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2018/05/01

五木田智央 PEEKABOO

東京オペラシティ・アートギャラリーで開催中の『五木田智央 PEEKABOO』に行ってきました。

もう4年前になるんですね。DIC川村記念美術館で五木田智央の初の展覧会が開かれたのは。本展はそれ以来の展覧会(ギャラリーは除く)。現代アートはあまり詳しくないし、そんなに観ないのですが、五木田智央は前回の展覧会がとても良かったので、開幕早々早速観てきました。佐倉は遠くて一日がかりでしたが、オペラシティは家から歩いても行けるのでほんと楽(笑)

今回はここ数年の絵画やドローイングなど新作を中心に約40点で構成されています。テーマにまとまりはありますが、DIC川村記念美術館の時のような回顧的な側面は薄く、展覧会というより個展といった方が近いですね。そのあたりは評価の分かれるところかもしれません。個人的には、最近の作品は具象化というか物語性が出てきて面白味を感じています。


五木田智央 「Come Play with Me」 2018年

会場に入ったところには、メインヴィジュアルにもなってる新作「Come Play with Me」。アクリルグワッシュ独特のマットな質感とコントラストの効いたモノクロームの世界。中南米風の陽気な踊り子のユーモラスさと、どことなく淫靡な雰囲気がたまりません。

五木田智央 「Tokyo Confidential」 2015
「How to Marry a Millionaire」 2015

顔をつぶした一連のポートレイト。以前は顔が奇妙に歪められたり、幾何学模様で覆われたりしていましたが、今回の展覧会では少しシンプルになったというか(それでも奇妙ですが)、より抽象絵画的になったというか、デヴィッド・リンチぽいというか、これはこれでユニーク。

五木田智央 「Old Portrait」 2016
「Lady Dada」 2016

五木田智央 「Perfect Pair」 2016
「Dear Madam」 2016

もちろんプロレスネタも盛りだくさん。オネエチャンやら狂人ぽい人やら、五木田流の人間表現が面白い。会場の最後の通路には、往年のプロレスラーの似顔絵をアルバムジャケットに描いた「Gokita Records」全225点も展示されています。2002年からこつこつ描いていたシリーズだとか。プロレス好きにはたまらないんでしょうけど、自分はプロレスはほとんど分からないので。。。

五木田智央 「Sacrifice」 2018
「Pure Love」 2018

五木田智央 「Easy Mambo」 2018

Easy Mambo」はアクリルグワッシュをのせた撥水性のあるペーパーパレットの上に落ちた紙についた偶発的な模様を連作化したシリーズ。とりあえず手元にあった紙40枚だけを作ったのだとか。五木田の初期作品に抽象的な感じの作品があったので画風が戻ったのかと思ったら、ただの遊び的な作品だったのですね。

五木田智央 「Nursery Staff」 2018

五木田智央 「Los Lobos」 2018

小品を一つの作品にまとめたインスタレーション「Untitled」は前回も展示されていましたが、構成(配置)はたぶん違ってるっぽい。

五木田智央 「Untitled」 2014-15


【五木田智央 PEEKABOO】
2018年6月24日 (日)まで
東京オペラシティアートギャラリーにて


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2013/12/28

五線譜に描いた夢

東京オペラシティ アートギャラリーで開催の『五線譜に描いた夢 日本近代音楽の150年』に行ってきました。

家から近いことが災いして、いつでも行けると思っていたら、気づけば最終日前日。あわててオペラシティへ。

日本の近代音楽がどのように成立したのか。幕末・明治から、大正、昭和、そして現代へと、そこに携わった数多くの音楽家たちの涙ぐましい努力と情熱、そして文字通り五線譜に込めた思いや夢が、展示された楽譜や楽器、映像や演奏から伝わってきます。


Ⅰ 幕末から明治へ

西洋音楽自体はキリスト教の伝来とともに日本にも入って来ているようですが、実際的には幕末の開国とともに流入し、明治に入り国策として西洋音楽を輸入するようになります。

ここでは幕末に蘭学者の宇田川榕庵が翻訳した日本で最初の西洋音楽に関する書物や、ペリー来航時に随行した楽隊を描いた絵巻にはじまり、西洋音楽の導入に重要な役割を果たしたヘボンと賛美歌について、また「君が代」が音楽として成立するまでの経緯や、教育として西洋音楽を広めるために唱歌を作るにあたっての奮闘ぶりなどが紹介されています。

西洋の軍事事情に詳しかった薩摩が藩士を横浜に送り、軍楽隊を作ったとか、音楽の素養があるという理由だけで宮内省の雅楽の楽人に西洋音楽を学ばせたとか、当時の日本人たちがどれだけ西洋文化を取り入れようと努力しようとしたか、非常に興味深く思いました。ペリーが上陸したとき、楽隊が演奏した曲が「ヤンキードゥードゥル」(「アルプス一万尺」の原曲)だったというのも初めて知りました。「君が代」は今の形になるまでには何度か作曲しなおされていたり、その幻の演奏なども聴くことができました。

そのほかにも幸田露伴の妹で日本で最初の器楽曲を作曲した幸田延や、日本最初のピアノや純正調オルガンのことなど、興味は尽きません。


Ⅱ 大正モダニズムと音楽

大正時代になると、日本にも西洋音楽が根づき、世界で活躍する人々も現れます。

最初に登場するのが山田耕筰で、海外留学から帰国してのセンセーショナルなデビューの様子や、日本初の管弦楽団の結成、また山田耕筰が作曲した数々の童謡について、様々な資料や展示物から振り返っています。

そのほか、革新的な箏曲家・宮城道雄や、海外でも成功を収めたオペラ歌手・三浦環、また大正時代のオペラや演奏会事情や、竹久夢二の絵の装丁も人気だった“セノオ楽譜”、宮沢賢治が作曲した曲の自筆譜、マンドリンが趣味だったという萩原朔太郎に関する資料などが展示されています。

日本初のオペラの舞台美術に画家の山本芳翠や藤島武二が関わっていたり、作曲家・伊藤昇に送った坂口安吾の書簡や、島崎藤村が渡仏中に聴いた演奏会のチラシ帖など、美術や文学と音楽との交流の様子も見ることができます。

ドビュッシー「鐘」 セノオ楽譜65番
1917年

Ⅲ 昭和の戦争と音楽

昭和に入り、展示物から感じるのは、西洋音楽を貪欲に吸収し、西洋人・西洋文化と肩を並べようと必死になっていた流れが歪みはじめ、一気に暗い時代の渦に巻き込まれていくという姿。紀元2600年奉祝楽曲発表会が歌舞伎座で開催され、プロレタリア音楽運動への取り締まりが厳しくなり、やがて戦時下の音楽統制を目的する団体・日本音楽文化協会が結成されます。日本音楽文化協会の副会長には山田耕筰の名も。日本に西洋音楽を広めた立役者にもかかわらず、それを統制しなければならなかった彼の思いはどんなだったのでしょうか。「音楽は軍需品なり」という言葉がとても恐ろしかったです。

ベンジャミン・ブリテンが日本政府から紀元2600年の奉祝曲の作曲を依嘱されたものの、“レクイエム”という言葉に皇室への非難が含まれているとされ、演奏中止になったという「シンフォニア・ダ・レクイエム(鎮魂交響曲)」の貴重な自筆譜も展示されていました。

その一方、ラジオやレコードの普及、国民歌謡の誕生など現代に繋がっていくメディアが展示物にも登場。「東京行進曲」や「別れのブルース」といった戦前の流行歌のレコードも紹介されています。


Ⅳ 「戦後」から21世紀へ

シェーンベルク、オリヴィエ・メシアン、ジョン・ケージといった欧米の前衛音楽家が戦後日本の音楽界に与えた影響や、詩人で美術評論家の滝口修造を中心とした芸術家たちの集まり“実験工房”の活動、また武満徹や伊福部昭、團伊玖磨ら戦後の現代音楽家らの活躍等をプログラムや自筆譜、レコード、ポスターなどからその軌跡を振り返ります。

LPレコード「オーケストラル・スペース」
企画構成:武満徹、一柳慧/デザイン:和田誠 1966年

戦後のコーナーはいまひとつ掘り起しというか、ツッコミというか、物足らない感じもしましたが、総じて日本の近代音楽の流れを振り返るという点で非常に面白い展覧会でした。各コーナーに特集映像も流れていて、それも観ていたら2時間ぐらい経っていましたが、それでも観たりないぐらいの物量でした。


【五線譜に描いた夢 日本近代音楽の150年】
2013年12月23日まで(会期終了しました)
東京オペラシティ アートギャラリーにて