2011/11/12

長谷川等伯と狩野派展

出光美術館で開催中の『長谷川等伯と狩野派展』に行ってきました。

等伯の作品を中心に、長谷川派の作品と、等伯と同時代の安土桃山時代から江戸初期の狩野派の作品を比較展示した展覧会です。

昨年は等伯の没後400年ということで、東京国立博物館で大々的な回顧展『長谷川等伯展』があり、4年ほど前には京都国立博物館で『狩野永徳展』もあり、ほかにも東京国立博物館での『対決-巨匠たちの日本美術』展などで等伯や永徳それぞれの作品を観る機会はありましたが、こうして“長谷川派”“狩野派”という形で作品に触れる機会はなかったように思います。

会場を入ってすぐのコーナーには狩野派全盛時代の作品が。華麗な狩野派の作品に否が応にも胸が高鳴ります。

狩野永徳の末弟・長信の作品が2点、永徳の父・松栄の作品が2点、狩野派2代目の元信の印のある作品が1点(但し、元信画に学んだ他の狩野派絵師ではないかという説)の計5点。後期(11/22~)には永徳「鷲捕兎図屏風」が長信「松に鶴亀図屏風」と入れ替えで出展されます。

元信印「花鳥図屏風」(室町~桃山時代)

狩野派を大きく銘打った割には5点だけと少ないのが少々寂しい気もしますが(後のコーナーで狩野派の作品は数点出てきます)、出光美術館の広さを考えるとしょうがないのかもしれません。それでも長信の「松に鶴亀図屏風」や「桜・桃・海棠図屏風」はいずれも華やかで装飾的な桃山絵画様式で、狩野派全盛期の特徴的な画趣を堪能することができます。

狩野長信「桜・桃・海棠図屏風」 (桃山時代)

一角には、まるで狩野派に挑むかのように長谷川等伯の「竹虎図屏風」が展示されています。右隻には低い姿勢で獲物を狙うかのような虎、左隻にはまるで猫のような格好で耳を掻く虎。2頭の対照的な虎の構図が面白い。左隻の隅に「これは周文の作である」と狩野探幽による但し書きが堂々と書かれていて、探幽が等伯の作品を知らずに見間違ったのか、はたまた故意に周文作としたのか、という説があるそうです。等伯の時代には有名な「対屋事件」のような嫌がらせもありましたが、もし意図的に歴史から等伯を抹消しようとしていたとすると、ちょっと怖いですね。

長谷川等伯「竹虎図屏風(左隻)」 (桃山時代)

次の間は、等伯の作品を中心にまとめられています。等伯の「竹鶴図屏風」「松に鴉、柳に白鷺図屏風」に加え、等伯に影響を与えたという宋末元初の中国の画僧・牧谿や室町時代の水墨画家・能阿弥の作品が参考展示されています。

長谷川等伯「松に鴉・柳に白鷺図屏風(右隻)」(桃山時代)

牧谿は中国ではあまり評価されなかったのに対し、日本では高く評価され、室町幕府8代将軍足利義政が収集した東山御物の中にも数多く含まれていたといいます。等伯の画論集「等伯画説」でも牧谿のことが多く語られていますが、確かに牧谿の墨画の湿潤な大気や淡い光の様子は等伯を彷彿とさせます。(牧谿は2点出展されています)

牧谿「平沙落雁図」(重要文化財)(中国・南宋末~元時代初期)

次が「長谷川派と狩野派」。長谷川派と狩野派の作品の比較を通して、それぞれの特色や共通点を探っています。見ものは長谷川派と狩野派(狩野常信)の「波濤図屏風」対決で、互いを強く意識しながらも、ときに相手の表現を盗み学び、切磋琢磨していた様子がうかがえます。残念なのは、いずれの「波濤図屏風」も右隻のみの展示で、左隻が出ていなかったこと。スペースの問題なのでしょうが、左右揃った状態で観たかったなという気がしました。(図録には左右揃いで掲載されています)

長谷川派「波濤図屏風(右隻)」(江戸時代)

最後は「やまと絵への傾倒」ということで、長谷川派による「柳橋水車図屏風」のほか、同時代のやまと絵の作例を紹介。等伯や長谷川派がやまと絵についても強い関心を示していたことが分かります。

長谷川派「柳橋水車図屏風(右隻)」(江戸時代)

近年、等伯、狩野派ともに展覧会が続いたこともあって、それほど新鮮ではないかもしれませんが、あえて比較展示をすることで、両派の画風の違いや親近性、また研鑽の過程などさまざまな角度から観ることができ、また時折挟まれる解説パネルも分かりやすく、オススメの展覧会です。


【日本の美・発見Ⅵ 長谷川等伯と狩野派】
出光美術館にて
2011年12月18日(日)まで


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松林図屏風松林図屏風

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