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2017/05/13

快慶展

奈良国立博物館で開催中の『快慶 日本人を魅了した仏のかたち』を観てまいりました。

GWに行ったのですが、平日だったので、夜間開館の日だったら少しはゆっくりできたんでしょうけど、スケジュールはツメツメ。朝一で西宮で『勝部如春斎展』を観て、天王寺で『木×仏像』を観て、奈良に着いたのが14時(お昼も電車の中。笑)。まず先に興福寺の『阿修羅 - 天平乾漆群像展』と奈良博の“なら仏像館”へ。

『阿修羅 - 天平乾漆群像展』では東博や興福寺国宝館の展示と違い、アイドル化されてしまった「阿修羅像」が本来の位置におさまり、やっと落ち着いて観ることができたなという感じがします。こうして観ると、あくまでも八部衆の一つであることも実感。また、本尊「阿弥陀如来像」や「四天王像」など鎌倉彫刻の存在感が強いことにも気づきます。「四天王像」は先に観た『木×仏像』や『快慶展』の「四天王立像」とのつながりも興味深いところです。

そして『快慶展』に入ったのがちょうど15時。当然のことながらこれだけの快慶仏を観たのは初めて。現在確認されている快慶仏の内、8割以上の37点(一部展示替えあり)が出品されています。ほかにも断定されていないものの快慶の可能性が高い仏像も多くあり、快慶の弟子や慶派仏師の仏像も含めると展示品の3/4が仏像。端正な仏像がずらり並ぶ様は壮観です。正直ここまで濃い内容だとは思っていませんでした。

展覧会の内容も、快慶仏の時代毎の特徴や、運慶や重源との関係、弟子への継承など多角的に捉えていて、大変興味深く、また素晴らしいものでした。絵画的ともいわれる快慶仏の美しさ、繊細さ、力強さにただただ見惚れるばかり。たっぷり2時間、ただただ至福のひとときでした。


第1章 後白河院との出会い

会場に入ると、京都・金剛院の「金剛力士立像(阿形・吽形)」がお出迎え。快慶仏と決定付けるものはないようですが、寺伝では快慶の作とされているそうです。誇張された筋骨隆々の上半身はいかにも快慶的。

まずは無位時代といわれる初期の快慶仏から。醍醐寺の「弥勒菩薩坐像」とボストン美術館蔵の「弥勒菩薩坐像」が向かい合わせに置かれ、その美しさにいきなり呆然となります。醍醐寺の「弥勒菩薩坐像」は醍醐寺に行ったときに拝見していますが、お堂の中で間近で観られなかったこともあり、ここまで美しいお姿とは知りませんでした。装飾的な宝冠や光背も素晴らしい。金泥塗による仏像の金色表現としては最初期のものといいます。

快慶 「弥勒菩薩坐像」 (重要文化財)
鎌倉時代・建久3年(1192) 醍醐寺蔵

ボストン美術館の「弥勒菩薩坐像」は興福寺伝来の仏像で、岡倉天心の手に渡り、天心の死後、アメリカへ流出したもの。こちらは金泥塗りではなく漆箔(漆を塗った上に金箔を貼ったもの)で、いまも全身がきれいな金色に輝いてます。肉体表現は瑞々しく、照明のせいか瞳がうるんで見えました。

快慶 「弥勒菩薩立像」
鎌倉時代・文治5年(1189) ボストン美術館蔵

泉涌寺塔頭・悲田院の「阿弥陀如来坐像」は金泥塗に精緻な截金文様も美しく、穏やかな表情が印象的。快慶の出自は不明ですが、法性寺の住僧だったという説があるそうで、現在の泉涌寺の土地の一部はかつて法性寺の寺域だったことから、快慶の歩みを探る上でも貴重な仏像という話です。

金剛院の「執金剛神立像」と「深沙大将立像」は会場入口の「金剛力士立像」と違い、墨書銘から快慶作と判明しているもの。ただ、古典の彫像に倣ったものだそうで、「金剛力士立像」のような肉体の極端な誇張はありません。とはいえ「深沙大将立像」の写実的表現は素晴らしく、迫力のある形相もインパクト大。膝頭には深沙大将の特徴である象の頭が付いています。

「千手観音坐像」 (重要文化財)
鎌倉時代・12~13世紀 清水寺蔵

清水寺奥院の秘仏「千手観音坐像」は2003年に243年ぶりに公開され話題となった仏像。正面と左右に合わせて3つの顔があることから「三面千手観音」とも呼ばれます。これも快慶の名を記すものはないのですが、その像容から快慶の作風が強く認められ、また一門の複数の仏師の関与が想定されるそうです。光背には三十三応現身を配し、端正な佇まいはただ美しいというよりも、神聖なオーラが漂っています。


第2章 飛躍の舞台へ -東大寺再興-

快慶は、平家の兵火により焼失した東大寺の復興に慶派仏師の一人として参加します。最初に展示されているのが快慶の抜擢に深く関係しているといわれる重源の坐像。東大寺の国宝「重源上人坐像」ではなく、それを忠実に模した兵庫・浄土寺に伝来する像ですが、再現性は極めて高く、そしてリアル。

同じく浄土寺の「阿弥陀如来立像」は像高2.3mあり(もっとあるように見えたけど)、今回の展覧会の中では最大の仏像。その昔は“お練り供養”といい、この大きな阿弥陀様を台車に載せて練り歩いたのだとか。浄土寺は重源が建立した寺で、快慶作の国宝「阿弥陀三尊像」(本展には出品されてません)があることでも有名です。

快慶 「孔雀明王坐像」 (重要文化財)
鎌倉時代・正治2年(1200) 金剛峯寺蔵 (展示は5/7まで)

「孔雀明王坐像」は金剛峯寺孔雀堂の本尊。数年前にサントリー美術館で開催された『高野山の名宝展』にも出品されていました。孔雀に乗ったそのお姿や孔雀の羽を象った光背などその特徴のある像容は一度見たら忘れられません。「四天王立像」は『高野山の名宝展』では4躯とも出品されていましたが、本展では「広目天像」(快慶作)と「多聞天像」のみ。“大仏殿様四天王像”とされる四天王像の中では最古とされ、再建時の東大寺大仏殿に安置された四天王像の雛型ともいわれます。ちなみに大仏殿の四天王像の像高は金剛峯寺の「四天王立像」の約10倍というので13mぐらいあったのでしょう。『木×仏像』に展示されていた天王寺の「四天王立像」や『阿修羅 - 天平乾漆群像展』で観た「四天王像」もこの“大仏殿様四天王像”のひとつ。

同じく金剛峯寺の「深沙大将像」のワイルドな肉体感も素晴らしい。金剛院の「深沙大将像」とは違い、躍動感のある造形の中にも快慶独特の形式美を感じます。引き締まった筋肉はボディビルダーのよう。こちらも膝頭に象の顔が付いているほか、お腹には人面が浮き上がっています。

快慶 「四天王立像のうち広目天」 (重要文化財)
鎌倉時代・12世紀 金剛峯寺蔵

「僧形八幡神坐像」は快慶の無位時代の代表的作例。光背や手にした錫杖、また彩色も当初のままといいます。衣文線や衣の皺の表現がとても自然で、彩色も絵画的。まるで本物の布地を羽織っているかのようでした。快慶の写実的表現の極みという感じがします。

快慶 「僧形八幡神坐像」 (国宝)
鎌倉時代・建仁元年(1201) 東大寺蔵

東大寺の「地蔵菩薩立像」も衣文の表現が素晴らしい。肩から斜めに着た法衣の上に袈裟をかけたスタイルで、衣の模様も非常に丁寧かつ細密。眉目秀麗な顔立ちも美しい。「地蔵菩薩立像」の襞のラインが非常に自然なのに対し、東大寺の「阿弥陀如来立像」はきれいに左右対称の流麗な線が印象的。目元も涼しげで、快慶らしい形式美を強く感じる仏像です。

快慶 「阿弥陀如来坐像」 (重要文化財)
鎌倉時代・建仁3年(1203)  東大寺蔵


第3章 東国への進出

関東にもいくつか作例が知られる運慶と違い、関東近辺で確認されている快慶仏は僅か2件だけといいます。広島・耕三寺の「阿弥陀如来坐像」は元は伊豆山に伝来したものとか。高い宝髻や面相が運慶の「大日如来坐像」(真如苑)を彷彿とさせ、一瞬大日如来かと思ってしまいました。手も阿弥陀定印ではなく、法界定印を結んでいます。快慶の「大日如来坐像」も2躯展示されていて、肩からかけた衣の表現、少し開けた眼の表現がそれぞれ酷似しています。

快慶 「阿弥陀如来坐像」 (重要文化財)
鎌倉時代・建仁元年(1201) 耕三寺蔵


第4章 勧進のかたち -結縁合力に拠る造像-

ここでは4躯の阿弥陀如来立像があって、その内、京都・遣迎院と大阪・八葉蓮華寺は快慶作。どちらもスラリとした美しい姿形ですが、八葉蓮華寺の方が丸顔。知恩院の「阿弥陀如来立像」は遣迎院のものに似て、精緻な截金の装飾も素晴らしい。断定はされていないけど、これも快慶仏と見るのが濃厚なようです。京都・浄土宗蔵の「阿弥陀如来立像」は顔の感じが少し異なり、ちょっと男前。浄土宗の開祖・法然の一周忌に造像されたものと推測され、快慶の弟子・行快とする説が有力とのこと。

快慶 「阿弥陀如来立像」 (重要文化財)
鎌倉時代・建久5年(1194)頃 遣迎院蔵


第5章 御願を担う -朝廷・門跡寺院の造像-

「不動明王座像」がこの章と次の章で3躯あって、二つは快慶作、一つは断定されていないものの恐らく快慶仏だろうとのこと。醍醐寺と正壽院の「不動明王坐像」は初期の作例。メトロポリタン美術館蔵の「不動明王坐像」は青蓮院旧蔵とされ、晩年の作だろうとありました。いずれも目をキッと見開き、口をグワッとかみしめた表情が共通。醍醐寺の面相は忿怒というにはちょっとかわいい感じもするのですが、青蓮院旧蔵の方はさすがに表現も上という気がします。筋肉もより引き締まり、姿形は洗練されています。青蓮院の快慶作・兜跋毘沙門天も凛々しいお姿。

快慶 「不動明王坐像」 (重要文化財)
鎌倉時代・建仁3年(1203) 醍醐寺蔵

感動したのはメトロポリタン美術館蔵の「地蔵菩薩立像」。その気品を兼ね備えた瑞々しく優美な表現に、しばし目が釘付けになりました。像高50cmほどの比較的小さな仏像ですが、着衣の文様と彩色は極めて丁寧で、美仏といっていい傑作だと思います。

快慶 「地蔵菩薩立像」
鎌倉時代・12~13世紀 メトロポリタン美術館蔵


第6章 霊像の再生 -長谷寺本尊再興-

奈良・長谷寺の現在の本尊・十一面観世音菩薩立像は室町時代の制作ですが、鎌倉時代初期に快慶が造像したもの(火災で焼失)をもとにしているといいます。昨年、長谷寺に行った際に拝見しましたが、像高10mを超える大変大きな仏像で、国宝・重文指定の木造の仏像では最大なんだそうです。快慶の弟子・長快による「十一面観音立像」は、その長谷寺の十一面観音立像を模したといわれる作品。長谷寺の十一面観音立像がお堂の構造上、足元から見上げる方法でしか見られず、その全貌を目にすることができないので、かつての快慶の十一面観音立像を想像させるに十分のものがあります。

長快 「十一面観音立像」 (重要文化財)
鎌倉時代・13世紀 パラミタミュージアム蔵


第7章 安阿弥様の追求

最後のコーナーは、快慶仏で最も多く残る阿弥陀如来立像の変遷をまとめています。快慶は自らを安阿弥陀仏と称していたことから、快慶の阿弥陀如来立像は“安阿弥様(あんなみよう)”と呼ばれます。像高3尺(約90cm)前後、来迎印を結ぶものが多いのも特徴。比較的早い時期の作例から晩年の作例まで揃い、初期、中期、後期で像容の変化も割と分かりやすいようです。

快慶 「阿弥陀如来立像」 (重要文化財)
鎌倉時代・建仁3年(1203) 西方寺蔵

年代を知る上で一番特徴的なのは着衣の衣文線で、初期のものは襟はV字でたるみがないのですが、だんだんと右胸下にたるみが現れ、晩年のものになると左右両方にたるみが作られます。この章には7躯の阿弥陀如来像(快慶6躯、行快1躯)がありますが、解説を見たあとにまた最初の章に戻って安阿弥様の快慶仏を観直すことで、初期の端正な造形とシンプルで均整のとれた美しい衣文の表現から、晩年の深みを増した面相や複雑で写実的な肉体や衣文の表現へ、快慶が阿弥陀如来像の理想形を追求している様子がより実感できます。こうして見ると、正に快慶のライフワークといった感じです。

快慶 「阿弥陀如来立像」 (重要文化財)
鎌倉時代・嘉禄3年(1227)頃 極楽寺蔵

春に奈良で『快慶展』、秋に東京で『運慶展』と聞いたときは、なんで一度にやってくれないの~と思いましたが、一緒にやっていたら大混雑必至だったでしょうし、さすがにいっぺんに観るのは大変ですから、分けて正解だったかもしれないですね。もうここまで快慶仏が集まる展覧会なんて開催されないでしょうし、たぶん今後数十年語り継がれるレベルの展覧会だと思います。

第二会場(?)もありますよ!


  
『快慶展』と興福寺の『阿修羅 - 天平乾漆群像展』を見たら、スタンプラリーも忘れずに。あとは秋の運慶展。


【快慶 日本人を魅了した仏のかたち】
2017年6月4日(日)まで
奈良国立博物館にて


ペンでなぞるだけ写仏 一日一仏 心を整え、運を磨く。ペンでなぞるだけ写仏 一日一仏 心を整え、運を磨く。


心やすらぐ 国宝仏像なぞり描き心やすらぐ 国宝仏像なぞり描き

2016/05/14

国宝 信貴山縁起絵巻

奈良国立博物館で開催中の『国宝 信貴山縁起絵巻 朝護孫子寺と毘沙門天信仰の至宝』展を観てまいりました。

「信貴山縁起絵巻」は平安後期に制作され、奈良・信貴山中興の祖、命蓮上人の奇跡譚を描いた3巻物の絵巻。「源氏物語絵巻」「伴大納言絵巻」「鳥獣人物戯画」と並ぶ日本四大絵巻のひとつで、その中でも最も早く成立したといわれています。

3巻全てが一度に公開されるのは史上初。先日五島美術館で「源氏物語絵巻」のギャラリートークを拝聴した時に学芸員の方もおっしゃってましたが、専門家でも全巻を一気に観る機会はまずないとのことなので、これはほんと凄いことなのです。

ちょうど伺った日はゴールデンウィーク中の平日で、入口には絵巻を最前列で観るのに10分待ちと案内板が出ていたのですが、館内は割と空いていてほとんど待つことなく観られました。列もゆとりがあって、じっくり鑑賞。土日は絵巻を最前列で観るのに結構並んでいる時間帯もあるようなので、行かれる方は要注意ですね。


第1章 「信貴山縁起絵巻」の世界

絵巻は、命蓮が法力で投げた托鉢の鉢が長者の米倉をのせて信貴山まで飛んで行ってしまう「山崎長者巻」、命蓮が延喜の帝(醍醐天皇)の病気平癒の加持祈祷を行うと剣の護法童子が帝のもとに飛来し、たちまち帝の病が快復する「延喜加持巻」、命蓮の姉・尼公が命蓮を尋ねて大和へ旅立ち、命蓮に再会するまでを描く「尼公巻」に分かれています。

「信貴山縁起絵巻 山崎長者巻」(国宝)
平安時代・12世紀 朝護孫子寺蔵

まず驚くのは人物表現がズバ抜けていて、とてもコミカルだし、みんな活き活きと描かれていること。先日拝見した「伴大納言絵巻」も人物表現の豊かさに驚きましたが、「信貴山縁起絵巻」も相当なもの。キャラクターの描き分けや分かりやすい感情表現、デフォルメ的な身体の動きなど現代のマンガに通じるものがあります。「山崎長者巻」は鉢が飛んだり米俵が飛んだり、ほとんどファンタジー。空を飛んでいく米蔵を見て慌てふためく長者や騒然となる村の人々の表情が可笑しい。 『オズの魔法使い』にも竜巻で家が空を飛んでいくシーンがありましたが、1000年も前に既に絵画化されているんですから、ドロシーもビックリです。

もちろんこれはただの摩訶不思議な奇跡譚ではなく、ちゃんとした仏教説話なわけで、たとえば飛鉢法は千手観音の秘法とされ、密教僧が得意としたという話に基づいています。平安時代には観音と毘沙門天を同体とする信仰があったそうで、そういえば鞍馬寺でも毘沙門天と千手観音が一緒に祀られていたことを思い出しました。「延喜加持巻」の護法童子(剣鎧護法)も信貴山に祀られた毘沙門天の眷属という繋がりがあります。

「信貴山縁起絵巻 延喜加持巻」(国宝)
平安時代・12世紀 朝護孫子寺蔵

「尼公巻」では修業のため家を出たまま行方知らずの弟・命蓮を尋ね歩く姉の姿が感動的に描かれているのですが、東大寺の大仏殿で祈る尼公の姿が一つの画面の中にいくつも描かれていて、時間の経過を表すという面白い場面があります。異時同図法という表現方法ですが、「一遍聖絵」でも同じような場面を観たのを覚えています。

「尼公巻」には現存する絵画では一番古いという猫が描かれていたり、犬もまたかわいかったりします。牛や馬なんかも濃墨と淡墨を巧みに使っていてとても上手くて、相当な技量を持った絵師が制作していたことが想像できます。

「信貴山縁起絵巻 尼公巻」(国宝)
平安時代・12世紀 朝護孫子寺蔵

ユニークなストーリーばかりに目が行きがちですが、山容の表現などは実にやまと絵的で初期やまと絵としても大変興味深いものがあります。冷泉為恭の模写絵も展示されていて、線描を中心に丹念に模写してあったのですが、為恭がそこから何か学ぼうとしていた理由が分かる気がします。

絵巻の一番最後には、霧の向こうに山崎から飛んできた米蔵の屋根が覗いてるというオチまでついてて思わず笑ってしまいました。


第2章 縁起の成り立ち

「信貴山縁起絵巻」と同様の内容の説話は他にもあるようで、例として「古本説話集」や「宇治拾遺物語」などが紹介されています。また同時代に制作されたり、後白河院と関わりの深い絵巻が展示されています。後期展示の一番の見ものは元祖怪奇絵巻の「辟邪絵」で、現在は分断され掛軸装になっていますが、現存する5幅全てが公開されています。

「辟邪絵」は陰陽道の鬼神である「天刑星」、八部衆のひとり「栴檀乾闥婆」、蚕の化身で悪鬼を食べるという「神虫」、そしてこれも悪鬼を退治する「鍾馗」と「毘沙門天」 から成り、その成立や由来については謎も多く、六道絵巻の一つと考えられているようです。みんな邪鬼や疫鬼を懲らしめてるわけですが、槍に頭部を突き刺したり、鬼をむしゃむしゃ食べていたり、ほとんどスプラッター。とにかく不気味です。

「辟邪絵 神虫」(国宝)
平安〜鎌倉時代・12世紀 奈良国立博物館蔵

「辟邪絵 栴檀乾闥婆」(国宝)
平安〜鎌倉時代・12世紀 奈良国立博物館蔵

ここではもうひとつ、和歌山・粉河寺の縁起絵巻も面白かったですね。豊臣秀吉の焼き討ちで焼損したそうで、焼けた跡が痛々しいのですが、こなれたしっかりした線で描かれていて、割と色もはっきり残っていて、どこか素朴な感じがあります。

「粉河寺縁起絵巻」(国宝)
平安時代・12世紀 奈良国立博物館蔵


第3章 毘沙門天王の霊山

信貴山は毘沙門天王が日本で初めて出現した霊地とのことで、ここでは毘沙門天にまつわる仏画や仏像を中心に紹介。10世紀頃の古いものから元の珍しいものまで多くの毘沙門天像が展示されているのですが、高さ20cmぐらいの小振りな「毘沙門天立像(将軍自在毘沙門天王)」が細部まで手の込んだ彫りと截金を用いた文様が見られ、なかなかの傑作でした。

毘沙門天を中心に吉祥天と善膩師童子を脇侍に従えた法隆寺蔵の「毘沙門天像」も印象的。朝護孫子寺は毘沙門天を本尊とし、その妃・吉祥天と子・善膩師童子を一緒に祀っているそうですが、なぜここに法隆寺が出てくるかが次の章に繋がります。 


第4章 聖徳太子信仰の興隆

聖徳太子は物部守屋と合戦の際、信貴山の毘沙門天から授けられた矢によって勝利を得たという伝説があって、信貴山では聖徳太子信仰が、法隆寺では毘沙門天信仰があるのだそうです。信貴山の僧・円快の手によるという「聖徳太子童形坐像」が法隆寺に伝わっていて、二つの寺の関係の深さを物語っています。

円快「聖徳太子童形坐像(伝七歳像)」(重要文化財)
平安時代・治暦5年(1069) 法隆寺蔵

ここでは物部氏との合戦の場面が描かれた聖徳太子絵伝が展示されていたり、変わったものでは江戸時代に制作された武者絵巻まがいの「太子軍絵巻」というのもありました。


第6章 武家の尊祟

最後は唐突に戦国時代。信貴山は松永久秀(松永弾正)が織田軍に攻められ自死した城だったんですね。知りませんでした。会場にはその松永久秀にまつわる史料なんかもあるのですが、信貴山が武運の神・毘沙門天を祀ることから武田信玄からの祈祷の礼状や楠木正成が奉納した兜など戦国の世を今に伝える貴重な遺品があって、いろいろと興味深かったです。





奈良博に来たら、4/29にリニューアル・オープンした“なら仏像館”も忘れずに。ただ単に年代順に並べるのではなく、いくつかのテーマでまとめられていて分かりやすいですし、スペースをとって展示されてるのでとても見やすい。照明が割と明るいんですが、ガラスケースの透明度が非常に高くて、全く反射しないし、ガラスがあることを忘れるぐらい。もう感動的です。

もちろん仏像の充実度はハンパありませ。これ、奈良だからできるけど、東京でやったら特別展扱いだし、行列できるレベル。「中国の誕生仏で現存最古」とか凄いことがさりげなく書かれてたいたりして思わず仰け反りました。作品情報が3カ国併記になっていて、解説が英訳されてるのも多く、外国人にも優しいのもいいですね。

『国宝 信貴山縁起絵巻展』だけでも見応え十分ですが、なら仏像館と併せるととても充実した美術体験ができると思います。ほんとこの機会を逃す手はないですよ。みんな奈良博へ急げ!


【国宝 信貴山縁起絵巻 朝護孫子寺と毘沙門天信仰の至宝】
2016年5月22日(日)まで
奈良国立博物館にて


空とぶ鉢―国宝信貴山縁起絵巻より (やまと絵本)空とぶ鉢―国宝信貴山縁起絵巻より (やまと絵本)


中世日本の神話と歴史叙述中世日本の神話と歴史叙述

2015/09/21

白鳳 -花ひらく仏教美術-

奈良国立博物館で開催中の『白鳳 -花ひらく仏教美術-』を観てきました。

すこぶる評判のいい『白鳳展』。 東京からわざわざ観に行く人も多く、みなさんから行った方がいい、行かないと後悔するといろいろお話を聞いていて、でもなかなか奈良まで行く時間も取れずちょっと指をくわえて我慢していたのですが、ちょうどいいタイミングで関西出張が入り、一泊して『白鳳展』を堪能してまいりました。

白鳳は7世紀半ばから平城京に遷都する710年までの間、ちょうど飛鳥文化と天平文化に挟まれた美術史的な時代区分。645年の乙巳の変(大化の改新のはじまり)からとする説と、670年の法隆寺若草伽藍(旧伽藍)の焼亡後とする説があるそうですが、本展では後者をとっています。ということは、わずか40年ぐらいの短い間のことになるのですね。

大化の改新により天皇を中心とした国作りが本格化した時代。海の向こうでは百済が滅亡し、白村江の戦いで倭国は大敗。日本にも警戒感が拡がり、難波や近江、飛鳥とたびたび都を遷すという、まだまだ激動の時代でもあったようです。そんな時代の仏教美術がどのようなものだったのか、当時の人々の仏教に対する思いが伝わってくるような展覧会になっています。

本展の会場の構成は以下の通りです:
プロローグ 白鳳とは
第1章 白鳳の幕開け
第2章 山田寺の創建
第3章 金銅仏の諸相 Ⅰ
第4章 薬師寺の創建
第5章 金銅仏の諸相 Ⅱ
第6章 法隆寺の白鳳
第7章 法隆寺金堂壁画と大型多尊塼仏
第8章 白鳳の工芸
第9章 押出仏・塑像と塼仏
第10章 藤原京の造営
エピローグ 古墳の終焉

「弥勒菩薩半跏像」(重要文化財)
白鳳時代 天智天皇5年(666年) 野中寺蔵

『白鳳展』の何が素晴らしいかって、やはり白鳳仏を代表する名品が揃ってるのと、奈良時代以降の仏像からは消えるインドや大陸の名残りを感じさせつつ和様化していく過渡期の仏像のもつ清新さや純粋さだと思うのです。

この頃は仏像の種類も多様化してなく、天部像も一部展示されてましたが、忿怒の形相で圧するという仏像は一般的でありませんし、何よりまだ寺院に利権争いや腐敗、突出した勢力もなく、仏教という新しい宗教に救いを求めようとする人々の純粋な気持ちが白鳳仏の一つ一つに現れているようで、そこに心打たれるというか、感動的なのです。

「阿弥陀三尊像」(重要文化財)
白鳳時代(7世紀) 東京国立博物館蔵(法隆寺献納宝物)

遣随使や遣唐使、百済からの亡命者などを通じて、さまざまなタイプの仏像が日本に入って来ていて、それらが白鳳仏のイメージソースとなっていたようです。朝鮮半島の影響が強かった飛鳥文化に比べて、白鳳文化は隋・唐からの中国文化の影響も色濃く、中国や朝鮮風の仏像もあれば、インド的な顔立ちの仏像あり、プリミティブな印象のものもあれば、天平仏の先駆的なものもあり、一括りにできないのが白鳳仏の面白さでもあります。それは着衣や装身具を見ても明らかで、玄奘三蔵がインドから帰国し中国でインドブームが起これば、日本にも最新流行として伝わってインド風のドーティやターバンのようなものを身につけた仏像が造られたり、仏像がまだ完全に日本化してないのが分かります。

主流は金銅仏ですが、写実や造形もまだまだ不完全で、飛鳥時代の仏像のように細身のものもあれば、頭部が大きくアンバランスなプロポーションのものもあるし、童形のものもあったりします。一様に言えるのは、どれも若々しいこと。奈良時代の仏像のような成熟さはないけれど、青年のようなみずみずしさ、清々しさに溢れ、そこに魅力を感じます。

「釈迦如来倚像」(重要文化財)
白鳳時代(7世紀) 深大寺蔵

南滋賀廃寺や穴太廃寺、大官大寺、大安寺といった古代寺院跡からの出土品も多く展示されていましたが、その中でスポットをあてられていたのが山田寺。蘇我入鹿の従兄弟の蘇我倉山田石川麻呂が発願という寺院で、白鳳仏の傑作として知られる興福寺の「仏頭」はもとはここ山田寺講堂本尊(金堂本尊との説もあり)の薬師如来像なのです。

関東を代表する白鳳仏・深大寺の「釈迦如来倚像」も展示されていました。興福寺の「仏頭」にも似た大きく弧を描く眉と真っ直ぐに伸びた鼻筋、切れ長の細い目という白鳳仏の特徴が見られ、少年のような顔立ちと流れるような衣文も美しい。椅子に坐った「倚像」というスタイルは白鳳時代の特徴の一つとか。並んで展示されていた千葉・龍角寺の「薬師如来坐像」や新薬師寺の「薬師如来立像(香薬師)」(原像は盗難に遭い行方不明のため模造を展示)との共通点も指摘されています。

「月光菩薩立像」(国宝)
白鳳~奈良時代(7~8世紀) 薬師寺蔵

「聖観世音菩薩立像」(国宝)
白鳳~奈良時代(7~8世紀) 薬師寺蔵

藤原京で大官大寺とともに国家の主要寺院だったのが薬師寺。平城京遷都とともに現在の場所に移転しますが、東塔は創建時の姿を今に伝えるといいます。薬師寺からは金堂本尊薬師三尊像の右脇侍の「月光菩薩立像」と東院堂本尊の「聖観世音菩薩立像」が出品。ともに東博の『薬師寺展』にも来ていましたが、「日光菩薩立像」の方は本展には出品されていません。やはり「月光菩薩立像」の美しさは格別で、バランスの取れた理想的なプロポーション、写実的な優美さはほかの白鳳仏とは一線を画します。制作年は白鳳説と天平説に分かれるそうですが、本展では本薬師寺から移坐されたことも否定できないと紹介しています。

薬師寺東塔が現在解体修理ということもあり、取り外された塔の相輪の最上部の「水煙」も展示されています。舞い降りるような飛天や横笛を吹く飛天などが形どられていて、大変手の込んだものであることが分かります。修理が終わったらまた塔の上に戻されてしまうわけですから、この機会を逃す手はありません。

「観音菩薩立像(夢違観音)」(国宝)
白鳳時代(7~8世紀) 法隆寺蔵

「阿弥陀三尊像(伝橘夫人念持仏)」(国宝)
白鳳時代(7~8世紀) 法隆寺蔵

法隆寺というと飛鳥文化を代表する建築・美術という印象がありますが、西院伽藍再建後に制作されたものも多く、白鳳時代の金銅仏や美術品の宝庫でもあるのだそうです。法隆寺の白鳳仏を代表する「夢違観音」や「伝橘夫人念持仏」といった傑作をはじめ、多くの金銅仏や貴重な文化財が並んでいます。

「伝橘夫人念持仏」は厨子と別々に展示されているのも見どころ。阿弥陀三尊もさることながら、後屏や蓮池の金工の精巧さ、完成度の高さには驚きます。また、この時代に制作されたという金堂壁画の模写や天蓋の付属品、東博・法隆寺宝物館でお馴染みの「金銅灌頂幡」などもあり、ちょっとした“法隆寺展”です。

「持国天立像」(重要文化財)
白鳳時代(7世紀) 當麻寺蔵

個人的に興味深かったのが押出仏や塼仏。もとは中国から伝わった技法で、日本では白鳳時代から天平時代にかけて造られたといいます。型にのせた銅板を打ち出して作ったのが押出仏。粘土で型を抜き焼成したのが塼仏。ともに薄く、レリーフのような形状をしています。中でも押出仏や鋳造浮彫り、線刻といった技法を駆使した長谷寺の「銅板法華説相図」の素晴らしさは目を見張るものがあります。塼仏はお堂の壁面を飾ったともいい、展示品の多くが出土品だったことを考えると、現存するものも極めて少ないのでしょうね。

展覧会の最後には藤原京と高松塚古墳からの出土品が展示されています。高松塚古墳も白鳳時代と重なるんですね。「墓のサイズや形で力を示した時代が終わり、…祖霊や故人の魂の救済を仏教が担う時代が始まった」と解説されていて、なるほどなと納得しました。

「銅板法華説相図」(国宝)
白鳳時代(7~8世紀) 長谷寺蔵

シルバーウィークの初日ということで開館前には長蛇の列ができていましたが、ほとんどみなさんチケットを購入される方で、チケットや国立博物館のパスポートを持っている人は並ばずに入館。おかげで混み合う前にじっくり拝見させてもらいましたが、それでも2時間近くかかりました。

『白鳳展』のあとはお隣の興福寺へ。『白鳳展』でも限定公開されていた「仏頭」や白鳳期の月光・日光菩薩にも出会えて、さらに充実の白鳳体験ができました。


【開館120年記念特別展 白鳳 -花ひらく仏教美術-】
2015年9月23日(水・祝)まで
奈良国立博物館にて


仏像のかたちと心――白鳳から天平へ仏像のかたちと心――白鳳から天平へ


聚美 vol.16(2015 SUM 特集:白鳳時代の美術聚美 vol.16(2015 SUM 特集:白鳳時代の美術