2014/02/24

アルトナの幽閉者


新国立劇場でサルトルの『アルトナの幽閉者』を観てきました。

重い話で台詞量がハンパなくて3時間半でしかもサルトル! どっと疲れましたが、なかなか見応えのある芝居でした。

舞台は第二次世界大戦終戦から13年の時が経ったドイツ。自分の死期を悟った父は、いまやドイツ有数の企業に成長した造船会社を次男に委ねようとするのですが、次男の嫁の激しい抵抗に遭います。実は家の2階には死んだはずの長男が“幽閉”されていて、次男の嫁がパンドラの箱を開けたとき、13年保たれていた家族のバランスが崩れていきます。

長男フランツは狂気に囚われ、30世紀の法廷でドイツ人の戦争犯罪を「蟹たち」に向かって弁護するという妄想に取り憑かれています。舞台の進行とともに、彼を狂気に至らせた3つの事件(脱走したユダヤ人を匿った事件、前線での従軍体験、妹を強姦しようとしたアメリカ人への傷害事件)が語られ、フランツの心の傷の深さと、父や妹との複雑な関係が徐々に明らかにされます。

隣国との緊張関係、きな臭いナショナリズムの動き、そしてここにきて『アンネの日記』の破損事件・・・戦後ドイツと戦争責任を扱った芝居を意図あって今出してきた訳ではないと思うのですが、こんなときに観ると過去の戦争の暗部を描いた芝居が何か現代日本への皮肉のようにも思えてきます。

そんな重苦しく出口の見えない話ですが、その閉塞感もただ息苦しいだけに終わらず、悲劇が喜劇に思える瞬間さえあるのは今の時代の感性だからなのか、若い演出家や役者によるものだからなのか。ただそれが芝居に独特の面白味を与えていて、退屈させません。

時折挟まれるフラッシュバックの演出の巧さ。芝居のリズムを止めることなく、逆に芝居にリアリティとより一層の緊迫感を与えることに成功しています。そして充実した俳優陣。何より緩急自在に狂人を演じた岡本健一が素晴らしい。狂気の世界と現実の狭間で生きるフランツを、膨大な台詞に溺れることなく自分の言葉で表し、さらに生きることの辛さとその裏腹なおかしみまで表現した彼の圧倒的な表現力が、この芝居をここまで“見せる”ものにしたといっていいでしょう。

『アルトナの幽閉者』はある意味、父と子の愛憎劇でもあり、息子を愛しながらも長年避けてきたために、どう向き合えばいいのか苦しむ父を演じた辻萬長が安定した上手さを見せます。最初は高い声が耳について嫌だなと思った妹レニの吉本菜穗子も、気が付けばその芝居に引きこまれている自分がいました。弟の妻ヨハンナの美波も難しい役どころを的確に演じていたと思います。

日本でもいろんな問題が根深くあるように、ドイツでもアウシュビッツの元看守3人が拘束されたというニュースがつい先日流れていたりと、戦争から何十年も経っているにもかかわらず、いまだに多くの人が戦争と対峙しています。そうした問題をある家族の中に凝縮した芝居と言えるのかもしれません。幽閉されていたのは実はフランツだけでなく家族全員だったわけですが、幽閉から解放された先にあるものは何かを考えさせられる芝居でした。


劇作家サルトル劇作家サルトル

2014/02/08

野見山暁治展 いつかは会える

ニューオータニ美術館で開催中の『野見山暁治展 いつかは会える』に行ってきました。

現在94歳。いまも現役で活動を続ける日本を代表する画家・野見山暁治。本展は、2008年に開業した東京メトロ副都心線の明治神宮前駅に飾られているステンドグラス「いつかは会える」や、JR博多駅にある「海の向こうから」、同じく福岡空港国際線ターミナルの「そらの港」の3点のステンドグラス作品の原画をはじめ、ここ10年程の近作を中心とした展覧会です。

もうかれこれ10年ぐらい前に東京国立近代美術館で開催された『野見山暁治展』を観ているのですが、あのときでさえ既に齢80を越えていて、元気な方だなと感心していたのですが、それが今も変わらず精力的に作品を発表しつづけているのだから驚きです。

会場はステンドグラスの原画ごとに、≪いつかは会える≫,、≪海の向こうから≫、≪そらの港≫と章を分け、それそれの作品と同時期に描かれた作品を併せて展示しています。

明治神宮前駅のステンドグラスの「いつかは会える」を観たときは意外とポップな色調だなという印象を受けた記憶があるのですが、原画はステンドグラスと違って、くすんだ色というか、ローキーな感じ。ステンドグラスは光が入りますから、印象も変わってくるんでしょうね。原画の方が確かに野見山暁治らしい絵だなという気がします。

野見山暁治 「いつかは会える」(ステンドグラス原画)
2007年

野見山暁治がステンドグラスの原画を制作するようになったいきさつはよく知らないのですが、「いつかは会える」は初めてのステンドグラス作品だそうで、約1年半の歳月を要したといいます。そしてその後、博多駅や福岡空港のパブリックアートに携わるわけですが、考えてみるとそれぞれ、87歳、90歳、92歳のときに発表してるわけで、その衰えを知らぬ意欲というか挑戦力にはただただ脱帽です。

野見山暁治 「そらの港」(ステンドグラス原画)
2012年

だけどなんですね、2011年のブリヂストン美術館の展覧会を観に行かなかったものですから、野見山暁治の作品を展覧会でちゃんと観るのは10年ぶりぐらいなんですけど、その作品の変貌ぶりというか、進化というか、深化というか、そこが個人的には一番衝撃でした。

ググったら、数年前にこんなことを言ってました。「画面にひしめく形が掻き消え、痕跡さえ見当たらない空間、何かが充満した空白」を描きたいと最近は思ってると。まだまだ発展を続けそうな予感。

野見山暁治 「誰にも言うな」
2008年

展示されていた近年の作品群の中では、黒く塗りつぶされた手のひらのような形が威圧感を与える「誰にも言うな」や、青い波と白い波間のシンプルな「遠い海から」、ハート形を包むように幾重にも色がる線が印象的な「ずっとここに居る」、絵から強い意志が伝わってくるような「ぼくは信じない」あたりが印象的でした。

野見山暁治 「渋谷風景」
1938年

一番奥の部屋では、≪これまで見てきた景色≫と題し、戦前戦後の作品を中心に、野見山暁治のこれまでの足跡を振り返っています。16歳のときに描いた自画像や、美校時代のセザンヌ風の風景画、キュビズムに影響を受けていた頃の作品など15点ほどが展示されていました。たぶん以前、展覧会で観た作品もあるとは思うのですが、暗く重い色調の「骸骨」や「花と瓶」あたりが個人的には好きです。フランシス・ベーコンの立方体の枠線を思わせる作品もあり、ちょっと興味深かったです。

野見山暁治 「花と瓶」
1948年

出品数は36作品と少ないのですが、その内の半分以上がステンドグラス作品に携わる以降(つまり87歳以降!)の作品で、老いを全く感じさせないパワーに圧倒される展覧会でした。さらに研ぎ澄まされていく94歳の現役画家の“いま”が分かってとても面白かったです。

ところで、正式発表はまだないのですが、ニューオータニ美術館が閉館するとのウワサがありますが、この展覧会が最後になってしまうんでしょうか。それとも“いつかは会える”んでしょうか。気になるところです。

※その後、本展覧会をもって休館をすると正式に発表がありました。

2014/02/03

世紀の日本画 [前期]

≪日本美術の祭典≫三本目は東京都美術館で開催中の『世紀の日本画』へ。

こちらは前・後期に分け、全ての作品が入れ替わるとのこと。まずは前期展示を観てまいりました。

本展は、岡倉天心のもと、橋本雅邦、横山大観、下村観山、菱田春草らによって創設されたものの、その後解散状態にあった日本美術院が大正2年(1914年)に再興されてから100年を記念しての展覧会。

なので、日本美術院で活躍した画家や、過去に会員だったことのある画家に限られていて、“世紀の”と銘打っているからといって、近代日本画史に燦然と輝く傑作とかがズラリ並んでるというわけではありません。

とはいえ、そこは近代日本画の中心にあり、今もわが国最大の日本画の美術団体である日本美術院の記念展だけあって、出展されている作品は日本美術院の画家の代表作、名作ばかり。日本美術院の歴史はそのまま近代日本画の歴史でもあるのだとよく分かる展覧会です。


第1章 名作で辿る日本美術院の歩み

まずは最初の近代日本画家といわれる狩野芳崖の作品から。芳崖は日本美術院の創立には直接関わっていませんが、狩野派の伝統を基本としながらも日本画の新たな可能性を示し、岡倉天心とともに日本美術院の基礎を築いたと評価されているそうです。前期は晩年の代表作「不動明王」が、後期には芳崖の最高傑作「悲母観音」が展示されます。

狩野芳崖 「不動明王」(重要文化財)
明治20年(1887) 東京藝術大学蔵 (展示は2/25まで)

となりには橋本雅邦の代表作「白雲紅樹」。藝大美術館の所蔵作品展などで何度か拝見していますが、非常に大きな作品で、狩野派の伝統を基礎としながらも空間遠近法と彩色で奥行き感を出し、よく見ると岩の上に小さな猿が描かれていたり、ダイナミックな印象を与える構成になっています。

橋本雅邦 「白雲紅樹」(重要文化財)
明治23年(1890) 東京藝術大学蔵 (展示は2/25まで)

ほかに、菱田春草の「四季山水」、下村観山の代表作「弱法師」といった初期日本美術院を代表する画家の作品が並びます。土牛にしてはモダンな感じの「閑日」も素敵でした。

奥村土牛 「閑日」
昭和49年(1974) 東京国立近代美術館蔵 (展示は2/25まで)


第2章 院展再興の時代 大正期の名作

ここでは日本美術院が再興した大正時代の代表作を展示しています。何はさておき、やはり大観と観山で、大観は代表作の「遊刃有余地」、観山は『下村観山展』にも出ていた「白狐」と、岡倉天心を描いた絵の画稿(実際の作品は震災で焼失)が出品されています。西洋画から日本画に転向したあと、昭和初期まで日本美術院に在籍していた川端龍子の作品もあったのですが、これはこれで池の情景やカワセミの描写が素晴らしいのですが、この時代の代表作なら「慈悲光礼讃」も観たかったかなと。

川端龍子 「佳人好在」
大正14年(1925) 京都国立近代美術館蔵 (展示は2/25まで)

個人的にいいなぁと思ったのが、小杉未醒(小杉放菴)の「飲馬」で、西洋画のような装飾的な画風の中にも片ぼかしといった日本画の技法を用い、新しい日本画の方向性を探っているようなところがあり、とても面白く感じました。

小杉未醒 「飲馬」
大正3年(1914) 小杉放菴記念日光美術館蔵 (展示は2/25まで)

ほかに、安田靫彦の晩年の良寛を描いた「五号庵の春」、橋本平八の彫刻「猫」あたりが印象に残りました。


第3章 歴史をつなぐ、信仰を尊ぶ

フロアーを一つ上がり、まず登場するのが小林古径の「竹取物語」。まぁ、これは古径らしい絵巻で、女性ウケしそうな感じ。ほかにも安田靫彦の「卑弥呼」や平山郁夫の「祇園精舎」あたりが見どころでしょうか。

個人的に強いインパクトを受けたのが、漁村の教会の夜のミサを様子を描いた小山硬の「天草(礼拝)」で、力強く太い線描と、どこか民芸調の素朴だけれど深い信仰を感じさせる村人の表情が秀逸。「私はキリスト教ではないから教会へは行かないと言いながら夜の教会の片隅で祈りに参加している」老婆の祈りの姿が忘れられません。

安田靫彦 「卑弥呼」
昭和43年(1968) 滋賀県立近代美術館蔵 (展示は2/25まで)


第4章 花。鳥。そして命を見つめて

ここでは大観の「紅葉」に久しぶりに再会。色とりどりの紅葉の美しさと川の群青、ハッとする美しさです。ほかに、那波多目功一の「うすれ日」がとても印象的。小茂田青樹の「虫魚画鑑」も面白かったです。

横山大観 「紅葉」
昭和6年(1931) 島根・足立美術館蔵 (展示は2/9まで)


第5章 風景の中で

今村紫紅の「熱国之巻」は東京国立博物館で何度か拝見していますが、ここでは「朝」を前期、「夕」を後期に分けて半分ずつ展示とのこと。東南アジアの取材旅行をもとに描いた作品で、近代的な造形とゴーギャンのような明るい色彩に加え、金砂子を撒いたりとチャレンジングな面白さに溢れた傑作です。

今村紫紅 「熱国之巻 (熱国之朝)」(部分)(重要文化財)
大正3年(1914) 東京国立博物館蔵 (展示は2/25まで)

これもトーハクでよく観る古径の「阿弥陀堂」があったほか、これは初見ですが、速水御舟の「洛北修学院村」という初期の作品がありました。御舟の若い頃の作品は山種美術館でも観ていますが、「群青中毒だった」と後年自ら語っていたように、これでもかというぐらいの群青一色の色彩がとても美しいです。

速水御舟 「洛北修学院村」
大正7年(1918) 滋賀県近代美術館蔵 (展示は2/25まで)

ここでは、小松均のスケールの大きな水墨の作品「雪の最上川」に圧倒されました。自然の力強さを感じる骨太な水墨の表現はインパクト大。ほかに後藤純男の「淙想」も印象的でした。


第6章 幻想の世界

最後のフロアーでまず目に飛び込んでくるのが中村岳陵の「婉膩水韻」で、裸の女性が泳いでいる、いま観れば何でもない綺麗な作品ですが、発表当時は不埒な絵だと物議を醸したのだとか。まぁ、それは昔の話で、清涼な色合いや波紋が美しい優品です。

中村岳陵 「婉膩水韻」
昭和6(1931) 静岡県立美術館蔵 (展示は2/25まで)


第7章 人のすがた

上半身裸の少年のような姿がユニークな安田靫彦の「風神雷神」、ロマン的なタッチで殉教を描いた古径の「異端(踏絵)」、「女性は美醜ではなく、…白粉の奥にある真実を描きたい」と語る言葉が少々言い訳めいて聞こえなくもない御舟の「京の舞妓」といった、いい意味で印象的な作品が並びます。近年のものでは菊川多賀の「文楽」が素晴らしかったです。

その中で、一番良かったのが小倉遊亀の「径(こみち)」で、長いこと観たかった作品で初めて拝見しましたが、この『サザエさん』的な明るく、楽しく、ほのぼのとして、しかもモダンなタッチに見とれてしまいました。高度成長期の平和で家族の温かさに満ちた時代を象徴するような素敵な作品です。

小倉遊亀 「径」
昭和41年(1966) 東京藝術大学蔵 (展示は2/25まで)

“世紀の”という言葉に偽りはありませんが、“世紀の”という言葉から受ける期待ほどのものがあったかというと、ちょっと物足らなさも残ります。前後期に分けているからか、あまりボリューム感はなく、これは趣味が分かれるところですが、現代の日本画家の作品も多く、このあたりも満足度に影響していたかもしれません。また、院展に出品されたり、院展で高く評価された作品が恐らく中心なのかもしれませんが、代表作なら他にもいいのがあるだろうというものもあり、川合玉堂や寺崎広業、堅山南風といった日本美術院で活躍した著名な画家の作品がなかったのも気になりました。100年の歴史、活躍した画家に満遍なくスポットを当てて紹介するのはなかなか難しいのかもしれません。



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【日本芸術院再興100年 特別展 世紀の日本画】
前期: 2014年2月25日(火)まで
後期: 2014年3月1日(土)~2014年4月1日(火)
東京都美術館にて


月刊 美術 2014年2月号 [雑誌]月刊 美術 2014年2月号 [雑誌]


「朦朧」の時代: 大観、春草らと近代日本画の成立「朦朧」の時代: 大観、春草らと近代日本画の成立

2014/02/02

人間国宝展

『クリーブランド美術館展』につづき、おなじ東京国立博物館・平成館で開催中の『人間国宝展 生み出された美、伝えゆくわざ』を観てきました。

トーハクの平成館で開催される特別展は、平成館2階が会場になりますが、今回の展覧会は2階の会場を半分に分け、階段を上がって左手の第1・2室で『クリーブランド美術館展』、右手の第3・4室で『人間国宝展』が開かれています。

本展は、陶芸、染織、漆芸、金工、木竹工、人形などの重要無形文化財保持者(人間国宝)の内、物故者104名の工芸作品に加え、いにしえの時代から連綿と伝えられてきた国宝や重要文化財を含む約40点の古典的名品を併せて展示。一階で同時開催されている『人間国宝の現在(いま)』と合わせると、人間国宝に認定されている全ての方(刀剣研磨、手漉和紙を除く)の作品が観られるというからスゴイ。

訪れた日は平日だったのですが、『クリーブランド美術館展』は比較的空いていて、ゆとりで観ることができたのに対し、こちらの『人間国宝展』はとても賑わっていて、関心の高さがうかがえました。


第一章 古典への畏敬と挑戦

まずは国宝や重要文化財などの日本工芸史に残る傑作と、そうした伝統技術の継承と伝統の創出に挑む現代の工芸作家の作品を、<古に想う> <桃山の茶の湯> <江戸工芸の豊饒> <民芸から学ぶ> <中国陶磁への憧れ> <古典の名品> にパートを分けて展示。この章だけで出品作品の約半分強が紹介されています。

「志野茶碗 銘 広沢」 (重要文化財)
安土桃山~江戸時代・16~17世紀 大阪・湯木美術館蔵

ここでは、たとえば志野茶碗なら志野茶碗、備前なら備前で、過去の名工による古典的名品と人間国宝による現代の名品を並べて展示するという構成になっています。古典的名品は美術品としての美しさ、文化財としての貴重さはもちろん、完成された素晴らしさがあるのですが、現代の名工による作品がどれも何百年、何千年も前の作品と何一つ変わらず劣らず、伝統を確かに継承し、時に復活させ、創造していることに驚きました。

「片輪車蒔絵螺鈿手箱」 (国宝)
平安時代・12世紀 東京国立博物館蔵

それにしても古(いにしえ)の工芸品のレベルの高さ。正倉院御物や奈良時代に途絶え幻になった織物などがありましたが、現代の技術をもってしても復活させることが困難だったり、やっとのことで創り出せたものが千年以上も昔に現実に存在していたわけで、それを考えるとやはり日本は古代から“ものづくり”の国なのだなと思います。一方で、復活できない技術、失われた技術もあるはずで、そうした伝統が途絶えていくことの悲しさもあらためて痛感しました。


第二章 現代を生きる工芸を目指して

備前焼や有田焼、青磁、友禅、蒔絵、彫金、木工芸、桐塑人形など日本の伝統工芸を、ただ伝統の引き継ぐだけでなく、そこに時代の表現を取り入れた作品を紹介しています。

高橋敬典 「八方面取姥口釜」
昭和61年(1986) 東京国立博物館蔵

新奇な物とか、奇を衒った物とかではなく、あくまでも伝統的な工芸品の枠から外れることなく、デザインや表現、素材といったところで現代性を出そうという現代の職人たちの努力とセンスが光ります。

平田郷陽 「抱擁」
昭和41年(1966) 個人蔵

個人的に面白いなと感じたのが高橋敬典の「八方面取姥口釜」で、なんとも形容しがたい形状の釜ですが、色合いや風合いといい、姿といい、とても日本的で、古くて新しい感じがします。平田郷陽も実家に写真集があったのでよく知ってはいましたが、こうして実物を観ると、その質感、丁寧な表現力に感心しきりです。ほかに、市橋とし子の桐塑人形や山田貢の友禅、宗廣力三の絣着物なども強く印象に残りました。


第三章 広がる伝統の可能性

ここではさらに個性や創作性など、伝統の概念を覆す造形的な作品を紹介。伝統工芸は何も古い伝統や型に縛られた物ばかりではないのです。

佐々木象堂 「三禽」
昭和35年(1960) 東京国立近代美術館

生野祥雲齋のダイナミックな竹華器、徳田八十吉の久谷の耀彩壺、佐々木象堂のプリミティブな青銅の置物など、ユニークな作品が並びます。

人間国宝たちの作品を観ていて、中村勘三郎の「型があるから“型破り”、型がないのは“カタナシ”」という言葉を思い浮かべました。伝統をしっかり受け継ぎ、基礎があり、その精神を大切にしているからこその新たな表現なのだと作品を観ていてつくづく感じます。

生野祥雲齋 「怒濤」
昭和31年(1956) 東京国立近代美術館蔵

人間国宝による伝統工芸品というと、古くさい、退屈な、というイメージがあったのですが、そうした固定観念がガラリと覆される非常に勉強になる展覧会でした。多くの作品が国立博物館などの所蔵品になっていて、将来その技術や美しさがさらに評価され、こうした作品の中から新たな国宝や重要文化財も生まれるのでしょう。

同じ平成館一階の企画展示室では『人間国宝の現在(いま)』と題した特集陳列が同時公開されています。『人間国宝展』は物故者が中心なのに対し、こちらでは現在も活躍する重要無形文化財保持者53人の作品を展示しています。

桂盛仁 「森閑」
平成10年(1998) 文化庁蔵

『人間国宝展』は伝統技術の頂点、技巧の極みの見本市といった感じで、どの作品一つとっても非の打ちどころがなく、観ていてお腹いっぱいになります。しかも、二階半分ってこんなに広かったっけ?と思うくらいの物量です。一階の現役人間国宝の企画展示と合わせ、いっそのこと二階のフロアー全てを使って開催してくれてもよかったのではないかとも思いました。写真で観るのと実物を観るのは大違い。行かなきゃ損するレベルのオススメの展覧会です。


【日本伝統工芸展60回記念 人間国宝展―生み出された美、伝えゆくわざ― 】
2014年2月23日(日)まで
東京国立博物館にて


季刊炎芸術 117号季刊炎芸術 117号


人間国宝事典 工芸技術編人間国宝事典 工芸技術編

クリーブランド美術館展

東京国立博物館で開催中の『クリーブランド美術館展 名画でたどる日本の美』に行ってきました。

いま、上野では≪日本美術の祭典≫と題し、東京国立博物館と東京都美術館のコラボレーションで日本美術に関する三つの美術展が開催されています。

もう少し早く来たかったのですが、なかなか忙しく、2月は2月で予定があったり、他の美術展も始まるしで、平日に有休を取って、3つの展覧会を一日で回ってまいりました。

で、トーハクの『クリーブランド美術館展』から。

クリーブランド美術館はオハイオ州のクリーブランドにある美術館で、同じアメリカのボストン美術館やメトロポリタン美術館に匹敵する充実した日本美術コレクションを誇るともいわれています。

本展では、平安から室町、江戸時代に至るまでの約40点のクリーブランド美術館所蔵の日本美術に加え、特別出品として中国絵画や近代西洋画も紹介されています。


神・仏・人

会場に入ると、いきなり俵屋宗達の工房による「雷神図屏風」がドーンとお待ちかね。宗達の「風神雷神図屏風」を彷彿とさせる野性味ある雷神です。恐らく本来は風神を描いた屏風もあったのでしょう。そう考えると、宗達の屏風との関連性も気になります。両隻揃っていたら、さぞかし見応えがあったでしょうね。

伊年・印 「雷神図屏風」
江戸時代・17世紀

つづいては仏画。「文殊菩薩及び眷属像」、「地蔵菩薩像」、「仁王経曼荼羅」あたりは状態の良さや繊細な線描の美しさなどなかなかの逸品です。「二河白道図」は鎌倉時代の貴重な現存例の一つとのこと。トーハク本館でも同時代の「二河白道図」(重要文化財)が展示(2/9まで)されています。両者に大きな違いはありませんが、クリーブランド本の方が状態は良く、制作はトーハク本の方が古いようです。(トーハクの「二河白道図」はこちらをご参照ください)

「二河白道図」
鎌倉時代・13~14世紀

絵巻が2点。「福富草紙絵巻」は放屁合戦で有名な爆笑絵巻。福富の妻の恐妻家ぶりもパネルで紹介されていて思わず笑ってしまいました。もうひとつの「融通念仏縁起絵巻」は鎌倉時代の絵巻の正統的な描法で描かれているとのこと。展示は下巻のみで、同絵巻の上巻はシカゴ美術館にあるそうです。「融通念仏縁起絵巻」も同題の絵巻がトーハク本館に参考展示(2/9まで)されていて、北白河の下僧の妻が死んで閻魔庁に連行される場面は両者で異なるのですが、名主の家に異形の疫神が集まる場面はほぼ同じでした。

「福富草子絵巻」(部分)
室町時代・15世紀

ほかに、岩佐又兵衛の晩年の作品とされる「琴棋書画図」は又兵衛らしい風俗描写が秀逸。河鍋暁斎の「地獄太夫図」は太夫の妖艶な美しさもさることながら、地獄変相図を描いたといいつつも地獄に見えない華やかな着物が一見の価値ありです。

河鍋暁斎 「地獄太夫図」
明治時代・19世紀

凛とした美しさが印象的な「霊昭女図」、宮川長春の肉筆浮世絵「遊宴図」、室内で踊る男女を障子に映る影で表現した山本梅逸の「群舞図」、背が七尺五寸(約227cm)あったという熊本藩お抱え力士を描いた渡辺華山の「大空武左衛門像」など、見どころの多い作品が並びます。

春屋宗園・賛 「霊昭女図」
室町時代・16世紀


花鳥風月

ここでまず面白かったのが没倫紹等の作と伝わる「南瓜図」。蟻のような、ラスコーの洞窟壁画の人間のような、不思議な生物がカボチャを引っ張るという図で、巨石を引く儀礼や祭礼を戯画化したものではないかと解説にありました。没倫紹等というと一休和尚の弟子で、一休さんの肖像画の作者としても知られる禅僧ですが、これも何か禅画的な意味があるのでしょうか。気になるところです。

伝没倫紹等 「南瓜図」
室町時代・15世紀

ここでは、右隻を狩野松栄、左隻を狩野光信が手がけたのではないかとされる「四季花鳥図屏風」、なんとなく等伯の「松林図屏風」への対抗意識が見えなくもない伝・海北友松の「松に椿・竹に朝顔図屏風」、雪村の「龍虎図屏風」となかなかの傑作が揃っていました。雪村は同題の屏風が根津美術館にもあり、龍虎の描写は両者酷似していますが、背景はクリーブランド本の方が余計なものがそぎ落とされ風の勢いを感じさせます。

雪村 「龍虎図屛風」
室町時代・16世紀

興味深かったのが、作者不詳の「厩図屏風」と「薄図屏風」の二つの室町時代の屏風。「厩図屏風」はトーハク所蔵の「厩図屏風」(重文)より古い作品とのことで、できれば比較して観たかったなと思いました。「薄図屏風」はそのシンプルさといい、装飾性といい、この時代にこんな洗練されたミニマルな屏風があったのかと驚きます。

「薄図屏風」
室町時代・16世紀


物語世界

ここでは『伊勢物語』など物語の一場面を絵画化した作品を展示。渡辺始興の「燕子花図屛風」は、師・尾形光琳の同題屏風のオマージュな訳ですが、花や葉に白い模様や線を入れたり、風の揺れを表現したりと、他によくある模倣作品と違い、独自のオリジナリティを出そうとしているところがあって個人的には好感を持ちました。

渡辺始興 「燕子花図屛風」
江戸時代・18世紀

同じく『伊勢物語』の一場面を描いた深江蘆舟の「蔦の細道図屛風」もこの機会にぜひ観たい作品。蘆舟は始興と同じく光琳に師事した琳派の絵師で、本図とほぼ同じ構図の作品がトーハクに所蔵されていて、こちらも本館で展示(2/23まで)されています。

深江蘆舟 「蔦の細道図屛風」
江戸時代・18世紀


山水

途中≪近代西洋の人と自然≫という近代西洋画の展示コーナーを挟み、最後は山水画。まず最初に登場するのが中国絵画で、特に南宋院体画を代表する馬遠の「松渓観鹿図」が絶品。ダイナミックな雨の描写が素晴らしい明の呂文英の「江村風雨図」も見ものです。

伝・天章周文 「春冬山水図屛風」
室町時代・15世紀

ほかにも、周文と伝わる「春冬山水図屏風」や相阿弥の「山水図」、蕭白の相変わらず濃厚かつ細密な「蘭亭曲水図」、上が金地、下が銀地の屏風に連山を描いた呉春の「青天七十二芙蓉図」、また作者不詳の「琴棋書画図屏風」(狩野派か?)など非常にレベルの高い作品が多く、ため息ものでした。

曽我蕭白 「蘭亭曲水図」
江戸時代・安永6年(1777)

平成館の特別展会場の半分のスペースということもあり、作品数は決して多くなく、またなぜか西洋画があったりと、少しまとまりに欠ける感もなきにしもあらずですが、そこはやはりアメリカ屈指の日本美術の宝庫だけあり、傑作・優品が揃って素晴らしいものがあります。アメリカに行ってもなかなか不便な場所にあるクリーブランドからこうして貴重な作品が来日してるので、日本美術ファンなら見逃したくはない展覧会だと思います。


【クリーブランド美術館展 名画でたどる日本の美】
2014年2月23日(日)まで
東京国立博物館にて


一生に一度は見たい日本美術 (別冊宝島 2119)一生に一度は見たい日本美術 (別冊宝島 2119)