2017/08/06

萬鐵五郎展

神奈川県立近代美術館葉山で開催中の『萬 鐵五郎展』を観てまいりました。

去年の夏も葉山まで『クエイ兄弟展』を観に行ったのですが、ちょうど海水浴に行く人たちと時間が重なり、バスを何便も見送るという目にあったので、今回は平日に、時間もずらして行ってきました。

萬鐵五郎というと代表作のいくつかを東京国立近代美術館で観たりする程度で、それほど高い関心は持ってなかったのですが、昨年の東京ステーションギャラリーの『動き出す!絵画』と今年の埼玉県立近代美術館の『日本におけるキュビズム』で萬のさまざまな作品に触れ、にわかに興味を持ち始めました。

本展は今年の春に岩手県立美術館で開催された展覧会の巡回で、萬鐵五郎のここまでの規模の回顧展は約20年ぶりだそうです。水彩、油彩、素描だけでも約360点(前後期展示替えあり)、資料関係を含めると約440点という膨大な量。展示が充実しているのはもちろんですが、ここはスペースも広いので、ゆったりとして見やすいのがいいですね。


Ⅰ. 1885-1911 出発

10代の頃の図画帖や水墨画、洋画風の鉛筆画、水彩画などが展示されていましたが、面白かったのが通信教育で添削された水墨画。明治時代に水墨画の通信教育があったのも驚きなのですが、漁師を描いた絵に頭は6頭身にするようにとか講師のコメントが朱筆で事細かに書かれていて面白い。こうして基礎をみっちり叩き込んだのでしょう、20歳の頃の油彩画「静物(コップと夏みかん)」を観ても描写がとても的確です。

萬鉄五郎 「静物(コップと夏みかん)」
明治38年(1905) 岩手県立美術館蔵

東京美術学校に首席で入学し、卒業するときは19名中16番目だったというのは有名なエピソード。美校時代は「婦人像」のように典型的な外光派の油彩画も残していて、この路線のままいけば卒業も優秀な成績だったかもしれませんが、途中から後期印象派やフォーヴィズムに感化され、画風が一変。当時の美校では全く評価されなかったそうです。

萬鉄五郎 「婦人像」
明治43年(1910)頃 岩手県立美術館蔵

萬鉄五郎 「点描風の自画像」
明治44年(1911)頃 岩手県立美術館蔵

とはいえ、不評だった卒業制作「裸体美人」も今や重要文化財。そんな「裸体美人」をはじめ多くの萬作品でモデルにもなった“よ志”夫人のコメントが紹介されていましたが、萬の表現主義的暴発に対し「したいようにしたらいい」と言っていたというのが笑えるし、この奥さんあって萬なんだなと思います。

萬鉄五郎 「裸体美人」 (重要文化財)
明治45年(1912) 東京国立近代美術館蔵

萬は自画像も多いんですが、ほんの数年の間でも作風の変化が激しく、さまざまに試行錯誤をしている跡も伺えます。今回の展覧会は一応時代ごとに区分けされているんですが、作品自体が年代順に並んでる訳でないので、表現の変化を細かに見る点ではちょっと分かりづらいのが難点。行ったり来たりして制作年を確認しながら観てました。

萬鐵五郎 「赤い目の自画像」
大正2年(1913)頃 岩手県立美術館蔵

萬鉄五郎 「雲のある自画像」
明治45~大正2年(1912-13)頃 岩手県立美術館蔵


Ⅱ.1912-1913年 挑戦

卒業後は、若手洋画家の表現主義的な盛り上がりの中で生まれたヒュウザン会(フュウザン会)に参加するなど意欲的な活動がつづきます。萬芸術の基礎となる要素がこの時期にほぼ出揃ったと解説されていました。日傘をさす女性や袴姿、丁字路、飛び込みといった繰り返し描かれるモチーフが現れ、女性の独特のフォルムもこの時期に固まってくるのが分かります。

萬鉄五郎 「女の顔(ボアの女)」
明治45・大正元年(1912) 岩手県立美術館蔵

萬鉄五郎 「風船をもつ女」
大正2年(1913)頃 岩手県立美術館蔵

並んで展示されていた「女の顔」と「女の顔(ボアの女)」の何ともいえない表情が秀逸。「風船をもつ女」もいかにも日本的な女性とフォーヴィズムの色彩の絶妙なバランス(アンバランスというべきか)、写実からは遠いところにあるリアルさが素晴らしい。日本女性を美しく描き出すのではなく、頭の大きさや胴の長さなど欠点や決して美しいわけではない顔の表情を強調することで、独特のリアリティを生み出していることに成功している気がします。

萬鉄五郎 「太陽の麦畑」
明治45・大正元年(1912)頃 東京国立近代美術館蔵

萬の場合、西洋の受け売りじゃなくて、萬ならではの造形や色彩になっているのが凄いと思うんです。毒々しい色彩と荒々しい筆致。つぎつぎと溢れ出るイメージ。中には「ゴッホ?」みたいなのもありましたが。

萬鉄五郎 「仁丹とガス灯」
明治45・大正元年(1912)頃 岩手県立美術館蔵


Ⅲ.1914-1918年 沈潜

生活や制作上の理由から約1年4ヶ月ほど岩手の土沢に移るのですが、この時期の作品は茶褐色の暗い色調や、これまでの激しさとは異なる重苦しい風景画などの作品に占められます。「木の間から見下した町」の気味の悪さ、息苦しさ。他の作品でも道や畑は波打つようにうねり、どことなくムンクを思わせるようなところもあり、萬の絵画制作に対する苦悩や鬱屈とした心の内を見るような気持ちになります。

萬鉄五郎 「木の間から見下した町」
大正7年(1918) 岩手県立美術館蔵

静物画も結構描いているようなのですが、この土沢時代の静物画はいいですね。決して明るくないし、楽しげな生活風景をイメージもできないのですが、家族が身を寄せ合って暮らしている慎ましい生活が滲み出ていて、とても惹かれます。

萬鉄五郎 「薬罐と茶道具のある静物」
大正7年(1918) 岩手県立美術館蔵

こうした暗く土着的な作品群はこの時期だけのようなのですが、カンディンスキーを思わせる作品や未来派のような作品もあったり、表現主義的な傾向もより強まっているところもあって興味深い一方で、ちょっと煮詰まっている感じもあります。

萬鉄五郎 「かなきり声の風景」
大正7年(1918) 山形美術館寄託

興味深いのはこの頃を前後して水墨の南画が増えてくるところ。萬の南画は以前にも観たことはありますが、今回は回顧展というだけあって展示数も多い。油彩とは違う自由奔放な筆遣いで、とりわけ茅ヶ崎移住後の作品は牧歌的な風景や人々が描かれていて観ていて楽しい。水分を含んだ太い墨で輪郭を描いた水墨の「裸婦」は萬の裸婦の独特のフォルムがよく出ていて、とても惹かれました。こうした南画に見られる大らかさは晩年の油彩にも活かされているようです。

萬鉄五郎 「川辺の石垣」
大正3~5年(1914-16) 萬鉄五郎記念美術館蔵(展示は7/30まで)

萬鉄五郎 「日の出」
大正8年(1919)年頃 萬鉄五郎記念美術館蔵(展示は7/30まで)

「もたれて立つ人」といえば、日本のキュビズムのエポックメイキング的な傑作。展示の並びが土沢時代のあとに来るので、土沢でもがき苦しんだ結果、生み出された作品のような印象を受け混乱するのですが、これは土沢に移る前に制作した作品。この時期の萬はキュビズムの研究に没頭するあまり神経衰弱に陥ったともいわれます。キュビズムの試みは少し前から見られ、裸婦画や風景画などにキュビズム様式を感じるものもありますが、特に自画像はピカソの自画像を思わせるものがあったり、「もたれて立つ人」と同じ朱色を使ったものもあったり、いろいろ模索をしていた跡が伺えるし、その結果が「もたれて立つ人」なんだろうと感じます。

萬鉄五郎 「もたれて立つ人」
大正6年(1917) 東京国立近代美術館蔵


Ⅳ.1919-1927年 解放

茅ヶ崎移住後の作品は明るく暖かな色彩に溢れ、肩の力の抜けた作品が目に見えて増えるのが分かります。温暖な気候風土も良い方向に影響したのでしょう。しばらく影を潜めていたフォーヴィズム的な造形も現れ、筆致も明らかにリズミカルです。茅ヶ崎の風景や海、子どもたちを描いた作品も目立ちます。

萬鉄五郎 「水着姿」
大正15年(1926) 岩手県立美術館蔵

体は大人の女性、顔は子どもというユニークは「宙腰の人」、宗達の「松島図」のような海に傘を持つ少女という組み合わせが面白い「水着姿」など、相変わらずインパクトの強い作品があります。この頃の静物画がまたとても良くて、キュビズムを咀嚼したような作品があったり、セザンヌを思わせる作品があったり、興味深い感じがしました。

萬鉄五郎 「ねて居るひと」
大正12年(1923) 北九州市立美術館蔵

萬は41歳で亡くなるので、画業という意味ではわずか20年ぐらいしかないんですね。萬の画風の変遷や日本の近代洋画のエポックメイキング的な傑作の数々を見ていると、あまりそんな風には思えないし、20年の画業とは思えない密度の濃さに驚きます。没後90年でこれだけの規模なんですから、没後100年にはどんな展覧会になるんでしょうか。


【没後90年 萬鐵五郎展】
2017年9月3日(日)まで
神奈川県立近代美術館 葉山にて


万鉄五郎 (新潮日本美術文庫)万鉄五郎 (新潮日本美術文庫)

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