2017/11/11

柳沢淇園展

奈良の大和文華館で開催中の『柳沢淇園展』を観てまいりました。

淇園は18世紀前半に活躍した文人画家。よほど江戸絵画を観てない人でないと知らないようなマイナーな絵師かもしれませんが、Twitterでも淇園の展覧会が観たいとつぶやいていたことがあるくらい、淇園の作品を一度ちゃんと観たいとずっと思っていました。

トーハクの常設や都内の展覧会でもときどき淇園の作品を観る機会はありますが、それはほんと稀なこと。そんな柳沢淇園の、なんと50年ぶりという展覧会があるというので、遠く奈良まで行ってきました(もともと京都に行く予定があったのでよかったのですが)。朝5時半に家を出て、10時の開館には美術館に着いていたという(笑)。バカですね。


展覧会の構成は以下のとおりです:
淇園の境遇-主家と生家-
淇園の関心-黄檗美術と古画-
淇園の人物図
淇園の花果図・花鳥図
淇園の墨戯
淇園の墨跡・書簡
淇園の著作・版本
淇園周辺の新たな潮流-南蘋風と文人画-

早くから画才に恵まれた淇園は12、3歳ですでに狩野派を批判し、長崎派の英元章に師事。中国の明清画を積極的に学んだといいます。淇園というと、江戸後期に隆盛する文人画、南画の先駆とされていますが、その作品からはいわゆる南宗画の画様はあまり見られず、一般的にイメージされる江戸絵画の文人画、南画とは少し異なります。柳沢吉保の筆頭家老の家に生まれた武士という身分や境遇から、本来の意味での文人画家であるわけですが、どちらかというと黄檗絵画の傾向が強く、鶴亭や伊藤若冲、あるいは円山応挙といった濃密鮮烈な彩色画の先を行っていたという印象を受けます。展覧会の解説でも「伊藤若冲に先駆けて、濃密で個性的な絵画世界を作り出した」と紹介されていました。

柳沢淇園 「関羽図」
延享2~寛延元年(1745-48)頃 東京国立博物館蔵

淇園に先立つ作品として、中国風の絵画“唐絵”の祖とされる逸然やその流れを汲む蘭渓若芝らの作品が展示されていました。逸然の「達磨図」は昨年『我が名は鶴亭』でも拝見した作品。かつての禅画で見られた達磨とは異なる図様、黄檗絵画らしい彩色された姿が印象的です。東博所蔵の「関羽図」は淇園を代表する人物画ですが、その構図、色彩も逸然が持ち込んだ中国絵画の図様に行き着くようです。恐らく淇園は環境的にも幼い頃から狩野派の作品に触れる機会があったでしょうし、そうした彼が当時としてはまだ目新しい唐絵に強く傾倒したというのが興味深いところです。

柳沢淇園 「寒山拾得図」
江戸時代・18世紀 個人蔵

淇園の道釈人物画が充実していて、その中でもひと際目を引いたのが「寒山拾得図」。寒山と拾得をあたかも一つの顔のように描いたところがユニークで、こういう絵は初めて観た気がします。濃厚な色彩もさることながら、顔や衣服の陰影の強い表現も印象的です。

柳沢淇園 「大黒天図」
宝暦6年(1756) MIHO MUSEUM蔵

「大黒天図」や「布袋図」も陰影の強いニタリと笑う顔が強烈。同じパターンの作品がいくつか展示されていて、「関羽図」も似た構図の作品があったり、淇園が同じ画題を繰り返し描いていたことが分かります。こちらも複数展示されていた「睡童子図」は朱塗の長机に頬杖ついて居眠りする童子を描いた作品。机の上には墨と紙があって、勉強をしていて眠くなってしまったのでしょうか。中には机に突っ伏して眠る子も。唐招提寺所蔵の「臥遊子千里図画冊」からの流用が指摘されていました。

柳沢淇園 「蘭花果実図」
江戸時代・18世紀 個人蔵

淇園というと個人的には花卉画の印象が強いのですが、こちらは展示作品が少なかったのが残念。淇園の花卉画も道釈人物画同様、中国趣味の強い濃厚な色彩と細密な描写が特徴。花瓶や皿(あるいは籠)に添えられた花や果物はまるで静物画で、当時の江戸絵画には見られないものだと思うのですが、明清画では人気の画題だったといいます。五言絶句、七言絶句といった漢詩が添えられていることからも、中国の文人趣味を強く意識していることが分かります。

沈南蘋来日前から淇園はこうしたヴィヴィッドな色彩の花果図・花鳥図を描いていたわけですが、「雪中梅花小禽図」の胡粉を散らし雪に見立てる技法は南蘋派からの影響が指摘されていて、晩年は鶴亭など南蘋派の若い画家との交流も盛んだったことが窺えます。

柳沢淇園 「雪中梅花小禽図」
江戸時代・18世紀 個人蔵

筆の代わりに指や爪で描く指頭画を淇園が日本で誰よりも早く取り入れていたというのも、この人のアンテナが中国絵画に向いていたことを物語る気がします。墨竹画がいくつか展示されていましたが、墨竹画は鶴亭や若冲の作品でもよく見かけるので、黄檗絵画では人気の画題だったのでしょう。紺紙に緑の絵具で竹を描いたり、裏箔に技法を取り入れたりするところは若冲の先を行っていたという点で興味深いものがあります。

墨跡も充実していてなかなか面白かったです。楷書にしても行書にしても、性格なのか育ちの良さなのか、書きぶりが丁寧できっちりしているのが印象的。面白かったのが、朱色の斜線を引いて紙面を分割し、そこに書をしたためた一風変わった書簡で、淇園の洒落た感覚というのも窺い知ることができました。

柳沢淇園 「彩竹図」
江戸時代・18世紀 岡田美術館蔵

池大雅は若い頃、淇園のもとに身を寄せていたといいます。池大雅と淇園の作品に共通する部分は少ないように思えますが、淇園の文人趣味が池大雅や同時代の祗園南海や彭城百川といった初期南画家に与えた影響は大きいのかもしれません。また、淇園や鶴亭、若冲といった黄檗絵画や明清画を背景とした一連の流れが同時発生的に起きていたことも興味深いところです。今回の展覧会を通して、ようやく淇園がどういう絵師なのか見えてきたように思います。


【特別展 柳沢淇園-文雅の士・新奇の画家-】
2017年11月12日(日)まで
大和文華館にて


近世畸人伝 (岩波文庫)近世畸人伝 (岩波文庫)

0 件のコメント:

コメントを投稿