2019/11/16

福美コレクション展

京都・嵐山に先月新しくオープンした福田美術館に行ってきました。

嵐山は観光客で混んでるし行きたくないなと思ったのですが、コレクション展のラインナップを観たら、これは行かなくてはいけないだろうなと思い、十数年ぶりに嵐山へ。

嵐山のお土産屋さんが並ぶメインの通りは原宿の竹下通りか鎌倉の小町通りかというぐらい混んでるので、裏道を通っていくのをお薦めします。美術館は嵐山屈指の観光名所、渡月橋のすぐそば。人気のアラビカ京都嵐山に隣接した桂川沿いにあります。超絶いい場所。

これだけの土地、どれだけのお金があれば買えるんだろうとは野暮な話ですが、福田美術館のオーナーは消費者金融大手・アイフルの創業者の方。つまり私設美術館なんですね。「京都という土地に対して、恩返しがしたい」という思いから美術館を設立したといいます。

所蔵点数は約1500点。琳派から円山・四条派、京都画壇など京都に馴染みの深い近世・近代日本画の作品が多くあるようです。で、今回の『福美オールスターズ』と題したコレクション展は、その膨大なコレクションの中から選りすぐりの作品、日本画は75点(2期計)、洋画は7点(展示替えなし)が2期に分けて公開されるわけですが、噂には聞いてましたが、いやーこんなに優品揃いとは思いませんでした。

[写真右] 竹内栖鳳 「金獅図」 明治39年(1906)
[写真左] 竹内栖鳳 「猛虎」 昭和5年(1930)

まずは受付。事前にオンラインチケットの購入がオススメです。受付でチケットを購入するより割引になってます。音声ガイドはスマートフォンを持っていれば、無料。作品リストの裏面には音声ガイドに利用方法が書いてあります。イヤホンのレンタルは有料なので、イヤホンは忘れずに持って行きましょう。

2階は明治から昭和初期にかけての近代日本画。展示室内に入ってすぐ目に飛び込んでくるのが竹内栖鳳の獅子と虎。いきなりインパクトのある栖鳳の写実に目が釘付けです。獅子の迫力も凄いけど、正面から虎をリアルに描いた観察力に感服します。

横山大観 菱田春草 「竹林図・波濤図」 明治40年(1910)頃

[写真右] 菱田春草 「梅下白猫」 明治36年(1903)
[写真左] 菱田春草 「春庭」 明治30年代(1897-1906)

隣には竹林に淡い青を刷き、靄の中にも奥行きを感じさせる大観の「竹林図」と、波が打ちつける荒磯にこちらも青色を効果的に使った「波濤図」。大観らしい雲海に浮かぶ富士の屏風を挟んで、ここにも春草の掛軸が2点。水墨も良いですが、春草の彩色の清新な美しさはまた格別ですね。特に「春庭」の若草の緑から春の陽光へと変わるグラデーションの綺麗なこと。朦朧体に印象的な色彩を用いることにより独自のスタイルを築いた春草らしい逸品です。

木島櫻谷 「遅日」 大正15年(1926)

とても印象的だったのが木島櫻谷の対幅の「遅日(ちじつ)。比較的大きな掛軸で、墨一色なのに非常に繊細にグラデーションをつけることで、モノトーンの独特の色合いが柔らかさと深みを与え、他にない新しい水墨の世界を創り出すことに成功しています。

[写真右] 上村松園 「軽女悲離別図」 明治33年(1900)
[写真左] 上村松園 「長夜」 明治40年(1907)

松園が2点。行灯のもと読書に夢中の若い娘と灯芯を上げて明るくしてあげる年上の女性を描いた「長夜」。髪型や着物を描き分けることで二人の女性の年齢や性格を表しています。「軽女悲離別図」は赤穂浪士・大石良雄と愛妾・お軽の別れを描いた一枚。いずれも松園初期の作品で、後年の美人画と異なり、作品に物語性があるのが個人的には好きなところ。

そばには速水御舟の巨大な「山頭翠明」。いわゆる群青中毒にかかっていた頃の作品と思われますが、別にこんなに大きく描く意味なかったでしょ…というところがあって、なんだなかなーという感じ(笑)。

六曲一双の大きな屏風で写真に収まりきらなかったのですが、橋本関雪の「後醍醐帝」が素晴らしかった。右隻に尊氏、左隻に女性の格好(よく見ると髭がある!)をして御所を抜け出す後醍醐帝を描いていて、その緊張感のある構図もさることながら、人物表現の巧さ、馬の丁寧な描きこみ、鎧の精緻な描写など見れば見るほど唸るばかり。長く所在不明だったものが近年発見され、107年ぶりに公開されたのだそうです。

[写真右から] 竹久夢二 「秘薬紫雪」 昭和3年(1928)頃
「切支丹波天連渡来之図」 大正3年(1914)、「待宵」 大正元年(1912)頃、「庭石」 昭和6年(1931)頃

近代日本画の最後は竹久夢二の肉筆画がずらり。福田美術館は夢二のコレクションでも国内有数なのだとか。個人的に夢二はそれほど好きではないのですが、こうした掛軸の夢二もなかなか雰囲気があっていいですね。

俵屋宗達 「益田家本 伊勢物語図色紙 第二段 西の京」 江戸時代・17世紀

さて、ひとつ上の階は江戸絵画。いきなり宗達芸術を代表する「伊勢物語図色紙(益田家旧蔵本)」があってビックリ。状態も良く、小さな画面に凝縮された構図のまとまりと金地の濃密な色彩に見惚れてしまいました。

隣には尾形乾山の珍しい歌仙絵「三十六歌仙絵 伊勢」。乾山らしいおおらかで愛嬌のある歌仙絵ですが、十二単が実に丁寧に描かれていて、実はとても繊細な作品でした。その隣には光琳の「十二ヶ月歌意図屏風」も。

深江芦舟 「草花図屏風」(重要文化財) 江戸時代・18世紀前半

琳派では深江芦舟の「草花図屏風」も印象的。芦舟というと「蔦の細道図屏風」が有名ですが、出光美術館で以前見た「四季草花図屏風」が斬新で殊の外素晴らしかったのですが、この「草花図屏風」もどこか幻想的な草花の美しさで、宗達や光琳ともまた違う装飾性が目を引きます。

[写真右] 曽我蕭白 「荘子胡蝶之夢図」 安永年間(1772ー1781)
[写真左] 長沢芦雪 「薬玉図」 天明8年(1788)

若冲があって、応挙があって、蘆雪があって、蕭白があって、つくづく良い作品を持ってるな〜と感心。蕭白の「荘子胡蝶之夢図」の胡蝶の夢を見てるのか荘子の眠る姿がほのぼのとしてかわいい。

呉春 「三羅漢図」 天明3年(1783)

こちらにも呉春。退色してるのか色が少し薄めでしたが、とても細かに描きこまれていて、アクの強い羅漢の表情も良い。象が並んだ表装裂もユニーク。

隣には呉春の師・蕪村のなんだかとても豪華な屏風が。よく見ると一般的な絹本ではなく高価な絖(ぬめ)絹に描かれていて、蕪村のいわゆる屏風講時代の作品だと分かります。絖の屏風に描きたいという蕪村の希望を叶えるため、弟子たちが屏風講を組んで資金を集めたという逸話が残されていて、この作品もいつになく緻密な筆致と鮮やかな色彩で、人物も実に丁寧に描かれています。

与謝蕪村 「茶筵酒宴図屏風」 明和3年(1766)

伊藤若冲 「群鶏図押絵貼屏風」 寛政9年(1797)

今回最も驚いた作品のひとつが筋目描きも見事な若冲の「群鶏図押絵貼屏風」。若冲の群鶏図の屏風はいくつか観ていますが、本作が特徴的なのは各扇の構図が極めて似通っているのと、雌鶏が描かれているものはあるものの雛や蔬菜など余計なものは一切描かれず、ほぼ雄鶏が大きくクローズアップされていること。パターン化されているとはいっても、濃淡使い分けた巧みな筆さばきで鶏のさまざまな姿態を描いていて、見飽きることはありません。家に帰って過去の若冲の展覧会の図録をひっくり返して調べたら、千葉市美の『若冲アナザーワールド』や山種美術館の『ゆかいな若冲・めでたい大観』に出品された個人蔵のものと同じでした。その図録によると左隻第六扇と他の11図では制作された時期が異なるとありました。

来年3/20からは『若冲誕生-葛藤の向こうがわ』という企画展を開催するそうで、どんな若冲作品が出てくるのか、今から楽しみです。

[写真右から] 勝川春章 「桜下美人図」 安永9年〜天明2年(1780ー1782)
歌川広重 「美人と猫図」 安政4年(1857)、葛飾北斎 「砧美人図」 文化8年〜文政3年(1811ー1820)

最後に肉筆浮世絵。春章、広重、北斎。特に北斎「墨堤三美人図」がいいですね。着物の表現がとても繊細。

葛飾北斎 「墨堤三美人図」 文化年間(1804-1818)

同じ階には桂川沿いの展望室を兼ねた展示スペースがあり、こちらには西洋画が展示されていました。数は多くありませんでしたが、モネやマティス、ローランサンなどが展示されています。2階にはカフェもあって、嵐山の風景を眺めながらゆっくりできるのでこちらもオススメです。

福田美術館のコンセプトが「100年続く美術館」だそうで、これかもコレクションは増えていくんでしょうね。嵐山は混むからこれまで避けてましたがが、今後来る機会が増えそうな気がします。


【開館記念 福美コレクション展】
[Ⅰ期] 2019年10月1日(火)~11月18日(月)
[Ⅱ期] 2019年11月20日(水)~2020年1月13日(月・祝)
福田美術館にて



和樂(わらく) 2019年 10 月号 [雑誌]

2019/11/10

画家「呉春」 − 池田で復活(リボーン)!

大阪・池田の逸翁美術館で開催中の『画家「呉春」 − 池田で復活(リボーン)!』に行ってきました。

呉春の名をカタカナで表した意表をつく発想と『ゴジラ』を思わせるユニークなフォントのインパクト。呉春の展覧会がここまで話題を集めたことはなかったのではないでしょうか。

春に『四条派のへの道 呉春を中心として』を観て、夏に『円山応挙から近代京都画壇へ』を観て、つい先日『桃源郷展 − 蕪村・呉春が夢みたもの』を観て、今までこんなに呉春に触れたことがあっただろうか、というぐらいに呉春づいています。

今年は呉春の生誕や没後のキリのいい年でもないのに何でこんなにあちこちで呉春を観られるのでしょうか。ここ数年の近代京都画壇の再評価の中で、四条派の祖である呉春にも注目が集まっているのかもしれません。とにもかくにもこれだけ呉春をまとめて観られるというのは嬉しいことです。

さて、そのゴシュンこと呉春は30歳の終わりから7年あまり池田で活動した所縁の深い画家ということで、池田の逸翁美術館は呉春コレクションがとても充実しています。本展は呉春の、いわゆる池田時代の作品を中心に展示していて、呉春にとって池田の地がいかに転機となり飛躍していったのか、その画業の変遷を追うという内容になっています。

呉春 「寒山孤鹿・観月人物図」
天明年間(1781〜1788) 逸翁美術館蔵

呉春が池田に移り住んだのは天明元年(1781年)。呉春はこの年、里から戻る途中の妻を海難事故で亡くし、父を仕事先の江戸で亡くします。妻と父を相次いで亡くし憔悴した呉春に池田の地を勧めたのは師・蕪村だといいます。その頃に描かれたとされる「朱買臣図」が最初に展示されていました。比較的大きめの軸いっぱいに描かれた薪を背負い本を読む朱買臣。朱買臣は妻に愛想を尽かされ離縁してしまうのですが、読書に没頭する朱買臣に、絵に打ち込む呉春の姿が重なるようです。

呉春 「寒林落日図」
天明年間(1781〜1788) 逸翁美術館蔵

蕪村は呉春のことを、篤実な人物で絵は並ぶ者がいないと言いベタ誉めだったといいます。呉春も蕪村から学んだものはとても大きかったようで、「松上仙人図」や「寒山孤鹿・観月人物図」などは蕪村の南画に通じる味わいがありますし、「寒林落日図」の木々に群がる鴉も蕪村を意識しているんだろうと思います。黄石公が張良に兵書を授ける「張良・黄石公図」の二人の顔の近さや、酒に酔った馬上の杜甫と従者を描く「酔杜馬上図」の師を支える従者の優しさなどからは、師・蕪村と呉春の関係が重なって見えてきたりもします。そんな蕪村も呉春が池田に移って2年後に亡くなります。

池田時代の呉春作品には蕪村を思わせる柔らかな皴法が見られますが、「松上仙人図」や「松林渓流図」など松葉や樹木の葉を色の薄い絵具で面取りし薄墨の線で形付けていく描き方は池田時代の呉春の特徴でもあるそうで、呉春らしさもこの頃形成されていったようです。

呉春「牛若丸句画賛」
天明年間(1781〜1788) 逸翁美術館蔵

機知に富んだ軽妙な味わいだったり、肩の力の抜けた即興的な作品も呉春の魅力のひとつ。蕪村にももちろんそうした作品はありましたが、蕪村があくまでも俳画の延長線だとしたら、呉春は職業画人的な巧さがあります。高士が小舟の上から無理な姿勢で梅の枝を折ろうとする「梅渓山水図」、少ない筆致でさらっと描いた「青鷺画賛」、牛若丸が大天狗との別れを惜しむ「牛若丸句画賛」、自作の句と一緒に季節々々の風物・風俗をユーモラスに描いた「十二か月京都風物句図巻」など、呉春の面白さだなと感じます。

呉春 「白梅図屏風」(重要文化財)
寛政元年〜2年(1789〜1790)頃 逸翁美術館蔵

蕪村の死後、呉春は応挙に急激に近づきます。応挙を特徴づける付立や外隈で表現した作品、また鶴や雪の積もった松など応挙的なモチーフなども散見されます。席画でしょうか、応挙と呉春の合作もありました。

その池田時代の集大成とも、呉春の最高傑作とも呼ばれるのが「白梅図屏風」。独特の浅葱色の背景が空の白む夜明けを演出してるかのようで、墨の濃淡やかすれは朝靄に包まれたような幻想的な雰囲気を作り出し、とても味わい深いものがあります。地の浅葱色に染められた粗めの布は絹ではなく葛布を染めたものとされていたが、芭蕉布の可能性が近年高まっていると解説されていました。

「白梅図屏風」は応挙と梅見に行った際のスケッチをもとにしたともいわれ、応挙の「雪松図屏風」や「藤花図屏風」を彷彿とさせる構図と空間、幹や枝の付立描法など応挙の影響を強く感じさせます。一方で背景を染めた夜の表現はどこか蕪村の「夜色楼台図」を彷彿とさせます。蕪村の辞世の句「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」との関連も指摘されていました。

円山応挙・呉春 「蕉葉雷神図」
寛政元年〜7年(1789〜1795)頃 逸翁美術館蔵

蕪村の抒情性に応挙の写生を取り入れた呉春の画風は後に四条派と呼ばれ、明治に入ってからの京都画壇では四条派(もしくは影響を受けた)の画家たちが軒並み活躍します。会場の解説パネルに、「応挙由来の写生は本草学や解剖学など実証主義的な学問が普及するにつれ、写生的な描写は基礎的なものになり目新しさが感じられなくなったが、四条派は写生的な描写の中に抒情的な要素も含まれ新しい時代の要請に応えることができた」とあり、近代京都画壇で四条派が主流となった理由として一番納得できた気がします。

コラム的な解説パネルは会場の所々にあって、これが呉春を理解する上でとても役立ちました。師・蕪村や池田の人々との交流も語られ、呉春の妻や父の相次ぐ死、そして蕪村の死、呉春がどういう思いで池田で過ごしたのかも伝わってきます。


【2019展示Ⅳ 池田市制施行80周年記念 画家「呉春」─池田で復活(リボーン)!】
逸翁美術館にて
2019年12月8日(日)まで



応挙・呉春・蘆雪―円山・四条派の画家たち

2019/10/27

バスキア展

六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで開催中の『バスキア展 メイド・イン・ジャパン』に行ってきました。

バスキアって確かに自分が10代の終わりから20代前半にかけて、とても注目を集めていたし、カッコよかったし、あの時代の、特にニューヨークのアートシーンを代表する現代アーティストだったと思うのですが、ここまで再評価(って言うんですかね?)が進んだのはここ10年ぐらいという印象があります。

80年代のニューペインティングというと、同じニューヨークで活躍したキース・ヘリングの方が日本では人気があったと思うのですが、最近はどうもバスキアの方が人気・評価ともに高いようですし、ZOZO元社長の前澤氏が購入して話題になりましたが、作品の市場価値もかなり高騰しています。

そんなバスキア、日本で初めての大規模な回顧展が始まりました。初日の夜間開館に行こうと、張り切って会社を出たものの、その日は内覧会の日で(途中で気づいたw)、翌週になりましたが行って来ました。(ってもう1ヶ月前ですね・・・)

バスキアの作品は映画や雑誌で見たりというのはありますが、実物っていつ見たかなと考えてみたのですが、大昔にスパイラル地下のCAYでバスキアの落書き(今回展示されてます)を見たり、『アンディ・ウォーホル展』でウォーホルとバスキアのコラボ作品を観たりというのはあるのですが、単独の展覧会というのは初めてかもしれません。

ジャン=ミシェル・バスキア 「フーイー」
1982年 高知県立美術館蔵無題

バスキアなんて観に来るのは同時代を過ごした40歳代以上なんだろうなと思っていたのですが、半分以上は若い世代で、前澤効果なのかバスキア人気は広く浸透しているのに驚きました。

ジャン=ミシェル・バスキア 「炭素/酸素」
1984年 ホール・コレクション蔵

どの作品もとても自由でとても激しくてとても詩的、そして楽しい。無邪気なんだけどメッセージ性があり、ポップなんだけどどこか冷めている。感性と勢いのあるままに生涯を終えたことも大きいと思うのですが、30年も前の作品だというのに今も刺激的なのはやはり凄い。若い世代に今も受け入れられているというのにはやはり理由があるんだと思います。

ジャン=ミシェル・バスキア 「無題」 1982年 前澤友作蔵

前澤さんが購入した作品も展示されていました。値段の話は別にしても、やはりクールだし、カッコいいし、大枚叩いてでも買いたくなる気持ちも分かります(お金があれば)。

ジャン=ミシェル・バスキア 「自画像」 1985年 個人蔵

線や色の複雑なアンサンブル、調和と非調和を繰り返し重なっていくレイヤー。バスキアの出発点であるストリート・グラフィティやクラブミュージックにしても、メインストリームから外れた故のエネルギーや反骨精神がベースの部分で繋がっているのかもしれません。

ジャン=ミシェル・バスキア 「プラスティックのサックス」
1984年 アニエスベー財団蔵

バスキアとジャズとの関連は有名で、作品にもジャズにインスパイアされた作品があったりしますが、彼の半ば即興的な絵画スタイルはやはりジャズに通じるものがあると感じます。「プラスティックのサックス」に描かれている人物は伝説のジャズミュージシャン、チャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーなんだとか。なぜか「おりがみ」の文字も。

ジャン=ミシェル・バスキア 「オニオンガム」
1983年 ヴァン・デ・ウェッジ・ファインアート蔵

ジャン=ミシェル・バスキア 「メイド・イン・ジャパン1」「メイド・イン・ジャパン2」
1982年 ディミトリ・マブロマチス蔵

「おりがみ」の文字のように、日本との繋がりを感じさせる作品もあったりします。五重塔が描かれていたり、$ではなくYENと書かれていたり、その名もずばり「メイド・イン・ジャパン」という作品があったり。「オニオンガム」にも右上に「MADE IN JAPAN」の文字が見えます。バスキアが活躍した1980年代は日本製のウォークマンやテレビゲームが大流行したり、MADE IN JAPANの製品がアメリカに押し寄せた時代でもありました。

ジャン=ミシェル・バスキア 「消防士」 1983年 北九州市立美術館蔵

バスキアは1988年に亡くなりますが、その少し前、スランプに陥っていた時代があったようで、確かに晩年は退屈な作品もあったりします。早世した画家やアーティストの展覧会を観るといつも、この人が長く生きていたらどんな作品を残していただろうと思うのですが、バスキアの場合、駆け抜けて行ったからこそ、若さと勢いがあり、刺激的で濃密で、美しいのだろうという気がします。

ジャン=ミシェル・バスキア 「無題(ドローイング)」
1986年 ラリー・ウォルシュコレクション蔵


【バスキア展 メイド・イン・ジャパン】
2019年11月17日(日)まで
森アーツセンターギャラリーにて


バスキア展 メイド・イン・ジャパン

バスキア・ハンドブック

2019/10/20

名勝八景 憧れの山水

出光美術館で開催中の『名勝八景 憧れの山水』を観てきました。

使ってる人は多いと思うのですが、『東京駅周辺美術館共通券』という東京駅近辺の出光美術館、東京ステーションギャラリー、三井記念美術館、三菱一号館美術館の4つの美術館(以前は現在休館中のブリヂストン美術館も入ってた)で利用できるお得なチケットがありまして、毎年2~3冊買ってるのですが、今年はまだ出光美術館のチケットだけ使えてなくて、ようやく行くことができました(まだ1枚残ってる)。

本展は名勝を描いた水墨画、特に瀟湘八景図と西湖図を中心に、古の人々が憧れを抱いた山水の世界を紹介しています。瀟湘八景や西湖の水墨を集めた展覧会は珍しくありませんが、そこはやはり出光美術館なので所蔵品を中心に集められただけあり優品揃いで、個人的にも元信や山楽、又兵衛など、好きな絵師の作品が多く、大満足の展覧会でした。


会場の構成は以下のとおりです:
第1章 瀟湘八景-「臥遊」の発展と継承
第2章 西湖-描かれた「地上の楽園」
第3章 閑雅なる名勝ー文人たちのいるところ
第4章 名所八景-日本の名所

自ら遊ぶ様子を妄想する鑑賞の仕方を‟臥遊”と言うのだそうです。瀟湘八景図や西湖図、また多くの文人画はそうした理想郷の中に描かれた風景や人物を自分に置き換えることで、ある種の描く喜びや観る喜びがあったのかもしれません。

瀟湘八景図は中国の名勝・瀟湘地方の情趣豊かな情景を八景に分けて描いたもので、鎌倉時代には既に日本にもたらされていたといいます。最初に雪村の「瀟湘八景図屏風」が2点、六曲一隻の屏風と六曲一双の屏風がありました。一隻のみの屏風には瀟湘夜雨や平沙落雁、煙寺晩鐘、洞庭秋月などが描かれ、コンパクトにまとめられた分、凝縮された味わいがありますが、一方の一双の屏風には八景が両隻にわたり描かれ、牧谿様の表現もあれば、米法山水を思わせる筆遣いも見せ、雪村らしい奇態な山も。雪村が中国絵画を高いレベルで身に付けていたことが窺い知れます。

伝 周文 「瀟湘八景図屏風」(重要文化財)
室町時代 香雪美術館蔵

瀟湘八景図では初公開という狩野探幽と安信の合作の画帖と小型の掛軸が素晴らしい。墨の滲みやぼかしを活かした草体の優品。探幽の弟子・久隅守景の「瀟湘八景図屏風」は探幽というより室町水墨画を思わせるところが面白い。

その中でとても興味深かったのが伝・周文の「瀟湘八景図屏風」。周文を思わせるオーバーハング(と解説に書かれていた)な峻峰が特徴的ですが、前景の山や家屋が迫って見えるぐらい細密で強調されていて、金泥の雲がたなびいてたり、一部に彩色があったり、時代的にも周文より後のものだろうなという印象を受けました。解説では周文の弟子・岳翁蔵丘説が濃厚とのことでした。

瀟湘八景図のコーナーとは別のところに展示されていましたが、岩佐又兵衛の筆とされる「瀟湘八景図巻」も。落款や印章はないのですが、精緻極まる筆致や単眼鏡でやっと分かるぐらいの人物の微細な面貌、そして奇怪な木の表現はやはり又兵衛という感じがします。

鴎斎 「西湖図屏風」(重要文化財)
室町時代 京都国立博物館蔵

狩野山楽 「西湖図屛風」
江戸時代 サントリー美術館蔵

西湖図では狩野元信の謹直な線と横に長い構図がユニークな「西湖図屏風」や、金地に黒と白のバランス、墨の濃淡、細密な描写、どれをとっても素晴らしい山楽の「西湖図屏風」など、もうたまりません。山楽の「西湖図屛風」には16世紀半ばに倭寇に襲来を受けるも焼け残った雷峰塔の姿が描かれていることから、山楽が最新の情報を得ていたのだろうと解説されていました。この屏風は京博の『狩野山楽・山雪展』にも出てないし、サントリー美術館でも観た覚えがないので私は初見かもしれません。

ここで印象的だったのが鴎斎の「西湖図屏風」。鴎斎は能阿弥が用いた号ですが、能阿弥と別人とされ、ただし室町時代後期の同時代の絵師と考えられているそうです。淡彩の柔らかな筆墨と湿潤な空気感が実にいい。

長沢芦雪 「赤壁図屏風」
江戸時代 根津美術館蔵

根津美術館の芦雪の「赤壁図屏風」も来てました。薄墨の山々にぬめり感のある濃墨の木々。一見粗放に見えて崖の上の枝は強風に曲がり、波や人物は丁寧に描いていて、ぶっ飛んでるのに実は計算されているところが芦雪の凄いところだなと思います。

他にも、右隻に吉野の桜、左隻に龍田の楓で一面を埋め尽くした見事な「吉野龍田図屏風」や、『源氏物語』の「総角(あげまき)」に取材したとされる、いわゆる留守模様の「宇治橋柴舟図屏風」、同じく『源氏物語』に基づく土佐光起の「須磨・明石図屏風」、中国の瀟湘八景になぞらえた「近江名所図屏風」など見応えのある作品が並びます。


【名勝八景 憧れの山水】
2019年11月10日(日)まで
出光美術館にて



日本水墨画全史 (講談社学術文庫)

2019/10/05

岸田劉生展

東京ステーションギャラリーで開催中の『没後90年記念 岸田劉生展』を観てきました。

大正から昭和初期にかけての日本の近代洋画を代表する画家にして、その独創性ゆえ孤高の画家とまで評された岸田劉生の回顧展です。

10年前にも損保ジャパン日本興亜美術館(当時は損保ジャパン東郷青児美術館)で没後80年の記念展が開催されましたが、そのときは自画像や肖像画中心だったので、初期から38歳で若くして亡くなるまでの画業を一堂に観るという点では久しぶり(少なくとも東京では)の回顧展なのではないでしょうか。

10年後は没後100年なので、きっと大規模な回顧展がまたあるのでしょうが、それまでこれだけの作品を観られることは多分ないんじゃないかと思います。

劉生というと「麗子像」を思い浮かべる人も多いでしょうが、短い人生の中で激しく画風が変遷した画家だったことがよく分かる展覧会でした。


会場の構成は以下のとおりです:
第一章:「第二の誕生」まで:1907~1913
第二章:「近代的傾向…離れ」から「クラシックの感化」まで:1913~1915
第三章:「実在の神秘」を超えて:1915~1918
第四章:「東洋の美」への目覚め:1919~1921
第五章:「卑近美」と「写実の欠除」を巡って:1922~1926
第六章:「新しい余の道」へ:1926~1929

最初に劉生が10代の頃に描いた水彩画が展示されていました。当時、水彩画の専門誌『みずゑ』が創刊され、水彩画ブームが起きていたのだそうです。劉生の水彩画はお世辞にも上手いとはいえないものの、絵を描くのが好きなんだなということが伝わってきます。

岸田劉生 「B.L.の肖像(バーナード・リーチ像)」
大正2年(1913) 東京国立近代美術館蔵

白馬会の洋画研究所で黒田清輝に師事するとめきめきと腕を上げます。外交派の表現で描かれたものがあったり、ホイッスラー作品を思わせるものがあったりしますが、やがて文芸・美術雑誌『白樺』に感化され、ゴッホやセザンヌ、ゴーギャンといったポスト印象派に影響された鮮烈な表現が見られるようになります。

岸田劉生 「自画像」
大正2年(1913) 東京国立近代美術館蔵

岸田劉生 「自画像」
大正2年(1913) 豊田市美術館蔵

没後80年の展覧会が自画像と肖像画が中心だったように、劉生は生涯において自画像を多く描いています。特に22〜23歳(1913〜14年)の頃に集中し自画像だけで30点にのぼるといわれます。友人を描いた肖像画も多く、手当たり次第に友人を捕まえてはモデルをさせ、一日も2人描くこともあったことから、友人からは“首狩り”や“千人斬り”と揶揄されたとか。もちろんそれは画技の研鑽と写実の追求のためだったのでしょうし、ずらりと並ぶ自画像や肖像画からも劉生の筆致がどう変わっていったかが具に分かります。

岸田劉生 「高須光治君之肖像」
大正4年(1915) 愛知県美術館蔵

この頃、劉生はデューラーなど北方ルネサンスに傾倒していきます。暗い背景に明暗のコントラストを効かせた擬古的な肖像画は近代洋画の路線から逆行するようにも思えますが、それまで試行錯誤してきた写実や技巧を突き詰めたら、近代絵画に行きつく前の基本に戻ったということなのでしょう。このあたりから劉生の独創性が際立っていきます。

岸田劉生 「麗子肖像(麗子五歳之像)」
大正7年(1918) 東京国立近代美術館蔵

岸田劉生 「麗子微笑」
大正9年(1920) ポーラ美術館蔵(展示は9/23まで)

そして「麗子像」。まだ幼い頃の麗子像は北方ルネサンスの影響下にある感じがしますが、一方で劉生は東洋美術に関心を深め、内なる美を求めていきます。麗子の顔がだんだんと横につぶれたようなになり、時に妖しく、時にグロテスクに、異質のリアリズム、いわゆるデロリが現れます。匿くされたところに深さや神秘さ、厳粛さがあるとした劉生の言うところの「卑近美」です。少し目が潤んでいる麗子像があったのですが、長時間モデルをさせられた麗子が足が痺れて泣きそうなのに父はキャンバスに集中して気づいてくれなかったというエピソードが紹介されてました。

岸田劉生 「壺の上に林檎が載って在る」
大正5年(1916) 東京国立近代美術館蔵

劉生の作品を観ているとこだわりが強いと言うか、絵に多くを求めすぎているのではないかという気がしてきます。静物も素直でないところがあって、壺の上に林檎が乗ってたり、テーブルの上の果物がわざとらしく並べてあったり、良く言えば哲学的、悪く言えば考えすぎて意味不明な感じがします。

岸田劉生「黒き土の上に立てる女」
大正3年(1914) 似鳥美術館蔵

風景画は代々木時代の赤土の大地の風景が全く風光明媚ではないのに生命力や力強さがありとても興味を引くのですが、逆に自然豊かな湘南の風景に面白味を感じませんでした。それまで劉生の作品からひしひしと伝わてきた強い意思や実験精神があまり見られなかったからかもしれません。

東洋の美の追求のため劉生は初期浮世絵や宋元画を研究していたようですが、やがて自ら日本画を描き始めます。作品は南画や淡彩の水墨が多く、油彩画とは違った色彩や軽妙さが面白い。ただ、日本画の基礎があるわけではないので、やはりそこは同時代の日本画家とは一緒に比べられないし、今まで追求していたものはどこに行ったのだろうと考えずにはいられません。

岸田劉生 「道路と土手と塀(切通之写生)」(重要文化財)
大正4年(1915) 東京国立近代美術館蔵

画壇から距離を置き、京都で遊び呆けていた劉生は劉生が兄と慕った武者小路実篤に呼び戻され、再び油彩画に熱心に取り組んだようですが、38歳で惜しくもこの世を去ります。亡くなる直前新たな展開を見せた油彩画が興味深く、もう少し生きていれば、どんな作品を描いていたんだろうと思わずに入られませんでした。


【没後90年記念 岸田劉生展】
2019年10月20日(日)まで
東京ステーションギャラリーにて



もっと知りたい岸田劉生 (アート・ビギナーズ・コレクション)