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2017/08/06

萬鐵五郎展

神奈川県立近代美術館葉山で開催中の『萬 鐵五郎展』を観てまいりました。

去年の夏も葉山まで『クエイ兄弟展』を観に行ったのですが、ちょうど海水浴に行く人たちと時間が重なり、バスを何便も見送るという目にあったので、今回は平日に、時間もずらして行ってきました。

萬鐵五郎というと代表作のいくつかを東京国立近代美術館で観たりする程度で、それほど高い関心は持ってなかったのですが、昨年の東京ステーションギャラリーの『動き出す!絵画』と今年の埼玉県立近代美術館の『日本におけるキュビズム』で萬のさまざまな作品に触れ、にわかに興味を持ち始めました。

本展は今年の春に岩手県立美術館で開催された展覧会の巡回で、萬鐵五郎のここまでの規模の回顧展は約20年ぶりだそうです。水彩、油彩、素描だけでも約360点(前後期展示替えあり)、資料関係を含めると約440点という膨大な量。展示が充実しているのはもちろんですが、ここはスペースも広いので、ゆったりとして見やすいのがいいですね。


Ⅰ. 1885-1911 出発

10代の頃の図画帖や水墨画、洋画風の鉛筆画、水彩画などが展示されていましたが、面白かったのが通信教育で添削された水墨画。明治時代に水墨画の通信教育があったのも驚きなのですが、漁師を描いた絵に頭は6頭身にするようにとか講師のコメントが朱筆で事細かに書かれていて面白い。こうして基礎をみっちり叩き込んだのでしょう、20歳の頃の油彩画「静物(コップと夏みかん)」を観ても描写がとても的確です。

萬鉄五郎 「静物(コップと夏みかん)」
明治38年(1905) 岩手県立美術館蔵

東京美術学校に首席で入学し、卒業するときは19名中16番目だったというのは有名なエピソード。美校時代は「婦人像」のように典型的な外光派の油彩画も残していて、この路線のままいけば卒業も優秀な成績だったかもしれませんが、途中から後期印象派やフォーヴィズムに感化され、画風が一変。当時の美校では全く評価されなかったそうです。

萬鉄五郎 「婦人像」
明治43年(1910)頃 岩手県立美術館蔵

萬鉄五郎 「点描風の自画像」
明治44年(1911)頃 岩手県立美術館蔵

とはいえ、不評だった卒業制作「裸体美人」も今や重要文化財。そんな「裸体美人」をはじめ多くの萬作品でモデルにもなった“よ志”夫人のコメントが紹介されていましたが、萬の表現主義的暴発に対し「したいようにしたらいい」と言っていたというのが笑えるし、この奥さんあって萬なんだなと思います。

萬鉄五郎 「裸体美人」 (重要文化財)
明治45年(1912) 東京国立近代美術館蔵

萬は自画像も多いんですが、ほんの数年の間でも作風の変化が激しく、さまざまに試行錯誤をしている跡も伺えます。今回の展覧会は一応時代ごとに区分けされているんですが、作品自体が年代順に並んでる訳でないので、表現の変化を細かに見る点ではちょっと分かりづらいのが難点。行ったり来たりして制作年を確認しながら観てました。

萬鐵五郎 「赤い目の自画像」
大正2年(1913)頃 岩手県立美術館蔵

萬鉄五郎 「雲のある自画像」
明治45~大正2年(1912-13)頃 岩手県立美術館蔵


Ⅱ.1912-1913年 挑戦

卒業後は、若手洋画家の表現主義的な盛り上がりの中で生まれたヒュウザン会(フュウザン会)に参加するなど意欲的な活動がつづきます。萬芸術の基礎となる要素がこの時期にほぼ出揃ったと解説されていました。日傘をさす女性や袴姿、丁字路、飛び込みといった繰り返し描かれるモチーフが現れ、女性の独特のフォルムもこの時期に固まってくるのが分かります。

萬鉄五郎 「女の顔(ボアの女)」
明治45・大正元年(1912) 岩手県立美術館蔵

萬鉄五郎 「風船をもつ女」
大正2年(1913)頃 岩手県立美術館蔵

並んで展示されていた「女の顔」と「女の顔(ボアの女)」の何ともいえない表情が秀逸。「風船をもつ女」もいかにも日本的な女性とフォーヴィズムの色彩の絶妙なバランス(アンバランスというべきか)、写実からは遠いところにあるリアルさが素晴らしい。日本女性を美しく描き出すのではなく、頭の大きさや胴の長さなど欠点や決して美しいわけではない顔の表情を強調することで、独特のリアリティを生み出していることに成功している気がします。

萬鉄五郎 「太陽の麦畑」
明治45・大正元年(1912)頃 東京国立近代美術館蔵

萬の場合、西洋の受け売りじゃなくて、萬ならではの造形や色彩になっているのが凄いと思うんです。毒々しい色彩と荒々しい筆致。つぎつぎと溢れ出るイメージ。中には「ゴッホ?」みたいなのもありましたが。

萬鉄五郎 「仁丹とガス灯」
明治45・大正元年(1912)頃 岩手県立美術館蔵


Ⅲ.1914-1918年 沈潜

生活や制作上の理由から約1年4ヶ月ほど岩手の土沢に移るのですが、この時期の作品は茶褐色の暗い色調や、これまでの激しさとは異なる重苦しい風景画などの作品に占められます。「木の間から見下した町」の気味の悪さ、息苦しさ。他の作品でも道や畑は波打つようにうねり、どことなくムンクを思わせるようなところもあり、萬の絵画制作に対する苦悩や鬱屈とした心の内を見るような気持ちになります。

萬鉄五郎 「木の間から見下した町」
大正7年(1918) 岩手県立美術館蔵

静物画も結構描いているようなのですが、この土沢時代の静物画はいいですね。決して明るくないし、楽しげな生活風景をイメージもできないのですが、家族が身を寄せ合って暮らしている慎ましい生活が滲み出ていて、とても惹かれます。

萬鉄五郎 「薬罐と茶道具のある静物」
大正7年(1918) 岩手県立美術館蔵

こうした暗く土着的な作品群はこの時期だけのようなのですが、カンディンスキーを思わせる作品や未来派のような作品もあったり、表現主義的な傾向もより強まっているところもあって興味深い一方で、ちょっと煮詰まっている感じもあります。

萬鉄五郎 「かなきり声の風景」
大正7年(1918) 山形美術館寄託

興味深いのはこの頃を前後して水墨の南画が増えてくるところ。萬の南画は以前にも観たことはありますが、今回は回顧展というだけあって展示数も多い。油彩とは違う自由奔放な筆遣いで、とりわけ茅ヶ崎移住後の作品は牧歌的な風景や人々が描かれていて観ていて楽しい。水分を含んだ太い墨で輪郭を描いた水墨の「裸婦」は萬の裸婦の独特のフォルムがよく出ていて、とても惹かれました。こうした南画に見られる大らかさは晩年の油彩にも活かされているようです。

萬鉄五郎 「川辺の石垣」
大正3~5年(1914-16) 萬鉄五郎記念美術館蔵(展示は7/30まで)

萬鉄五郎 「日の出」
大正8年(1919)年頃 萬鉄五郎記念美術館蔵(展示は7/30まで)

「もたれて立つ人」といえば、日本のキュビズムのエポックメイキング的な傑作。展示の並びが土沢時代のあとに来るので、土沢でもがき苦しんだ結果、生み出された作品のような印象を受け混乱するのですが、これは土沢に移る前に制作した作品。この時期の萬はキュビズムの研究に没頭するあまり神経衰弱に陥ったともいわれます。キュビズムの試みは少し前から見られ、裸婦画や風景画などにキュビズム様式を感じるものもありますが、特に自画像はピカソの自画像を思わせるものがあったり、「もたれて立つ人」と同じ朱色を使ったものもあったり、いろいろ模索をしていた跡が伺えるし、その結果が「もたれて立つ人」なんだろうと感じます。

萬鉄五郎 「もたれて立つ人」
大正6年(1917) 東京国立近代美術館蔵


Ⅳ.1919-1927年 解放

茅ヶ崎移住後の作品は明るく暖かな色彩に溢れ、肩の力の抜けた作品が目に見えて増えるのが分かります。温暖な気候風土も良い方向に影響したのでしょう。しばらく影を潜めていたフォーヴィズム的な造形も現れ、筆致も明らかにリズミカルです。茅ヶ崎の風景や海、子どもたちを描いた作品も目立ちます。

萬鉄五郎 「水着姿」
大正15年(1926) 岩手県立美術館蔵

体は大人の女性、顔は子どもというユニークは「宙腰の人」、宗達の「松島図」のような海に傘を持つ少女という組み合わせが面白い「水着姿」など、相変わらずインパクトの強い作品があります。この頃の静物画がまたとても良くて、キュビズムを咀嚼したような作品があったり、セザンヌを思わせる作品があったり、興味深い感じがしました。

萬鉄五郎 「ねて居るひと」
大正12年(1923) 北九州市立美術館蔵

萬は41歳で亡くなるので、画業という意味ではわずか20年ぐらいしかないんですね。萬の画風の変遷や日本の近代洋画のエポックメイキング的な傑作の数々を見ていると、あまりそんな風には思えないし、20年の画業とは思えない密度の濃さに驚きます。没後90年でこれだけの規模なんですから、没後100年にはどんな展覧会になるんでしょうか。


【没後90年 萬鐵五郎展】
2017年9月3日(日)まで
神奈川県立近代美術館 葉山にて


万鉄五郎 (新潮日本美術文庫)万鉄五郎 (新潮日本美術文庫)

2016/08/20

クエイ兄弟 -ファントム・ミュージアム-

神奈川県立近代美術館葉山で開催中の『クエイ兄弟 -ファントム・ミュージアム-』を観てまいりました。

『ストリート・オブ・クロコダイル』などストップモーション・アニメーションでカルト的な人気を誇る映像の錬金術師ブラザーズ・クエイの創作世界を紹介するアジア初の回顧展です。

シネ・ヴィヴァン六本木で『ストリート・オブ・クロコダイル』がレイトショー公開され、約4ヶ月に及ぶロングランを記録してから、かれこれ27年。四谷のイメージフォーラムでの特集にも通いましたし、あれから何度観たことでしょう。わたくし事ですが、以前の仕事で少し絡みもありまして、個人的にも思い入れのあるブラザーズ・クエイの展覧会だけに、場所が少々遠いのですが、夏休みを使って伺ってきました。


Ⅰ.ノーリスタウンからロンドンへ

ブラザーズ・クエイはスティーブンとティモシーの一卵性双生児の兄弟。その独特の映像世界や幻想的・神秘的・哲学的なイメージからヨーロッパの映像作家と思われがちなのですが、出身はアメリカ。しかし、フィラデルフィア芸術大学在学中に『ポーランドポスター芸術展』を観て大いに刺激されて以来、東欧文化に感化された作品作りをするようになったといい、その後はイギリスに拠点を置き活動を行っています。

ここでは、学生時代のイラストやドローイング、エッチングをはじめ、活動初期に装幀を手掛けた書籍やレコードジャケット、演劇のリーフレット、またクエイ兄弟に決定的な影響を与えたポーランドの前衛的なポスターなどが並びます。カフカにインスピレーションを得ているのも、らしいと感じますし、興味深いのは1970年代に鉛筆で描かれた一連の“黒の素描”で、クエイ兄弟の映像作品の源泉を見る思いがします。


Ⅱ.映画

会場にはところどころにブラザーズ・クエイの映像作品がダイジェストで観られるコーナーがあります。各コーナーとも10分ぐらいでしょうか。だいたい5本ずつ、それぞれ約2~3分にまとめられた短い映像なので、やはりここは是非観てブラザーズ・クエイの世界、彼らの造り出す空気感にどっぷり浸かって会場を廻りたいところです。

実際に撮影で使用したセットやパペットを再構成し、箱に収めた舞台装置(デコール)もいくつかあって、彼らのアニメーションの世界をそのままに再現しています。平面的な写真では伝わりにくいし、立体で見て初めて感じることもあるし、イメージが膨らみます。ファンにはたまらないですね。

ブラザーズ・クエイ 『ストリート・オブ・クロコダイル』 1986年

ブラザーズ・クエイ 『ヤン・シュヴァンクマイエルの部屋』 1984年

ブラザーズ・クエイ 『さほど不思議ではない国のアリス』 2007年


Ⅲ.ミュージック・ヴィデオ&コマーシャル

ブラザーズ・クエイは自分たちの映像作品の創作活動以外に、割と商業的な作品でも活躍しています。有名なのはアニメーションパートを担当したピーター・ガブリエルの「スレッジハンマー」のミュージック・ヴィデオでしょうが、ほかにも企業CMや商品CMなどを多く手掛けているようです。会場ではそうした映像のいくつかを観ることができて、フランスの炭酸水“BADOIT”のCMなどちょっと笑えるものもあります。ブラザーズ・クエイがBBCの依頼で制作したステーションブレイクもなかなかユニーク。でもこれは結局採用されなかったのだとか。ちなみにこの『カリグラファー』はデコールでも展示されています。

ブラザーズ・クエイ 『カリグラファー、パート1、2、3』 1991年

そのほかにもCM作品などの写真がパネル展示されていて、ニコンがブラザーズ・クエイを起用していたり、コカコーラのCMも手掛けていたりするんですね。ちょっと見てみたくなります。


Ⅳ.舞台芸術&サイトスペシフィック・プロジェクト

日本では映像作家というイメージが強くて、ブラザーズ・クエイを語るときはそこに終始してしまいがちですが、海外では演劇やオペラの舞台美術や視覚効果も多く手掛けているのだそうです。舞台美術はパネル展示なのはしょうがありませんが、どれもいかにもブラザーズ・クエイの世界。実際の舞台がどんな様子だったか想像が掻き立てられます。ブラザーズ・クエイの『ピノッキオ』なんて絶対面白いと思いますよ。


Ⅴ.インスタレーション&展覧会

最後に海外で開催されたブラザーズ・クエイの展覧会などを紹介。2012年にはニューヨークのMOMAで回顧展が開かれたほか、オランダやスペイン、イギリスなどでもこうした展覧会が開催されているようです。

今回の展覧会のために来日したブラザーズ・クエイが会期中に制作したコラージュ作品が会場展示されています。 よりによって何でこんなタイトルなんだろう(笑)

ブラザーズ・クエイ 「『粉末化した鹿の精液』の匂いを嗅いでください」 1995年/2016年

神奈川県立近代美術館葉山にて公開制作&インタビュー 2016/08/04

神奈川県立近代美術館葉山は場所柄、夏や海水浴客でバスや道路が混むだろうと予想し、平日に出かけたのですが、午前中は海水浴に行く人たちで逗子駅のバス停には長い行列ができ、バスに乗り切れなくて結局2台見送りました。このシーズンは特に土日に行かれる方は時間に余裕を持って行くのが無難かと思います。帰りも海水浴から帰る人たちと時間が重なると、かなり混雑するようです。


【クエイ兄弟 -ファントム・ミュージアム-】
2016年10月10日(月・祝)まで
神奈川県立近代美術館 葉山にて


クエイ兄弟 ファントム・ミュージアムクエイ兄弟 ファントム・ミュージアム

2016/05/01

原田直次郎展

神奈川県立近代美術館葉山で開催されている『原田直次郎展』に行ってきました。

3月まで埼玉県立近代美術館で開催されていた展覧会の巡回展です。埼玉近美でご覧になられた方々の評判も良く、観に行きたかったのですが、ちょうど年度末もあって土日もなかなか時間が取れず結局行けずじまい。残念に思っていたところ、葉山に巡回されてるというので連休最初の休日に伺ってまいりました。

うちからだと、埼玉近美のある北浦和より神奈近美のある葉山の方が全然遠いのですが、新宿駅から湘南新宿ラインで逗子行に乗ってしまえば、電車一本で行けてしまうので、楽といえば楽。逗子駅からはバスで20分ぐらいでしょうか。本数も割と出ているので、駅で時間をつぶすようなこともありません。

場所は葉山の中心・元町や森戸海岸より少し先の一色海岸にあります。浜辺に沿っていくと葉山御用邸もあるという静かで風光明媚な場所。美術館の目の前は砂浜だし、眺めのいいレストランも併設されてるので、観光気分でのんびりするにはもってこいですね。

五姓田義松 「老母図」
1875年  神奈川県立歴史博物館蔵

さて、『原田直次郎展』の会場は同時開催の神奈近美のコレクション展の先にあります。ちょうど今、神奈近美と同じ県立の歴史博物館の所蔵作品で構成された『明治の美術コレクション展』が開かれています。

日本で最初に洋画塾を開いた一人でもある川上冬崖やチャールズ・ワーグマン、そのワーグマンの指導を受けた五姓田義松や高橋由一、義松の父・五姓田芳柳といった幕末から明治前期に活躍した近代洋画の先駆者たちから、山本芳翠や黒田清輝、浅井忠、松岡壽、坂本繁二郎といった明治美術会や白馬会を代表する画家たちまで、なかなか充実したコレクション。明治の洋画界の流れを踏まえた上で原田直次郎を観ることになるので、トータルで明治の近代洋画展といった様相も呈しています。

中でも、義松は『五姓田義松展』でも観た作品も多く含まれ、展覧会で話題になった「老母図」も出品されてます。あまり観たことのなかった義松の父・芳柳の作品をまとめて観られたのも嬉しい。個人的には、川上冬崖やワーグマンに師事するも飽き足らずローマに留学した松岡壽の画風の変遷が明治の洋画の移り変わりと重なって興味深かったです。

松岡壽 「凱旋門」
1882年頃 岡山県立美術館蔵

第1章 誕生 1863-1883

まずは直次郎の出自から。スフインクスの前で撮った侍の集合写真を見たことがある人もいると思いますが、あの中に直次郎の父・一道がいるんですね。備中鴨方藩の武士で、遣欧使節団に選ばれたほどだから相当なエリートだったのでしょう。兄もドイツに留学してたり、直次郎も子どもの頃からフランス語を学んでいたり、相当先進的な家庭だったようです。これ、明治維新の頃の話ですからね。

そんな原田家にまつわる貴重な写真や史料をはじめ、明治黎明期の洋画などが多く展示されています。直次郎は20歳の頃、高橋由一に入門。会場には晩年の由一を描いた肖像画がありました。弟子がここまで技術を身につけていたら、由一もさぞ満足だったのではないでしょうか。

原田直次郎 「高橋由一像」
1893年 個人蔵


第2章 留学 1884-1887

直次郎はドイツに留学し、兄が懇意にしていたという画家ガブリエル・フォン・マックスに師事します。ドイツの美術学校では「古代クラス」を受講していたとありました。労働者を描いた作品や白髭をたくわえた裸の老人の習作がいくつかあるのですが、どれも実によく描きこまれていて、彼の腕の確かさを感じさせます。

原田直次郎 「老人」
1886年頃 東京藝術大学所蔵

直次郎と同じ年にフランスに留学したのが奇しくも同じく回顧展が開かれている黒田清輝。黒田はもともと法律を学びに留学し、後に画家に転向したという経緯がありますが、『黒田清輝展』で観たデッサンや習作と比べても直次郎は卓越しているというか、いきなり絵が上手いことに驚きます。もともと画力の高い人だったのでしょうが、ドイツ時代の作品はメキメキと、というより急速に腕が上がっていくのが分かります。

原田直次郎 「靴屋の親爺」(重要文化財)
1886年 東京藝術大学蔵

何といっても人物画の圧倒的な巧さ。代表作の「靴屋の親爺」が留学時代、言ってみればまだ修業中の身の作品だったということには驚愕しました。なんでしょう、この迫真性!この凄味! ヨーロッパに滞在したのはわずか2年ぐらいのようですが、一体どれだけのことを学び、吸収したのか。並んで展示されていた「神父」の完成度の高さも凄い。写実性の高さもさることながら、頭や白い顎鬚を照らす光の描写の素晴らしいこと。これもドイツ留学時代の作品。

原田直次郎 「神父」
1885年 信越放送株式会社蔵

ここではほかに、師ガブリエル・フォン・マックスの作品やドイツ時代に交流のあった画家の作品なども紹介されています。


第3章 奮闘 1887-1899

直次郎というと、東京国立近代美術館のMOMATコレクション(所蔵作品展)の4階の一番奥にいつも展示されている大きな「騎竜観音」を思い出します。埼玉近美のときはパネル展示だったそうですが、神奈近美では一番最初の部屋に実物が展示されています。

原田直次郎 「騎竜観音」(重要文化財)
1890年  東京国立近代美術館

「靴屋の親爺」と「騎龍観音」が同じ画家の作品というのはどうしてもピンと来なかったのですが、直次郎が帰国後に師ガブリエルに宛てた手紙に「真に日本の様式の絵画」を描きたいということが書かれていて、解説にはそれが「騎龍観音」なのではないかとあり、ようやく何か繋がった気がします。同じように日本の神話を題材にした「素尊斬蛇」(関東大震災で焼失)の写真や画稿が展示されていて、なぜ敢えてこうした日本的な洋画を追求しようとしたのかも気になりますし、その姿は黒田清輝の帰国後の葛藤ともダブります。直次郎は志半ばで亡くなりますが、その先には一体どんな完成形が待っていたのでしょうか。

原田直次郎 「安藤信光像」
1898年 東京国立博物館蔵

直次郎は帰国から10年で亡くなってしまうので作品数は多くはありませんが、評価の高かった人物画や肖像画を中心に、風景画や挿画なども展示されています。黒田清輝がフランスから帰国した年に病に倒れ、黒田が持ち帰ってきた外光派が日本の洋画界を席巻するわけですが、その様子を病床で見ていた直次郎の気持ちはいかばかりだったか。


第4章 継承 1888-1910

最後に、帰国後わずか2年ほどですが、直次郎の画塾で学んだ画家たちの作品を紹介。著名な画家の作品は少なかったのですが、水彩画家として活躍する大下藤次郎や後に黒田清輝に師事する和田栄作などがあります。直次郎の「靴屋の親爺」や「老人」、「風景」といった代表作を模写した作品がいくつか並んでいて、正しく彼の技術を継承しようとしていたんだろうなと感じます。

原田直次郎 「風景」
1886年 岡山県立美術館蔵

近年、川村清雄や五姓田義松をはじめ、この原田直次郎や千葉市美術館で同じく回顧展が開かれている吉田博といった明治黎明期の近代洋画、とりわけ“旧派”と呼ばれた画家たちの再評価が高まっています。奇しくも“新派”を代表する黒田清輝も回顧展が開かれているので、いろいろ観てみるのも面白いでしょうね。


【原田直次郎展】
2016年5月15日まで
神奈川県立近代美術館葉山にて

このあと下記の美術館に巡回します。
2016年5月27日(金)~7月10日(日) 岡山県立美術館
2016年7月23日(土)~9月5日(月) 島根県立石見美術館


原田直次郎 西洋画は益々奨励すべし原田直次郎 西洋画は益々奨励すべし

2016/01/10

鎌倉からはじまった。 PART 3: 1951-1965

神奈川県立近代美術館鎌倉館で開催中の『鎌倉からはじまった。 PART 3: 1951-1965』を観てまいりました。

本展の終了をもって閉館となる“カマキン”こと鎌倉近代美術館。近代美術館としては東京国立近代美術館よりも早い1951年(昭和26年)に開館し、日本で最も歴史のある近代美術館だったわけです。

鶴岡八幡宮との借地契約の期間満了と建物の耐震問題から、今回残念ながら閉館してしまうのですが、いつも参拝客で賑わう鶴岡八幡宮の喧騒から離れた静かな空間と、坂倉準三設計の雰囲気のある佇まいは、失うにはつくづく惜しすぎると思います。

さて、昨年の4月からはじまった“カマキン”最後の展覧会。なかなか行きそびれて、やっとのことでお別れに行くことができました。休日はかなり混んでいるとの情報があったので、平日に休みを取り、早い時間に伺ってきました。


今回のPART 3は開館当初の約14年間の歩みを追っています。開館した昭和26年といえば、まだまだ戦争の影を引きずっている時代。そんな中、少しずつ生活や心に一息つく余裕ができはじめた頃かもしれません。最初の展覧会『セザンヌ、ルノワール展』のポスターなど資料が展示されていましたが、長い間、西洋画を鑑賞することすら許されなかった人々にセザンヌやルノワールがどんなに輝いて見えたことでしょう。

コレクション第一号として展示されていたのがアンドレ・ミノーの『コンポジション』。開館当初は所蔵品すらなかった美術館がようやく購入できたこの作品に、当時の関係者の思いがどれだけ込められていたか。

萬鉄五郎 「日傘の裸婦」 1913年

展示構成は基本的に日本の洋画家で、戦後のものだけでなく戦前の作品からも多く出品されています。

茅ヶ崎に在住していたという萬鉄五郎が3点。キュビズム的な「裸婦」もいいけど、フォーヴィスムに影響された「日傘の裸婦」が面白いですね。日本髪の女性が裸で日傘をさすという構図も奇異ですが、敢えてバランスを悪くしてるのか、美人とはいいがたい裸婦像がユニークです。佐伯祐三や梅原龍三郎もいくつかの時代の作品があって、少ないながらも画風の変遷が分かります。

高村光太郎の珍しい油彩画も。彫刻は拝見する機会がよくありますが、洋画はセザンヌぽい感じがしました。妻・智恵子がセザンヌに傾倒していたという話があるので、それも関係しているのでしょうか。

古賀春江 「窓外の化粧」 1930年

後期印象派やフォーヴィスムといった20世紀初頭の西洋画の流れを受けたものとしては、川上涼花、中村彝、島崎鶏二、今西中通などが印象に残りました。藤島武二に師事したという内田巌の「少女像」も個人的にはかなり好きです。

三岸好太郎も2点あって、暗く重い色調と白い色調という対照的な作品。ともにモダニズムやシュルレアリスム以前のもので、こういう作品も描いていたんだと初めて知りました。シュルレアリスムといえば、古賀春江。青空から落下するパラシュートとビルの上で踊るモダンガール。昭和初期の年のイメージをモンタージュした古賀春江らしい一枚ですね。面白い。

松本竣介 「立てる像」 1942年

松本竣介は4点。横浜の橋を描いた作品より直線的な線の印象が強い「橋(東京駅裏)」、世田谷美術館の『松本竣介展』以来の再会となる「立てる像」。亡くなる前年に描いた、赤く塗りつぶしたカンヴァスに黒い輪郭線による「少女」が他とは違うタッチで興味深い。

同時代では靉光、また松本俊介と同郷の同級生だったという舟越保武の彫刻なども。

会場後半には、ブリヂストン美術館の『描かれたチャイナドレス』で衝撃を受けた久米民十郎があって、こんな戦後の抽象画のようなイメージの作品を1910年代に描いていたのかと驚きました。

戦後の作品では、一見抽象画のようだけど目を凝らすと死体が転がっているようにも見える麻生三郎の「死者」、ベトナム戦争を批判したという糸園和三郎の「黒い水」、また野見山暁治や勝呂忠などが印象的でした。

麻生三郎 「死者」 1961年

もちろん彫刻作品や立体作品も多く、別館も合わせるとかなりの点数が見れます。歴史があるだけに、日本の近代洋画も含め良質のコレクションが揃っているなと感じました。“鎌近”のコレクションは葉山の神奈川県立近代美術館に引き継がれるようですが、“鎌近”で観てこそのコレクションだと思います。残り1か月を切り、混雑が予想されますが、閉館前に行っておかないときっと後悔しますよ。



【鎌倉からはじまった。 PART 3: 1951-1965】
2016年1月31日(日)まで
神奈川県立近代美術館 鎌倉館にて


鎌倉からはじまった。「神奈川県立近代美術館 鎌倉」の65年鎌倉からはじまった。「神奈川県立近代美術館 鎌倉」の65年


空間を生きた。 ―「神奈川県立近代美術館 鎌倉」の建築1951-2016空間を生きた。 ―「神奈川県立近代美術館 鎌倉」の建築1951-2016