2015/11/21

村上華岳 -京都画壇の画家たち

山種美術館で開催中の『村上華岳 -京都画壇の画家たち』を観てまいりました。

昨年、重要文化財に指定された村上華岳の「裸婦図」が重文指定後の初お目見え。併せて華岳の代表的な作品をはじめ、同時代の京都画壇の画家の作品を展観していきます。

会場に入って、まず展示されているのが華岳の「墨牡丹之図」。構図としてはよくあるパターンですが、金地の上に墨の濃淡だけでなく、微妙な彩色を施し、牡丹の艶やかさとしっとりとした情緒感を出すことに成功しています。華岳の優れた画技がうかがえる逸品です。

つづいては京都画壇の画家の作品。こちらは、<先人と学友>と<京都画壇の女性表現>と二つに分かれています。いつもなら山種美術館の所蔵作品で構成されるところですが、今回は京都国立近代美術館など京都を中心とした美術館から作品を借り受けているのも見どころの一つでしょう。

村上華岳 「墨牡丹之図」
昭和5年(1930) 京都国立近代美術館蔵 (展示は11/23まで)

京都画壇の先人の作品としては、京都市立美術工芸学校で華岳を指導した竹内栖鳳や菊池芳文、山元春挙をはじめ、橋本関雪や今尾景年といった大御所の作品が並びます。西村五雲の作品が割とあったのですが、五雲といえばやはり「白熊」で、大きめの掛軸にデカデカと描かれる白熊はかなりの迫力。シロクマかわいいと思ってよく見ると、オットセイを押さえつけていて実は生々しかったりもします。五雲は栖鳳の弟子で、動物描写では師の栖鳳をも凌ぐといわれていたとか。栖鳳は人気の「班猫」も出品されています。

印象的だったのが菊池芳文の「桜花群鴉図」。桜とカラスの組み合わせが面白いですね。解説によると円山派では描き継がれた画題であるともいいます。都路華香の「帆舟」は以前にも観ていいなと思った作品ですが、今回一緒に並んでいた「萬相亭」がまたいい。南画風の柔らかなタッチで、人物描写もユニーク。独特の画風が目を惹きます。

西村五雲 「白熊」
明治40年(1907) 山種美術館蔵

<美工・絵専の学友たち>では、華岳の通った京都市立美術工芸学校、京都市立絵画専門学校の同窓の土田麦僊や小野竹喬、入江波光などの作品を展示。入江波光の作品を観る機会はとても少ないのですが、展示されていた「春雨」にしても「志ぐれ」にしても墨の微細な表現に優れ、なかなか趣き深く、とても印象に残りました。個人的には好きな土田麦僊が複数あったのも嬉しい。

土田麦僊 「香魚」
昭和元~11年(1926-36)頃 山種美術館蔵

土田麦僊 「髪」
明治44年(1911) 京都市立芸術大学芸術資料館蔵 (展示は11/23まで)

<京都画壇の女性表現>というテーマもあって、おなじみの上村松園や伊藤小坡に加え、借受品の土田麦僊の「髪」が印象的でした。甲斐庄楠音の「春宵」のデロリ感も好き嫌いは別として、大正期のデロリを代表する作品として興味深いものがあります。

甲斐庄楠音 「春宵」
大正10年(1921) 京都国立近代美術館蔵 (展示は11/23まで)

そして、村上華岳。展示室のスペースの関係で、会場は2つに分かれています。また、出品作が前後期で大きく入れ替わることもあり、『村上華岳』と名前を大きく銘打ってる割には実際に展示されている作品は10数点ほどと少なく、華岳目的で行くとちょっと物足らないかもしれません。華岳の展覧会は東京では恐らく久しぶりだと思うので、いろいろと事情はあるのでしょうが、こうした展示になったのは少々残念な気がします。

村上華岳 「驢馬に夏草」
明治41年(1908) さいたま市立漫画会館蔵

それでも作品としては興味深いものが多く、華岳が西洋画や琳派を意識した作品にも挑戦していたことも知ることができました。美術工芸学校時代の作品「驢馬に夏草」は師・栖鳳譲りの写実的な動物描写を受け継いでいて、その卓越した技術に見惚れます。

「裸婦図」は第2会場に展示されていて、下図も並んでいるので比較して観るといろいろなことに気づきます。裸婦の表情は本画の方が遥かに良いですし、下図には白鳥が描かれていたことにも驚きます。パネルの解説によると、華岳は当初ギリシャ神話の「レダと白鳥」を意識していたのではないかという話もあるようです。また華岳曰く“久遠の女性”である裸婦は、インド・アジャンター石窟壁画の菩薩像やダ・ヴィンチの「モナ・リザ」からの影響も指摘されています。その絵は観音菩薩のように神格化された存在でなく、現実の女性のように生々しくもなく、永遠に変わらない理想的な女性の姿がそこにあるように感じられます。「裸婦図」は華岳にとって一つの到達点だったのか、その後は生身の女性を描くことはなかったそうです。

村上華岳 「裸婦図」(重要文化財)
大正9年(1920) 山種美術館蔵

ちなみに、村上華岳にはもうひとつ重要文化財に指定されている作品があって、その「日高河清姫図」も東京国立近代美術館で現在公開(12/13まで)されています。この機会に一緒にご覧になられるといいと思いますよ。


【村上華岳 -京都画壇の画家たち】
2015年12月23日(水・祝)まで
山種美術館にて


京の美人画 100年の系譜-京都市美術館名品集京の美人画 100年の系譜-京都市美術館名品集

2015/11/14

中島清之展

横浜美術館で開催中の『中島清之-日本画の迷宮』の特別内覧会にお邪魔いたしました。

中島清之(なかじま きよし)という名前を聞いて、すぐにその作品が思い浮かぶ人はかなりの日本画ツウなのではないでしょうか。年配の日本画ファンならまだしも、若い世代にはほとんど無名かもしれません。

花の画家として知られ、現代日本画壇を代表する中島千波さんの父であると言うと分かる人も多いでしょう。落選続きで苦しんでいた片岡球子に救いの手を差し伸べたのもこの人。先日展覧会が開かれたばかりの五姓田義松の近所に住んでいて義松の壮絶な最期を目の当たりにするなど、エピソードにも事欠きません。

平成元年に90歳で亡くなってから、ここまでの規模の回顧展が開かれるのも初めてだといいます。こんなすごい日本画家がいたんだ、と驚きの連続でした。


第1章 青年期の研鑽-古典との出会い

明治32年に京都で生まれ、16歳のとき横浜の伯父を頼って単身来浜。日中は働きながら早朝に写生をしたり、松本楓湖の画塾に通っては粉本模写に励んだり、絵の先生をあちこち訪ね歩いたりしたようですが、特定の画家に師事したというわけではないようなので、その点では独学に近いのかもしれません。五姓田義松からは水彩画の手法を教えてもらったこともあるとか。

[写真右] 中島清之 「胡瓜」 大正13年(1924) 福島県立美術館蔵
[写真左] 中島清之 「蓮池」 大正15年(1926) 個人蔵

楓湖の画塾(安雅堂画塾)出身の画家には速水御舟や小茂田青樹といった面々がいて、初期の作品からはその影響も感じとれます。事実、御舟に憧れ、御舟に因んだ画号を使っていたこともあったとか。「胡瓜」にしても「蓮池」にしても、表現性というかニュアンスの出し方がとてもうまくて、この人は相当画力の高い人なのだなと感じます。 初期のスケッチブックも展示されていましたが、どれも写実的でうまい。“スケッチ魔”というニックネームがつくほどスケッチをして歩いていたといいます。

中島清之 「春日権現記絵(模写)」 大正7年(1918) おぶせミュージアム・中島千波館蔵

中島清之 「関東大震災画巻」 大正12年(1923) 横浜美術館蔵

「関東大震災画巻」は山手で被災した清之がスケッチした震災直後の横浜の光景を後に画巻にまとめたもの。東京の震災直後の様子はこれまでも幾人かの画家のスケッチなどで見たことがありますが、横浜のものとなると初めてかも。東京の被害を上回るといわれる横浜の甚大な被害の様子がつぶさに描きとめられています。

中島清之 「花に寄る猫」 昭和9年(1934) (大佛次郎旧蔵品)

「花に寄る猫」は作家・大佛次郎の飼い猫をモデルに描いた作品。装飾的に配された色とりどりの百日草や昼顔とシャムネコの取り合わせが印象的。葉の描き方も個性的です。猫がおとなしくしていますが、実はよく暴れるので“アバレ”と名付けられていたそうです。

[写真左から] 中島清之 「紅梅」 昭和4年(1929) 個人蔵
中島清之 「春日野(習作)」 昭和7年(1932)頃 個人蔵

セザンヌの表現手法に魅せられたり、また展示されていた手帖には『白樺』風の絵も描かれていて、幅広く美術に関心があったことが分かります。大正から昭和初期にかけては新興美術運動が起きていたときですから、清之の作品からもさまざまに模索している様子が窺えますが、琳派や古典に根差した作品も多く、あくまでも日本画の枠からは外れなかったのだとも感じます。


第2章 戦中から戦後へ-色彩と構図の洗練

院展にも入選し、多くの画家や文化人と知遇を得て、刺激も多かったのでしょう。さまざまな技法や画風を吸収し、そのタッチは冴え、洗練されていくのが分かります。人物を描いた作品もぐんと増えます。

「銀座」は戦前の、恐らく最後の自由な空気と賑わう街の様子が伝わってくるような作品。 いくつものスケッチを重ね、それを自由に組み合わせ、再構成しているのだそうです。「銀座A」の場所は今のアップルストアのあたりとか。細い線を中心にした描写と少し乳白色の色合いが藤田嗣治ぽい感じも。

[写真右] 中島清之 「銀座A」 昭和11年(1936) 横浜美術館蔵
[写真左] 中島清之 「銀座B」 昭和11年(1936) 横浜美術館蔵

中島清之 「≪銀座≫のためのスケッチ」 昭和11年(1936) 個人蔵

この頃の清之の線はとても細く、鉄線描を人物の輪郭線などに効果的に用いることで、美しい描線を生み出しています。藤田嗣治も鉄線描で独特の線の美を創り出していますし、同時代の前田青邨や小林古径なども鉄線描で特徴的な作品を描いてますし、時代の流行だったのでしょうか。

中島清之 「湯あみ」 昭和13年(1938)頃 横浜美術館蔵

「湯あみ」を観て思い浮かぶのは小倉遊亀の「浴女」。ちょっと俯瞰的な視線が似てますよね。奇しくも遊亀の作品と同じ年に発表されたのだそうです。清之の描く女性もどこか遊亀の女性に似てる気がします。同世代ですし、同じ院展の画家として意識するものがあったのかもしれません。

中島清之 「残照」 昭和23年(1948) 個人蔵

[写真左から] 中島清之 「雪の子(晴雪)」 昭和21年(1946) 横浜美術館蔵
「雪の子(スキー)」「雪の子(ソリ)」 昭和21年(1946) 個人蔵

女性や子どもを描いた作品にしても、戦時中の中国人を描いた作品にしても、清之の描く人物はみんな純粋な表情をしています。疎開先の小布施の子どもたちを描いた作品にほっこり。人物は写実的なのに、背景の山がモザイクのように描かれているのも面白い。

中島清之 「和春」 昭和22年(1947) 横浜美術館蔵

ちょっと気になったのが「和春」。猿の毛を表現する墨の筆触がとても興味深い。細い線を重ねて猿の毛並感を出すという方法は日本画でよく見ますが、筆で描いているのか墨を吹き付けているのか、墨のタッチがすごく絶妙です。自分が知らないだけで、こういう技法があるのかもしれませんが、どうやって描いてるんでしょう。

「方向会の夜」は戦後の代表作。敢えて僧の姿を描かないことで、堂内のピンと張りつめた空気をものの見事に表現しています。「明ける街」「暮るる里」は御舟の「京の家」「奈良の家」を彷彿とさせます。

[写真右から] 中島清之 「方向会の夜」 昭和25年(1950) 横浜美術館蔵
中島清之 「明けの街」 昭和26年(1951) 横浜美術館蔵 (展示は12/2まで)
中島清之 「暮るる里」 昭和26年(1951) 横浜美術館蔵 (展示は12/2まで)


第3章 円熟期の画業-伝統と現代の統合への、たゆみなき挑戦戦

戦後の作品は画風が急変していきます。さまざまな要素を貪欲に吸収し、カタチにしていくその造形感覚と感性が楽しい。画家の生涯の中で画風が変遷していくことは別に珍しいことではありませんが、中島清之の場合、同じ人の作品なんだろうかと思うこともしばしば。一点一点が試作というつもりで取り組んでいたという話ですが、その振幅の大きさが評価が定まらなかった理由の一つでもあったようです。

[写真左から] 中島清之 「古代より(一)」 昭和27年(1952) 個人蔵
中島清之 「古代より(二)」 昭和27年(1952) 横浜美術館蔵
中島清之 「顔」 昭和34年(1960) 東京藝術大学蔵

[写真左から] 中島清之 「梅川」 昭和34年(1959) 個人蔵
中島清之 「浄瑠璃 山城少掾」 昭和31年(1956) 国立文楽劇場蔵
中島清之 「浄瑠璃 鶴澤清六」 昭和31年(1956) 横浜美術館蔵

東博で埴輪や土器をスケッチして描いたという「古代より」や一瞬アンフォルメルかと思うような「顔」(よく見ると仏像が描かれている)など、戦後の日本画で主流となる色面に重きを置いた画面作りが目立つようになります。そうした戦後の新しい絵画や色彩への挑戦は人物画にも展開されていて、「浄瑠璃」シリーズは三人の表情に肉薄し、熱のこもった舞台の空気が伝わってくるようです。どこか片岡球子の人物画に繋がっていくものも感じます。

中島清之 「霧氷」 昭和38年(1963) 横浜美術館蔵

「霧氷」なんて、もうほとんど抽象絵画の域。真冬の大正池の枯れ木を描いたのだそうです。銀箔の上に墨で描かれていて、描法はあくまでも日本画だったりします。

[写真左] 中島清之 「喝采」 昭和48年(1973) 横浜美術館蔵
[写真右] 中島清之 「喝采(小下絵)」 昭和48年(1973)頃 おぶせミュージアム・中島千波館蔵

「喝采」を熱唱するちあきなおみのヴィジュアルを見て、ちあきなおみを愛する者としては心が動かずにはいられません。ちあきなおみの圧倒的な存在感に魅了され、テレビに映る姿をスケッチするだけでは飽き足らず、歌謡番組に足を運んでまでこの作品を完成させたといいます。となりには小下絵もあって、こちらの方がよりちあきなおみらしいのですが、絵を描いているところを覗かれたので最初から描きなおしたのだとか。当時は院展の重鎮が人気歌手を描いたと話題になり、テレビのワイドショーで本人と対面もしたりしています。

中島清之 「緑扇」 昭和50年(1975) 横浜美術館蔵

中島清之 「凍夜」 昭和51年(1976) 横浜美術館蔵

晩年は古典に回帰し、伝統と現代を融合させたような作品が増えます。「緑扇」は、金、銀、プラチナ箔を散らした上に描かれた竹の若葉がとても鮮やか。「凍夜」はいかにも琳派を継承したという作品ですが、よく見ると螺鈿が貼られていて、その細やかで工芸的な技や意匠の発想に驚きます。

中島清之 「鶴図(三溪園臨春閣襖絵)」 昭和52年(1977) 三溪園蔵 (展示は12/2まで)

最晩年の傑作である三溪園の障壁画絵も見もの。もともとあった狩野派の襖絵を保存するため、代わりとなる襖絵制作に原三溪と所縁の深い清之に白羽の矢が立ったといいます。11室分の襖絵の内、病いのため5室で断念。残りは息子の中島千波氏が引き継ぎます。「鶴図」は宗達の「鶴下絵」を受けたものですが、鶴は写実的に描かれ、表面の箔は化学的に変色処理するなど、古典的であり、とても現代的であり、その感性が素晴らしい。

「雷神」も琳派の伝統的な画題に挑戦した作品。雷神の表情や動きはユニークで、実に生き生きとし、躍動感があります。「鶴図」と同年の作なので、健康面では決して万全でなかったでしょうが、この若々しさ、力強さはなんでしょう。すごい。

中島清之 「雷神」 昭和52年(1977) 横浜美術館蔵

描きたいものを描きたいように描いてきたというだけあり、その絵はとても多彩で、どれも一様にうまい。もっと評価されてもいいと思いますし、もっと多くの人に知ってもらいたいなとも思います。「おもしろい画家」の一言で片付けてしまうのはもったいないと感じる展覧会でした。


※展示会場内の画像は特別に主催者の許可を得て撮影したものです。


【横浜発 おもしろい画家 中島清之-日本画の迷宮】
2016年1月16日(月・祝)まで
横浜美術館にて

2015/11/10

モネ展

東京都美術館で開催中の『モネ展』に行ってきました。(といっても、もうひと月前ですが…)

またモネか、と思うのですが、毎回アートファンの心をそそる傑作が来たりするので、もうモネはいいよと思いつつ、ついつい足を運んでしまうのです。今回はそれが「印象、日の出」だったりしたものですから、行かないわけにはいきません。

初めて一人で観に行った美術展も、思えば『モネ展』でした。かれこれ30年ぐらい前のことになりますが…。

今回の『モネ展』は世界最大級のモネのコレクションで知られるパリのマルモッタン美術館の所蔵作品で構成されています。マルモッタン美術館のモネ・コレクションは遺族から遺贈されたものが中心で、さすがはモネが最後まで手放さなかった作品というだけあり、初期から晩年までモネの歩みを90点の充実したコレクションで展観できます。


会場の構成は以下の通りです:
家族の肖像
モティーフの狩人Ⅰ
収集家としてのモネ
若き日のモネ
ジョルジュ・ド・ベリオ・コレクションの傑作-マルモッタン美術館の印象派コレクションの誕生
モティーフの狩人Ⅱ (ノルマンディーの風景)
睡蓮と花-ジヴェルニーの庭
最晩年の作品

ジャン・ルノワール 「新聞を読むクロード・モネ」 1873年

まずは盟友ルノワールが描いたモネの肖像画と最初の妻カミーユの肖像画から。モネの自画像はほんの数作しかないと聞いたことがありますが、ルノワール以外にもマネもモネの肖像画を描いているので、被写体になるのは嫌ではなかったのかもしれません。妻カミーユを描いた作品はいくつもありますが、モネは肖像画自体をあまり描かなかったそうで、ここでは家族を描いた数少ない肖像画が展示されています。

クロード・モネ 「ポンポン付きの帽子をかぶったミシェル・モネの肖像」 1880年

カミーユの名前の付いた作品(「海辺のカミーユ」)が一点だけ展示されていましたが、顔の形もあいまいで、いかにもモネらしいタッチなのに対し、モネの息子たちを描いた作品は丁寧に一筆一筆色を添え、子どもの表情を描き移そうとしている印象を受けます。モネの愛する家族への思いが伝わってくるようです。

クロード・モネ 「海辺のカミーユ」 1870年

クロード・モネ 「トゥルーヴィルの海辺にて」 1870年

モネがカリカチュア画家として活動していた頃、その絵がウジェーヌ・ブーダンの目に留まり、戸外で自然に基づき絵を描くよう勧められたのがモネが画家の道を歩みきっかけだったといいます。トゥルーヴィルといえばブータンが好んでよく描いた海岸なので、1870年頃はまだブータンとの関係も深かったのでしょう。前述の「海辺のカミーユ」も海辺の様子からトゥルーヴィルであることが分かります。 「トゥルーヴィルの海辺にて」の女性もカミーユなのかもしれません。

クロード・モネ 「ジヴェルニーの黄色いアイリス畑」 1887年

1870年代初頭、モネはロンドンに滞在し、そこで出会ったターナーの作品に大きな感銘を受けます。モネのパレットはいっそう豊かになったと解説されていました。1870年代中ごろから1880年代にかけての作品は、印象派のど真ん中の黄金時代。モネの風景画は印象派らしい明るい光に満ち、豊かな色に溢れています。「ジヴェルニーの黄色いアイリス畑」の風にきらめく一面のアイリスの花、いかにもオランダらしい色鮮やかな「オランダのチューリップ畑」、画面いっぱいのクレマチスの美しさにハッとする「白いクレマチス」。初期のモネの風景画は絶品です。

クロード・モネ 「白いクレマチス」 1887年

モネはコレクターとして、師と仰いだブータンやヨンキント、ドラクロワ、仲間のルノワールやピサロらの作品を集めていて、そうした一連のコレクション(主に水彩画)も出品されています。面白いのはモネより全然年下のシニャックの作品も含まれていて、若い世代の作品も評価し、恐らくは研究していたのが見て取れます。

クロード・モネ 「印象、日の出」 1872年 (展示は10/18まで)

そして、「印象、日の出」(すいません、もう展示終了しています…)。“印象派”という名前の由来になったといわれるモネの歴史的傑作。21年ぶりの来日だそうです。

ちょっと凝りすぎ(?)の照明のせいで、バックライトをあてたように不自然に明るかったのが少々残念でしたが、瞼に焼き付いた風景の印象的な瞬間を描いたその作品は、ターナーの影響を感じさせつつも、モネらしい繊細な色調と早朝の静寂さを見事に表した構図が秀逸です。面白いのは、この絵が何月何日の何時何分の光景かなんて解き明かされていて、そんなことまで研究されているんだと驚きました。“印象派”という言葉には嫌みがこもっていたといわれますが、それが絵画の新しい扉を開けるのですから皮肉なものです。

クロード・モネ 「睡蓮」 1903年

モネといえば、やはり「睡蓮」。わたしの美術展デビューの『モネ展』も確かテーマは「睡蓮」だったはず。どこの美術館所蔵の「睡蓮」かは全く覚えていませんが。

本展でも何点か「睡蓮」が展示されていますが、1890年代の「睡蓮」はジヴェルニーの庭の太鼓橋を中心に池とその周辺を描いたのに対し、1902年に池を改修した以降は睡蓮の浮かぶ池の広がりだけで画面を構成したといいます。

水面に映る柳やポプラの様子もその絵その絵で雰囲気が違って、同じ「睡蓮」でも随分雰囲気の異なるものもあります。オランジュリー美術館の「睡蓮」の大装飾画のための準備として描かれたという「睡蓮」も3点出品されていて見応えがありました。

クロード・モネ 「睡蓮」 1907年

クロード・モネ 「小舟」 1887年

「睡蓮」のコーナーで目に留まったのが同じ睡蓮の池を描いた「小舟」。ゆらめく水草に覆われた画面がとても印象的です。ジヴェルニーの庭をそよぐ風と静かな水のせせらぎが伝わってくるようです。モネは水底でゆらめく水草と水をとらえるという不可能なことに取り掛かり気が狂いそうだと語ったといいます。同じモティーフを描いた後年の作品もあり、モネがそのあとも葛藤していたことが分かります。

クロード・モネ 「睡蓮」 1917-1919年

「印象、日の出」や「睡蓮」で感動して満足していたら、本当の感動はその上のフロアーにありました。最晩年の作品は以前にも観たことはありますが、本展は最後のフロワー(2階)を全て最晩年の作品にあてていて、その数とその強烈な色彩にただただ圧倒されます。白内障の影響で色彩やものの形がうまく捉えられなくなっても、色と光を追い続けようとするその執念に言葉を失います。なんて力強い筆でしょう。

クロード・モネ 「日本の橋」 1918-1919年

輪郭は最早消え失せ、モティーフはほとんど判別できず、そこにあるのは風景の気配とこぼれんばかりの色彩だけ。白内障の進行とともに視力は低下し、恐らく風景は霞み、光がまぶしく感じられて外で絵を描くこともままならなかったでしょう。しかし解説によると距離は完全に見えていたともいわれ、モネの最晩年の作品群はただ単に白内障の影響だけとは捨てきれず、抽象化していくモネの画風の変遷の行き着いた先として、ある意味意図的に描かれたのかもしれないという気がしないでもありません。

クロード・モネ 「日本の橋」 1918-1924年

「印象、日の出」は期間限定展示で、後期は「ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅」が展示されています。なお、本展は東京展のあと、福岡、京都にも巡回(新潟展では展示なし)するので、そちらで引き続き「印象、日の出」を観ることができます。


【マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展 「印象、日の出」から「睡蓮」まで】
2015年12月13日(日)まで
東京都美術館にて


ジヴェルニーの食卓 (集英社文庫)ジヴェルニーの食卓 (集英社文庫)

2015/11/08

金銀の系譜 -宗達・光琳・抱一をめぐる美の世界-

静嘉堂文庫美術館で開催中の『金銀の系譜 -宗達・光琳・抱一をめぐる美の世界-』を観てまいりました。

2014年の4月から美術館・収蔵庫の設備更新工事のため休館していた静嘉堂文庫美術館が約1年半ぶりにリニューアルオープン。その記念展第一弾には、俵屋宗達や尾形光琳、酒井抱一ら琳派の名品を中心に、同時代の書画や工芸作品約40点が集められています。

我が家の隣りの区なのに1時間以上かかる不便な美術館。成城学園前からバスで行くものですから、吉沢のバス停で降りるのですが、だいたい道に迷うとか、遠回りするとか、いつもまともに辿り着けず。今回もバス停から逆方向に歩いていました。地図アプリ必携ですね…。ちなみに二子玉川からのバスは美術館の前まで行きます。


まず何はさておき、「曜変天目茶碗(稲葉天目)」。暗い室内ではなく、陽光差し込むラウンジに展示されていたのにビックリ。先日、サントリー美術館の『国宝 曜変天目茶碗と日本の美』で藤田美術館所蔵の曜変天目茶碗を観たばかりですが、小宇宙のようにきらめく神秘的な曜変天目も素晴らしかったのですが、陽の光を浴びて輝く曜変天目も格別です。そばには同じく重文の「油滴天目」も展示されています。

『曜変天目(「稲葉天目」)』(国宝)
南宋・12~13世紀  静嘉堂文庫美術館蔵

会場の入口には見事な光琳(伝)の「鶴鹿図屏風」。鶴と鹿に光琳的な特徴を余り感じなかったのですが、光琳の下絵に類例があるのだそうです。鮮やかな紅葉と桜が金地に映えます。

「草木摺絵新古今和歌集」はたっぷりと行間を取った光悦の流麗な書が美しい絵巻。下絵については宗達とも誰とも触れられていませんでしたが、琳派的な意匠の草花を配した金泥摺絵で、恐らく宗達に近い人の手に寄るものなのだろうなと思わせます。

松花堂昭乗 「勅撰集和歌屏風」
江戸時代・17世紀 静嘉堂文庫美術館蔵

ここでは光悦に加え、近衛信尹、松花堂昭乗の“寛永の三筆”が揃っているのも見もの。特に、やまと絵風のたおやかな山容を背景に金箔・銀箔を細かく散らし、昭乗の書を配した「勅撰集和歌屏風」が出色。きらびやかなのに非常に風雅な趣きがあり素晴らしい。

俵屋宗達 「源氏物語関屋・澪標図屏風」(国宝)
江戸時代・17世紀 静嘉堂文庫美術館蔵

本展の目玉の一つが、10年ぶりの公開になるという宗達の「源氏物語関屋・澪標図屏風」。ちょうど先日NHK-BSプレミアムで『風神雷神図を描いた男 天才絵師・俵屋宗達の正体』を見たばかりだったので、ことのほか興味深く拝見できました。源氏絵の古絵巻から多くの部分を引用しつつも、すやり霞を取り除くことで場面に臨場感が出て、また源氏や明石の君といった登場人物を敢えて牛車や舟の中に描いた構成が物語性を引き立たせています。

修理後初公開とのことで、損傷を受けていた部分の修復の様子がパネルで紹介されています。制作当初は違う絵が描かれていることが分かったり、BS特番でも解説されてましたが、ほぼ完成したあとに人物の大きさを意図的に変えたり、最後の最後まで手を抜かない宗達のこだわりが感じられます。

ちなみに京博の『琳派 京を彩る』に宗達のほかの国宝2点が出品されているので、静嘉堂文庫の「源氏物語関屋・澪標図屏風」も観れば、宗達の国宝指定作品をコンプリートできます。

尾形光琳 「鵜船図」(重要美術品)
江戸時代・18世紀 静嘉堂文庫美術館蔵

「鵜船図」は光琳の豊かな筆づかいの味わいと淡い彩色の美しさが相俟った瀟洒な一幅。展示作品中唯一個人蔵の「立葵図」は先日京博の『琳派 京を彩る』で観た光琳の「孔雀立葵図屏風」の立葵を彷彿とさせます。花弁に胡粉を使ったり、葉脈に金泥を付したりと細かな技が施されてます。

酒井抱一 「波図屏風」
江戸時代・文化12年(1815)頃 静嘉堂文庫美術館蔵

抱一は、こちらは以前にも何度か拝見している「波図屏風」。光琳の「波濤図屏風」(メトロポリタン美術館所蔵)に着想を得たといわれますが、光琳の屏風をさらに発展させた大胆な構図と豪快にうねる波の意匠がいつ見てもすごいなと思います。よく見ると波頭に白みを帯びた淡い緑色の胡粉を重ね、微妙なニュアンスを出していることが分かります。

抱一では「麦穂菜花図」もいいですね。麦の穂のモダンな意匠と、雀の絶妙な描写が素晴らしい。ほかには、静嘉堂文庫ではおなじみの「絵手鑑」や「光琳百図」、また抱一が「絵手鑑」の際に参照したであろうとされる谷文晁の掛軸なども並びます。

今回の展示で個人的に印象深かった作品の一つが其一の「雪月花三美人図」。其一には珍しい風俗画で、立ち姿はまるで初期浮世絵のよう。其一の同時代の美人画というより江戸初期の風俗画を思わせます。着物の色とりどりの色彩に其一の高い美的センスを感じます。

鈴木其一 「雪月花三美人図」
江戸時代・19世紀 静嘉堂文庫美術館蔵 (展示は11/23まで)

江戸時代の日本画や工芸品の充実したコレクションで知られる静嘉堂文庫の数年ぶりの展覧会だけあり、同館の誇る至宝の数々が展示されています。この秋から新館長に琳派関連の著作も多い日本美術史家の河野元昭氏を迎えたというのも話題で、今後の展覧会もますます楽しみになります。


【リニューアルオープン第一弾 金銀の系譜 -宗達・光琳・抱一をめぐる美の世界-】
2015年12月23日(水・祝)まで
静嘉堂文庫美術館にて


年譜でたどる 琳派400年年譜でたどる 琳派400年