水野年方は明治時代を代表する浮世絵師の一人。月岡芳年の弟子にして、美人画の名手として知られます。
江戸時代の浮世絵に比べて、明治時代の浮世絵を観る機会というのがそもそも多くありませんが、月岡芳年や芳年の師・歌川国芳の展覧会の片隅で数作紹介される程度で、これまで水野年方の作品をしっかり観た覚えがありません。
本展はその水野年方の初の回顧展。知られざる年方にスポットを当てた注目の展覧会です。
1階の畳敷きの小上がりには年方や芳年の肉筆画が展示されていました。芳年は活動のほとんどが版画だったので、肉筆画は珍しいのだそうです。こういうのがさらりと展示されるのは、さすが浮世絵専門の美術館。芳年の「雪中常盤御前図」は線描が狩野派っぽいところがあって意外な感じがしました。着物の輪郭線が特徴的です。
年方は後年日本美術院と関わりを持ったり、日本画にも注力を注ぐなど、浮世絵以外の活動も積極的だったとのこと。「漁する童」は顔を下に向けて網から魚を取るという難しい構図にもかかわらず、線が的確で、日本画でも実力を有していたことが分かります。年方の門人で後に妻となる日本画家・水野秀方の作品もなかなかの優品。線も柔らかく、薄墨と淡彩の描写が印象的でした。
水野年方 「和漢十六武者至 水滸伝九紋竜史進」
明治17年(1884)
明治17年(1884)
年方は数えで14歳のときに芳年のもとに入門します。しかし芳年の素行が悪く、父に引き戻されるも、その後再度入門。再入門まもない頃と思われる17~18歳ぐらいの作品がいくつか展示されていましたが、数年修業しただけでここまで描けるのかと驚くぐらいの仕上がりです。初期の作品は国芳を彷彿とさせる武者絵が多く、中には戦争画があったり、ダイナミックな3枚続の大判錦絵も手掛けていたりするのですが、そのバランスの良い構図、勇壮な描写は既にいっぱしの浮世絵師という感じです。
水野年方 「婦有喜倶菜」
明治21年(1888)
明治21年(1888)
このころ既に浮世絵人気は下降気味で、戦争画などで一時的に活況を取り戻すことはあったといいますが、活動の場は新聞や雑誌の挿絵や口絵の制作に移っていったようです。会場には≪小説とのコラボレーション≫として、明治時代の文芸雑誌の口絵などが展示されています。これは年方の特徴なのでしょうが、水彩画風の淡く柔らかな色遣いが新鮮で、新しい時代の色彩感覚を感じさせます。
水野年方 「泉鏡花『外科室』 口絵」
明治28年(1895)
明治28年(1895)
連載小説の口絵は制作スケジュールの都合で、小説の内容を知る前に完成させなければならないことも多く、絵と小説の内容が必ずしも同じというわけではなかったようです。泉鏡花の名作『外科室』はその名の通り外科室が舞台の作品ですが、口絵はストーリーには登場しない場面だったりします。
水野年方 「三十六佳撰 湯あかり 寛政頃婦人」
明治25年(1892)
明治25年(1892)
水野年方 「三十六佳撰 樽人形 延宝頃婦人」
明治25年(1892)
明治25年(1892)
年方のもとからは鏑木清方や池田蕉園といった美人画で知られる多くの日本画家が巣立っていることからも、当時の日本画家の中でも年方の美人画はとりわけ評価が高かったのかもしれません。会場には年方の代表作という「三十六佳撰」や「茶の湯日々草」、「三井好都のにしき」、「今様美人」といったシリーズものの風俗美人画の揃物が展示されていて、文芸誌の口絵にも共通する、水彩画のような柔らかく透明感のある色遣い、気品ある女性表現と落ち着いた色使いに見惚れます。
水野年方 「茶の湯日々草 席入の図」
明治29年(1896)
明治29年(1896)
水野年方 「茶の湯日々草 水屋こしらへの図」
明治29年(1896)
明治29年(1896)
「茶の湯日々草」は茶事の一連の流れを描いたもの。それまで男性の嗜みだった茶道が女性にも普及しはじめたことを受けての作品なのでしょう。茶道具を用意したり、濃茶をいただいたり、ちょっと外で休憩したり、あまり格式ばった趣味という感じではなく、親しみやすさを前に出して描いてる気がします。
「三井好都のにしき」は三井呉服店(三越)の商品を宣伝する目的で制作されたといわれている揃物。当時はまだ目新しかったであろうショールや洋傘、子ども用の洋服など、ちょっと高級志向のオシャレアイテムがさりげなく描かれていて面白い。
水野年方 「三井好都のにしき 愛犬」
明治37年(1904)
明治37年(1904)
水野年方 「三井好都のにしき 春乃野」
明治37年(1904)
明治37年(1904)
水野年方は42歳の亡くなったため残された作品数は決して多くないようですが、後の美人画に与えた影響は大きいのだろうなと感じますし、美人画のもとを辿ると芳年、国芳に繋がるというのも意外性があって興味深いものがあります。芳年門人時代は、時代の好みもあったのか、芳年に近い作風、色合いですが、その後は独自のカラーを出していて、新時代の風俗画を切り拓いていったことが分かります。後年は歴史人物画を中心に本画でも活動をしたと聞きます。そのあたりの作品がなかったのがちょっと残念ではありました。
【水野年方 芳年の後継者】
2016年12月11日(日)まで
太田記念美術館にて
図説 浮世絵入門 (ふくろうの本/日本の文化)
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