2017/03/11

日本画の教科書 東京編

山種美術館で開催中の『日本画の教科書 東京編 -大観、春草から土牛、魁夷へ』を観てまいりました。

前回展の『日本画の教科書 京都編』につづく“東京編”。“京都編”に行けなかったのが返す返すも残念なのですが、“東京編”も“山種コレクション名品選”と銘打つだけあり、錚々たる画家の優品が並びます。

東京画壇の中心は東京美術学校であり、日本美術院であり、文展であり、院展であり、いわば日本画の近代化の中で重要な役割を果たしたところ。東京画壇は近代日本画のメインストリームと言ってしまっていいかもしれません。

作品は明治から戦後まで幅広くあって、何度か観ている作品も多いのですが、個人的に初見の作品も結構ありました。年に何度も足を運んでいても、まだまだ初めて観る作品があるし、来るたびに新しい発見があります。


会場の入ってすぐのところには松岡映丘の「春光春衣」。比較的大きな掛軸の画面をいっぱいに使った、雅やかで華やかな春の光景が目を惹きます。王朝絵巻をトリミングしたような大胆な構図も印象的。映丘らしい美的世界にうっとりします。近くに展示されていた映丘の「山科の宿」もまた見事。『今昔物語』の「斉藤内大臣語」に取材したもので、自然や建物は淡い色彩なのに対し、人物はやや濃いめに描かれていて、人物描写がより引き立っている感じがします。

松岡映丘 「春光春衣」
大正6年(1917) 山種美術館蔵

小堀鞆音 「那須宗隆射扇図」
明治23年(1890) 山種美術館蔵

明治中期に急速な欧化主義の反動として見直された歴史画。橋本雅邦と小堀鞆音が紹介されています。鞆音の「那須宗隆射扇図」は弓の達人・那須与一が源平合戦で平家方の舟の上の扇の的を射落すという有名な逸話を描いた作品。近景と遠景を大胆に描き分けた構図が斬新で、雄々しさと躍動感が画面から伝わってきてカッコいい。

菱田春草 「月四題より『春』『秋』」
明治42-43年(1909-10) 山種美術館蔵

大観、春草らの日本美術院の画家を取り上げた展覧会はここ山種美術館でもたびたび開催されていますが、今回展示されている中で典型的な朦朧体は春草の「月四題」と「釣帰」ぐらい。大観も2点ありますが、いずれも昭和に入ってからのもの。今村紫紅の「大原の女」は建礼門院を描いた作品。背景のすすき野の描写は琳派を参考にしているのでしょうか。青々とした色合いは南国の草のようにも見えます。下村観山は代表作の「老松白藤」。堂々とした松は男性、寄り添うように松に這う藤は女性を表しているのだとか。

西郷弧月 「台湾風景」
明治45年(1912) 山種美術館蔵

大観・観山・春草と並び四天王と呼ばれた西郷孤月の「台湾風景」は初めて観ました。どちらかというと水墨画で、繊細な空気感の表現に長けた画家というイメージがあったのですが、こういう絵も描いていたのですね。解説によると亡くなる直前に描いた最期の作品の一枚だそうです。

渡辺省亭 「月に千鳥」
20世紀(明治~大正時代) 山種美術館蔵

最近名前を聞くことの多い渡辺省亭の作品も。「葡萄」は籠の外に落ちたのか落とされたのか、ネズミがブドウを食べようとする様が面白い。「月に千鳥」は三幅対の1枚(他の二幅の展示は今回なし)。月夜の静謐さと千鳥の悠然とした姿が何ともいえません。


小林古径 「清姫より『日高川』『鐘巻』」
昭和5年(1930) 山種美術館蔵

古径の「清姫」がまた素晴らしい。能楽や歌舞伎などの“道成寺物”としてもよく知られる安珍・清姫伝説を描いた8点から成る作品で、本展ではその内4点が出品されています。「日高川」は蛇体と化した清姫が日高川へ飛び込む場面。「鐘巻」は「道成寺」のクライマックス。筆致も古径らしく、幻想的な世界に引き込まれます。

落合朗風 「エバ」
大正8年(1919) 山種美術館蔵

今回とても印象に残ったのが『旧約聖書』の「創世記」を題材にしたという落合朗風の「エバ」。大正時代にしてはかなり革新的な日本画という感じがします。実際、発表当時もセンセーショナルな作品として物議を醸したのだそうです。本展の出品作で同時代の作品に映丘の「春光春衣」がありますが、復古やまと絵とアンリ・ルソー風の新時代的な日本画がほぼ同じ時代に描かれていたというのも興味深かったです。実は本展と同日に拝見した野間記念館の『色紙「十二ヶ月図」の美世界展』にも落合朗風の作品があって、そちらと趣きが異なるのも驚きでした。

川合玉堂 「早乙女」
昭和20年(1945) 山種美術館蔵

戦後の作品では、横山操の「越後十景」(内2点のみ展示)が印象的でした。瀟湘八景を翻案したもので、墨の濃淡だけでなく、胡粉や金銀泥を効果的に使用し、独特の絵造りに成功しています。

そのほか明治から戦前にかけての作品では、川合玉堂の「早乙女」や速水御舟の「昆虫二題」、荒木十畝の「四季花鳥」、戦後では前田青邨の「大物浦」、奥村土牛の「鳴門」、片岡球子の「鳥文斎栄之」、小倉遊亀の「涼」など、さらには先日まで久しぶりの回顧展があったばかりの加山又造など、好きな作品を挙げたら切りがないのですが、山種美術館が誇る名品選に相応しい内容になっていました。

奥村土牛 「鳴門」
昭和34年(1959) 山種美術館蔵

本展は4月16日まで続くので、桜が描かれた作品など春を感じる作品もいくつかありました。美しい日本画を愛で、ひと足早い春を愉しむ。これからの季節にちょうどいい展覧会だと思います。



山種美術館といえば日本画にちなんだ和菓子をいただける≪Cafe 椿≫。今回は、源平屋島合戦を描いた小堀鞆音の「那須宗隆射扇図」をイメージした「かぶや矢」をいただきました。中が胡麻あんで美味しかったです。


【開館50周年記念特別展 山種コレクション名品選Ⅳ 日本画の教科書 東京編 -大観、春草から土牛、魁夷へ】
2017年4月16日(日) まで
山種美術館にて


渡辺省亭: 花鳥画の孤高なる輝き渡辺省亭: 花鳥画の孤高なる輝き

2017/03/05

加山又造展 生命の煌めき

日本橋高島屋で開催中の『生誕90年 加山又造展~生命の煌めき』を観てまいりました。

今回の展覧会は会期が短くわずか2週間。久しぶりの回顧展とあって、仕事帰りに寄ってきました。

加山又造単独の展覧会としては、おととし八王子市夢美術館で『加山又造 アトリエの記憶』がありましたが、都心部でまとまった形で作品が観られるのは2009年の国立新美術館の『加山又造展』以来ではないでしょうか。

加山又造は、かれこれ20年ぐらい前に東京国立近代美術館で観た「雪」「月」「花」の三部作に衝撃を受けてから戦後の日本画家では最も好きな画家で、国立新美術館の『加山又造展』では圧倒され感動しまくっていたのをよく覚えています。


会場はいくつかのテーマに分けて構成されています:
Ⅰ 動物~西欧との対峙
Ⅱ 伝統の発見
Ⅲ 生命賛歌
Ⅳ 伝統への回帰
Ⅴ 工芸

加山又造 「月と縞馬」
1954年 個人蔵

デパートの展覧会なので作品数は決して多くありませんが、それでも約70点。初期のキュビズムやシュルレアリスム風の作品から後期の琳派的な作品や裸婦画、水墨画まで、絵画だけでなく工芸や着物もあってコンパクトに良くまとまっていました。

会場の最初に展示されていた大きな六曲一双の屏風「夏の濤・冬の濤」にいきなり目が奪われます。「夏の濤」は後年の琳派風の波紋を思わせる波の意匠が印象的。「冬の濤」は荒れる波というより風のようにも見え、遠景に又造独特の冬の枯木の林が広がります。

活動初期にあたる50年代の作品が充実していて、この時代の特徴的な動物画が複数展示されています。 キュビズムや未来派、シュルレアリスムといった20世紀の芸術運動から、ルソーやミロ、ブリューゲルといった画家や果てはラスコーの壁画まで、幅広い西洋美術の影響を受けたその作品は最早日本画とは思えないほど。背景に戦後の日本画滅亡論があって創造芸術を目指していたことを考えると納得しますし、先日『日本におけるキュビズム』で観た戦後の日本の美術界のムーブメントとも重なり興味深く感じました。

加山又造 「蟹とレモン」
1955年頃 個人蔵

加山又造 「猫」
1972年頃 個人蔵

国立新美術館の『加山又造展』のときの図録を見る限り、おおかたの作品は重なりますが、何枚か出ていた愛猫を描いた絵や、「雪の朝」や「白雪の嶺」といった山の絵、野鳥の会の表紙絵原画、動物画の中でも10号サイズぐらいのキャンバスに描かれた作品などは個人的にも初めて観るものでした。特に「蟹とレモン」や「鳥とナイフ」、「ヒョウ」といった50年代のモノトーンの小品がとても良かった。

加山又造 「月光波濤」
1979年 イセ文化基金蔵

加山又造 「龍図」
1988年 光ミュージアム蔵

大型の屏風も多くて見応えがあります。又造の水墨の代表作「月光波濤」は東京会場のみの出品。エアブラシや噴霧器、琳派のたらし込みや染色の手法などを駆使し、夜の海の静けさと波の生き物のような躍動の瞬間を見事に表現しています。

「月光波濤」が長谷川等伯の「波濤図」(禅林寺)を意識したものとすれば、「龍図」は俵屋宗達の「雲龍図屏風」(フリーア美術館)を意識したもの。宗達の「雲龍図屏風」が白地に黒に対し、又造の「龍図」は金地に墨を重ねることで、墨の明暗と奔放で勢いのある表現がこれまでにない幻想的で力強い雲龍図を創り上げています。まるで暗黒の異界から龍が浮かび上がってくるようなカッコよさ。又造が手掛けた身延山久遠寺の本堂天井画のあとに制作したものだといいます。

加山又造 「倣北宋水墨山水雪景」
1989年 多摩美術大学美術館蔵

「倣北宋水墨山水雪景」は『加山又造 アトリエの記憶』でも拝見していますが、北宋山水画を手本にしながら、細密画のような微細な表現、明暗を活かした立体感、さまざまな技術を駆使した独自の世界はいつ観ても唸ります。

左隻に満開の桜、右隻に篝火を描いた「夜桜」も日本画の伝統を感じる華やかで幻想的なイメージの屏風。満開の桜は御舟も描いた和歌山・道成寺の入相桜を、篝火は御舟の「炎舞」に着想を得たものとか。御舟の影響を感じさせるものでは桜と炎を一枚に収めた「花篭」も印象的でした。

加山又造 「紅白梅」
1965年 個人蔵

加山又造といえば、琳派の意匠や画面構成を現代日本画の中に再現した代表格。尾形光琳の「紅白梅図屏風」をアレンジした「紅白梅」や、俵屋宗達の「三十六歌仙和歌巻」をベースに鶴を描いたいくつかの作品などがありました。「月と秋草」も宗達から抱一へ連なる月と秋草の意匠が印象的。大方を描き上げてから家族に意見を聞き、細部を調整して仕上げたというエピソードがいいですね。会場のところどころには、琳派の意匠の大皿や花瓶、振袖なども展示されていて華を添えています。

加山又造 「月と秋草」
1996年 奈良県立万葉文化館蔵

会期が短かったのが残念ですが、東京展のあと、瀬戸内市立美術館、新潟県立近代美術館、横浜高島屋、大阪高島屋、京都高島屋に巡回します。


【生誕90年 加山又造展 ~生命の煌めき】
2017年3月6日(月)まで
日本橋高島屋にて


加山又造 美 いのり (Art & words)加山又造 美 いのり (Art & words)

2017/03/04

色紙「十二ヶ月図」の美世界展

講談社野間記念館で開催中の『色紙「十二ヶ月図」の美の世界』を観てまいりました。

ツイッターなどを見ていると、ご覧になられた方の評判もよく、何度も足を運ばれる人もいて、わたしも早く観に行かなければと思っていたのですが、場所的にちょっと不便なところということもあって、すっかり出遅れてしまいました。

野間記念館は目白の椿山荘のとなり。永青文庫の近くにあります。わたしは昔、間違って講談社の本社(護国寺)に行ってしまったことがあるので、注意してくださいね(そんな人いないでしょうけど)。野間記念館のウェブサイトでは目白駅や江戸川橋駅からのルートが案内されてますが、新宿駅からもバスが出てて、だいたい30分ぐらいで行けます。

「十二ヶ月図」の色紙は野間記念館の所蔵品カタログで観たことがあるのですが、実物を観るのは今回が初めて。昭和初期、講談社の初代社長・野間清治が当時活躍をしていた日本画家に、館内の解説を借りると「手当り次第に声をかけて」描いてもらった色紙なんだとか。その数なんと約500タイトル、6000枚以上!

本展で展示されているのは、川合玉堂や山口蓬春、堂本印象、松岡映丘、荒木十畝、徳岡神泉、福田平八郎、小茂田青樹、山口華楊、鏑木清方、伊藤深水、小杉放庵等々、昭和初期を代表する37人の日本画家の色紙。色紙は12枚1組で、1月から12月まで、その月その月の季節の花鳥や風俗が描かれています。色紙といっても絹本や金泥地のものなど大変立派なもので、もともとは講談社の雑誌等で使用する絵として考えていたものなのだそうですが、どれも一様に完成度が高いのに驚きます。

小茂田青樹 「十二ヶ月図」より(三月・桜、六月・梅雨)
昭和3年(1928)

上村松園 「十二ヶ月図」より(五月・藤娘、三月・雛)
昭和2年(1927)

十二ヶ月というお題以外は自由なので、それぞれの画家の持ち味が出ていてとても面白い。基本的には季節の花鳥が多いのですが、美人画が得意な画家は女性が多く描かれてますし、風景画が得意な画家は風景が自ずと多かったりします。

玉堂はいかにも玉堂だし、芋銭は芋銭だし、映丘は映丘だし、清方はやはり清方。観てて飽きません。それぞれみんな良かったのですが、個人的には福田平八郎、小茂田青樹あたりが大正から昭和にかけてのモダンな日本画の雰囲気が味わえて好きでした。色紙に女性の顔を大胆にアップで描いた伊藤小坡も面白かったです。それぞれが思い思いに描いている様子を見ると、十二ヶ月という画題に画家の創作意欲をかき立てるものがあったのだろうなと感じます。

河合玉堂 「十二ケ月図」より(十月・収穫、十二月・雪)
大正15年(1926)

小川芋銭 「十二ヶ月図」より(七月・踊、十月・後の雛)
昭和7年(1932)

たまたま同じ日に山種美術館で『日本画の教科書 東京編』を拝見したのですが、本展にも出品されている画家(玉堂、映丘、清方、深水、蓬春、十畝、青樹、吉村忠夫、落合朗風)が多くあって、とても興味深く感じました。たとえば玉堂の鳥瞰の光景なんて共通します。両方とも観るとかなり充実した鑑賞体験になると思う。大正から昭和初期の日本画が好きな人にはオススメ。


【色紙「十二ヶ月図」の美世界】
2017年3月5日(日)まで
講談社野間記念館にて


鏑木清方 江戸東京めぐり鏑木清方 江戸東京めぐり

2017/02/25

ガラス絵 幻惑の200年史

府中市美術館で開催中の『ガラス絵 幻惑の200年史』を観てまいりました。

ガラス絵と聞いてもあまりピンと来なくて、最初はスルーしてたのですが、結構評判も良いようで、気付いたら会期も終盤、急いで府中に行ってきました。日曜日の16時ぐらいから閉館までいたのですが、割とお客さんも入っていました。

“ガラス絵”は透明なガラス板の裏に絵を描き、表から鑑賞する絵画のこと。そのため通常の絵画とは描く順番も逆で、最初に描いた部分が完成した作品では一番手前に来るようになります。

もともとは中世ヨーロッパの宗教画に始まり、江戸時代にオランダや中国を経て、日本へ伝わったとされています。会場にはドイツや東欧のガラス絵の宗教画や18世紀の中国のガラス絵なども展示されていました。

西洋では版画の技法で作られていて、ガラス版に油絵具を塗り、細い針のようなもので掻いて図柄を描いたり、中国では膠を使った水溶性の絵具で図柄を描き、その後ろに油絵具を重ねたりと、同じガラス絵といっても時代や場所で描き方は少しずつ違うようです。

日本のガラス絵は江戸時代後期のものからあって、最初に伝播した長崎で流行した“ビイドロ絵”と呼ばれた作品や、ガラス絵をはめた硯屏(小さな衝立) が数点展示されています。絵も西洋趣味を感じさせるものや、絵画というより工芸品として鑑賞するものが多かったようです。

一渓 「川岸洋傘をさす女」
明治期 浜松市美術館蔵

明治に入ると、浮世絵の美人画や役者絵なんかも出てきて、外国人向けのお土産物的な風景画から明治天皇の肖像画まで幅も広がってきますが、明治も終わりになるとガラス絵の物珍しさも薄れ、ガラス絵制作も減っていったようです。

ガラス絵自体が幅20センチ前後の小さなサイズのものが多く、そんなにいろんな情景を描き込めないのと、描き直しが利かないということがあり、制約はいろいろと多いんだと思います。ガラスという材質的な問題もあって、割れてヒビが入っている作品も数点ありました。

小出楢重 「裸女(赤いバック)」
昭和5年(1930) 芦屋市立美術博物館蔵

長谷川利行 「荒川風景」
昭和10年(1935) 個人蔵

そんな中でガラス絵独特の質感や色彩に着目したのが大正から昭和にかけて活躍した洋画家・小出楢重と長谷川利行。ともにスタイルは違いますが、キャンバスに描く油彩画とは一味違うガラス絵に魅了され、多くのガラス絵を制作したそうです。

小出楢重は展示されていた作品のほとんどが裸婦で、構図は小出の油彩画とあまり変わりませんが、ガラス絵の方が色彩は明るく、より平坦でマットな感じがします。長谷川利行は油彩画では筆のタッチに特徴を感じますが、ガラス絵では滲むような色彩というか、油彩画とはまた違う即興性があります。長谷川は相撲を描いたガラス絵があったのも面白い。

桂ゆき 「ブドウとキツネ」
昭和期(1960-70年代) 福島県立美術館蔵

戦後になると、瑛久や鶴岡政男、野見山暁治、小松崎邦雄、深沢幸雄など、洋画家も銅版画家も、抽象も具象も、実にさまざまな画家が、余技的とはいえガラス絵に挑戦しているのが興味深い。藤田嗣治のように自身の絵画に近いものを描いている人もいれば、白髪一雄や川上澄生のようにガラス絵に新たな表現を見出している人もいたりします。ガラス絵が絵画のひとつの表現手段として認知されたんだろうなと感じます。

ガラス絵特有の鮮やかな色彩は素朴な表現や民芸的な作風に合うのか、桂ゆきや芹沢銈介に雰囲気のある作品が目立ちました。この絵いいなと思って作家名を見たら、新派の花柳章太郎で、文才もあり絵も描き多芸だったことは知っていましたが、ガラス絵も玄人はだし。「市ヶ谷ボート場」のノスタルジックな味わい、「射的」の遊び心ある構図の面白さ。ガラス絵の素朴な魅力がよく出ていました。

川上澄生 「洋燈を持つ洋装婦人之図」
昭和29年(1954) 福島県立美術館蔵

さまざまな画家がガラス絵に魅了され、のめり込んだ理由も分かります。ガラス絵独特の質感、鮮烈な色彩に驚き、ガラス絵の楽しさを感じる展覧会でした。


【ガラス絵 幻惑の200年史】
2017年2月26日(日)まで
府中市美術館にて


読んで視る長谷川利行 視覚都市・東京の色―池袋モンパルナス そぞろ歩き (池袋モンパルナス叢書)読んで視る長谷川利行 視覚都市・東京の色―池袋モンパルナス そぞろ歩き (池袋モンパルナス叢書)

2017/02/19

オルセーのナビ派展

三菱一号館美術館で開催中の『オルセーのナビ派展』のブロガー内覧会がありましたので参加してまいりました。

本展は、印象派を中心にしたコレクションで知られるフランスのオルセー美術館の所蔵品約80点で構成された展覧会。ナビ派というと、ポスト印象派や象徴主義の展覧会で作品を目にすることはありますが、単独でここまでしっかり取り上げられるのって恐らく初めてではないでしょうか。

三菱一号館美術館といえば、一昨年に『ヴァロットン展』があって、その前にも『ワシントンナショナルギャラリー展』でボナールやヴュイヤールに1コーナーが設けられてたり、ナビ派と繋がりのある『ルドン展』もやってたりして、ナビ派とは縁の深い美術館。ギャラリートークで三菱一号館美術館の高橋館長がお話されていましたが、ナビ派は海外でも近年再評価されていて、またオルセー美術館のコジュヴァル館長がナビ派に造詣が深く(専門がヴュイヤールとか)、ここ数年一千点単位でナビ派コレクションが増えているといいます。高橋館長はオルセー美術館に在外研究員として赴任していたこともあり、オルセー美術館とは繋がりが深く、今年3月に退任されるというコジュヴァル館長の協力もあって、ナビ派の展覧会としてはトップレベルの内容になったようです。


ポール・セリュジエ 「にわか雨」 1893年

1 ゴーガンの革命

ゴーギャンとナビ派って一瞬結びつかないのですが、ナビ派がポン=タヴェン派の流れを汲むことを考えると、ゴーギャンの影響は計り知れないのでしょう。ここではゴーギャンとともに総合主義を実践したポン=タヴェン派の画家エミール・ベルナールやポール・セリュジエ、モーリス・ドニの初期の作品を展観します。作品は10点も満たないのですが、写実主義の否定や、色や形態の感覚的かつ平面的な描写、輪郭線の強調などが見て取れ、ベルナールやセリュジエらがゴーギャンの指導をどう咀嚼していったかが分かります。

セリュジエの「タリスマン(護符)」はナビ派初期の記念碑的な作品(すいません、写真がピンボケでしたw)。「にわか雨」はゴーギャン以上に平面的で、雨の描写はどこか浮世絵を思わせます。そばにはゴーギャンの言葉も紹介されていました。ドニの「テラスの陽光」はお城の庭園らしいですが、完全に色面のみで構成され、よくこんな大胆な発想ができたなとも思いますし、1890年という時代を考えても、かなり実験的な作品という気がします。ゴーギャンでは2010年の『オルセー美術館展』にも来日した代表作「《黄色いキリスト》のある自画像」が展示されていました。

モーリス・ドニ 「テラスの陽光」 1890年

[写真左] エミール・ベルナール 「収穫」 1888年
[写真右] エミール・ベルナール 「ブルターニュの女性たち」 1888年


2 庭の女性たち

象徴主義はナビ派と密接に結びついていて、ある意味ナビ派の特徴の一つでもあるのですが、女性と自然というテーマは多分に象徴主義的なイメージがあります。ドニがいくつか並んでいて、どれもとても良質な作品で、装飾性が高く、ドニの象徴主義的な傾向がよく出ています。ケル=グザヴィエ・ルーセルの作品なんて唯美主義的なムードもあって、ナビ派という言葉より象徴主義という言葉の方が先に出てくる感じがします。

[写真左] モーリス・ドニ 「10月の宵、若い娘の寝室装飾のためのパネル」 1891年
[写真右] モーリス・ドニ 「9月の宵、若い娘の寝室装飾のためのパネル」 1891年

モーリス・ドニ 「ミューズたち」 1893年

ドニの「ミューズたち」はタイトルの通りに女神なのですが、現代の女性風に描かれているのが面白いですね。優美な女性の曲線とどっしりとした太い幹の直線が様式化された構図にリズムを生み、装飾性を高めているように思います。ドニの代表作「木々の中の行列(緑の木立)」(未出品)と同じ年の作品ということを考えると、その違いも興味深い。

モーリス・ドニ 「鳩のいる屏風」 1893年

ジャポニスムの影響はナビ派の作品に多く指摘されているところですが、ドニの「鳩のいる屏風」は日本の屏風に感化されてるのでしょうし、“日本かぶれ”と揶揄されたボナールの「庭の女性たち」なんて、女性の腰のひねり具合や草花の描写が浮世絵や日本美術をヒントにしているのだろうなと感じます。この作品を観てて、大正ロマンの美人画は西洋の日本趣味作品の逆輸入的な影響もあるんだろうかと思ったりしました。

[写真左から] ピエール・ボナール 「庭の女性たち 白い水玉模様の服を着た女性」
「庭の女性たち 猫と座る女性」「庭の女性たち ショルダー・ケープを着た女性」
庭の女性たち 格子柄の服を着た女性」 1890-91年


3 親密さの詩情

ナビ派のひとつの流れに親密派(アンティミスム)があって、パーソナルな部分に触れてるというか、とてもインティメイトなムードのする作品が多くあります。装飾的な美しさ、かわいらしさとは相入れない、日常の中にある不安や違和感。見てはいけない生活の一断面を覗き見てしまった後ろめたさのような感覚を覚えるのもナビ派の面白さです。

ピエール・ボナール 「ベッドでまどろむ女(ものうげな女)」 1899年

ボナールというと女性のヌードを描いた“浴槽”シリーズがありますが、こんなあからさまな性的イメージを想起させる裸婦画も描いてたのですね。ボナールってもっと明るい色のイメージがあるのですが、色合いも暗めで、淫靡で、どこか退廃的で、世紀末美術のような雰囲気があります。

ヴュイヤールの「エッセル家旧蔵の昼食」も家庭の秘密的な何かが潜んでる感じが伝わってきます。ヴュイヤールの義兄で画家のケル=グザヴィエ・ルーセル一家の食事の風景ということなのですが、夫は浮気をしていて妻の顔をまともに見れないのだとか。目を合わせない夫婦のビミョーな距離感がいたたまれません。

エドゥアール・ヴュイヤール 「エッセル家旧蔵の昼食」 1899年

ヴァロットンも複数作品が出ています。「室内、戸棚を探る青い服の女性」は『ヴァロットン展』でも強く印象に残った作品。何を探してるのが知りませんが、後ろ姿が不気味です。ヴァロットンの木版画シリーズ「アンティミテ」もヴァロットンらしいユニークな作品。独特の冷めた眼差しが後を引きます。

[写真左] フェリックス・ヴァロットン 「髪を整える女性」 1900年
[写真右] フェリックス・ヴァロットン 「室内、戸棚を探る青い服の女性」 1903年


4 心のうちの言葉

肖像画を集めたコーナー。画家の個性がそれぞれ出ていて、ナビ派らしい作品もあれば、正攻法で描いたものもあったりして、表現の追求としての作品と注文肖像画を使い分けていたのかとか、いろいろ興味深いものがあります。

エドゥアール・ヴュイヤール 「八角形の自画像」 1890年頃

ヴュイヤールの「八角形の自画像」は八角形という発想も面白いのですが、色彩の奇抜で大胆な配色が楽しい。本展のメインヴィジュアルにも使われているボナールの「格子柄のブラウス」は手漉き和紙のちぎり絵のようなタッチが印象的。縦長のフレーミングと温かみのある色彩、食卓に目を落とした視線、すごくいい。

[写真左] モーリス・ドニ 「マレーヌ姫のメヌエット」 1891年
[写真右] ピエール・ボナール 「格子柄のブラウス」 1892年

ナビ派の作品は親密な生活空間を描いた作品が多いからか、一緒に暮らす猫や犬が描かれた作品をちらほら見かけます。ボナールには「白い猫」という有名な作品がありますが(しかもオルセーに)、本展には「猫と女性」が出品されていました。こちらも白い猫。ボナールの飼い猫だったのでしょうか。

[写真左] ピエール・ボナール 「猫と女性」 1912年
[写真右] ピエール・ボナール 「ブルジョワ家庭の午後」 1900年


5 子ども時代

ヴュイヤールの「公園」は9つの作品から成り、オルセー美術館には5作品が収蔵されていて、今回はその5点とも展示されています。三菱一号館美術館の空間にとてもマッチしているというか、装飾画的な本来の姿が再現されていて素晴らしいです。オルセーでもこういう展示はできないとか。

[写真左から] エドゥアール・ヴュイヤール 「公園 戯れる少女たち」「公園 質問」
「公園 子守」「公園 会話」「公園 赤い日傘」 1894年

『ヴァロットン展』で話題になった「ボール」も展示されています。

[写真右] フェリックス・ヴァロットン 「ボール」 1899年


6 裏側の世界

英語の章題は“Parallel World”。ナビ派の内的志向は夢や詩の世界と結びつき、時に神秘主義的な作品も創り出したようです。ドニの「プシュケの物語」は装飾壁画のための習作。“プシュケ”というとバーン=ジョーンズを思い出しますが、ドニの“プシュケ”は装飾画らしいカラフルでロマンティックな神話の世界が広がります。

ここには彫刻作品も。“彫刻家のナビ”と呼ばれたというラコンブの作品の前ではナビ派とは何なのかと頭を抱えてしまいました(笑)。でも嫌いじゃないです、こういうの。ランソンの「水浴」もいい。ランソンというと国立西洋美術館にある「ジキタリス」のような色彩感のある装飾性の高い作品を思い浮かべますが、「水浴」はとても神秘主義的というか、オカルトに傾倒したというランソンらしさが出ている作品という感じがします。

[写真右から] モーリス・ドニ 「プシュケの物語 プシュケと出会うアモル」
「プシュケの物語 プシュケの誘拐」「プシュケの物語 プシュケの誘拐(第2バージョン)」
「プシュケの物語 プシュケの好奇心」「プシュケの物語 プシュケの罰」
「プシュケの物語 許しとプシュケの婚礼」 1907年

[写真左から] ジョルジュ・ラコンブ 「存在」 1894-96年
ジョルジュ・ラコンブ 「イシス」 1895年
ポール・ランソン 「水浴」 1906年頃

ポール・セリュジエの妻マルグリットの「谷間の風景 四曲屏風」は、これがナビ派か、というとビミョーな気もしますが、やまと絵屏風の世界観を再現した山や渓流、花木の構成が見事だし、すごく雰囲気があります。やまと絵の屏風ではまず見ないきのこが描かれているのがかわいい。

マルグリット・セリュジエ 「谷間の風景 四曲屛風」 1910年頃

今回の作品の中で一番のお気に入りはヴュイヤールの「ベッドにて」。ヴュイヤールは『ワシントンナショナルギャラリー展』で観た作品がとても良くて、それ以来大好きな画家。単純な線と中間色の淡いトーンでまとめたミニマルな構図と穏やかな寝顔から溢れるやすらぎ感がたまらなくいい。

エドゥアール・ヴュイヤール 「ベッドにて」 1891年

観終わった後に、オルセー美術館の外でナビ派の展覧会を開いたとして、果たしてここまでの作品が揃うだろうか、と思い、実はもう一度足を運びました。ナビ派を代表する作品が集まっているという充実度もさることながら、やはり三菱一号館美術館の空間で観ることで、より印象が深まるのではないかと思います。評判もいいようなので、口コミで広がり、だんだんと混み出すでしょうから、早めに観に行かれるのをお勧めします。


  
『オルセーのナビ派展』の図録は2種類。左側のヴュイヤールの「エッセル家旧蔵の昼食」が表紙の方は数量限定です。


※展示会場内の写真は特別に主催者の許可を得て撮影したものです。


【オルセーのナビ派展: 美の預言者たち -ささやきとざわめき】
2017年5月21日(日)まで
三菱一号館美術館にて


かわいいナビ派かわいいナビ派


ヴュイヤール:ゆらめく装飾画 (「知の再発見」双書166)ヴュイヤール:ゆらめく装飾画 (「知の再発見」双書166)