する唯一の作品とされる「龍燈鬼立像」は運慶が関わっているのではないかという話もあるようです。個人的に大好きな仏像で、春に興福寺でも拝見しましたが、今回は周りをぐるりと見られるのが嬉しい。誇張した筋肉や玉眼の表現は間近で観て初めて気づく素晴らしさ。かわいいお尻も必見です。「天燈鬼」までふんどししてるとは知りませんでした。

「天燈鬼立像 龍燈鬼立像」(国宝)
鎌倉時代・建保3年(1215) 興福寺蔵

海往山寺の「四天王像」もまた素晴らしい。40cmにも満たない小像ですが、保存状態も良く、精緻な彫刻的表現、鮮やかな彩色が見事。いわゆる大仏殿様四天王像で、運慶一門の手によるものとされているようです。

そして最後に伝・浄瑠璃寺の「十二神将立像」。最近の調査で運慶の没後の作である可能性が高くなったというニュースも記憶に新しいところ。現在トーハク(5躯)と静嘉堂文庫美術館(7躯)に分蔵されていて、12躯全て揃って展示されるのは42年ぶりだそうです。東博所蔵の方はときどき総合文化展(常設展)で公開されていたり、静嘉堂文庫美術館所蔵の方も昨年『よみがえる仏の美』で修理を終えたばかりの4躯が公開されましたが、やはり12躯が勢揃いした姿を観られなんて仏像ファンには感涙ものでしょう。頭に十二支の象徴が付いていたり(付いてないのもある)、申神の顔が猿ぽかったり、巳神の足が妙に筋肉質だったり、それぞれ干支をイメージさせるのも面白い。

運慶 「十二神将立像(写真は未神・辰神)」(重要文化財)
鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵

今回の『運慶展』と奈良博の『快慶展』を観て思うのは、運慶には快慶にないものがあり、快慶には運慶にはないものがあることで、快慶が「静」とすれば、運慶は「動」、快慶は洗練された様式美に魅力があるとすれば、運慶は重厚な造形力にその本質があるように感じました。運慶とはどんな仏師だったのか。分かってるようで分からなかった運慶の魅力を存分に堪能できる展覧会でした。混雑しなければ何度も足を運びたいところです。


【興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」】
2017年11月26日(日)まで
東京国立博物館・平成館にて


芸術新潮 2017年 10 月号芸術新潮 2017年 10 月号


運慶への招待運慶への招待

2017/10/07

江戸の琳派芸術

出光美術館で開催中の『江戸の琳派芸術』を観てまいりました。

出光美術館で琳派は何度も観てると思うのですが、江戸琳派をテーマにした展覧会は実に16年ぶりなんだそうです。

江戸琳派なので酒井抱一と鈴木其一が中心。光琳は数点あるけど宗達はなし。なんと出光美術館所蔵の抱一・其一作品のほぼ全てが展示されているそうです。

抱一や其一に代表される江戸琳派は宗達・光琳とはまた違う華やかさ、色彩美があり、その洗練された画風が大きな魅力でもあります。さすがにここまで江戸琳派が揃うと壮観。出光美術館の琳派作品の充実ぶりにあらためて感心しました。


会場の構成は以下のとおりです:
1 光琳へのまなざし - 〈江戸琳派〉が〈琳派〉であること
2 〈江戸琳派〉の自我 - 光琳へのあこがれ、光琳風からの脱却
3 曲輪の絵画 - 〈江戸琳派〉の原点
4 〈琳派〉を結ぶ花 - 立葵図にみる流派の系譜
5 師弟の対話 - 抱一と其一の芸術

酒井抱一 「風神雷神図屏風」
江戸時代・19世紀 出光美術館蔵

まずは“琳派といえば”的な抱一の「風神雷神図屏風」。隣には、光琳の「風神雷神図屏風」の裏に描かれた抱一の「夏秋草図屏風」の草稿が展示されていました。草稿なので銀地ではないし、彩色もあっさりとしていますが、逆にみずみずしい印象を受けます。雷神の裏には雨に打たれた夏の草花、風神の裏には嵐になびく秋の草花を描くという風流人・抱一らしい発想だと思うと同時に、本来四季を表した絵ではない「風神雷神図屏風」に夏と秋という季節的な意味をプラスしたというところがが素晴らしいなと思います。

酒井抱一 「紅白梅図屏風」
江戸時代・19世紀 出光美術館蔵

琳派は画風の継承というより、画題やモチーフ、デザイン性といったピンポイントなところを流用しつつさらに展開させるという自由さがあると思うのですが、伝・光琳の「紅白梅図屏風」と並んで展示されていた抱一の「紅白梅図屏風」は光琳のエッセンスを咀嚼することで抱一ならではの洗練された作品になってると感じます。ただ、抱一画に先立つ作品として鈴木芙蓉の「紅白梅図屏風」がパネルで紹介されていて、抱一は芙蓉の作品を参考にしてるのではないかとありました。

酒井抱一 「八橋図屏風」
江戸時代・19世紀 出光美術館蔵

「八橋図屏風」も光琳の「八橋図屏風」(メトロポリタン美術館所蔵)をもとにしていますが、実は燕子花の数が光琳は約130輪なのに対し抱一は80輪だったり、一隻の横幅がそれぞれ45㎝も長かったり、光琳の屏風よりすっきりとした印象があります。抱一の「八橋図屏風」は絹地に描かれていこともあって、色彩の質感もずいぶん違って見えます。ただ摸倣するのではなく、どうアレンジするかいろいろ考えていたのでしょう。

酒井抱一 「燕子花図屏風」
享和元年(1801) 出光美術館蔵

抱一は姫路藩・酒井家に生まれ、若い頃は吉原に遊び、俳諧を嗜むという風雅を地で行く趣味人で、浮世絵など当時の文化に親しみました。今でいえば、都会人であり、現代人であり、そうした環境で磨かれたセンスは雅趣というものは、抱一作品の端々から伝わってくる気がします。

「燕子花図屏風」の軽妙なフレーミング、自ら詠んだ俳句を揮毫した短冊と色紙を貼り交ぜた「糸桜・萩図」の風情。初期の浮世絵作品「遊女と禿図」も、遊女とかむろのバランスが悪いのはご愛嬌ですが、一端の浮世絵師という印象を受けます。

鈴木其一 「蔬菜群虫図」
江戸時代・19世紀 出光美術館蔵

鈴木其一 「藤花図」
江戸時代・19世紀 出光美術館蔵

抱一のもとで磨かれた確かな腕に、さらにグラフィカルなデザインセンスや色彩感覚を身につけたのが其一。愛嬌のある表情が可笑しい「三十六歌仙図」や、琳派というよりもっと博物学的なリアリティを感じる「蔬菜群虫図」。其一が描いた薄の表装に光琳の富士図の扇面を貼った掛軸装のやまと絵的な風情も見事。「秋草図屏風」や「藤花図」は銀地、銀箔が変色してなければ、どんなに美しかったか。

酒井抱一 「十二ヵ月花鳥図貼付屏風」(※写真は左隻)
江戸時代・19世紀 出光美術館蔵

抱一の「十二ヵ月花鳥図貼付屏風」が一双まるまる展示されているのも贅沢。抱一の十二ヵ月花鳥図は人気だったようで複数の作品が知られていますが、その表現は一様でないといいます。解説には「おそらく多くの需要に応えるべく抱一の工房・雨華庵の画家たちが動員されたと思われる」とありました。七月に描かれた向日葵と朝顔とカマキリは抱一というより其一的な匂いがすると以前から気になっていたのですが、もしかしたら弟子時代の其一が担当していた可能性もあるかもしれませんね。抱一の晩年の作品のいくつかは其一が抱一名義で描いていたとする説がありますが、「青楓朱楓図屏風」なんかも其一の画風に妙に近い気がします。どうでしょう。

酒井抱一 「青楓朱楓図屏風」
文政元年(1818) 個人蔵

其一の作品ではいかにも其一らしい「四季花木図屏風」や、個人的にも大好きな「桜・楓図屏風」が出ているのですが、あまりお目にかかることのない「月次風俗図」全十二図が出品されているのが嬉しいところ。「月次風俗図」は四角や丸、扇面など3つの形式の画面に、菜の花に鷽替、梅に鼠、曽我兄弟の仇討ち、雨中の楓、鮎の群れ、砧打、柿に菊、ほおずきに麦藁蛇など、月ごとの季節にちなんだ行事や自然、風俗などが描かれています。もとは押絵貼屏風だったようで、発注主の好みもあるのか、其一にしては割と瀟洒な表現が印象的です。

鈴木其一 「四季花木図屏風」
江戸時代・19世紀 出光美術館蔵

一時期あれだけ多かった琳派の展覧会も少し落ち着き、あらためて琳派の作品に対峙するいい機会かもしれません。去年サントリー美術館で開催された『鈴木其一展』に出品されていない作品も多いので、其一ファンは必見だと思います。


【江戸の琳派芸術】
2017年11月5日(日)まで
出光美術館にて


別冊太陽244 江戸琳派の美 (別冊太陽 日本のこころ 244)別冊太陽244 江戸琳派の美 (別冊太陽 日本のこころ 244)

2017/09/25

狩野元信展

サントリー美術館で開催中の『狩野元信展』を観てまいりました。

個人的に今年最も楽しみにしていた展覧会の一つ。狩野派の二代目であり、狩野派を画壇の中央へ押し上げただけでなく、日本絵画史上最大の画派へ成長する礎を築いた最重要人物である狩野元信。意外なことに単独で元信を取り上げる回顧展は初めてだといいます。

サントリー美術館は元信の「酒伝童子絵巻」を所蔵していますが、いずれ重要文化財に指定されたら元信の展覧会を開きたいという希望があったのだそうです。「酒伝童子絵巻」は2015年に重要文化財に指定され、念願叶って企画が実現。国内外に現存する元信筆もしくは工房作とされる作品が一堂に揃い、構成もよく整理され、大変充実した展覧会になっていました。


第1章 天下画工の長となる - 障壁画の世界

まずは元信の代表作である大徳寺大仙院方丈の旧障壁画をじっくり。
元信の作品にはまだ国宝がありませんが、最初に国宝に指定されるとしたら、恐らくこの障壁画なんじゃないかと思います。方丈の中心となる室中は足利将軍家に仕えた先輩格の相阿弥ですが、周囲の4室は狩野派が手掛けていて、その内「四季花鳥図」と「禅宗祖師図」のみが元信の真筆。ほかの障壁画は元信の下、弟子たちが分担したとされています。

狩野元信 「四季花鳥図(旧大仙院方丈障壁画)」 (※写真は一部)
室町時代・16世紀 大仙院蔵 (需要文化財)
(※期間中展示替えあり。但し10/4~10/16は展示がありません)

「四季花鳥図」は去年の東博の『禅展』で全幅展示されましたし、ほかの障壁画も東博の常設などで何度か拝見していますが、やはり「四季花鳥図」の素晴らしさは特筆的。水墨画を基調としつつ、濃彩の花や鳥を取り入れたスタイルは近世障壁画の幕開けを感じさせます。「禅宗祖師図」も人物の的確な表現や霞雲を取り入れた奥行き感など、これまでの日本の漢画系水墨画とは異なる新たな表現が見られ、元信の画力の高さと構成力の巧みさに舌を巻きます。

狩野元信 「禅宗祖師図(旧大仙院方丈障壁画)」 (※写真は一部)
室町時代・16世紀 東京国立博物館蔵 (需要文化財)
(※期間中展示替えあり。但し展示は10/23まで)

先日、山下裕二氏の記念講演会を拝聴したのですが、その中で、能阿弥、芸阿弥、相阿弥と続いたいわゆる三阿弥のあとを誰かが継承した形跡がなく、恐らく元信は相阿弥が持っていた門外不出の粉本を譲り受けたのではないかという話がありました。将軍家所蔵の中国絵画はそう簡単に観られるものではないでしょうから、そうした粉本を学習することで“真・行・草”という発想も生まれたのかもしれません。


第2章 名家に倣う - 人々が憧れた巨匠たち

室町水墨画の手本とされ、当時の漢画系の画家に絶大な影響を与えたのが馬遠や夏珪、玉澗、牧谿といった中国・宋元の画家たち。馬遠と夏珪の様式は真体、牧谿は行体、玉澗は草体のそれぞれ規範となるわけですが、そうした違いを感じながら観ると、元信の作品だけでなく、狩野派の作品を理解する上でも役立つんじゃないかと思います。

沈恢 「雪中花鳥図」
中国・明時代 15世紀 泉屋博古館 (※展示は10/2まで)

南宋時代の作品が多い中、印象的だったのが沈恢の「雪中花鳥図」。静謐な画面の中にピンク色の梅が華やかに映えます。呂紀の花鳥図を思わせる明代らしい作品です。

個人的には「相阿弥模写梁楷筆耕織図巻」が出ていたのが嬉しいところ。狩野派の伝統的な画題に稲作や蚕織の一連の作業を描いた耕織図というのがありますが、その基とされるのが南宋の画家・梁楷の「耕織図巻」で、「相阿弥模写梁楷筆耕織図巻」はその名のとおり相阿弥が模写したものの更に模写。恐らく元信は相阿弥の模写を見て、耕織図を屏風形式に再構成したのでしょう。相阿弥本は現存しないので、江戸時代に描かれたこの模写本からしか知る術はないのですが、所蔵先の東博でもなかなかお目にかかることができず、ずっと観たいと思っていました。


第3章 画体の成立 - 真・行・草

馬遠や夏珪、玉澗、牧谿といった中国絵画の筆様を、元信は書道の楷書・行書・草書に倣い、真体(楷体)・行体・草体という3つの画体に整理。漢画のスタイルをマニュアル化することで、優秀な弟子を育成し共同制作の効率を高めることに成功します。元信の経営者的能力が評価される由縁です。

狩野派の作品を見慣れてないと、真体・行体・草体という概念はなかなか難しいところがありますが、展示作品のキャプションに「真体」「行体」「草体」と印がついているので狩野派初心者も安心です。

伝・狩野正信 「竹石白鶴図屏風」 (重要文化財)
室町時代・15世紀 真珠庵蔵 (※展示は9/25まで)

元信の父・正信の作品もいくつかあって、中でも白眉が「竹石白鶴図屏風」。正信筆だろうとされているようですが、筆者については諸説あり、元信説もあるとか。山下先生は二扇目の岩の上の小鳥によって強調される斜めのラインを絶賛していましたが、左上の淡墨から濃墨への諧調さが表す奥行き感や湿潤な空気感もまた素晴らしい。

狩野元信 「真山水図」
室町時代・16世紀 京都国立博物館蔵 (※展示は10/9まで)

正信の掛幅の「山水図」と元信の「真山水図」が並んで展示されていて、いろいろ比較しながらずっと観ていました。正信の縦の構図を元信は横に展開。中央に大胆に余白を入れることで、空間の広がりと奥行き感を出すのに成功しています。右側の屹立した山の描写などは正信の「山水図」をほぼ流用しているのですが、人物をよく見ると(単眼鏡でないと分かりません)、正信は輪郭線が平板なのに対し、元信は肥痩のある線で非常にきっちりと丁寧に描いていて、その性格が分かるような気がします。

「元信」印 「四季花鳥図屏風
室町時代・16世紀 静岡県立美術館蔵 (※展示は10/9まで)

日本で水墨の花鳥図屏風に色彩を加えるということがいつから始まったかよく知りませんが、着色の折枝画や花鳥図は既に存在しましたし、雪舟の晩年作にも著色の花鳥図屏風があるので、恐らく室町時代後期には先例があったのでしょう。元信も基本的には大仙院の障壁画のように、水墨の花鳥図に色彩を施した程度のものが多いようですが、特筆すべきはやまと絵の要素を大胆に取り入れた、いわゆる和漢融合で、極めて装飾性の高い彩色の花鳥図屏風を残しています。他館に貸し出されているということで代わりに高精細複製品が展示されてましたが、白鶴美術館所蔵の金壁画「四季花鳥図屏風」は元信の幅の広さに驚くと同時に、ここまで完璧にやまと絵の世界を表現できるその実力に圧倒されます。

狩野元信 「四季花鳥図屏風」(重要文化財)
室町時代・天文19年(1550) 白鶴美術館所蔵 (※複製品を展示)


第4章 和漢を兼ねる

歌舞伎の人気演目『傾城反魂香』に絵師・土佐将監の娘と結婚の約束をした狩野元信が将監の娘から土佐家の秘伝を手に入れるという話が出てきます。これは芝居の話ですが、将監はやまと絵の土佐光信がモデルとされ、実際に元信は光信の娘と結婚したとも伝えられます。元信は多角的な顧客層の獲得や多様化する需要のため、和様の要素を取り入れざるを得なかったのかもしれません。もしくは戦略として土佐派に接近し、やまと絵の領域に進出したのか。そう考えると興味が尽きません。

狩野元信 「酒伝童子絵巻」(重要文化財)
室町時代・大永2年(1522) サントリー美術館蔵 (※場面替えあり)

「酒伝童子絵巻」は『絵巻マニア列伝』に続いての再登場。「酒伝童子絵巻」だけを観ていると、元信作品の中で異色に思えますが、同じく元信筆の「清凉寺釈迦堂縁起絵巻」を観ると、決して特異な作品ではないことが分かります。人物や室内の描写は色彩豊かなやまと絵の絵巻の描き方がされていますが、背景の山並みは漢画的に描かれています。

「二尊院縁起絵巻」は薄い群青のすやり霞など元信の絵巻と共通する点があるのですが、工房作ではないかとのこと。人物の表情も画一的で、これまで観てきた元信の際立った人物表現を思うと、ちょっと違うと感じます。「酒飯論絵巻」は元信説もあるようですが、筆者は不明。ただ、酒好きの男と酒よりごはんが好きな男と両方ほどほどに好きな男が持論を展開するという内容が面白い。絵巻マニア必見です。

「元信」印 「富士曼荼羅図」(重要文化財)
室町時代・16世紀 富士山本宮浅間大社蔵 (※展示は10/9まで)

今回一番観たかった作品の一つが「富士曼荼羅図」。工房作といわれますが、元信の絵巻に共通する薄い群青のすやり霞や、やまと絵の風俗画を思わせる豊かな人物描写、小さな人物も線の肥痩が巧みで丁寧に描かれていて、想像以上に優れた作品でした。何より富士山の山道をジグザグに登る参詣者の姿は感動的。是非これは単眼鏡で覗いて欲しい。


第5章 信仰を描く

今回ボストン美術館から3点の元信作品が里帰りしています。そのひとつが元信の仏画の最高傑作という「白衣観音図」。太くしっかりとした衣文線、暗い背景から浮かび上がる色彩の美しさ、中国や朝鮮の仏画を思わせる岩や波の表現。状態も非常に良く、最高傑作といわれ、なるほどと思う優品です。

狩野元信 「白衣観音図」(重要文化財)
室町時代・16世紀 ボストン美術館所蔵


第6章 パトロンの拡大

狩野永納が著した画人伝『本朝画史』の元信伝には「若くして貧す」とあるといいます。父・正信の晩年は病気などが理由で長く絵師としての活動ができなかったという話もあり、また時代的にも戦国時代の只中、元信は支持基盤を拡大するのに必死になっていたことが想像できます。

「細川澄元像」は現存する元信作品の中では最も初期の作品。有力な戦国武将をパトロンにするという狩野派の戦略もこの頃から始まっていたのかもしれません。澄元の姿がとても緻密に丁寧に描かれていますが、馬の独特の造形も印象的。ほかの展示作品にも類似の馬の表現が見られます。

狩野元信 「細川澄元像」(重要文化財)
室町時代・16世紀 永青文庫蔵 (※展示は10/9まで)

白鶴美術館の「四季花鳥図屏風」が複製だったり、元信真筆の「妙心寺霊雲院方丈障壁画」や元信周辺の画家説のある「洛中洛外図歴博甲本」といった重要な作品が出てなかったり、欲を言えば切りがないのですが、これだけ揃えば十分過ぎるかもしれません。いや、内容は期待以上でした。元信から桃山時代・江戸時代の近世絵画は幕を開けると言っても過言ではないと思いますし、そういう意味では大変意義深い展覧会だと思います。


【六本木開館10周年記念展 天下を治めた絵師 狩野元信】
2017年11月5日(日)まで
サントリー美術館にて


別太131 狩野派決定版 (別冊太陽―日本のこころ)別太131 狩野派決定版 (別冊太陽―日本のこころ)

2017/09/16

月岡芳年 月百姿

太田記念美術館で開催中の『月岡芳年 月百姿』を観てまいりました。

先月まで開催していた『月岡芳年 妖怪百物語』につづいて、月岡芳年の代表作「月百姿」シリーズの全点を公開するというファン待望の展覧会。わたしも全点観るのは初めてです。

「月百姿」は、月をテーマにした作品100点からなる摺物シリーズ。最晩年の47~54歳にかけて制作されたもので、『月岡芳年 妖怪百物語』で紹介されていた「和漢百物語」シリーズや「新形三十六怪撰」シリーズのようなダイナミックさや奇抜さは影を潜め、物語主体の表現や情緒的な描写が印象的です。

同じ月をテーマにしているといっても、さすが100点もあるとヴァリエーションも豊か。会場は、<美しき女たち>、<妖怪幽霊・神仏>、<勇ましき男たち>、<風雅・郷愁・悲哀>と4つのカテゴリーに分けて紹介されています。


まずは小野小町と紫式部という平安王朝を代表する女流歌人を描いた作品が興味深い。紫式部は石山寺の有名な場面で、『源氏物語』のイメージを膨らませているのか、ほおづえをついて月をぼんやりと眺めています。一方の小野小町は、深草少将の怨霊に取り憑かれた小町が老いて乞食になる能の『卒都婆小町』を描いたもの。かつて絶世の美人と謳われた姿からは想像もできない老婆となって月を見つめています。

月岡芳年 「月百姿 卒塔婆の月」
明治19年(1886)

月岡芳年 「月百姿 きぬたの月 夕霧」
明治23年(1890)

この日は山種美術館で『上村松園 -美人画の精華-』を観た足で伺ったのですが、松園の「砧」と同じ画題の作品がありました。松園の「砧」は夫の帰りを待ち立ちすくむ妻の姿を描いていますが、芳年の「砧」は夫の身を案じながら砧(洗濯した布を棒で叩いて皺をのばすための道具)を打つ場面そのものが描かれていて、そばには松園も最初は描くつもりだったという腰元の夕霧が静かに座っています。

ほかにも『上村松園 -美人画の精華-』に出品されていた作品(松園作品ではありませんが)と共通の画題では『平家物語』の小督を描いた「嵯峨野の月」、『源氏物語』の夕顔を描いた「源氏夕顔巻」が展示されているので、違いを観るのも面白いかも。

月岡芳年 「月百姿 名月や畳の上に松の影 其角」
明治18年(1885)

「名月や畳の上に松の影」は芭蕉の弟子・其角の俳句を描いた作品。月そのものは描かず、畳に映る松の影で月夜の風情を表現した風流な一枚です。抱一か其一かという感じの琳派風の屏風がまたいいですね。

月岡芳年 「月百姿 孤家月」
明治23年(1890)

妖怪や幽霊を描いた作品は、それまでの観る人を脅かすような恐怖を煽る演出はあまりなく、どちらかというと物語の一場面を切り抜き暗示的に描くなど、物語性の高さをより感じます。「孤家月」は“浅茅ヶ原の鬼婆”として知られる伝説を描いたもの。鬼婆を描いた芳年の作品というと、妊婦を逆さづりした恐ろしい「奥州安達が原ひとつ家の図」を思い浮かべますが、ここでは縄の先を描かず(縄には石が吊るされていて、石を落して人を殺そうとしている)、隙を窺う鬼婆だけを描いています。

月岡芳年 「月百姿 大物海上月 弁慶」
明治19年(1886)

「大物海上月 弁慶」は有名な「船弁慶」を描いた作品。芳年の「新形三十六怪撰」にも「大物之浦ニ霊平知盛海上に出現之図」という平知盛の亡霊に立ち向かう弁慶の姿を描いた作品がありますが、「月百姿」の「弁慶」は俄かに海が荒れ出し、この先を暗示しているかのよう。

月岡芳年 「月百姿 山城 小栗栖月」
明治19年(1886)

月岡芳年 「月百姿 雪後の暁月 小林平八郎」
明治22年(1889)

物語の脇役にスポットを当てている作品がいくつかあったのも興味深いところ。「山城 小栗栖月」は本能寺で織田信長を襲撃した明智光秀を討とうと竹やぶに身を潜める村人を描いたもの。「雪後の暁月 小林平八郎」は『忠臣蔵』の吉良上野介側の侍を描いたもの。表舞台には決して出ない人々を描くことで、“月”の寂しさや切なさを強調しているのかもしれません。

月岡芳年 「月百姿 名月や来て見よかしのひたい際 深見自休」
明治20年(1887)

深見自休は江戸の侠客。歌舞伎『助六』の髭ノ意休のモデルともいわれています。桜吹雪の中夜道を堂々と歩く大きな背中がかっこいい。着物の黒は一見無地に見えるのですが、ちょっと下から覗きこむと市松模様の正面摺りが施されているのが分かります。

月岡芳年 「月百姿 烟中月」
明治19年(1886)

火事と喧嘩は江戸の華。江戸火消を描いた「烟中月」もかっこいい。あえて纏持ちの動きを止めることで火災の激しさがより強調して見えます。

月岡芳年 「月百姿 あまの原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」
明治21年(1888)

美しく輝く月を見ながら、遠い故国の三笠の山にかかる月を思い浮かべる阿倍仲麻呂。何ともしみじみとした一枚ですね。シンプルなんだけど、仲麻呂の和歌とともに心に深く響きます。

月岡芳年 「月百姿 たのしみは夕顔だなのゆふ涼男はててら女はふたのして」
明治23年(1890)

久隅守景の「納涼図屏風」を思い出さずにはいられない一枚。直接描かれてはいませんが、妻は乳飲み子を抱いてるんでしょうか。夫はちょっとお酒でも入ってるのでしょうか。リラックスして楽しそう。観てるこちらにも夫婦の屈託のない会話や涼しい夜風が感じられるようです。

「盆の月」も面白い。天に昇っていくかのような構図。はっちゃけた盆踊りの雰囲気がとても伝わってきます。

月岡芳年 「月百姿 盆の月」
明治24年(1891)

ほかにも印象的な作品がいくつもあって、全部紹介しきれないほど。「月百姿」は芳年の展覧会では必ず並ぶぐらいの代表作ですが、全点揃うことはあまりありません。状態もとても良く、見応えがありました。月が照らし出す世界はみんな趣き深い。


【月岡芳年 月百姿】
2017年9月24日(日)まで
太田記念美術館にて


月岡芳年 月百姿月岡芳年 月百姿

2017/09/09

上村松園 -美人画の精華-

山種美術館で開催中の『上村松園 -美人画の精華-』を観てまいりました。
(※展示会場内の写真は特別に主催者の許可を得て撮影したものです)

先日、東京藝術大学大学美術館の『藝「大」コレクション』でたまたま上村松園の「草紙洗小町」を観たのですが、あまりに精緻な着物の文様や体の動きを捉えた線描の確かさに驚いたというか、松園は侮れないなと痛感したばかり。個人的にも松園をあらためて見直したいと思っていたところでした。

松園の作品を観る機会はよくありますし、美人画の展覧会に行けば必ず見かけますが、山種美術館でもここまで松園の作品が揃うのは約2年ぶり。山種美術館は初代館長の山﨑種二氏が上村松園と親しく交流していたそうで、そうした縁もあって松園作品が充実しています。

本展ではその松園コレクション18点全てが公開されているほか、浮世絵から現代日本画家の作品まで美人画ばかりがずらり。出品数は約90点(期間中一部展示替えあり)と見応えもあって、芸術の秋にピッタリな展覧会になっていました。


第1章 上村松園-香り高き珠玉の美

会場の最初には松園の代表作の一つ「蛍」。蚊帳に美人というのは美人画の定番なのか、浮世絵や、それこそ春画でも見ますし、全生庵の幽霊画コレクションにも「蚊帳の前の幽霊」という美しい幽霊の絵があったりします。そばに松園が参考にしたという歌麿の「雷雨と蚊帳の女」がパネルで紹介されていて、構図をうまく借用していることも分かります。松園は“蚊帳に美人=艶めかしい”というイメージではなく、「高尚にすらりと描いてみたいと思った」といいます。寝支度に蚊帳を吊る光景はどこか愛らしく、背伸びしたポーズや白い腕、蛍に目を向ける姿は艶めかしさとは違う自然体の色気を感じます。

[写真左] 上村松園 「蛍」 大正2年(1913) 山種美術館蔵

松園はほとんどモデルを使わず、主に古画の研究を通して美人画の表現を学んだそうです。簾越しの美人は松園が好んだスタイルですが、女性の立ち姿は歌麿や北斎など浮世絵の美人図を彷彿とさせます。どうすれば女性が美しく引き立つか。美人と簾という組み合わせは気品と色っぽさのバランスが絶妙な格好の素材だったのかもしれません。

着物の色や柄から髪型、小物に至るまで、女性ならではのこだわりが感じられるのも松園の美人画の魅力。着物の絞りや刺繍なども実際の染織の装飾技法を意識して描いているそうです。簪や笄とかちょっとしたところに金泥を引いていたり、「蛍」の着物柄は大正時代に流行ったアールヌーヴォー柄だったり、松園も描きながらオシャレを愉しんでいたのではないでしょうか。会場の一角には<松園好みの髪型>というパネルがあって、松園作品に見られる髷の種類についても紹介されていました。髪の毛の生え際や眉なんかも凄く丁寧に描いてますよね。

[写真左] 上村松園 「新蛍」 昭和4年(1929) 山種美術館蔵
[写真右] 上村松園 「夕べ」 昭和10年(1935) 山種美術館蔵

松園は表装にもこだわっていて、懇意にしていた京都の表具屋には表装に使用した裂地が今も残っているといいます。「娘」は針仕事をする女性の膝の上に松の文様をあしらった晴れ着が描かれているのですが、それに合わせて表装も松の文様だったり、「春芳」は本紙の上下に刺繍を施した辻が花風の裂を使っていたり、表具装を含めて一つの作品という感じがします。

[写真左から] 上村松園 「庭の雪」 昭和23年(1948)、上村松園 「娘」 昭和17年(1942)
上村松園 「詠哥」 昭和17年(1942) 山種美術館蔵

戦時下で世間は美人画どころでない中も、松園の作品は戦争の影を全く感じさせないのですが、実は微妙にモチーフが変わっているそうなんです。それまではひたすら女性の美の理想を追求していた松園も、戦時中は「娘」の針仕事のような、生活の中の女性を描くようになったといいます。

上村松園 「牡丹雪」 昭和19年(1944) 山種美術館蔵

松園の「牡丹雪」、大好きな作品です。余白を多くとり、灰色の空の広がりとふわりふわり舞い落ちる牡丹雪を見事に表現。真っ白に雪の積もった傘からはその重さが伝わってくるようです。


第2章 文学と歴史を彩った女性たち

ここでは神話や伝説、古典文学などに登場する女性を描いた作品を展観します。
こちらにも一点だけ松園。「砧」は文展出品の大作「草紙洗小町」の次に描いた作品。「草紙洗小町」と同じく能に取材したもので、夫を待ちわびる妻を「肖像のような又仏像のような気持で描いた」といいます。夫を想う妻の心情が滲み出てくるような深い表現性も素晴らしいのですが、細かに描き込んだ打掛や小袖も見どころです。

上村松園 「砧」 昭和13年(1938) 山種美術館蔵
(※本展ではこの作品のみ写真撮影可能です)

物語絵といえば、源氏絵。森村宜永の「夕顔」はやまと絵の表現でまとめた古風な一幅。童女が差し出す香を焚きしめた白い扇にはさりげなくユウガオの花も描かれています。金銀の切箔や砂子が散りばめられ、装飾性も高い。古径の「小督」と紫紅の「大原の奥」は『平家物語』。古径の「小督」は人物はやまと絵風なのですが、屋敷や庭の木は薄墨で微妙な風合いを出していて古径らしいなと感じます。

[写真左から] 森村宜永 「夕顔」 昭和40~63年(1965-88)頃
小林古径 「小督(双幅のうち左幅)」 明治34年(1901)頃
今村紫紅 「大原の奥」 明治42年(1909) 山種美術館蔵

[写真左] 松岡映丘 「斎宮の女御」 昭和4~7年(1929-32)頃 山種美術館蔵
[写真右] 森田曠平 「百萬」 昭和61年(1986) 山種美術館蔵

今回の展覧会は戦後の作品も結構多いのですが、そこはやはり山種美術館の御眼鏡に適った作品なので、やまと絵復興の松岡映丘のような画家の隣りに並んでも全く遜色ありません。森田曠平の作品が3点あって、「百萬」にしても「出雲阿国」にしても安田靫彦や前田青邨の流れを感じるものがあっていいなと思います。映丘の「斎宮の女御」は斎宮女御が白描なのですが、口に紅色を施し、よくよく観ると琴の糸は金で描いています。芸が細かい。

[写真左] 小山硬 「想」 昭和56年(1981) 山種美術館蔵
[写真右] 森田曠平 「出雲阿国」 昭和49年(1974) 山種美術館蔵

「天草シリーズ」で知られる小山硬の「想」は、キリシタン大名の大友宗麟の側室で後に妻となるジュリアを描いたもの。覚悟を決めたような表情が印象的です。背景には戦国大名の名が書かれた地図が描かれていて何やら意味深。解説を読むとなるほどと思います。


第3章 舞妓と芸妓

ここは全て戦後の作品。ほとんど明治生まれの日本画家なのですが、伝統とモダンさが同居した絵作りがチャレンジングだし、どれも魅力的です。舞妓や芸妓という同じ画題でもそれぞれの画家の味がよく出ていて、似た構図の作品を敢えて並べて展示してるからか、統一感があって面白い。

[写真左] 奥村土牛 「舞妓」 昭和29年(1954) 山種美術館蔵
[写真右] 三輪良平 「舞妓」 昭和49年(1974) 山種美術館蔵

橋本明治の作品が3点あって、とても惹かれました。橋本明治も美人画の展覧会ではよく見かけるものの、あまりよく知らなかったのですが、松岡映丘に師事していて、焼損した法隆寺金堂壁画の再現にも安田靭彦や前田青邨らと共に参加しているんですね。なのにこの肉太の輪郭線と独特の色彩感。キュビズムの影響もあるんでしょうか。

[写真左] 橋本明治 「舞」 昭和41年(1966) 山種美術館蔵
[写真右] 橋本明治 「月庭」 昭和34年(1959) 山種美術館蔵

[写真左] 片岡球子 「むすめ」 昭和49年(1974) 山種美術館蔵
[写真右] 橋本明治 「秋意」 昭和51年(1976) 山種美術館蔵


第4章 古今の美人-和装の粋・洋装の華

春信、清長、歌麿といった浮世絵の美人図が並ぶ中、ひときわ目を惹くのが月岡芳年の「風俗三十二相」。芳年の美人画の代表作で、「おもしろそう」とか「つめたそう」とか「いたそう」とか、みんな「◯◯そう」となっていてちょっとユーモラスなところも(前期・後期で展示替えがあります)。

“西の松園、東の清方”と称された鏑木清方は芳年の孫弟子。清方の作品も2点展示されていて、芳年に連なる美人画の系譜を観ることができます。

[写真左から] 鈴木春信 「柿の実とり」 明和4~5(1767-68)頃
鳥居清長 「社頭の見合」 天明4年(1784)頃
喜多川歌麿 「青楼七小町 鶴屋内 篠原」 寛政6~7年(1794-95)年頃
山種美術館蔵(いずれも展示は9/24まで)

[写真左から] 伊藤小坡 「虫売り」 昭和7年(1932)頃
小林古径 「河風」 大正4年(1915)
菱田春草 「桜下美人図」 明治27年(1894) 山種美術館蔵

春草の「桜下美人図」は春草にしては珍しい寛文美人風の風俗画。美校時代の作品とのことですが、同時期に描かれた徽宗画の模写や橋本雅邦を意識したような作品が『藝「大」コレクション』にも出ていて、この時期は古画や手本を参考にいろいろ吸収していたんだろうなと思います。

伊藤小坡の「虫売り」は後ろ姿なのでどんな美人か分かりませんが、その佇まいからもさぞかし美しい人なんだろうと思わせます。でもあの華奢な体で天秤棒を担ぐのは大変そう。池田輝方の「夕立」も素敵ですね。女性も美しいけど、男性も美しい。

池田輝方 「夕立」 大正5年(1916) 山種美術館蔵

奥の離れの小部屋には洋装や戦後の和装美人を描いた作品が展示されていたのですが、その中で印象的だったのが和田英作の「黄衣の少女」。ほの暗い照明の中にひときわ明るい色彩が目を惹きます。木暮美千代がモデルという伊東深水の「婦人像」も良い。確かに似ている。

和田英作 「黄衣の少女」 昭和6年(1931) 山種美術館蔵

美人画の展覧会というと、ちょっとパターンが決まったところがありますが、今回の展覧会は松園や清方や深水といった定番の美人画だけでなく、浮世絵や物語絵から現代日本画までバラエティに富んでいて見どころも多いですし、女性だけでなく広い層にお勧めできる展覧会だと思います。



山種美術館に行ったら、1階の≪Cafe 椿≫に寄らずにはいられません。展覧会に出品された作品をモチーフにした和菓子が毎回話題ですが、今回の『上村松園 -美人画の精華-』展の和菓子がまたいつも以上に手が込んでいて、味もヴィジュアルもどれも◎。


【企画展 上村松園 -美人画の精華-】
2017年10月22日(日)まで
山種美術館にて


もっと知りたい上村松園―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたい上村松園―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)