2015/08/15

エリック・サティとその時代

Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の『エリック・サティとその時代展』に行ってきました。

西洋音楽の伝統に革新的な技法を取り入れ、20世紀の現代音楽に大きな影響を与えたサティ。ピカソやジャン・コクトー、マン・レイなどの芸術家とも交流し、互いに刺激を与え合う中で、多くの作品が生まれました。

作曲家の展覧会ってどんな感じになるんだろう? ちょっとイメージが湧かなかったのですが、なるほど本展は、サティとコラボレートした芸術家たちの作品を通して、作曲家サティの活動や新たな側面を浮かび上がらせようというものでした。会場には心地よいサティの音楽が流れ、ゆったりとした時間の中で、サティが活躍した20世紀初頭のパリの雰囲気を味わいつつ、資料や美術作品を観ることができます。


会場の構成は以下の通りです。
第一章 モンマルトルでの第一歩
第二章 秘教的なサティ
第三章 アルクイユにて
第四章 モンパルナスのモダニズムのなかで
第五章 サティの受容

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック 「ディヴァン・ジャポネ」
1893年 川崎市市民ミュージアム蔵

時はベル・エポック。ムーラン・ルージュに、フレンチカンカンを踊る女性、キャバレー歌手…、19世紀末のパリの享楽的なパリを今に伝えるポスターなどが並びます。サティも出入りしていたというキャバレー“シャ・ノワール”が発行した冊子や雑誌など資料も豊富。こうした刺激に溢れた街で、サティは若い芸術家や芸術家の卵たちと出会い、また感性を磨いてきたのでしょうね。

会場に流れるのは「ジムノペディ」。パネルでは初期の代表作「オジーヴ」のことにも触れられていました。各コーナーには、こうした時代時代のサティ代表作についても紹介されています。

エリック・サティ(自筆手稿) 「3つのジムノペディ、第2番」
1888年 フランス国立図書館蔵

象徴主義の画家のことを調べたり、美術展に行ったりしたときに、ときどき聞く名前に“薔薇十字展”というのがあります。“薔薇十字展”は19世紀末に象徴主義の画家を中心に開催された展覧会で、モーリス・ドニやルドン、ルオー、クノップフ、ヤン・トーロップ、ベルナール、ヴァロトン、ホドラーらが出品したりしていました。

その“薔薇十字展”は秘教主義の“薔薇十字会”の創設者ジョセファン・ペラダンが主催していて、サティはシャ・ノワールでピアニストをしていた頃にペラダンと出会い、“薔薇十字会”の聖歌隊長になって曲を書いたりしてるんですね。“薔薇十字展”の開会式にはサティ作曲の「薔薇十字会のファンファーレ」が演奏され、大勢の来場者が訪れ、大成功を収めたといいます。

しかし、ベラダンは熱狂的なワーグナー崇拝者、片やサティはアンチ・ワーグナー。二人は相反する美学を持っていて、またベラダンの性格の問題もあって、二人の関係は長く続かなかったようです。サティの変わり者ぶりもエピソードには事欠きませんが。

このコーナーではサティの「薔薇十字会のファンファーレ」が流れています。

カルロス・シュヴァーベ 「薔薇十字展の小さなポスター」
1892年 フランス現代出版史資料館蔵

会場にはサティの肖像画や愛用の帽子があったり、サティが五線譜に描いた恋人ヴァラドンの絵なんていうのもあります。ヴァラドンはルノワールやロートレックのモデルをしたり、ユトリロとの同棲歴があったりと、当時のパリのアート界では有名な女性だったようですね。サティにとっては生涯唯一の恋愛だったとありました。

「サティを聴きながら」(『今日のファッションとマナー』より) 1920年

サティの斬新で独特の作曲ポリシーは一部で高い評価をされていたものの、時代はまだワーグナーなど新ロマン主義が主流。その中で、ドビュッシーやラヴェルなど印象主義の音楽家が台頭してきていましたが、サティはその波には乗れずにいました。しかし、1911年に演奏会でラヴェルが「ジムノペディ」を披露したのがきっかけとなり、サティの音楽は広く注目されます。

プライベートコンサートでサティの音楽を楽しむ女性たちの様子を描いた絵が展示されていましたが、サティの音楽が上流階級の間でもオシャレな最先端の音楽として受け入れられいたことが分かります。


シャルル・マルタン(挿絵)、エリック・サティ(作曲) 「『スポーツと気晴らし』より“カーニバル”」
リュシアン・ヴォージェル刊 1914-23年

当時人気の挿絵画家シャルル・マルタンの作品に合わせて作曲をしたのが「スポーツと気晴らし」。マルタンの絵は上流階級の優雅な生活を描いたアールデコ調の20枚の連作で、それぞれに合わせて小品が作曲されています。会場にはマルタンの絵とサティの楽譜が一緒に展示されているのですが、サティ自筆の楽譜には詩ともコメントとも取れるような一文が添えられてあったり、楽譜そのものが調号や小節線もなかったりと、いかにもサティらしい。カリグラフィーも特徴的。

会場の最後に、「スポーツと気晴らし」の演奏と詩の朗読を聴きながら、スチール映像を観ることのできるスペースもあります。

『パラード』の再現公演 抜粋 (2007)

サティはパリで活躍する多くの芸術家と交流があったわけですが、そこから生まれた作品も多く、セルゲイ・ディアギレフが率いるバレエ・リュスのために書いた『パラード』がここでは取り上げられています。『パラード』は音楽をサティ、台本をコクトー、美術と衣装をピカソという当時最先端の芸術家たちが結集した一幕ものバレエ。内容的にも前衛的なところがあり、かなり賛否両論を巻き起こしたといいます。ピカソによる舞台や衣装の下絵や、コクトーの覚書などとともに、舞台の写真が展示されているほか、数年前に行われた再現公演の様子が映像で流れていて、どんな舞台だったのかを垣間見ることができます。

ルネ・クレール(監督)、エリック・サティ(作曲) 『幕間』 1924年

晩年のサティはコクトーに半ば祭り上げられたこともあり、フランスの若手作曲家のグループ6人組やダダイストら、若い芸術家たちにも受け入れられ、交流を深めます。ここでは、サティが上映会のための音楽を作曲をしたサイレント映画『幕間』の映像が流れていたり、マン・レイのサティへのオマージュ作品が展示されていたり、サティの音楽の現代性が音楽の域を超え多くの芸術家たちに影響を与えたいたことが分かります。

マン・レイ 「エリック・サティの梨」 1968年

数年前にブリヂストン美術館で『ドビュッシー、音楽と美術』という展覧会があり、音楽と美術の関係にスポットがあてられていましたが、ドビュッシーとサティの僅か10数年の時代の差(もちろん音楽の違いもありますが)だけで、これだけ影響を受けた/与えた世界が違うのだと、そういう点でも興味深く感じる展覧会でした。


【エリック・サティとその時代展】
2015年8月30日
Bunkamura ザ・ミュージアムにて


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