2016/04/02

国芳イズム

練馬区立美術館で開催中の『国芳イズム-歌川国芳とその系脈 武蔵野の洋画家 悳俊彦コレクション』に行ってきました。

なかなか時間が作れず、やっと行けたと思ったら、もう会期半分が過ぎてしまっていました。(しかもまた記事のアップが遅くなってしまって・・・)

国芳は毎年のように展覧会がありますし、しかも今年はこれとは別にもう一本『俺たちの国芳 わたしの国貞』がありますし、もう散々観てきた感があるというのに、こうして人が集まるのですから、国芳人気はすごいもんだなと思います。

とはいえ、朝一だったこともあるのか、予想に反してガラガラ。国芳の展覧会っていつもどこも混雑してるので、こんなゆっくりと国芳作品を観られたのは嬉しい誤算(といっていいのか?)でした。

そんな本展は、洋画家の悳俊彦(いさお としひこ)氏のコレクションを紹介した展覧会。悳俊彦氏は武蔵野の面影をライフワークに描き続けている洋画家ですが、浮世絵研究家としても知られ、特に国芳の研究では定評があるのだそうです。

出品数は浮世絵作品だけで約230点。途中入れ替えがあり、常時160点ぐらいが展示されてます。国芳作品はその内の半分弱で、残りは河鍋暁斎、月岡芳年を含む国芳一門の作品と“国芳イズム”を継承する小林永濯や尾形月耕、山本昇雲の作品。ボリュームもさることながら、個人コレクターのコレクションとは思えないぐらい充実度がハンパありません。

歌川国芳 「六様性国芳自慢 先負 文覚上人」
万延元年(1860)

猛者たちの梁山泊

まずは国芳。いくつかのテーマを設け、“国芳イズム”を探ります。
最初に並ぶのが国芳の代名詞であり、ブレイクするきっかけとなった「通俗水滸伝豪傑百八人」をはじめとする武者絵の数々。ダイナミックだったり破天荒だったり、ユーモラスだったり、ちょっと奇矯な作品ばかりが取り上げられやすい国芳ですが、かなりしっかりと国芳ならではの武者絵というものを紹介していると思います。

歌川国芳 「鏗鏘手練鍛の名刄 紙屋治兵衛」
弘化4年(1847)

国芳の弟子・月岡芳年と落合芳幾の競作「英名二十八衆句」など“無残絵”の先駆け的作品という「鏗鏘手練鍛の名刄 紙屋治兵衛」や真正面に弓を引く姿がハードボイルドな「誠忠義士伝 間瀬宙太夫正明」など、どれも滅茶苦茶カッコイイ。

歌川国芳 「誠忠義士伝 間瀬宙太夫正明」
弘化4年(1847)

もちろん「相馬の古内裏」や「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」といったお馴染みのスペクタクルな大判三枚続の作品も多く並んでいるので、国芳が初めての人にも嬉しい。

歌川国芳 「相馬の古内裏」
弘化年間(1844-48)


モブシーン ざわめきの群集表現

江戸の人々の姿を生き生きと描いた躍動的な作品も国芳の魅力のひとつ。それを発展させたのが国芳お得意の見立て物や絵解き物(判じ物)で、井戸掘りの櫓や土蔵の棟上げをする職人を子どもに見立てた作品もいかにも国芳って感じ。代表作「源頼光公館土蜘作妖怪図」は天保の改革を暗に批判したものというのは有名な話。うしろで蠢く妖怪は圧政に苦しむ江戸の庶民だといいます。

歌川国芳 「源頼光公館土蜘作妖怪図」
天保14年(1843)


洒落と才智と戯れと

遊女の美人画は禁止とか歌舞伎の役者絵は禁止とか、お上の無慈悲なお達しから生まれたともいう国芳の戯画。役者の似顔絵を子どもの落書きにように描いた「荷宝蔵壁のむだ書」の頃は実はすでに禁制が解かれていたのだそうです。国芳の戯画はただの風刺絵ではなく、それを逆手に取るぐらいの余裕やヒネリがあって、江戸の人々の底強さを感じさせます。


猫狂いの動物画

国芳の猫好きは有名すぎるぐらい有名ですが、さすが国芳コレクターの方の展覧会だけあって、現存2枚しか確認されていないという“鼠除け用”の猫の浮世絵もあったりします。人間の姿を動物に置き換えた作品を国芳はよく描いていますが、「里すゞめねぐらの仮宿」は遊女を雀に見立てた作品で、これも天保の改革で遊女を描けなかったためのアイディアとか。

歌川国芳 「里すゞめねぐらの仮宿」
弘化3年(1846年)


江戸の賑わい 流行と人気者

最後に風景画や芝居絵、妖怪絵、私家版の摺り物などなど、国芳の幅広いレパートリーとその技の数々を堪能。時は幕末、国芳も西洋画をすでに目にしていたようで、遠近法や影の描写など西洋画を意識した作品も見られるようになります。

歌川国芳 「浅茅原一ツ家之図」
安政2年(1855年)


国芳門人・河鍋暁斎・月岡芳年

このあとは国芳門人をはじめ、門人を代表する河鍋暁斎や月岡芳年、また小林永濯や尾形月耕、山本昇雲にスポットを当てています。

国芳の門人は名前が分かっているだけで80余名。月岡芳年や落合芳幾、芳艶あたりは有名で作品はよく見かけますが、他にも個性的な弟子はたくさんいて、博打好きで33歳で獄死したという芳鶴、背中一面に国芳絵の入れ墨を入れていたという一門きっての色男・芳雪、後年子ども向けの玩具絵を手掛けたという芳藤など、本展では28人の弟子の作品が紹介されています。日本に2組しかないという大判3枚続の「勇国芳桐対模様」は国芳が門人を引き連れて山王祭に繰り出す図で、芳鶴、芳雪、芳藤らが名前入りで描かれています。芳雪は片肌脱いだ刺青姿。

月岡芳年 「魁題百撰相 菅谷九右エ門」
慶応4年(1868)

河鍋暁斎 「元禄日本錦 岡嶋八十右門常樹 倉橋伝助武幸」
明治19年(1886)

暁斎は錦絵のみの展示。わずか7歳で国芳に入門するのですが、国芳の素行を見かねた両親が狩野派へ預けたというエピソードが笑えます。国芳は暁斎を“画鬼”と呼んでかわいがったといい、雀百までじゃないですが、暁斎の絵を観ていると、やはり国芳の下で受けた影響は大きいんだろうなと強く感じます。


小林永濯・尾形月耕・山本昇雲

小林永濯、尾形月耕、山本昇雲は明治期の浮世絵ファン垂涎の素晴らしさ。2階の会場は錦絵中心で1階に肉筆画が展示されています。

山本昇雲 「今すがた 花やしき」
明治42年(1909)

山本昇雲 「曽我兄弟夜討之図」

月耕は独学なのだそうで、美人画などその線のタッチが独特で新鮮です。昇雲は代表作といえる子どもを描いた作品や新版画風の美人画などが多く並んでいます。その中でも異質というか、驚いたのが肉筆画の「曽我兄弟夜討之図」で、非常に繊細なタッチで素晴らしい。背景の水墨の木々も見事。

小林永濯 「遊女鞠遊び」
明治17年(1884)

そして何と言っても注目は近年評価が高まっている永濯。永濯は親が国芳か豊国に入門させようとしたら、今さら浮世絵でもないだろうという意見があり、幕末の狩野派の絵師・狩野永悳に弟子入りしたといいます。錦絵も良いのですが、やはり肉筆の素晴らしさは格別で、こんなに永濯作品を観たのは初めて。「鍾馗図」のカッコよさ、「遊女鞠遊び」の美しさ、「猫図」の不気味さに惚れました。

小林永濯 「猫図」

最後に国芳コレクターで洋画家の悳俊彦の作品を紹介。武蔵野の田園風景が中心で、子どもの頃よく遊んだ石神井公園を描いた作品もあって、懐かしかったです。


【国芳イズム-歌川国芳とその系脈 武蔵野の洋画家 悳俊彦コレクション】
2016年4月10日 (日)まで
練馬区立美術館にて


国芳イズム—歌川国芳とその系脈国芳イズム—歌川国芳とその系脈

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