2018/03/04

寛永の雅

サントリー美術館で開催中の『寛永の雅 江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽』展を観てまいりました。

よほど日本史に詳しい人でないと、“寛永”っていわれてもいつの時代のことかパッと思い浮かばないかもしれませんが、本展は江戸時代初期の寛永年間(1624~1645年)を中心に開花した“寛永文化”にスポットを当てた展覧会です。

“寛永文化”は、桃山文化のような煌びやかさや侘びの趣きでもなく、元禄文化のような江戸の活気や浮世の享楽でもない、瀟洒で洗練された造形や、古典復興による雅な世界が特徴といいます。本展では「きれい」をキーワードに、“寛永文化”を代表する野々村仁清や小堀遠州、狩野探幽の作品、そして時の天皇・後水尾天皇(後に譲位し後水尾院)の宮廷文化サロンにまつわる品々を中心に構成。寛永文化の美意識に酔いしれること必至です。


本展の構成は以下のとおりです:
第一章 新時代への胎動-寛永のサロン
第二章 古典復興-後水尾院と宮廷文化
第三章 新たなる美意識 Ⅰ 小堀遠州
第四章 新たなる美意識 Ⅱ 金森宗和と仁清
第五章 新たなる美意識 Ⅲ 狩野探幽

野々村仁清 「白釉円孔透鉢」
江戸時代・17世紀 MIHO MUSEUM蔵

会場に入ったところに展示されていた仁清の「白釉円孔透鉢」にまず驚かされます。丸い穴がボコボコ空いていて、花器なのか何なのか、どんな時に使われたものなのか、とても不思議。仁清というと色絵というイメージがありますが、ミルク色のモノトーンとシンプルで独創的な造形はとてもモダンで、まるで現代工芸のよう。江戸時代初期の作品とは全く想像もつきません。

仁清は寛永の頃、仁和寺の門前で御室窯を始めたといわれ、初期は茶人・金森宗和好みの茶器を多く制作したといいます。“宗和好み”は「きれい寂び」ともいわれ、その造形はシンプルかつシャープ。高麗茶碗を思わせる渋い茶碗や、富士山や山水を表したような錆絵の茶碗など、モノトーンの落ち着いた色調は仁清の華麗な色絵陶器とは異なるモダンで洗練された印象を与えます。外は無釉で内側に釉を施し、白釉で模様を付けた「白釉建水」や、平鉢を内側に曲げた独特の造形がユニークな「流釉花枝文平鉢」がとても印象に残りました。

茶碗・茶器では、光悦の赤楽茶碗、樂家3代目・道入の黒楽茶碗、そして遠州好みの茶碗や茶入れなどがたくさん展示されています。

土佐光起 「朝儀図屏風」(写真は右隻)
江戸時代・17世紀 茶道史料館蔵 (※展示は3/12まで)

寛永文化は江戸時代最初の文化動向なんだそうです。幕府による朝廷への経済的援助や融和政策や、古典復興への気運、上流階級の町人を新たな文化的傾向が生まれたと寛永文化が花開いた時代背景が分かりやすく解説されていました。一見、それぞれ繋がっていないように思える作品でも、そうした背景を知ることで、ひとつのムーブメントの中で同時多発的に発生したということも知ることができます。

光悦・宗達コンビの「鶴下絵新古今集和歌巻」の断簡や色紙なども展示されていたのですが、光悦は寛永14年に亡くなってる(宗達も寛永年間に亡くなったという説がある)ので活動の最盛期は寛永より前なのでしょうけど、光悦・宗達の共同作品に見られる古典的世界の創造は寛永文化に繋がっていったのだろうなということも分かります。

そこでキーとなる人物が後水尾院。天皇は学問でもしてればいいという幕府の方針もあったからというのもあるんでしょうが、江戸時代の頃には途絶えていた宮廷の儀式を復活させたり、和歌や生け花(立花)に造詣が深かったり、修学院離宮を造営して窯を作ったりしてまで茶会を開いたり、展示されている作品や史料を観るだけで、相当こだわりと美意識の高い人だったんだろうなと感じます。

住吉如慶 「伊勢物語絵巻 巻第一」
江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 (※展示は3/12まで)
(写真は東博『後水尾院と江戸初期のやまと絵』(2015)で撮影)

もう3年前になりますが、トーハクで『後水尾院と江戸初期のやまと絵』という企画展示がありまして、土佐光起を宮廷絵所預に抜擢し土佐派を再興させたり、住吉如慶に住吉派を興させたり、後水尾院が江戸初期のやまと絵制作のキーマンだったことを知ったのですが、本展でも物語絵や歌仙絵を中心に土佐派・住吉派の作品が紹介されています。

土佐派は、宮廷儀礼を描いた光起の「朝儀図屏風」が展示されてましたが、これは題材的に土佐派の特徴が見られるというものでなかったのが残念(後水尾院の宮廷儀礼復活という意味では重要ですが)。住吉派は如慶の「伊勢物語絵巻」や具慶の「源氏物語絵巻」があって、その精緻な筆致や人間味を感じる表現、四季の美しさ、また余白を広くとりこてこて描きこまない淡白な描写に王朝文化復興に通じる品の高さを感じます。

「紙本著色東福門院入内図」(重要文化財)
江戸時代・17世紀 三井記念美術館蔵 (※展示は3/12まで)

後水尾天皇のもとに嫁いだ徳川和子(東福門院)も相当な人だったようで、“衣装狂い”とまでいわれた東福門院の衣装を屏風に仕立てたという「小袖屏風」は綸子に細かな刺繍や文様が施された贅沢なもの。入内したときの様子を描いたという「紙本著色東福門院入内図」がまた素晴らしく、非常に精細な描写、豊かな群像表現もさることながら、どれだけ破格の規模で、どれだけ豪華な嫁入りだったのか驚いてしまいました。

狩野探幽 「富士山図」
寛文7年(1667) 静岡県立美術館蔵 (※展示は3/12まで)

そして探幽。大きく余白を取り入れた淡白かつ瀟洒な構図、品を感じさせる淡彩で優美な画趣。豪壮な狩野派の画風を大きく変え、江戸狩野という新しい時代の狩野派の様式を探幽が確立したことはよく知ってはいますが、それが寛永文化というムーブメントの中で起きたということを初めて理解した気がします。

探幽の名古屋城襖絵や「富士山図」、「源氏物語 賢木・澪標図屏風」は過去にも拝見していますが、「若衆観楓図」は初めて観た気がします。江戸初期の風俗画を思わせるも、そこは探幽、どこか品を感じる逸品。「源氏物語 賢木・澪標図屏風」はやまと絵を取り入れた探幽の傑作として知られますが、牧谿や夏珪といった中国絵画の学習成果を感じる「瀟湘八景図」や古画研究をまとめた「探幽縮図」などもあり、探幽のレンジの広さがコンパクトにまとめられています。途中のコーナーに展示されていた、探幽の弟子・久隅守景の娘・清原雪信の「女房三十六歌仙歌合画帖」も素晴らしかったです。

狩野探幽 「源氏物語 賢木・澪標図屏風」(写真は右隻)
寛文9年(1669) 出光美術館蔵 (※展示は3/12まで)

土佐派の復興や住吉派の興隆、探幽様式と狩野派のやまと絵的傾向、そして遠州や仁清といった江戸初期の美術の点と点が線で繋がり、寛永文化の古典復興のもとで同時代的に発生したことを知りました。寛永の時代の空気までもが伝わるサントリー美術館らしい素晴らしい内容の展覧会でした。


【寛永の雅 -江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽-】
2018年4月8日(日)まで
サントリー美術館にて


茶人・小堀遠州の正体 寛永文化の立役者 (角川選書)茶人・小堀遠州の正体 寛永文化の立役者 (角川選書)

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