2011/02/13

シュルレアリスム展

六本木の国立新美術館で開催中の『シュルレアリスム展』に行ってきました。

シュルレアリスムとは何ぞや。まぁ、正直そう簡単ではないですよね。シュルレアリスムの絵は昔から好きで、高校の美術部にいた頃、シュルレアリスム“もどき”の絵を描いていたりもしましたが、そんな自分でも良く分かりません。

「シュルレアリスムは、それまでおろそかにされてきたある種の連想形式のすぐれた現実性や、夢の全能や、思考の無私無欲な活動などへの信頼に基礎をおく。他のあらゆる心のメカニズムを決定的に破産させ、人生の主要な諸問題の解決においてそれにとってかわることをめざす。」(『シュルレアリスム宣言』 アンドレ・ブルトン著/ 巖谷国士訳/岩波文庫)

ちょうど会場を入ってしばらくしたところに、 こんなテキストが壁一面に掲げられていました。余計分からなくなります(笑)

まぁ、要するに、現実(日常世界)と壁一枚隔てたところにある目に見えない世界、それは空想だったり、幻想だったり、眠ってる間に見る夢だったり、夢の啓示だったり、予感だったりするわけですが、そういう“超現実”とか“過剰な現実”から、新しい芸術、真実の美を発見し、試みようとしたものだと理解していますが、いかがでしょうか?

ダリ「不可視のライオン、馬、眠る女」

さて、今回の『シュルレアリスム展』には、フランスが誇る現代美術館“ポンピドー・センター”から、そんなシュルレアリスムなコレクションが多く貸し出されています。出版物などの資料も含めると約300点。 キリコ、マグリット、ミロ、ダリ、エルンスト、デルヴォー、タンギー、さらにはデュシャンやポロック、或いはブリュエルやルネ・クレールまで、ビッグ・ネームはだいたい網羅してるのではないでしょうか?

ミロ「シエスタ」

展示の流れてしては、1910年代の“ダダ”の登場に始まり、“シュルレアリスム宣言”が発せられた1924年から1930年代の全盛期、2度の世界大戦を経ての変遷、第二次世界大戦によるアメリカでのシュルレアリストたちの活動、そして戦後の変遷と時代的な流れを追っていて、アートしてのシュルレアリスムを総括的に紹介しているという感じでした。その中で、「自動記述」や「偏執狂的」「アンフォルメル」といったキーワードが登場し、そのテーマに添った展示がなされています。それぞれテーマごとに、シュルレアリスムを語った文献からの引用が訳つきで紹介されているのですが、その訳が前世紀的な直訳調の読みづらい訳のままで、難解なテーマを更に難解にさせていました。(せめてもっと分りやすく訳し直してくれればよかったのに…)

ブローネル「光る地虫」

ポンピドーセンターから大挙してやって来るということで、個人的には相当期待をしていたのですが、マルグリットは7点の出品があったものの、キリコは3点、ダリは2点と少々物足らない感じも。一方マッソンとブローネルは作品数が多く、それぞれ20点前後はあったのではないかと思います。貴重な作品をわざわざ貸してもらうのですから文句を言ってはいけませんが、目玉になるような著名な作品がなかったのは事実かもしれません。

マグリット「赤いモデル」

自分が出かけたのは、延長開館をしている金曜日の夕方ということもあり、それほど混んではいませんでしたが、結局閉館まで2時間半もいて、ちょっとぐったりしました。森や川があって、美しい女性がいて、静物があって…といういわゆる一般的な絵画と異なり、シュルレアリスムの絵って不可思議なモチーフや奇妙な模様の奥に潜む画家の内面や哲学、夢の啓示なんかを想像しないと分からないというか、何を伝えようとしているのか理解をしようと頭を働かせるので、思った以上に知力と精神力を消耗してしまうようです。まぁそこが面白いとこなんですが。

今回のお気に入りの一枚。なんともシュール(笑)

 
ブルーメンフェルド「仮面のセルフ・ポートレート」


【シュルレアリスム展―パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による―】
国立新美術館にて
5/9(月)まで

シュルレアリスムとは何か (ちくま学芸文庫)シュルレアリスムとは何か (ちくま学芸文庫)









シュルレアリスム―終わりなき革命 (中公新書)シュルレアリスム―終わりなき革命 (中公新書)









ダダ・シュルレアリスムの時代 (ちくま学芸文庫)ダダ・シュルレアリスムの時代 (ちくま学芸文庫)

2011/02/09

運慶 中世密教と鎌倉幕府

神奈川県立金沢文庫で開催中の『運慶 中世密教と鎌倉幕府』に行ってきました。

金沢文庫って、遠いですね(from 我が家)。学生時代、友人が住んでたので、よく遊びに来ましたが、久しぶりに来たら、よくこんな遠いところまで遊びに来てたもんだと思いました。

さて、金沢文庫でも博物館のほうの金沢文庫ですが、ここはかつて鎌倉時代に北条氏の一族の北条実時が収集した和漢の書や記録文書などを保管するために創設し、鎌倉武士に開放した書庫で、今でいう私設図書館のようなところでした。鎌倉幕府滅亡後は隣接する称名寺により管理され、昭和5年に県の施設として復興し、約20年程前からは歴史博物館として活動も行っているのだそうです。入口を入って一階のスペースには、金沢文庫の成り立ちや、鎌倉時代の武家や庶民の生活風景などを紹介したコーナーもあります。

『運慶展』はそのフロアの上の2階。とっても小さなスペースです。だからあまり大きな期待を寄せてくると、ガクっとくるかもしれません。実際、そういうことを話している老夫婦がそばにいました。

でも、量より中身、広さより濃さ!

運慶作 大日如来坐像(国宝) 奈良・円成寺所蔵

何がすごいって、すでに語られていることですが、運慶の真作で間違いない、またそうであると推定されている仏像は全国にわずか十数躯しかなく、そのうちの7躯がこの展覧会に出品されています。確かに狭い空間ですが、その密度の濃さといったら、窒息しそうなぐらいです。

運慶作 大日如来坐像(重文) 東京・真如苑所蔵
(展示期間 2月8日(火)~3月6日(日))

見ものはやはり、三躯が揃う大日如来像。国宝の円成寺の「大日如来坐像」は運慶の若かりし頃の作品ということで必見ですし、真如苑所蔵の「大日如来坐像」は数年前の海外流出騒動となった話題になったもので、昨年重要文化財に指定されたばかりの仏像です。もう一躯、光得寺の「大日如来坐像」は厨子に収められた小さな仏さまですが、大変細やかな造りで美しい仏像。ただ、写真のように厨子入りの状態でなく、仏像と厨子が別々に展示されていたのがちょっと残念な気がしました。

運慶作 厨子入大日如来坐像(重文) 栃木・光得寺所蔵

滝山寺の「帝釈天立像」は運慶と長子・湛慶の作と伝えられる仏像で、男性的で力強さが伝わってくる運慶の仏像と異なり、「これも運慶か」と思うような鮮やかで美しく、女性的な慈悲深さが印象的でした。

伝運慶・湛慶作 帝釈天立像(重文) 愛知・滝山寺所蔵

最後に登場する光明院の「大威徳明王坐像」は手のひらに乗るぐらいの小さな仏像で、あちこちが欠け、見るも無残な状態なのが甚だ残念なのですが、単眼鏡で覗くと、その精緻な造り、いかにも運慶らしい力強い表情に感動すること必至です(単眼鏡をお忘れなく)。これが破損のない完品だったらと思わずに入られません。

運慶作 大威徳明王坐像(重文) 神奈川・光明院所蔵

金沢文庫という都心からちょっと離れた場所での展覧会ですが、栃木や愛知といった、なかなか足を運べないような寺院からも運慶の仏像が来ていることを考えれば、これはまたとない画期的な仏像展だと思います。会期は3/6までですが、浄楽寺の「毘沙門天立像」と「不動明王立像」(ともに重文)は2/27までの展示ですのでご注意ください。


神奈川県立金沢文庫80年 特別展「運慶-中世密教と鎌倉幕府-」
神奈川県立金沢文庫にて
3/6(日)まで

2011/01/31

寿初春大歌舞伎

ちょっとアップが遅くなりましたが、先日「寿初春大歌舞伎」を観てきました。今月は昼の部。

まずは『御摂勧進帳』。
『御摂勧進帳』は自分は初めてなのですが、歌舞伎十八番の『勧進帳』より古く、同じ安宅の関を舞台にしているのですが、趣は『勧進帳』と全く異なります。義経一行かと疑われ、芝居を打って義経を先に行かせる。この辺は細かなところは違えど、まぁ筋はほぼ同じなのですが、その後、弁慶は大木に縛り付けられ、番卒にいじめられデカイ体でメソメソと泣いたりします。しかし義経らが遠くまで逃げ延びたと分ると、弁慶は本性を現し、怪力で縄を切り破り、番卒の首を次々と刎ねます。別名『芋洗い勧進帳』とも呼ばれるように、最後は大きな天水桶に切り落とした首を入れ、芋洗いのようにかき回すという、荒唐無稽で、ユーモアあふれる『勧進帳』です。弁慶役の橋之助が好演。この芝居にふさわしい大らかさが出ていて良かったと思います。

次は、『妹背山婦女庭訓』の『三笠山御殿』。
團十郎の鱶七に、福助のお三輪、芝雀の橘姫、みんな悪くはないんですが、お正月から観るには何とも重い芝居でした。お三輪を官女たちがいじめる場面では、あまりにネチネチしたしつこさに(最初から分って観ているわけですが)ほんと嫌になりました(笑)。嫌いな芝居ではないんですが、どっと疲れます。

最後は、『寿曽我対面』。
10月ぐらいだったでしょうか?三津五郎の襲名を記録したドキュメンタリー番組の再放送をNHKで放映していて、三津五郎が家の芸である曽我五郎に挑戦するところが映されていたのですが、再び三津五郎が『寿曽我対面』で曽我五郎演じるということで楽しみにしていました。三津五郎の一挙手一投足に芸の伝承というものをつくづくと感じたりしました。曽我十郎に梅玉、工藤祐経に吉右衛門、大磯の虎に芝雀と正月らしい華やかな一幕でした。

2010/12/19

十二月大歌舞伎

先日、十二月大歌舞伎を観て参りました。

今月の歌舞伎は日生劇場。
新しい歌舞伎座ができるまでは、基本的には新橋演舞場で歌舞伎を上演するという話でしたが、演舞場の都合が悪いと、こうしてあちこちの劇場にたらい回しされるという、身寄りのない子が親戚の家をあちこち行っては軒を借りるみたいで、少し寂しい気になります。

さて、今月は『摂州合邦辻』の通し。
五月の團菊祭で菊之助が主役の玉手御前を演じ、非常に評判がよかったと聞き、是非観たいと思っていた演目です。

河内の大名の後妻の玉手御前は、前妻の子で世継ぎの俊徳丸に恋していて、その思いを打ち明けるのですが、許婚のいる俊徳丸はその申し出をきっぱり断ります。しかし、俊徳丸は原因不明の病にかかり、家督を兄に譲ると言い残し、玉手から逃げるように出奔。玉手御前はまわりの意見も聞かず、俊徳丸のあとを追い、父・合邦道心の屋敷で俊徳丸と再会するが…というお話です。


要は、道ならぬ恋に何もかも捨て、誰の言葉にも耳を貸さず、相手に婚約者がいるのもかまわず、好きな男を我がものにしようと、激しく恋の焔を燃え上がらせる女の話なのです。病身の夫を気にすることもなく、玉手の暴走を止めようとする羽曳野と激しくやりあい、俊徳丸の許婚の浅香姫にも手を上げようとする。ここまでくると、最早ストーカーです。その恋の狂女を菊之助が熱演しています。真に迫る素晴らしい演技で、見ていてゾクゾクしました。我が身を捨て、恋に燃え、嫉妬に狂い、そんな女性の激情を菊之助があの年で演じられるというのはすごいと思います。

『摂州合邦辻』は普段は大詰にあたる「合邦庵室の場」だけが上演されますが、今回は通しということで、序幕で玉手御前が俊徳丸に愛を告白するところから観ることができます。「合邦庵室の場」では、俊徳丸への数々行為には実は“ある理由”があったと告白をするわけですが、「合邦庵」の一幕だけを観ていれば、確かに玉手の告白に納得し、彼女の忠義心を讃え、ああそうだったんだ感動のまま終わることもできると思います。しかし、序幕から通しで観ると、それまで恋に狂う玉手の姿を目にしているので、そう安々とは玉手の“告白”を信じるわけにもいかず、「そんな言い訳なんかして」とも思ってしまいます。確かに、玉手を恋に狂う女として描く方法と、忠義に厚い女性として描く方法と二通りの演出があるそうですが、菊之助の演技があまりにリアルだったので、玉手の言葉にも重みというか、説得力が出ていて、「果たして本当か?」と思えてしまい、最後は訳も分からぬまま、非常に複雑で、ミステリアスで、ドラマチックな狂言を観たような思いにさせられました。

玉手御前は女形でも難役の一つで、普通は、40代や50代になって演じるような大役。そんな大役を30代前半で、これだけ見事に演じてしまった菊之助ですが、彼が40代になったとき、50代になったとき、これからどんな玉手御前になっていくか、非常に期待を持たせる、そんな芝居でした。

2010/11/27

吉例顔見世大歌舞伎・昼の部

引き続き昼の部。

今月の昼は『天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)』の通し狂言です。

通常は悪漢坊主・河内山宗俊を主役にした『天衣紛上野初花 河内山』と、御家人くずれの片岡直次郎を主役にした『雪暮夜入谷畦道』として別々に上演されることの多い狂言ですが、今回は通しでの上演。

通しの場合は『河内山と直侍』と通称で呼ばれ、5年前にも国立劇場で上演されていますが、序幕の「湯島天神境内の場」から大詰めの「池の端河内山妾宅の場」まで全てを通しで上演するのは昭和60年以来! 通しといってもここまでの通しはなかなかお目にかかれないようです。

実は、昨年、歌舞伎座で『河内山』の「松江邸広間より玄関先まで」を観ていて、その前にも同じ幕をテレビで観ていますが、個人的にはちょっと退屈な部類に入る出し物でした。しかも今回は自分の苦手とする幸四郎。菊五郎と時蔵の直侍と三千歳見たさにチケットを取ったものの、一抹の不安を抱えながら、新橋演舞場へ向かいました。

一幕でかかる『河内山』は、出雲守・松江侯のもとで奉公している上州屋の一人娘・浪路が松江侯から妾になるよう迫られ、家に返してもらえないと知った江戸城のお数寄屋坊主(茶坊主)・河内山が、上野寛永寺の使僧と偽って松江屋敷に乗り込み、娘を取り返すというストーリー。今回は通しということで、その前後も語られるというわけです。

前の場面では、金の無心に質屋・上州屋を訪れた河内山が浪路の話を聞き、礼金200両と引き換えに娘を連れ戻すことを請け負います。次の幕で直次郎と恋仲の花魁・三千歳の挿話があって、その次が「松江邸」。そしてあとの場面では再び直次郎と三千歳の逢瀬が描かれ、そして最後の大詰を迎えます。やはり前後の幕があると、話の筋が全て繋がっていくので、まず背景が頭に入ってくるし、登場人物の役柄や人間関係も良く理解できて、とても分かりやすかったと思います。前回退屈でしょうがなかった「松江邸」も今回は非常に面白く感じました。

楽しみだった菊五郎と時蔵の直侍と三千歳も、やはり持ち役だけあり、観ていて安心。思ったとおり素晴らしかったです。「松江邸」では、松江出雲守の錦之助が出色で、独裁的で我がままな嫌な殿様を巧く演じていて、非常に良かったと思います。“ああいう殿様だから”というのが頭にあるので、まわりの彦三郎、錦吾、高麗蔵、そして梅枝も役が生きてきて、また河内山の登場も悪でありながらもヒーロー的な雰囲気が出て、リアルな「松江邸」になった気がします。上州屋の後家おまきの秀太郎や蕎麦屋での按摩丈賀の田之助、蕎麦屋の徳松といった周りの役者も傑作で、当初の不安や予想に反して(?)、非常に満足度の高い今月の歌舞伎でした。