2015/07/29

前田青邨と日本美術院

山種美術館で開催中の『前田青邨と日本美術院』を観てまいりました。

今年、生誕130年という前田青邨を記念した展覧会。山種美術館が所蔵する青邨作品全13点が公開されているほか、日本美術院を代表する画家や、青邨とともに切磋琢磨した紅児会の面々の作品など、明治から昭和にかけての良質の日本画を展観できます。


会場の構成は以下のとおり:
第1章 日本美術院の開拓者たち
第2章 青邨と日本美術院の第二世代 -古径・靫彦とともに-
第3章 紅児会の仲間と院展の後進たち

まずは最初に展示されているのが青邨の「異装行列の信長」。信長が舅・斎藤道三と対面するエピソードを描いたもので、信長らしい派手な衣装の“うつけ者”ぶりと、それでいて何か底知れぬ器量を見事に表しています。安田靫彦は青邨のことを、「色彩家」であり、「類のない達筆」であり、「人と愉快にさせること無類」と称賛したといいます。

前田青邨 「異装行列の信長」
昭和44年(1969) 山種美術館蔵

最初のコーナーでは、日本美術院を結成したお馴染みの横山大観、橋本雅邦、菱田春草、下村観山、また小堀鞆音らの作品を紹介。ここでは青邨の師・梶田半古の作品がいくつかあって、大和絵風の「緑翠」や速筆の「高尾図」のほかに、人気の高かったという本の挿絵が観られます。半古は菊池容斎に私淑していて、弟子の青邨や兄弟子の小林古径に容斎の『前賢故実』を書写させたともいわれています。

小堀鞆音 「那須宗隆射扇図」
明治23年(1890) 山種美術館蔵

菱田春草 「月下牧童」
明治43年(1910) 山種美術館蔵

日本美術院の大御所の作品は山種ではたびたび観ているので、あまり新鮮味はない(笑)のですが、大観の「作右衛門の家」や観山の「老松白藤」といった屏風は目を惹きますし、大好きな春草の「釣帰」や「月下牧童」など、いつ来ても優品に出会えるのはいいですね。

小林古径 「闘草」
明治40年(1907) 山種美術館蔵

次に登場するのが小林古径と安田靫彦、そして前田青邨。青邨と古径、靫彦は年も近く、有職故実や古画など古典研究に熱心だったといいます。小堀鞆音門下の安田靫彦らが結成した紫紅会に、松本楓湖門下の今村紫紅や速水御舟が加わり、できたのが紅児会。その後、古径や青邨が入り、若き画家たちが意欲的に作品を発表する場として注目を集めたといいます。

古径の「闘草」は半古の画塾時代の歴史画で、古径にしては珍しいモチーフ。闘草とはいろいろな珍しい草花を持ち寄って、その優劣を競うという古く中国で行われたという子どもの遊びで、古径は子どもの肌の感じを出すのに苦心したとか。童子の肌や装束の微妙な色合いからはそんなこと少しも感じさせないですけどね。

前田青邨 「大物浦」
昭和43年(1968) 山種美術館蔵

青邨の「大物浦」は大好きな一枚。画面いっぱいに斜めに傾く船と三角形の暗く大きな波からは、嵐と平家の亡霊に怯える恐怖と緊張感が伝わってきます。波にもまれる船の、じっと耐える人々の表情が秀逸。三角形の大きな波もよく見ると刷毛で刷いたような線があり、強風を演出していることが分かります。下図もあって比較するといろいろ興味深い。

「浦島之巻」の下図も出ていて、タイやヒラメが踊っていたり、そのユニークさもさることながら、線が軽やかで迷いがなく的確。会場に青邨が線描の練習について語っているパネルがあって、写生をするときは対象の立体感をいかにして線で表すかに苦心するそうで、「どうしても表すことが出来ない時は、古画殊に白描のものを見る。そうすると古画がいかに至難なところを唯一線でよく表現しているかを知ることができる」とありました。

前田青邨 「蓮台寺の松陰」
昭和42年(1967) 山種美術館蔵

隣り合って展示されていた「三浦大介」と「蓮台寺の松陰」の老壮の対比もいい。白髭をたくわえ、いかにも百戦錬磨の老武士という面構えの「三浦大介」。一方「蓮台寺の松陰」は若き青年が思いを深くめぐらすようで、松陰の強い志が伝わってきます。行燈の灯された部屋の明暗がたらし込みで絶妙に表現されています。

前田青邨 「腑分」
昭和45年(1970) 山種美術館蔵

青邨は晩年の作が多いのですが、その分完成された画技を堪能できます。死体解剖の様子を描いた 「腑分」の人物描写の素晴らしさ、水墨と彩色のバランス、そして線描の巧みさは目を見張ります。メモをとる人、目を背ける人、拝む人…。青邨の描く人物には物語がありますね。海の上を飛ぶ鳥をさらに鳥瞰で描いた「鶺鴒」も印象的。海と空の雄大さと風を感じます。

奥村土牛 「城」
昭和30年(1955) 山種美術館蔵

ほかにも今村紫紅や速水御舟、奥村土牛といった紅児会や同門の画家の作品、平山郁夫や守屋多々志など青邨門下の画家の作品が展示されています。個人的には土牛の「城」の城郭の大きさを感じさせる構図の面白さに惹かれました。確かにセザンヌの影響を感じさせます。雨に煙る町を描いた土牛の「雨趣」もいい。小山硬が青邨に師事していたというのも初めて知りました。硬は「天草」シリーズが2作出品されています。

奥の展示室2には、2年ぶりの公開という御舟の「炎舞」があって、照明を暗めにした室内に浮かび上がる炎にゾクっとします。立ち込める煙の中に舞う蛾もことさら妖しく感じます。もしかすると、この部屋はこの絵のために設えられたのではないだろうかという気さえしました。

速水御舟 「炎舞」(重要文化財)
対象14年(1925) 山種美術館蔵

青邨を中心にした展覧会ではありますが、近代日本画の中で育ち技を磨きあった紅児会の若き画家たちが、それぞれの画風を確立していく様も観ることができ、いろいろと興味深い展覧会でした。


【生誕130年記念 前田青邨と日本美術院 -大観・古径・御舟-】
2015年8月23日(日)まで
山種美術館にて


前田青邨 (新潮日本美術文庫)前田青邨 (新潮日本美術文庫)

2015/07/25

田能村竹田展

出光美術館で開催中の『田能村竹田展』に行ってきました。

江戸時代後期を代表する文人画家・田能村竹田の没後180年を記念しての展覧会。竹田の有数のコレクションを誇る出光美術館でも実に18年ぶりの大規模展だそうです。

田能村竹田の作品はこれまでも出光美術館で開かれた文人画家の展覧会で何度か目にすることがあり、少々敷居の高い感じのする文人画の中でも、竹田の作品は柔和な感じで見やすいなという印象を持っていました。

出光美術館は竹田の作品を約200点所蔵していそうで、本展ではその中から厳選された詩書画や画帖など54点を公開しています。そのほか、竹田が憧れた中国絵画や同時代の文人画家の作品も紹介。文人画の世界をたっぷり堪能できます。


会場は5つの章に分かれています。
Ⅰ 精妙無窮 - 竹田画の魅力と特質
Ⅱ 山水に憩う - 自娯適意の諸相
Ⅲ 微細な色彩と薫り - 生命あるものへ
Ⅳ 眼差しの記憶 - 「旅」と確かな実感
V 幕末文人、それぞれの理想

回顧展というと、割と若描き作品から紹介されることが多いと思うんですが、いきなり晩年の、最も充実した作品群が最初からどーんと並んでいます。

田能村竹田 「梅花書屋図」
天保3年(1832) 出光美術館蔵

前景から遠景にかけての水辺のジグザグや樹木の配置といった構図が絶妙な「梅花書屋図」や、早朝の風情と空気感を感じる「村居暁起図」、親交のあった大塩平八郎に贈ったという「春隄夜月図」など、中国の文人画を手本としつつ、その理解と研鑽が結実した結果というんでしょうか、晩年の作品はどれも江戸時代の文人画の一つの到達点を観る思いがします。

竹田の画は文人画にありがちな奔放な感じはなく、清らかで穏やかな趣きがあります。恐らくとても真面目な方だったのでしょう、どの作品も丁寧かつ繊細な筆致で、品のいい文人趣味を感じることができます。中国の文人画や先人の作品を相当研究したらしく、ある意味お手本的な行儀の良さもありますが、濃淡自在な筆調と豊かな表現は傑出しています。

田能村竹田 「山陰訪戴図」
文政末期 出光美術館蔵

「山陰訪戴図」は王羲之が友人を訪ねるも興が尽きて引き返すという故事を描いたもの。雪を表すのに素地の白を残すという表現が秀逸。門前の一行の描写もうまい。人物にしても点景にしても細かなところも手を抜かず、山水の景観から物語が伝わってきます。「考盤図」や「蘭亭曲水図」、「高客吹笛図」の高士の豊かな表情や風雅な画作りもとても印象的です。

竹田は藩医の家に生まれますが、家督は継がず、儒者としての道を選びます。文人趣味に憧れ、中国の古典や漢詩に親しみ、書画を嗜みますが、画業に専念するのは隠居(37歳!)したあとのようですね。「青緑山水図」は竹田が画家として本格的に活動を始める時期に描かれた作品とか。青緑山水というと山を群青や緑青で彩色した中国山水画の画題の一つですが、適度な濃彩の色合いが竹田の品の良さを感じさせます。

田能村竹田 「青緑山水図」
文政末期 出光美術館蔵

会場の途中に紹介されている中国絵画がまた見もの。日本の漢画に大きな影響を与えた浙派の始祖とされる戴文進の「夏景山水図」、院体画を代表する絵師・夏珪(伝)の双幅の「山水図」などどれも素晴らしい。

後半には竹田の花卉画があるのですが、これがまたいい。華麗な「春園富貴図」や瑞々しい筆触を味わえる「蘭図」、精緻な「梅菊図」など、山水画とはまた違う格別の魅力があります。

田能村竹田 「蘭図」
文化11年(1814) 出光美術館蔵

蔬菜や虫を描いた作品も面白く、カマキリとインゲン豆を描いた略画風の「豆花蟷螂図」や水彩画のような趣きのある「果蔬草虫図巻」、鳩や雁、鵞鳥や猫などを描いた最晩年の「書画貼交屏風」がいい。「書画貼交屏風」の蟹は出色。

最後の一角には、池大雅や与謝蕪村、浦上玉堂といった江戸後期から幕末にかけての文人画家の作品が少しだけ並んでいて、日本の文人画を知るのに役立ちます。

池大雅 「蜀桟道図」
江戸時代 出光美術館蔵

文人画というと詩や賛が揮毫されていたりしますが、読めなくても意味が分からなくても、現代語訳がついていたり、解説が丁寧なので問題ありません。竹田は詩文が得意だったというだけあり、ついつい読んでしまう味わいもあります。文人画はちょっと分からないな、という人にこそオススメの展覧会です。


【没後180年 田能村竹田】 
2015年8月2日(日)まで
出光美術館にて


田能村竹田 (新潮日本美術文庫)田能村竹田 (新潮日本美術文庫)

2015/07/19

MOMATコレクション 誰がためにたたかう?

東京国立近代美術館の常設展「MOMATコレクション」では今、一部のコーナーを除いて全フロアーで戦後70年の特集企画≪誰がためにたたかう?≫を開催しています。

動物の争いにはじまり、国と国との争い、男女の争いや世代間の争いに至るまで、さまざまなテーマで“たたかうこと”について描いた作品を展観するというもの。

その数、実に200点! 今回特に注目されるのが戦争記録画の公開。東近美では近年、所蔵する戦争記録画を積極的に公開していますが、今回は一度の公開点数としては過去最多の12点の作品が展示されています。

[写真左より] 津田青楓 「ブルジョワ議会と民衆生活 下絵」 1931年、津田青楓 「犠牲者」 1933年
海老原喜之助 「殉教者」 1951年、田中忠雄 「基地のキリスト」 1953年

がんばってますよね、東近美。特別展もそうですが、企画力があるというか、アグレッシブというか、そうした取り組みは常設展にも良く出てるなと思いますし、まわりのアートファンの声を聞いても東近美の攻めの姿勢は高く評価されているように感じます。

[写真左] 御厨純一 「ニューギニア沖東方敵機動部隊強襲」 1942年 (無期限貸与)
[写真右] 藤田嗣治 「哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘」 1941年 (無期限貸与)

戦中に軍部や新聞社からの依頼で多くの有名画家たちが戦意高揚のために制作した戦争記録画は、戦後GHQに接収されたものの、1970年に日本に返還されます。しかし、実際には“無期限貸与”という形で、正確にはいまだアメリカの持ち物なまま。過去にも戦争記録画をまとめて公開する計画はあったそうですが、「戦争を賛美するのか」という反対の声やアジア諸国との関係への懸念の声が上がり、見送られてきたという経緯があるようです。

それでも少しずつ戦争記録画を公開していて、3年前のリニューアル以降は展示数も目立って増えてきていました。多いときは7、8点も出ていたこともあったので、私自身も含め関心を持つようになった人たちも増え、また環境が整ってきたということもあるのでしょう。今年は戦後70年の節目の年ということもあって、これまでになく力を入れて戦争記録画を紹介しています。

[写真左] 鶴田吾郎 「神兵パレンバンに降下す」 1942年 (無期限貸与)
[写真右] 佐藤敬 「クラークフィールド攻撃」 1942年 (無期限貸与)

[写真左] 中村研一 「コタ・バル」 1942年 (無期限貸与)
[写真右] 宮本三郎 「香港ニコルソン附近の激戦」 1942年 (無期限貸与)

戦争画でよく引き合いに出されるのはやはり藤田嗣治で、それまでの画風とは打って変わっての生々しい色合いとリアルで劇的な描写には何度観ても圧倒されます。まるで地獄絵図のような「アッツ島玉砕」の狂気。藤田に対する戦後の戦争協力者というレッテルと強い批判は象徴的です。

戦争記録画についてはよくは知らなかったので、宮本三郎が戦争画を描いていたということも驚きでした。記録画なので、中には悲惨な地上戦の様子を描いたものもありますが、青空を背景にした落下傘部隊や空中戦といった空へのロマンチシズムを喚起するような作品もあったりします。さまざまな理由から引き受けざるを得なかった画家もいるでしょう。戦争は如何に恐ろしいものか。作品を観ていて昨今の日本の政治のことが頭によぎります。

藤田嗣治 「アッツ島玉砕」 1943年 (無期限貸与)

戦後の絵画は戦争から解放されたかというと決してそうではなく、朝鮮戦争や水爆実験、安保問題などもあって、不穏な空気に敏感に反応したり、寓意化した作品も多かったようです。ここでは農民闘争を描いた山下菊二の傑作「あけぼの村物語」や反基地問題を取り上げた中村宏の「基地」、第五福竜丸の被曝事件に着想を得た岡本太郎の「燃える人」などのほか、福島第一原発事故の問題を取り上げたChim ↑ Pomによる映像も上映されています。

[写真左] 中村宏 「基地」 1957年
[写真右] 山下菊二 「あけぼも村物語」 1953年

[写真左] 岡本太郎 「夜明け」 1948年
[写真右] 岡本太郎 「燃える人」 1955年

戦後の象徴として、自衛隊にクーデターを呼びかけ自決した三島由紀夫に扮した森村泰昌の作品や映像、三島を被写体にした細江英公の「薔薇刑」なども展示されています。

細江英公 「薔薇刑」より 1961-62年

いつもは穏やかな空気が流れる3階の日本画コーナーにも戦争画が。福田豊四郎と吉岡堅二の戦争記録画があって、日本画も醜悪な戦争を描くために利用されたのかと思うとただただむなしくなります。福田豊四郎にしても吉岡堅二にしても戦前から新しい日本画を創造しようと挑んでいた人たちなので、戦争画にもそうした取り組みの一端を見ることができ、冷静に見ると戦争画を新しい日本画の実験の場にしていたのかもしれないとも思ったりもします。戦後、“日本画滅亡論”が唱えられる中、日本画の革新に挑んだのもこの人たちな訳で、その戦後に発表された作品のほか、現代日本画を代表する加山又造や下村良之介なども紹介されています。

[写真左より] 福田豊四郎 「英領ボルネオを衝く」 1942年頃 (無期限貸与)
吉岡堅二 「高千穂降下部隊レイテ敵飛行場を攻撃す」 1945年 (無期限貸与)
吉岡堅二 「ブラカンマティ要塞の爆撃」 1944年 (無期限貸与)

[写真左] 吉岡堅二 「楽苑」 1950年
[写真右] 吉岡堅二 「柿」 1948年

2階には、戦争や貧困をテーマに多くの作品を残したドイツの版画家ケーテ・コルヴィッツの代表作「農民戦争」全7点が紹介されています。16世紀の農民の蜂起をテーマにしつつ、20世紀初頭のドイツ国民の姿を重ね合わせて描いているといいます。底辺に生きる農民たちの重く暗い表情、特に女性の悲惨さが胸に応えます。

ケーテ・コルヴィッツ 「農民戦争」より「囚われた人々」 1908年

東京国立近代美術館にはアメリカから“無期限貸与”されている戦争記録画が153点あって、中にはスペースの関係で展示が難しいものもあるそうですが、いつかそれらが何らかの機会に公開され、検証されることがあればいいなと思います。なお、9/19から常設展ではじまる「藤田嗣治特集」では、東京国立近代美術館が所蔵する藤田嗣治の戦争記録画全点が公開されるとのことです。


【所蔵作品展 MOMATコレクション 特集: 誰がためにたたかう?】
2015年9月13日まで
東京国立近代美術館にて


戦争画とニッポン戦争画とニッポン


画家と戦争: 日本美術史の中の空白 (別冊太陽 日本のこころ 220)画家と戦争: 日本美術史の中の空白 (別冊太陽 日本のこころ 220)

2015/07/16

NO MUSEUM, NO LIFE? これからの美術館事典

東京国立近代美術館で開催中の『NO MUSEUM, NO LIFE? -これからの美術館事典』を観てまいりました。

東近美と京都国立近代美術館、国立西洋美術館、国立国際美術館、国立新美術館の国立美術館5館による合同企画展。各館から約170点の所蔵作品を集め、AからZまで36のキーワードで構成されています。

国立美術館の所蔵作品が集まるというので、どんなすごい展覧会なのかと思ったら、どちらかというとポイントは美術館の裏側を見る・知るといった方で、作品はあくまでも参考という感じ。でも切り口が面白く、解説もなかなか読ませます。

過去に三井記念美術館で『日本美術デザイン大辞展』というのがありましたが、ああいったものでもなく、東近美のリニューアル・オープンのときの『美術にぶるっ!』みたいな感じでもなく、美術館とはどんなことをしてるのか、作品を見せるためにどんなことが行われているのか、日本の美術館の現実はどうなのか、などを実例をもって見せてくれます。

[写真左から] マルセル・デュシャン 「ヴァリーズ(トランクの中の箱)」
1935-41/55-68年 京都国立近代美術館蔵

[写真左] アンリ・ルソー 「第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神」
1905-06年 東京国立近代美術館蔵
[写真右] 藤田嗣治 「自画像」 1929年 東京国立近代美術館蔵

たとえば、《Archive 【アーカイヴ】》であれば、デュシャンやフルクサスの作品を例に取り、作家たちのアーカイヴと美術館としてのアーカイヴを説明したり、《Artist 【アーティスト】》であれば、ゴヤや森村泰昌を例に挙げ、芸術家とは何かを論じてみたりしています。展示されてる作品もアート作品もあれば、美術館で使われている道具や設備もあって、まさしく観る事典。

スン・ユエン&ポン・ユー 「I am here」
2007年 国立国際美術館蔵

《Beholder 【観者】》で展示されていたのが、ルーヴル美術館でジェリコーの「メデュース号の筏」を観る人々を写したトーマス・シュトゥルートの写真で、それをまた観るわたしたち。美術館に訪れる人は作品を観に行くわけですが、美術館やアーティストの側からすれば、「見る/観る、注視する人」がいなければそれは成立しないわけで、わたしたち観者も必要不可欠な存在だったりします。アラブ人風の男が覗く壁の反対側にはちゃんと小さな覗き穴があったりと芸が細かいのもツボ。


資料的要素もあって、カタログに求められるものを考えたり、国立美術館各館のコレクション数や年度収入を比較してみたり、保存修復について説明してくれたり、美術館・美術展に興味を持つ人には重要な情報を与えてくれます。


本展の準備のための資料なんかも公開されていて、将来キュレーターになりたいとか、アート関係の仕事に就きたいといった人には、とても勉強になるんじゃないでしょうか。

美術館は単に美術品を管理し、作品を見せるということだけでなく、教育普及も重要な仕事の一つで、そうしたことにもちゃんと触れられていたりします。でも展示されているのが、オノレ・ドーミエの風刺画だったり、ただひたすら植物にアルファベットを教えるというジョン・バルデッサリの映像作品だったり、かなりシュール(笑)

池田遙邨 「大正12年9月関東大震災」
1923年 京都国立近代美術館蔵

阪神・淡路大震災や東日本大震災では、多くの美術館・博物館にも甚大な被害をもたらし、あらためて作品や文化財の保管方法や、破損した場合の救出や修復、また建物の免震・耐震を含めた危機管理を考えさせられました。関東大震災や阪神・淡路大震災の被害を伝える絵や写真、阪神・淡路大震災や東日本大震災で被災した美術品や文化財の救援の活動報告書、また免震台といった作品を守るものに至るまでさまざまなものが展示されています。


京都や大阪まで行かないと観られないような作品や、こうした企画でないと隣り合わせで展示されないような作品もあり、興味深い展示が多くあります。大きな額の中に小さな額が収まり、一番小さな額の中からは壁の向こうが額の中の絵のように見えるという、遊び心もあったりします。

フランシス・ベーコン 「スフィンクス―ミュリエル・ベルチャーの肖像」
1979年 東京国立近代美術館蔵

何気なくフランシス・ベーコンが飾られてありますが、実は手前の保護柵がポイント。写真には写ってませんが、隣にいる監視員も作品の一部だったりするわけです。

[写真右] ピエール=オーギュスト・ルノワール 「木かげ」
1880年頃 国立西洋美術館松方コレクション蔵

《Light 【光/照明】》では、ルノワールの作品のとなりの壁をハロゲン光の照明が照らしています。印象派の陽光と現代の光源。こうした意表を突くアイディアも本展の面白いところ。


《Naked/Nude 【裸体/ヌード】》には、萬鉄五郎や安井曽太郎、甲斐庄楠音、小倉遊亀から、クールベやピカソ、デュビュッフェまで東西の裸婦画が壁一面に展示されています。海外の美術館などではこうした展示の仕方はありますが、日本ではあまり見ないのでなかなか新鮮です。新海竹太郎のブロンズもあれば、棚田康司の木像が同じ空間にあるというのも面白い。

[写真左から] マルセル・デュシャン 「自転車の車輪」「瓶乾燥器」「泉」「帽子掛け」
京都国立近代美術館蔵

芸術作品はオリジナルでなければならないのか? デュシャンの“レディメイド”やウォーホルの複製画像を使った作品など、芸術においてオリジナルとは何なのかを考えさせるテーマにもしっかり言及しています。「泉」にはちゃんとデュシャンのサインも。

[写真左] 梅原龍三郎 「ナルシス」 1913年 東京国立近代美術館蔵
[写真右] ピエール=オーギュスト・ルノワール 「横たわる浴女」 1906年 国立西洋美術館

《Provenance 【来歴】》では梅原龍三郎の絵と並んで、梅原の旧蔵品で、国立西洋美術館等に寄贈された作品が集められています。ルノワールの絵や紀元前のキュクラデス彫刻や壺など、今は別々の美術館に納められていますが、こうして見ると梅原龍三郎の作品に通じるものを感じますし、また梅原が所蔵していたという付加的な価値に気付きます。

藤田嗣治 「横たわる裸婦 (夢)」 1925年 国立国際美術館蔵

藤田嗣治 「パリ風景」 1918年 東京国立近代美術館蔵

藤田嗣治 「裸婦」 1926年 国立西洋美術館松方コレクション蔵

藤田嗣治 「タピスリーの裸婦」 1923年 京都国立近代美術館蔵

《Storage 【収蔵庫】》では、各美術館の収蔵庫が再現されていて、実際の写真の中にそれぞれ藤田嗣治の作品だけは本物を飾っていたりします。こういう見せ方も面白いですね。

会場の最後には、本展に作品を搬入するのに実際に使った輸送用クレートが“展示”されています。会場の途中に、運び込まれた作品を展示するまでを記録した映像が流れていて、私たちは当たり前のように思っているけど、こうした裏側の作業があって、ゆっくりと作品を観ることができるのだなということを実感します。


本展は、美術館が好きな人、美術展が好きな人には興味の尽きない展覧会じゃないでしょうか。さまざまな切り口、いろんな工夫のある展示が何より楽しい。美術館とは何かをいろいろと考える機会になりました。

※本展は、いくつかの条件を守れば、一部の作品を除き、写真撮影が可能です。


【NO MUSEUM, NO LIFE? -これからの美術館事典 国立美術館コレクションによる展覧会】
2015年9月13日(日)まで
東京国立近代美術館にて


美術館で働くということ 東京都現代美術館 学芸員ひみつ日記美術館で働くということ 東京都現代美術館 学芸員ひみつ日記