2018/10/27

小倉遊亀展

平塚市美術館で開催中の『小倉遊亀展』を観てきました。

小倉遊亀は近代日本画を代表する女性画家であり、昭和から平成にかけての長きに渡り第一線で活躍した日本画家の第一人者。

代表作であれば、東京国立近代美術館の常設展や東京藝術大学大学美術館の所蔵品展などでときどきお目にかかりますし、戦後の日本画や日本美術院をテーマにした展覧会でも割と観る機会のある画家だと思います。つい先日も山種美術館の『日本画の挑戦者たち』で作品を目にしたばかり。ただ、75年にも及ぶ長い画家人生にあって、時代々々の作風、その変遷を意外と知らない画家でもあります。

そんな本展は、戦前から鎌倉に住み、大磯の安田靫彦の家に通い指導を受けるなど、小倉遊亀と所縁の深い湘南での回顧展となります。神奈川県内では17年ぶり、関東でもここまで大規模な展覧会は2002年の東京国立近代美術館の特別展以来ずいぶん久しぶりなのではないでしょうか。


会場の構成は以下の通りです:
1.黎明 画家としての出発
2.飛躍 遊亀芸術の開花
3.挿絵と愛蔵陶器
4.成熟

小倉遊亀 「苺」
1932年 国立大学法人奈良女子大学蔵

小倉遊亀は父の事業の失敗で美術学校への進学を断念し、師範学校で国文学を学び教職になります。その後、安田靫彦に師事し、教師を務めながら画道に精進。教師と画家を両立させていくところなどは同じ時代を生きた片岡球子を思い起こさせます(しかも二人とも長命!) 。1階のホールでは遊亀のドキュメンタリーが上映されていて、遊亀本人が安田靫彦の門を叩いたときのエピソードを語っていたりして面白いですよ。

初期作品は、大正期のもの1点を除いては昭和初期から戦前にかけてのものが展示されていて、俯瞰の構図がユニークな「苺」や、草花を一生懸命に写生する女の子の様子を描いた「首夏」、虫篭を持った浴衣姿の女の子を円窓に描いた「虫籠」など印象的な作品がいくつかありました。強くしなやかな線や清新な色彩はやはり師の安田靫彦や、時代的にも小林古径など新古典主義の影響を窺わせます。

小倉遊亀 「浴女 その一」
1938年 東京国立近代美術館蔵

遊亀の初期の代表作「浴女その一」は古径の「髪」や「出湯」を参考にしてるんだろうなと感じますし、緑の芝生の上で犬が寝そべっている「晴日」はどことなく速水御舟の「翠苔緑芝」を思わせます。2面に一人ずつ着物姿の女性を描いた「夏の客」になってくると戦後にも繋がる遊亀らしい女性画という感じが出てきます。

小倉遊亀 「良夜
1957年 横浜美術館蔵

1951年に東京国立博物館で開催されたアンリ・マティス展に強く感化され、遊亀の画風が一変。明るくヴィヴィッドな色彩、時にデフォルメした自由な造形や明快な構図が現れます。時同じく1951年には日本で大規模なピカソ展が開かれ、日本の美術界に大きなインパクト与えたのは昨年の『日本におけるキュビスム - ピカソ・インパクト』でも詳しく取り上げられていたところ。『月』や『良夜』、『母子』といった1950~60年代の作品からはマティスやピカソの影響を感じることができますし、最早日本画と現代美術の境界さえ曖昧になっているというか、完全に溶解しているというか、大きく変化を遂げる戦後の日本画を取り巻く空気までも伝わってきます。

小倉遊亀 「コーちゃんの休日」
1960年 東京都現代美術館蔵

越路吹雪をモデルにしたことで有名な「コーちゃんの休日」の背景の赤もマティスから来てるんでしょうね。情熱的な背景の赤といい、ウッドチェアに寝転ぶ越路の格好といい、越路吹雪のイメージがとても良く出ていると思います。当の越路本人は完成された作品を観て、「わたしの悪い癖がみんな出てる。手にも足にもどこにも」と言ったというエピソードが残されています。

小倉遊亀 「兄妹」
1964年 滋賀県立近代美術館蔵

小倉遊亀 「家族達」
1958年 滋賀県立近代美術館蔵

1950年代後半から1960年代にかけては息子夫婦やその子どもを描いた作品も多く、その幸せそうな家族の日常風景からは遊亀の温かい眼差しや深い愛情が伝わってくるようです。

その最高傑作が「径」ですね。ほのぼの感が最高の作品ではありますが、解説によると、中国の龍門石窟で見たイメージを別のかたちで表現しようとしたとあって、これはお釈迦様と弟子だったのかという事実が衝撃的でもあります。

小倉遊亀 「径」
1966年 東京藝術大学蔵

会場の一角に、遊亀の描いた小説の挿絵が展示されていたのですが、谷崎潤一郎の「少将滋幹の母」の挿絵がまた素晴らしい。白描の淀みない線、墨を掃いた夜の表現。こういう作品も描いてたのかと初めて知りました。

小倉遊亀 「花屑」
1950年 滋賀県立近代美術館蔵

人間味溢れる人物画もいいのですが、師の安田靫彦に“鎌倉の特産物”とまで評された遊亀の静物がまた魅力的です。会場では要所々々に展示されていて、初期から晩年までコンスタントに静物を描いていたことが分かります。いずれも古九谷や赤絵の皿や花瓶と花や果物、野菜などがセットになっていて、器の趣味の良さと果物や野菜からくる生活感のマッチングが面白いし、とてもいいなと思います。会場には遊亀愛蔵の陶器なども展示されていました。

小倉遊亀 「青巒」
1976年 滋賀県立近代美術館蔵

1960年代後半以降の作品では背景に金箔や銀箔を貼った上に絵具を塗ったり擦ったりと技巧を凝らしたものが多くあります。黒色の絵具の上に銀箔を貼り、さらにプラチナ泥をかけたり擦ったりした衝立「月」や、銀箔の上に胡粉を塗って一部だけ拭き取ったという「舞妓」、ラピスラズリの青々とした壮大な富士山と牛の対比、色のコントラストが鮮烈な「青巒」。地唄舞の「雪」を舞う竹原はんをモデルにした「雪」の素晴らしさといったら。晩年の余白の隅々まで神経を使った円熟の技に感心しきりです。小倉遊亀は2000年に105歳で亡くなりますが、その年に描かれた絶筆まであって、年老いてなお果てることのない創作意欲に驚きます。

小倉遊亀 「雪」
1977年 滋賀県立近代美術館蔵

代表作では「O夫人坐像」がなぜか出てないのですが、代表作と呼ばれる作品は大方揃ってますし、出品数も絵画だけで約60点(前後期で一部展示替えあり)あり、非常に充実した展示になっています。


【小倉遊亀展】
2018年11月18日(日)まで
平塚市美術館にて


少将滋幹の母 (中公文庫)少将滋幹の母 (中公文庫)

0 件のコメント:

コメントを投稿