待ちに待った月岡芳年の回顧展。芳年は歌川国芳の弟子で、幕末から明治前期にかけて活躍した最後の浮世絵師。今年はその芳年の没後120年にあたり、前後期あわせて240点の作品が揃うという東京では約17年ぶりとなる大規模な展覧会です。
近年、歌川国芳が脚光を浴び、あちらこちらで国芳の展覧会が開催されていますが、さすがに少し食傷気味。国芳はもういいから、月岡芳年を見せてよ、と思っていたところに届いた朗報。首を長くして待っておりました。
本展は、芳年の画業を5つの章に分け、それぞれの時代の作品を紹介しています。
第1章 国芳一門としての若き日々
月岡芳年は1839年(天保10年)に新橋の商家に生まれ、数えで12歳の頃、武者絵や戯画で当時人気絶頂の歌川国芳に入門します。その3年後の15歳のときには三枚続の大判錦絵を制作。駆け出しどころかまだ修行中の身で、大判三枚続でデビューするのは異例中の異例で、親族から制作費の提供があったのではないかということでした。それでも僅か15歳にしてこれだけの作品が作れるというのは、相当の実力があってこそ。師匠・国芳の作品を思わせるインパクトのある大胆な構図や表現力から芳年の早熟さが伝わってきます。
月岡芳年 「文治元年平家の一門亡海中落入る図」
嘉永6年(1853年) (展示は10/28まで)
嘉永6年(1853年) (展示は10/28まで)
芳年の本格的な画業の開始は22歳の頃で、役者絵をはじめ武者絵や美人画など幅広く手掛けていたようです。芳年が国芳から薫陶を受けたのは国芳が亡くなるまでの僅か10年程ですが、芳年の初期の作品はいずれも国芳の画風や影響を強く感じさせます。
月岡芳年 「東海道 名所之内 由比ヶ浜」
文久3年(1863年) (展示は10/28まで)
文久3年(1863年) (展示は10/28まで)
徳川家茂が朝廷に参内するため東海道を練り歩いた様子を描いた「御上洛東海道」は、歌川広重や河鍋暁斎を筆頭に歌川派の絵師16名を総動員した大規模な揃物で、芳年は8点を制作しています。相模湾越しの富士山という典型的な東海道ものの構図に鶴が群れをなして飛んでいくユニークなアレンジが印象的です。
月岡芳年 「通俗西遊記 混世魔王 孫悟空」
元治元年(1864年) (展示は10/28まで)
元治元年(1864年) (展示は10/28まで)
「通俗西遊記」は芳年最初の本格的な物語絵のシリーズ。孫悟空の口から子猿のシルエットが飛び出ていて魔王に襲いかかるというユニークな作品です。芳年はこの頃から若手の有望株として徐々に頭角を現し出したといいます。
月岡芳年 「和漢百物語 大宅太郎光圀」
慶応元年(1865年) (展示は10/28まで)
慶応元年(1865年) (展示は10/28まで)
日本や中国の怪談を題材にした「和漢百物語」は26点からなり、本展では前後期で6点が展示されます。「大宅太郎光圀」は、国芳の代表作「相馬の古内裏」と同じ滝夜叉姫の妖術で大宅太郎が骸骨に襲われる場面を描いた一枚。師匠の「相馬の古内裏」の巨大な骸骨とは異なり、小人のような骸骨がみんなして攻めてくるのがちょっと笑えます。芳年はこの「和漢百物語」から月岡姓を名乗り始めます。
第2章 幕末の混迷と血みどろ絵の流行
月岡芳年といえば“血みどろ絵”。芳年自身がこうした残酷な作品に傾倒してのかと思っていたのですが、会場の解説によると、こうした表現は幕末の歌舞伎や講談で好まれた趣向で、芳年はそれを過激に演出したに過ぎないとありました。幕末という時代がそうした嗜好を求めていて、芳年はそれを敏感に嗅ぎとったということのようです。
月岡芳年 「英名二十八衆句 稲田九蔵新助」
慶応3年(1867年)
「英名二十八衆句」は、歌舞伎や講談の残酷な場面のみを集めた揃物。「稲田九蔵新助」は「英名二十八衆句」の代表的な一枚で、裸の女性が逆さ吊りされて、切りつけられるという、正に凄惨の極み。俗に“あんこう斬り”というのだそうです。恐ろしすぎます。
月岡芳年 「英名二十八衆句 団七九郎兵衛」
慶応2年(1866年) (展示は10/28まで)
歌舞伎や人形浄瑠璃の人気狂言『夏祭浪花鑑』で団七が舅の義平次を殺めてしまう場面を描いた「団七九郎兵衛」。ねっとりした血の感じや泥まみれの立ち回りが伝わってくる凄まじい作品です。歌舞伎で観ていても惨い場面ではありますが、ここまでの描写はさすがに過剰という気がします(笑)。
月岡芳年 「英名二十八衆句 福岡貢」
慶応3年(1867年) (展示は11/1から)
慶応3年(1867年) (展示は11/1から)
後期には、遊郭の人々を次々と斬殺する殺し場が有名な、歌舞伎で人気の『伊勢音頭恋寝刃』の「福岡貢」が展示されます。白絣の柄もちゃんと井桁模様になってます。
月岡芳年 「東錦浮世稿談 幡随院長兵衛」
慶応3年(1867年) (展示は10/28まで)
慶応3年(1867年) (展示は10/28まで)
「東錦浮世稿談」は当時人気のあった講談を題材にした揃物。これも歌舞伎で人気の『幡随院長兵衛』の湯殿の名場面を描いた一枚。太ももには折れた槍が刺さったままで、あちこちに血の手形つき、壮絶な最期であったことが想像できます。
月岡芳年 「魁題百撰相 冷泉判官隆豊」
明治元年(1868年) (展示は10/28まで)
明治元年(1868年) (展示は10/28まで)
南北朝時代から江戸初期までの歴史上の人物を描いた「魁題百撰相」。実は過去の英雄の名と略伝を借り、彰義隊の人たちの姿を重ね合わせたものだそうです。冷泉隆豊は周防の戦国武士で、敵に囲まれ自害した際、自らの内臓を天井に投げつけたという壮絶な最期を遂げた人物。よく見ると、お腹のあたりに飛び出た内蔵が描かれています。生々しい描写に芳年の徹底ぶりがうかがえます。
このほかにも、第1章、第2章には、師・国芳の出世作「水滸伝」を芳年流にアレンジした「美勇水滸伝」や「豪傑水滸伝」、役者絵のシリーズ「勇の寿」、和漢の故事・物語の人物を描いた「一魁随筆」などの揃物が展示されています。
第3章 新たな活路 -新聞と西南戦争
明治になり、次々と西洋の新しい文化の波が入ると、芳年も西洋風の表現を取り入れようと模索を始めたといいます。時代的にも浮世絵は過去のものとなり、芳年は新聞の挿絵に活路を見出します。新聞記事といっても内容は殺人事件や強盗事件、ときには怪奇現象といった三面記事で、芳年の作風とうまく合致し、彼の絵は非常に人気が高かったそうです。
月岡芳年 「郵便 報知新聞 第六百十四号」
明治8年(1875年) (展示は10/28まで)
やがて西南戦争が勃発すると、芳年は西南戦争を題材にした作品を次々と発表します。写真の技術が既に入っていたとはいえ、報道写真に使われるまでの即日性はなく、遠く九州で起きた大事件を伝えるメディアとして、芳年の錦絵は大いに持て囃されたそうです。
第4章 新時代の歴史画 -リアリズムと国民教化
新聞の挿絵で人気を博す一方で、この頃の芳年は歴史画に取り組み、神話の時代から江戸時代に至るまで、歴史上の人物を題材にした作品を精力的に発表しています。このコーナーでは、歴史的なエピソードや日本古来の神話や説話にまつわる作品を展示しています。
月岡芳年 「藤原保昌月下弄笛図」
明治16年(1883年) 千葉市美術館蔵 (展示は10/28まで)
明治16年(1883年) 千葉市美術館蔵 (展示は10/28まで)
「藤原保昌月下弄笛図」は、展覧会に出品した絹本着色の肉筆画をもとに版画化した作品。非常に人気が高く、その人気に乗じて歌舞伎作品も上演されたほどだといいます。
第5章 最後の浮世絵師 -江戸への回帰
40代半ばになり、浮世絵師としてトップの実力と人気を得た芳年。その卓越した画芸と筆遣いはさらに磨きがかかり、次々と傑作と評される作品を発表します。
月岡芳年 「風俗三十二相 みたさう 天保年間御小性之風俗」
明治21年(1888年) (展示は10/28まで)
明治21年(1888年) (展示は10/28まで)
「風俗三十二相」は女性たちの心の描写をとらえた全32点からなるシリーズ。いずれも江戸時代の女性の風俗を描いたもので、晩年の美人画の傑作と評価されています。芳年は国芳の弟子の中でも美人画が得意といわれていたそうで、女性の艶っぽさや叙情的な表現に芳年の幅広い画力を感じます。
月岡芳年 「雪月花の内 雪 岩倉の宗玄 尾上梅幸」
明治23年(1890年) (展示は10/28まで)
明治23年(1890年) (展示は10/28まで)
芳年の明治期の役者絵が何枚も展示されていましたが、江戸時代によく見られる役者絵のパターンと違って、役者の表現力や演出的な構図というんでしょうか、芝居を浮世絵化するアレンジ力が非常に面白く、際立っていると感じました。
月岡芳年 「月百姿 垣間見の月 かほよ」
明治19年(1886年) (展示は10/28まで)
明治19年(1886年) (展示は10/28まで)
芳年の代表作として非常に名高い「月百姿」も前後期合わせて6点展示されます。「垣間見の月 かほよ」は、三大狂言の一つ『仮名手本忠臣蔵』がなぞらえた作品として知られる『太平記』で、顔世御前に横恋慕する高師直に顔世の侍女が風呂上りの顔世の姿を覗き見させるというエピソードを描いた作品。なんとも色っぽい作品です。本作の下絵も展示されていました。
月岡芳年 「奥州安達がはらひとつ家の図」
明治18年(1885年) (展示は11/1から)
明治18年(1885年) (展示は11/1から)
後期には、芳年の“無残絵”の傑作として知られる「奥州安達がはらひとつ家の図」も展示されます。
10/14までの限定公開ですが、芳年の知られざる傑作で、肉筆画の「幽霊之図 うぶめ」も展示されています。芳年の肉筆画は少なく、その中でも本作は妖しさ、不気味さでは随一の作品だと思います。なかなか公開されることのない作品のようですので、お見逃しのないように。
月岡芳年 「幽霊之図 うぶめ」
明治11~17年(1878-1884年) 慶應義塾蔵 (展示は10/14まで)
明治11~17年(1878-1884年) 慶應義塾蔵 (展示は10/14まで)
奇想の絵師・国芳の後継者として、“血みどろ絵”や“無残絵”の絵師として、エキセントリックな部分だけが語られがちな芳年ですが、そうした部分だけではない彼の多彩な作品群やその画芸、画力の素晴らしさを堪能できる絶好の展覧会です。国芳で浮世絵が面白いなと感じた人には是非おすすめです。
【没後120年記念 月岡芳年】
2012年11月25日(日)まで
太田記念美術館にて
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