2010/08/01

赤坂大歌舞伎

赤坂大歌舞伎にも行ってきました。

現代的な演出は別に嫌いじゃないんですが、江戸時代の話にラップとか、そういう奇を衒ったものがどうも苦手で、コクーンは観に行かなかったのですが、赤坂は未見の勘三郎の『文七元結』に、東京で初お披露目の七之助の『鷺娘』にということで出かけてまいりました。

『人情噺文七元結』は音羽屋のものを観ていますが、やはり中村屋は中村屋だなというのが第一印象。音羽屋の『文七元結』は、長兵衛にしても、お七にしても、お駒にしても、長屋の大家にしても、清兵衛にしても、みんな人情味が厚くて、「江戸っ子は人情味があっていいな」でまとまるのですが、中村屋の『文七元結』はどうも人情噺なのか喜劇なのか、話があっちにこっちに飛びすぎて、まとまっているんだか、まとまっていないんだか、それがもったいない感じがしました。

お七が行方不明だと聞かされる場面と、お七を文七の嫁に欲しいと言われる場面で、長兵衛が状況を飲み込めないというシーンがありますが、共にどうも演技がくどくて、突然のことに理解できないというより、ただの頭の悪い親父に見えてしまって残念。扇雀演じるお兼も、出の場面では神妙な面持ちでなかなか良かったのですが、後半は相変わらずの中村座のドタバタ・パターンで、お兼とお七の“生さぬ仲”なりの母子の深い関係もどこかに飛んでしまい(そもそもなぜ“生さぬ仲”に変更したのかその意図が分からない)、ちょっとウーンという感じでした。前回も評判が良かったと聞く芝のぶのお七は、まさに適役というような娘役で、いつもながらの芝居の巧さが存分に発揮されていて感心しましたが、これも演出なんでしょうが、ゆっくりと聞かせるように話す台詞のテンポと“間”の取り方が彼女の哀れさや不憫さ、そして親思いを強調し過ぎてしまい、ちょっと“臭い”んじゃないだろうかと思ってしまうほどでした。それが補綴・演出を手がけた山田洋次監督の意図であり、中村屋のカラーであるというのであればしょうがないのですが。なんだか全体的に、世話物というより新喜劇という印象も無きにしも非ず。

一方、松島屋からの客演である秀太郎のお駒は、芝翫とはまた違う気風のいい女将で、ドタバタしがちな中村座の中にいても崩れることなく、厳しさと愛情を巧みに表現していて、「関西の人なのになんて江戸っぽいんだろう」と感動すら覚えました。中村屋の最長老、小山三も売れない女郎役で元気なところを見せてくれて、なんかとてもホッとして、嬉しくなってしまった。

『人情噺文七元結』で笑って泣いたあとは、七之助の『鷺娘』。玉三郎がもう『鷺娘』は(公演としては)踊らないと公言した今、あのか弱さと妖しさと美しさを表現できる人はなかなかいないので、実際に玉三郎に教えも請うているという七之助の『鷺娘』には期待がかかります。まぁ、玉三郎と比較するのはあまりに酷な話。自分が観たのは楽前だったので、型も完成し、安定したであろう頃に観てますから、それほど気になる点はありませんでした。ただただ、将来が楽しみだなとそんなことを考えながら観ていた七之助の『鷺娘』でした。

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