2019/08/18

円山応挙から近代京都画壇へ

東京藝術大学大学美術館で開催中の『円山応挙から近代京都画壇へ』を観てきました。

ここ数年、幕末から明治にかけての近代京都画壇に興味を持ち、いくつか展覧会も観て回ったり、今年はGWに『四条派のへの道 呉春を中心として』も観たりして、個人的には今一番関心のあるターゲットにピンポイントの展覧会です。

円山応挙は言うまでもなく江戸時代中期に写生にもとづく新しい画風を打ち立て、江戸絵画に革命をもたらせた円山派の祖にして、江戸絵画史上最も重要な絵師。一方、呉春は、最初に与謝蕪村の弟子となり、俳諧や文人画を学び、蕪村の死後に応挙に近づき、写生画の技術を身に付け、応挙とはまた異なる情趣溢れる画風で四条派の祖とされるようになります。

よく一括りで円山・四条派という言い方をします。これは円山派と四条派がそもそも画風に近いところがあるのと、同じ京都画壇ということで相互の影響し合っていることからそう呼ばれるのですが、今回の展覧会はその円山・四条派が明治に入り、いかに近代京都画壇へ展開していくのか、その流れを追っています。


展示の構成は以下のとおりです:
すべては応挙にはじまる。
孔雀、虎、犬、命を描く。
山、川、滝。自然を写す。
美人、仙人。物語を紡ぐ。

<すべては応挙にはじまる>ということで、本展の目玉作品でもある兵庫・大乗寺の襖絵が最初にどんと展示されています。

円山応挙 「松に孔雀図」(重要文化財)
寛政7年(1795) 大乗寺蔵

大乗寺の住職が修業時代の応挙を援助したことが縁で、再建された伽藍の障壁画165面を応挙と12人ともいわれる弟子たちにより描き上げられたといいます。東京展と巡回先の京都展では出品される作品が少し異なるそうで、東京展では応挙の「松に孔雀図」8面を含む5点(32面)が出品されています。

応挙に孔雀を描いた作品は多く、またそれは円山派の絵師たちにも受け継がれていますが、 「松に孔雀図」の孔雀を観ると正にすべては応挙からはじまったんだなという感慨を覚えます。金地の襖8面の大きく枝を伸ばす松の大木も孔雀も墨一色で描かれているのに、墨の濃淡や筆の入れ方により、まるで彩色されているような錯覚に陥るのは応挙の腕のなせる技なのでしょう。

呉春は応挙門下ではありませんが、大乗寺の障壁画制作に参加しています。第一期(1787年)に描いた「群山露頂図」では蕪村を思わせる南画的表現を見せますが、7年後の第二期(1795年)の「四季耕作図」では応挙の画風に寄せた襖絵を描くなど、呉春作品の随所から応挙学習の成果が感じられます。

呉春では対幅の「松下游鯉図」と「巌上孔雀図」がかなり応挙を意識した作風で、ただ応挙ほど細密にかっちり描くという感じでないのが呉春風という気がします。一方、なかなかインパクトのある「山中採薬図」は樹木や岩の描き方や彩色に蕪村の影を感じますが、呉春らしい顔立ちの二人の人物の造形が割と確かなのは応挙から学んだものなのかなとも感じます。ちなみに蕪村の作品も数点出品されています。

呉春 「山中採薬図」
江戸時代後期 逸翁美術館蔵(展示は9/1まで)

展示は時代や流派・絵師ごとではなく、章のテーマに沿って並んでいます。孔雀の画なら孔雀の画で、瀑布なら瀑布で、鳥なら鳥でまとめられているのですが、同じ孔雀の絵を観ても、応挙の息子・応瑞は応挙に忠実な画を描いてますし、芦雪は主題は雌雄の孔雀なのにまわりのスズメがあまりにかわいく(蜘蛛を咥えたスズメまでいる)遊び心を感じます。

芦雪の「花鳥図」は、左隻は藤の枝ぶりが応挙の「藤花図屏風」(本展未出品)を思わせるのに対し、右隻は奇態な岩やスズメやツバメの独特の表現が芦雪らしいところ。同じ応挙十哲の源琦の「四季花鳥図」は応挙風の木の枝ぶりや雉を独特の色彩感と装飾性でまとめたところに新しい表現への模索を感じます。

岸竹堂 「猛虎図」
明治23年(1890) 株式会社千總蔵(展示は9/1まで)

今回とても強い印象を受けたのが京友禅の老舗・千總が所蔵する作品。先の芦雪の「花鳥図」も千總の所蔵品なのですが、本展へ出品された千總コレクションに優れた作品がとても多く驚きました。岸竹堂の「猛虎図」は昨年ホテルオークラで開催された『秘蔵の名品 アートコレクション展』で拝見してますが、何度観てもその写実と迫真の表現には舌を巻きます。同じ竹堂の「大津唐崎図」は銀泥が変色してたり、縦に線が残ってしまったりしてたのが少々残念でしたが、実景描写は興味深いものがあります。極めつけは木島櫻谷の「山水図屏風」の壮大さと空気感。江戸の円山四条派から脱却し、新しい日本画の時代に移行したことを強く訴えかけます。

幸野楳嶺 「敗荷鴛鴦図」
明治18年(1885)年頃 敦賀市立博物館蔵(展示は9/1まで)

本展はとにかく優品揃い。幸野楳嶺の「敗荷鴛鴦図」など、昨年の『京都画壇の明治』に出ていた作品もいくつか来ていました。ほかに印象深かった作品としては、呉春門下の岡本豊彦の「苫船図」、円山派の写生と四条派ならではの情趣が融合したような見事な屏風でした。その豊彦に学んだ塩川文麟の「嵐山春景平等院雪景屏風」も応挙を彷彿とさせる雪の松と詩情豊かな風景はなるほど幕末の平安四名家と謳われただけあるなと感じます。その文麟に師事した野村文挙の「近江八景図」もレベルの高さに驚きました。

原在中の「二見浦富士図」は応挙というより谷文晁ばりの実景図ですが、在中の方が文晁より一回り上なのですね。これも興味深かったです。松村景文の「やすらい祭絵巻」からは横山華山に繋がるものも感じられました。

楳嶺門下の都路華香の「雪中鷲図」も伝統的な鷲図にして迫真の構図が素晴らしい。その楳嶺には珍しい美人画も良かったです。円山応挙の美人画の代表作「江口君図」や応挙の美人画を学んだという上村松園など円山派の美人画も見どころです。

円山応挙 「江口君図」(重要美術品)
寛政6年(1794) 静嘉堂文庫美術館蔵(展示は9/1まで)

見応えある大乗寺障壁画はもちろん見事なのですが、応挙・蘆雪は見慣れてることもあり特段驚くことはないものの、応挙門下や幕末から明治にかけての京都画壇が思いの外充実していて素晴らしいものがありました。円山派は円山派の、四条派は四条派のそれぞれの良さが分かるし、近代になると両派が渾然一体となり京都画壇を創り上げていく様も見て取れます。


【円山応挙から近代京都画壇へ】
2019年9月29日(日)まで
東京藝術大学大学美術館にて



円山応挙から近代京都画壇へ

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