2015/07/01

ヘレン・シャルフベック展

東京藝術大学大学美術館で開催中の『ヘレン・シャルフベック 魂のまなざし』を観てまいりました。

初めて観る画家です。フィンランドを代表する女性画家だそうで、2012年には地元フィンランドで生誕150周年の大回顧展が開かれるなど、近年世界的な注目を集めているといいます。

2008年の『ヴィルヘルム・ハンマースホイ展』(国立西洋美術館)を手掛けた方が本展の監修・作品選定をしているというのも話題です。作品は、フィンランド国立アテネウム美術館をはじめ、フィンランド各地の美術館を中心に集められていて、日本の美術館の所蔵作品はゼロみたい。まさしく本邦初紹介といってもいいのかもしれないですね。ハンマースホイに次ぐ知られざる北欧の画家というわけです。


第1章 初期:ヘルシンキ-パリ

シャルフベックは幼い頃に腰に障害を負い、生涯杖を放せない体になってしまったといいます。それでも絵の才能を認められ、奨学金を得てパリに留学。当時のフランスでは国立の美術学校に女性は入学できなかったため、パリの画塾で技術を学んだそうです。

ヘレン・シャルフベック 「妹に食事を与える少年」
1881年 フィンランド国立アテネウム美術館蔵

パリに行く前の作品はアカデミズム系で、「雪の中の負傷兵」なんて10代にしては確かに巧い。パリ時代は、ブルターニュやポン=タヴェンにもよく出かけたそうで、自然主義的な、バルビゾン派あたりに近いテイストを感じます。

ただ初期の頃の作品は、形や光を忠実に描画することに重きが置かれてるところがあって、構図も優等生的。彼女の個性や特徴というものはまだ見えません。印象派の学習結果を思わせる作品や当時流行のレアリスム的な作品、ジャポニスムの影響下にある作品など、いろいろと吸収している様子がうかがえます。

ヘレン・シャルフベック 「洗濯干し」
1883年 フィンランド国立アテネウム美術館蔵(寄託)

シャルフベックは生涯に3人の男性を愛するのですが、その恋はいずれも実りませんでした。精神的に大きなダメージを受けながらも、失意を乗り越え、その経験を絵に昇華させていったといわれています。「快復期」は病み上がりの少女に、画家自身の失恋からの気持ちの整理を重ねたとされる作品。少女の強いまなざしはシャルフベックの目そのものなのかもしれません。パリ万博では銀メダルを受賞したものの、故国の評判はいま一つだったとか。

ヘレン・シャルフベック 「快復期」
1888年 フィンランド国立アテネウム美術館蔵


第2章 フランス美術の影響と消化

帰国後は美術教師を務めるも、体調を崩して退職。ヘルシンキ郊外の小さなアパートに母とともに暮らし、15年もの間その町を出ることはなかったのだそうです。片田舎で暮らす彼女の情報源は美術雑誌やモード誌で、特にホイッスラーやシャヴァンヌ、バーン=ジョーンズ、ローランサンといった画家の作品に刺激を受けたのだろうことがこの頃の彼女の作品や傾向を観ていると分かります。常に新しい表現を探していたんでしょうね。

ヘレン・シャルフベック 「お針子(働く女性)」」
1905年 フィンランド国立アテネウム美術館蔵

「お針子」はホイッスラーの「灰色と黒のアレンジメント-母の肖像」を模して描いたという作品。約20年後にこの作品を描きなおしてもいます。後年の作品と見比べると、どのように画風が変化したのかが分かりますし、描く対象がスタイルから内面にシフトしているのに気づきます。

ヘレン・シャルフベック 「お針子の半身像(働く女性)」
1927年 フィンランド国立アテネウム美術館蔵

泣くロマ(ジプシー)の女性の姿には、恋心を抱いていた19歳下の男性が別の女性と婚約したことに絶望するシャルフベックの心情が描かれているといわれています。1910年代以降の作品は、さらに平板性や抽象化が進み、ようやく自分の画風を確立してきたなという印象を持ちました。

ヘレン・シャルフベック 「ロマの女」
1919年 フィンランド国立アテネウム美術館蔵


第3章 肖像画と自画像

田舎の小村ではモデルもなかなか見つけられなかったのか、モード誌を見ては最新のファッションに身を包む女性なんかを描いていたようです。肖像画の中にはマリー・ローランサン風のものやエコール・ド・パリ風のもの、ジョルジュ・ルオーのピエロを思い起こさせるものもありました。

ヘレン・シャルフベック 「自画像」
1884-85年 フィンランド国立アテネウム美術館蔵

シャルフベックは自画像も多くて、このコーナーにも年代の違う3枚の自画像が並べられています。1885年頃の作品はレアリスム、1895年の作品は印象派風、そして1915年に描いた自画像は背景も黒く、どこか沈んだ表情。名前が刻まれた黒い背景は墓碑銘をイメージしているといいます。

ヘレン・シャルフベック 「黒い背景の自画像」
1915年 フィンランド国立アテネウム美術館蔵


第4章 自作の再解釈とエル・グレコの発見

シャルフベックは生涯にいろんな画家の影響を受けていて、それが割と素直に作品に反映されている(している)感じがするのですが、晩年に辿りついた画家がエル・グレコなんですね。模写というよりもエル・グレコの作品を咀嚼し、自分流にどうアウトプットしていくのかということに試行錯誤した様子が窺えます。エル・グレコ作品の実物を観ることなく、画集などを参考にしたのだそうです。

ヘレン・シャルフベック 「天使断片(エル・グレコによる)」
1928年 フィンランド国立アテネウム美術館蔵


第5章 死に向かって:自画像と静物画

最晩年は療養施設に移り、そこで20点以上の自画像を描いたというシャルフベック。ただひたすら老いていく自分と向き合い、それを容赦なく捉えていきます。まるで命の灯がだんだんと小さくなるように、自画像から線や形が消えていき、この人はこうして老いや死というものを受け入れていったんだなと感じます。

ヘレン・シャルフベック 「正面を向いた自画像」
1945年 フィンランド国立アテネウム美術館蔵

ヘレン・シャルフベック 「自画像、光と影」
1945年 フィンランド国立アテネウム美術館蔵

ある女性画家の画業をたどるというより、一人の画家の人生を見たという気持ちがあります。いろいろと心に残る作品の多い展覧会でした。


【ヘレン・シャルフベック 魂のまなざし】
2015年7月26日まで
東京藝術大学大学美術館にて


ヘレン・シャルフベック 魂のまなざしヘレン・シャルフベック 魂のまなざし

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