2015/05/17

小林清親展

練馬区立美術館で開催の『没後100年 小林清親展 文明開化の光と影をみつめて』に行ってきました。

もう少し早めに行きたかったのですが、ゴールデンウィークにも行けずじまい。結局最終日になってしまいましたが、ようやく駆け込みで拝見してまいりました。

小林清親というと“最後の浮世絵師”とよくいわれ、自分もその程度の認識でしかなかったのですが、同じ明治に活躍した月岡芳年や豊原国周、楊洲周延といった浮世絵師とはかなり趣が違うので、ずっと気になる存在ではありました。


第一章 光線画

小林清親の浮世絵(木版画)といえば“光線画”。文明開化で変わる都市景観や風俗を、光や影を効果的に用いた表現方法で描きだした(当時としては)新感覚の木版画です。

清親の木版画は新版画の展覧会などでもよく見かけますし、光線画自体もどんなものなのかは知ってはいましたが、やはりこれだけ作品が揃うと、さまざまな表現や技術も見られ、また比較もできて非常に興味深いものがあります。

小林清親 「高輪牛町朧月景」 明治12年(1879)

小林清親 「駿河町雪」 明治12年(1879)頃

会場は≪橋≫や≪街≫、≪夜≫、≪水≫などのテーマに分け、それぞれに近代化の象徴である蒸気機関車や電線、また橋のある風景や街の明かりなどを描いた作品を展示しています。光の調子や影の付け方で、季節や時間、また天候といった微妙な加減が表現されていたり、それまでの浮世絵では描かれてこなかった夜や水の表情が豊かだったり、清親の鋭い観察眼と、それを絵にする繊細で巧みな表現力に感嘆します。

小林清親 「両国花火之図」 明治13年(1880)

小林清親 「日本橋夜」 明治14年(1881)頃

花火が上がって一瞬昼間のように明るくなる様子を描いた「両国花火之図」や、ガス燈や提灯、建物の窓から漏れる灯りだけを描き、通りを行き交う人々をシルエットで描いた「日本橋夜」など、アイディアですね。

技術的にもレベル高い作品が多く、特に「梅若神社」は背景を薄墨の線で色版を白抜きの線で表現していて、太さや位置がずれないよう慎重に摺り重ねる必要があるのだとか。よく見るとどれだけ手の込んだ作品なのかが分かります。

ほかにも、画面をコーティングしテラテラした光沢をつける“ニス引き”や、西洋の銅版画の手法を真似て川面に反射する夕陽を横線で描いた作品など、とても研究熱心な方だったんでしょうね。

小林清親 「梅若神社」 明治12-14年(1879-81)頃

江戸の面影を残す名所を描いた「武蔵百景」のシリーズもいくつかあって、近代化していく景色を描いたそれまでの画風とも異なり、時代が求めていなかったのか、不評で途中で版行中止になったとありました。個人的には好きな絵だったんですけどね。

清親の有名なエピソードに、近くで火事が起きたのでスケッチ帖を片手に飛び出し、翌朝家に戻ったら家が灰になっていたというのがありますが、そのときの火事(両国の大火)を描いた作品も出ています。

小林清親 「猫と提灯」 明治10年(1877)

清親の代表作「猫と提灯」ももちろん出品されていました。初めてこの絵を見たときは木版画だと気づかなかったくらい、猫の毛の質感や提灯の色の感じがとても繊細なのですが、35度摺りという驚異的な数の版でできているのだそうです。会場には版木や順序摺りの見本が展示されていました。


第二章 風刺画・戦争画

清親はあるときパタリと光線画をやめ、当時の風刺雑誌に“清親ぽんち”と呼ばれる風刺画を描くようになります。これもまた評判を呼び、清親が漫画を描きだしてから誌面が楽しいと言われたのだとか。その絵はかなりデフォルメされ、時に滑稽に時にグロテスクに、恐らく皮肉を利かせて描かれていて、西洋の風刺雑誌の絵をかなり参考にしたんだろうなと思わせます。

ほかにも国芳ばりの戯画や、日清、日露戦争を題材にした戦争画などもあり。戦争画は大判三枚続など大画面を活かしてドラマティックに描いたといいます。

小林清親 「壱人六面相 可笑くも何ともないハ」 明治17年(1884)


第三章 肉筆画・スケッチ

肉筆画は2階と1階に。清親の肉筆画を観た記憶はないので、たぶん初めてなんじゃないかと思うのですが、また別の魅力が見られてとても興味深いです。清親の木版画は淡彩の柔らかい色調と繊細な表現でまるで水彩画を思わせるようなところがありますが、彼の水彩画はそのイメージのままで、共通するものを感じます。

日本で水彩絵具が発売されたのが明治12年頃だそうで、清親は早い時期から水彩の技術を習得。水彩画家としても先駆的な存在だったんですね。会場には清親のスケッチ帖もあって、水彩絵具で着色されたものもあったりします。


小林清親 「川中島合戦図屏風」
明治43年(1910) 静岡県立美術館蔵

ほかにも大胆なな筆さばきの「象図」や日本の神話を描いた「神代の国」、滑稽な味わいの「左甚五郎図」、軽妙な筆致の軸物など、非常に幅の広い作品が観られます。極めつけは六曲一双の「川中島合戦図屏風」。人物の表情や動きが絶妙でとても面白い。どこか野口哲哉や山口晃の作品を思わすような妙な魅力がありました。今回公開はされていませんが、屏風の裏は水墨の龍虎図になってるそうで、これがまたいい。これも観てみたかった。


小林清親という人は絵は上手いし、ユーモアも抜群だし、何でもこなしてしまう器用さがあったんだろうなと思います。前期を観に行けなかったのがつくづく残念。とても充実した展覧会でした。


【没後100年 小林清親展 文明開化の光と影をみつめて】
2015年5月17日(日)まで
練馬区立美術館にて


小林清親 文明開化の光と影小林清親 文明開化の光と影

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