2012/12/14

松本竣介展

世田谷美術館で開催中の『松本竣介展』に行ってきました。

つい先だって、東京国立近代美術館の『美術にぶるっ!』展で松本竣介の絶筆「建物」を初めて観たのですが、心に深く響くものがあり、なにか暗闇の中に光に包まれた美しく厳かな教会か廟を見たかのような、そんな衝撃を受けました。偶然にも今年は松本竣介の生誕100年だそうで、ちょうど世田谷美術館で松本竣介展が始まったというので、早速、足を運んでみました。

松本竣介は戦前から戦後にかけて活躍した洋画家で、ようやく戦争が終わり、これからだという昭和23年に36歳の若さで亡くなっています。

東京に生まれ、その後少年時代を岩手で過ごしますが、13歳のとき、旧制中学の入学式当日に病に倒れ、命と引き換えに聴覚を失ったそうです。

やがて絵画に目覚めますが、盛岡時代に描いた初期の作品は、モネ風の作品やセザンヌ風の作品など、少し印象派の影響を感じさせるような作品も見られ、まだまだ自分の個性を絵に発揮できていないようでした。それでも絵に自分の生きる道を見つけ、一生懸命描いていたのでしょう。少年時代の松本の絵からは生き生きとした表現や絵に対するひたむきな様子を窺い知ることができます。

松本竣介 「盛岡の冬」
1931年 岩手県立美術館蔵

会場は、大きく第1会場と第2会場に分かれ、初期の作品から最晩年の作品まで、年代ごとに、またテーマ別に展示されています。


Ⅰ. 前期

前期のコーナーは、1927年から1933年までの盛岡時代の初期作品と、東京に上京し、技法や画法の実験を重ね、試行錯誤を繰り返しながらも、二科展に入選するなど評価を高めていった1935年から1941年までの作品を展示しています。

松本竣介 「母と子」
1936年頃 岩手県立美術館蔵

それぞれに「都会:黒い線」 、「郊外:蒼い面」、「街と人:モンタージュ」などのテーマに沿って作品が展示されています。

1935年(昭和10年)頃の松本竣介の絵からは、昭和初期の東京の躍動感や新しい時代の感性を何とか描き出そうという、そんな意気込みが感じられます。松本の絵は黒い線描が特徴的ですが、この頃の線は黒く太く、ルオーやモディリアーニの影響もあるようだと会場の解説には書かれていました。

松本竣介 「有楽町駅附近」
1936年 岩手県立美術館蔵

この頃既に、松本は“建物”を好んで描いていたようです。やがて、都会の街並みや女性などいくつものイメージを重ね合わせてコラージュ的に配したモンタージュ技法という独自のスタイルを生み出します。東京の風景というよりも、どこの国とも知れぬ無国籍なムードが漂います。色もブルー系やグリーン系などで統一され、どこかシャガールの絵を思い起こさせます。

松本竣介 「都会」
1940年 大原美術館蔵

松本竣介 「青の風景(少年)」
1940年 岩手県立美術館蔵

昭和戦前期の前衛芸術運動の影響なのか分かりませんが、松本竣介の絵が急激に研ぎ澄まされていくというか、どんどん抽象的なものへと変化していきます。この頃から松本は、同じテーマ、画法による作品を繰り返し制作しています。色面構成や独特の線描、イメージの合成に特徴を表す一方で、クレーやミロ―を彷彿とさせる抽象画も登場します。

松本竣介 「茶の風景」
1940年 岩手県立美術館蔵

この時代の作品で自分が好きだったのは、フロアーの島の壁に並んで展示されていた二枚の「黒い花」。同じ年に描かれた作品ですが、描かれているイメージや色も異なるのに「黒い花」とは何とも不思議な絵だなと強く印象に残りました。

[左] 松本竣介 「黒い花」 1940年 個人蔵
[右] 松本竣介 「黒い花」 1940年 岩手県立美術館蔵


Ⅱ. 後期:人物

さて第2会場に進むと、1940年(昭和15年)から亡くなる1948年(昭和23年)までの後期作品が展示されています。

戦争の足音が日増しに強くなる昭和15年あたりから、松本竣介の画風は大きく変化します。それまでの大都会の躍動を感じさせるリズミカルで現代的な表現性や、モンタージュ技法による抽象的な画面構成は鳴りを潜め、どこか物思うような、寂しげなリアリズム調の作品に大きく変化を遂げます。

ここではまず、この時代の人物画から見ていきます。 人物画は「画家の像」、「女性像」、「少年像」などに分けて展示されていました。

松本竣介 「立てる像」
1942年 神奈川県立近代美術館蔵

松本竣介は耳が不自由だったため兵役は逃れましたが、まわりの多くの画家仲間たちや同年代の若者たちが次々と戦地に赴きました。松本は国家総動員の時代に戦争に参加できない自分を責め、罪の意識に苛まれていたのでしょうか。スケッチ帖を片手に街をうろうろする姿は、もしかしたら非国民扱いさえ受けたかもしれません。そうした彼の内なる心情がキャンバスに現れたような、そんな作品が続きます。

松本竣介 「水を飲む子ども」
1943年頃 岩手県立美術館蔵

松本は、話者が指で宙に書く文字を読んで日常会話をしていたそうですが、彼の描く人物画のいくつかは、その指の仕草が特徴的に描かれています。

人物画のフロアー横の小さなスペースに「童画」というコーナーがありました。これは松本竣介の息子が描いた絵(といっても幼児の落書き)をもとに松本が手を加えて作品にしたものなのですが、子どもの拙い線描も、どこかパウル・クレーにも通じるような抽象性と詩情性が浮き上がり、とてもユニークな作品になっていました。


Ⅲ. 後期:風景

次に風景画です。街の息吹も消え、静謐というよりも孤独感を感じさせるような、そんな風景画が並びます。ここでは、「市街風景」、「建物」、「街路」、「運河」、「鉄橋付近」、「Y市の橋」、「ニコライ堂」など松本竣介が繰り返し描いてきたテーマごとに分けて作品を展示しています。

松本竣介 「議事堂のある風景」
1942年 岩手県立美術館蔵

この頃の松本竣介の作品は、モチーフが限定され、ある種パターン化されています。好んで描いたニコライ堂や横浜駅前の橋、鉄橋、駅や工場の建物など、同じモチーフ、同じ構図の絵を精力的に描いていたようです。こうした、都会の喧騒から隔絶されたような、人気のない風景画は「無音の風景」と称されたそうです。

松本竣介 「鉄橋近く」
1944年 岩手県立美術館蔵

資料展示でスケッチ帖なども展示されていましたが、最初のスケッチはかなりラフなもので、恐らくそれをもとにアトリエで構想を加えていったようです。実際にはないものが加わっていたり、配置を変えたり、これはかつてのモンタージュ技法の名残なのでしょうが、その辺は自由だったようです。またそれぞれの絵には、建物の形、ニコライ堂や東京駅のようなドーム型の屋根、煙突、荷車など特徴的なものが共通して見られます。

松本竣介 「Y市の橋」
1943年 東京国立近代美術館蔵

横浜駅前の橋の絵。鉄橋や工場、小屋、煙突、運河、橋…、松本竣介の好んだモチーフが全て描かれている代表的な作品ですが、戦後の焼け跡の風景には衝撃を覚えました。まるで橋へのレクイエムのようです。

松本竣介 「Y市の橋」
1946年 京都国立近代美術館蔵

資料展示には、国威発揚、戦意高揚のための“芸術制作”が画家にも強く求められていた時代に、“芸術の自立”を主張し発表した松本の論文「生きてゐる画家」や、友人・靉光の壮行会の写真など貴重な史料が展示されています。

松本竣介は“戦争画”の強要に抵抗した画家というイメージがあり、反戦的な芸術家の象徴のように自分は思っていました。しかし、会場にあった年表などを見ると、松本竣介も幾度か“戦争画”の展覧会やポスター展に作品を発表していたことが分かります。どういった作品なのか言及はありませんでしたが、彼は彼なりの“戦争画”を描いて時流に乗っていたのかもしれません。終戦直後に疎開先の息子に宛てた手紙が資料展示されていましたが、その中にも戦争に負けた悔しさや、幼い頃は自分も軍人になりたかったということが書かれていました。松本は障害故に戦争に参加できないことで自責の念の駆られていたともいいます。彼は、そんな自分に対するもどかしさや苦しさ、孤独、戦争の空しさや悲しさ、命の重さといったものを、自分の内なる声として描き続けてきたのだなと理解しました。


Ⅳ. 展開期

戦後、松本竣介の画風は再び大きく変わります。赤褐色の地色に大胆で荒々しい線描、抽象的な人物や建物。新たな造形への模索が始まります。

松本竣介 「子ども」
1947年頃 岩手県立美術館蔵

最後のコーナーは、戦後の僅か2年余りの時期のもので、作品数も多くありませんが、心の何かをぶつけるような強い表現力と独特のトーンに包まれていまし た。戦争が終わり、自由の時代が訪れたという喜びや輝きはその作品からは感じられません。どこか疲れたような、何か悟ったような、そんな風にも思えまし た。

松本竣介 「彫刻と女」
1948年 福岡市美術館蔵

1947年の暮れから松本は体調を崩していたのですが、周りから休養を勧められるも、制作活動を止めなかったといいます。最後の作品「彫刻と女」と「建物」の制作を終えると、そのひと月後に息を引き取ります。会場には絶筆の一つ「彫刻と女」と同時期に描かれたとされる「建物(青)」が展示されていまし た。もう一つの絶筆「建物」は、現在、東京国立近代美術館で開催中の『美術にぶるっ! 第Ⅰ部 MOMATコレクションスペシャル』に展示されています(但し、本展の図録には「建物」も掲載されています)。

松本竣介 「建物」
1948年 東京国立近代美術館蔵
(※この作品は本展には出展されていません)

生誕100年ということで、約120点の作品と数多くの資料が一堂に介した非常に充実した展覧会でした。第1会場は2階で、第2会場が1階なのですが、それぞれの会場を一度出てしまうと戻れないようなので、ご注意ください。


【生誕100年 松本竣介展】
2013年1月14日(月)まで
世田谷美術館にて


松本 竣介 線と言葉 (コロナ・ブックス)松本 竣介 線と言葉 (コロナ・ブックス)


青い絵具の匂い - 松本竣介と私 (中公文庫)青い絵具の匂い - 松本竣介と私 (中公文庫)

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