先日、新国立劇場で大地真央主演の舞台『ヘッダ・ガーブレル』を観てきました。
別に大地真央のファンなんかじゃないんですよ。
宝塚だって一度も観たことないし、何を隠そう、ミュージカルって嫌いなんです。
この『ヘッダ・ガーブレル』というお芝居、高校のとき読んでハマった大好きな戯曲。一度ナマの舞台で観たいなとか思っていて、去年、小沢真珠主演の舞台というのもあったんですが、ちょっと自分の思い描くイメージではなくてパスしたところ、今回、大地真央が主演ということで飛びつきました。
主人公のヘッダという女性、まぁ、ほんとに身勝手で嫌なオンナ。いいとこのお嬢さんで、美人で、ちやほやされて自由奔放に育ったから、プライドだけは高いし、男の扱いも心得てるし。そんなお嬢さんが、格下の学者と結婚して、男はヘッダに不自由な思いをさせてはいけないと、親戚に借金までして、長々と新婚旅行に行って、お城みたいな屋敷まで買って、家具も揃えて。でも、ヘッダは退屈だとか何だとか不満たらたら。
こんな高慢ちきで狡猾な女を、さあ誰が演じるか。
ヘッダ役は難役として有名で、海外でもイザベル・ユベールとかイングリッド・バーグマンとか、ケイト・ブランシェットとかケリー・マクギリスとか、それなりの演技派女優が過去に舞台で演じてきてます。
大地真央って、とても冷たそうで、気位が高くて、普段の彼女から浮かぶイメージにはそんな印象すらあるのに、演じる役はオードリー・ヘップバーンみたいな役だったり、頭の切れるスマートな女性とか、そんなのばっかり。今回よくもまぁ、こんな役を引き受けたなと思うんですが、彼女もミュージカルとかお姫様みたいな役ばかりじゃいけないと思っていたんでしょうかね。
でも、そんな大地真央、劇評がとてもよくて、実際、抑えた演技の中にも気迫がこもって、とても良かったです。第一幕の最後なんて、目に涙を湛えながらの熱演でビックリしました。いくつか劇評を読むと、大地真央の迫真の演技の割りに、まわりの共演者が今ひとつみたいな声もあったんですが、自分が観に行った日はちょうど楽日ということもあって、みなさん熱が入っていて、とても良かったと思います。 今後、大地真央がどんな舞台に挑戦するか、ちょっと楽しみになりました。
2010/10/13
2010/10/11
上村松園展
先日、東京国立近代美術館で開催中の『上村松園展』を観てきました。
松園の絵は割と観る機会がありますし、昨年も日本橋高島屋で『上村松園・松篁・淳之 三代展』を観ていますが、全期間で代表作約100点が揃うという展覧会は過去最大なのだそうで、これは見逃す手はありません。
上村松園は、ご存知のように明治・大正・昭和と活躍した美人画の大家。当時の絵師・画家はほとんど男性ですが、その男尊女卑激しい旧態依然とした画壇で孤軍奮闘し、日本画の中の美人画にこだわり続け、地位を確立していきます。美人画で評価の高い同時代の日本画家に鏑木清方や少しあとには伊藤深水などがいますが、男性の描く美人画が男性の理想や夢といった、ある種“グッとくる”仕草や表情、艶かしさなどリアル感が少なからずあるのに対し、松園の描く美人画は女性の清廉さ、優しさといった内面の美しさが描かれているように思います。そのあたりが、松園の絵が圧倒的に女性に人気がある由縁かもしれません。
展示会場は、鈴木松年や幸野楳嶺に師事を受けていた初期の作品から、絶筆の作品まで、時折りスケッチ画も交えながら、基本的に年代順に展示されています。
わずか15歳のとき、内国勧業博覧会に出品した絵が一等褒状を受賞し、しかも英国王室が買い上げたというように、10代の頃に描いた美人画は既に完成に域に達していたことにまず驚かされます。今で言えば中学生ぐらいの小娘が、しかもまだ師匠につき手ほどきを受けているような少女が、いわばデビュー作でいきなり名誉ある賞と評価を受けたわけですから、周りからの僻みややっかみは相当なものだったと想像できます。母親や師匠らの支えがあったとしても、その中で日本画家として歩み始めた松園は、なかなか“女だてら”の強者だったのでしょう。明治期の古い因習の残る時代に、今で言うシングルマザーとして子どもを育てたことからも彼女の意志の強さが分かります。
松園の美人画は、人形のように美しく、凛として、純粋で、かわいいものばかり。女性から見た理想の女性像なのかもしれませんが、それは一方で表現に乏しく、画一的で、退屈でもあります。松園の10代、20代の美人画は、どちらかというと表情や仕草の美しさが前に出て、それだけで終わってしまっているようなところがありました。しかし、年を重ねるごとに絵の中に物語が生まれ、美しさプラスアルファのものが現れてきたように感じます。
そんな松園も40歳前後の頃、画題の挑戦、迷い、そしてスランプに陥った時期があったようで、松園の作品で最も知られる「花がたみ」「焔」「序の舞」はちょうどその時代に描かれています。
松園は女性の悲哀や情緒といったより内面の部分を描きこみたいと考え、そこで慣れ親しんだ謡曲や古典に画題を求めるようになります。「花がたみ」はそんな挑戦により生まれた一つの傑作でした。やがてその挑戦は「焔」へと結びつきます。「焔」について「このような凄艶な絵を描いたか私自身も不思議に思った」と松園が語っているとおり、この絵は松園唯一の“凄艶な絵”となります。そして、もがき苦しんだ末の到達点として、「序の舞」が生まれます。「優美なうちにも毅然として犯しがたい女性の気品を描いた」という「序の舞」は、松園が最も気に入っていた作品だといわれます。
終生、美人画だけを描き続けた松園。継続は力なりといいますが、これまで徹底した“継続”を見ると、彼女のこの“力”の源は何なのか、何がここまで徹底して“美”を追い求めさせたのか、結婚もせず、子育てもせず、家事もせず、画業だけに専念し続けたそのこだわりの真髄に興味が湧いてきます。松園の絵の素晴らしさももちろんですが、すごい女性がいたものだなとあらためて感じさせられた展覧会でした。
【上村松園展】
東京国立近代美術館にて
10/17(日)まで
もっと知りたい上村松園―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
松園の絵は割と観る機会がありますし、昨年も日本橋高島屋で『上村松園・松篁・淳之 三代展』を観ていますが、全期間で代表作約100点が揃うという展覧会は過去最大なのだそうで、これは見逃す手はありません。
上村松園は、ご存知のように明治・大正・昭和と活躍した美人画の大家。当時の絵師・画家はほとんど男性ですが、その男尊女卑激しい旧態依然とした画壇で孤軍奮闘し、日本画の中の美人画にこだわり続け、地位を確立していきます。美人画で評価の高い同時代の日本画家に鏑木清方や少しあとには伊藤深水などがいますが、男性の描く美人画が男性の理想や夢といった、ある種“グッとくる”仕草や表情、艶かしさなどリアル感が少なからずあるのに対し、松園の描く美人画は女性の清廉さ、優しさといった内面の美しさが描かれているように思います。そのあたりが、松園の絵が圧倒的に女性に人気がある由縁かもしれません。
「牡丹雪」
展示会場は、鈴木松年や幸野楳嶺に師事を受けていた初期の作品から、絶筆の作品まで、時折りスケッチ画も交えながら、基本的に年代順に展示されています。
「人生の花」
わずか15歳のとき、内国勧業博覧会に出品した絵が一等褒状を受賞し、しかも英国王室が買い上げたというように、10代の頃に描いた美人画は既に完成に域に達していたことにまず驚かされます。今で言えば中学生ぐらいの小娘が、しかもまだ師匠につき手ほどきを受けているような少女が、いわばデビュー作でいきなり名誉ある賞と評価を受けたわけですから、周りからの僻みややっかみは相当なものだったと想像できます。母親や師匠らの支えがあったとしても、その中で日本画家として歩み始めた松園は、なかなか“女だてら”の強者だったのでしょう。明治期の古い因習の残る時代に、今で言うシングルマザーとして子どもを育てたことからも彼女の意志の強さが分かります。
「舞仕度」
松園の美人画は、人形のように美しく、凛として、純粋で、かわいいものばかり。女性から見た理想の女性像なのかもしれませんが、それは一方で表現に乏しく、画一的で、退屈でもあります。松園の10代、20代の美人画は、どちらかというと表情や仕草の美しさが前に出て、それだけで終わってしまっているようなところがありました。しかし、年を重ねるごとに絵の中に物語が生まれ、美しさプラスアルファのものが現れてきたように感じます。
「人形つかい」
そんな松園も40歳前後の頃、画題の挑戦、迷い、そしてスランプに陥った時期があったようで、松園の作品で最も知られる「花がたみ」「焔」「序の舞」はちょうどその時代に描かれています。
「花がたみ」
「焔」
「序の舞」
松園は女性の悲哀や情緒といったより内面の部分を描きこみたいと考え、そこで慣れ親しんだ謡曲や古典に画題を求めるようになります。「花がたみ」はそんな挑戦により生まれた一つの傑作でした。やがてその挑戦は「焔」へと結びつきます。「焔」について「このような凄艶な絵を描いたか私自身も不思議に思った」と松園が語っているとおり、この絵は松園唯一の“凄艶な絵”となります。そして、もがき苦しんだ末の到達点として、「序の舞」が生まれます。「優美なうちにも毅然として犯しがたい女性の気品を描いた」という「序の舞」は、松園が最も気に入っていた作品だといわれます。
「母子」
終生、美人画だけを描き続けた松園。継続は力なりといいますが、これまで徹底した“継続”を見ると、彼女のこの“力”の源は何なのか、何がここまで徹底して“美”を追い求めさせたのか、結婚もせず、子育てもせず、家事もせず、画業だけに専念し続けたそのこだわりの真髄に興味が湧いてきます。松園の絵の素晴らしさももちろんですが、すごい女性がいたものだなとあらためて感じさせられた展覧会でした。
【上村松園展】
東京国立近代美術館にて
10/17(日)まで
もっと知りたい上村松園―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)2010/10/09
ゴッホ展
国立新美術館で開催中の『ゴッホ展』に行ってきました。
初日がちょうど金曜日で、夜間延長で8時まで開館だったので、 幸い仕事も早めに終わりそうだったし、土日は混むだろうしと思い、早速拝見してきました。会期後半になると、夜間延長とはいえ混雑するのでしょうが、やはり初日ということもあってか、一枚一枚、絵の真ん前でゆっくり堪能できるぐらいの空き具合でした。
今回の『ゴッホ 展』は生誕120年記念ということで、オランダの国立ファン・ゴッホ美術館とクレラー・ミュラー美術館から貸与された絵画を中心に、ゴッホの油絵35点、 素描等約30点のほかに、ゴッホが影響を受けたミレーやクールベ、モンティセリから、シスレーやスーラ、ゴーギャン、そして浮世絵まで、同時代の画家の作品約60点が展示されています。数字から察すると、半分がゴッホ以外の作品、ゴッホの作品も半分が素描などで、ゴッホの油絵は展示作品の約1/4。正直、 「あれ?」という感じですが、タイトルに「こうしてわたしはゴッホになった」とあるように、ゴッホの画風が確立していく過程を見る上では、よい構成なんではないかと思いました。
今回の『ゴッホ展』に出品されている作品は、かれこれ5年前に同じファン・ゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館から作品を借りて東京国立近代美術館で開催された『ゴッホ展』と作品が被らないようにしているのか、代表作の「夜のカフェテラス」や「黄色い家」も来てませんし、「種まく人」も別バージョンが来ています。それでも、「灰色のフェルト帽の自画像」や「アイリス」、それにオリジナルの「アルルの寝室」(先日の『オルセー美術館展』のものとは別のもの)といった重要な作品が来日しています。(個人的には「カラスのいる麦畑」 が観たかったのですが…)
会場に入るとすぐに、ゴッホの初期の油絵と最晩年の油絵が並べて展示されています。その製作年の差は僅か6年。6年の間にこんなに画風が変わったんですよという前置きをして、ゴッホ展がスタートします。
基本的に年代順にゴッホの絵画が並べられ、ちらちら同時代の画家の参考絵画が並べられているという構成なので、前半はいわゆるゴッホの独特な画風の絵というのではなく、バルビゾン派やオランダのハーグ派に影響を受けた自然主義的な油絵や素描が続きます。特にバルビゾン派の代表的な画家ミレーの農民の風俗を描くというポリシーに強く影響されていたようで、農民の姿を描いたものや、またミレーの絵の模写なども展示されています。特にミレーの代表作「種まく人」にはこだわっていたようで、ゴッホが何度もこの絵に取り組んでいたのはご存知のとおりです。
1886年にゴッホはパリに移り住むのですが、パリで出会った印象派の明るい色調、浮世絵の大胆な構図、そして芸術家たちとの交流は、彼に決定的なものを与えたようです。それまでのどちらかというと地味な色使いから劇的に色調が明るくなり、何の変哲もなかった構図が特色を帯びていくのが、目にも明らかになっていきます。特に、1887年の油絵を眺めていると、その前年と1887年以降の絵画の大きな変化に驚かされます。
後半のコーナーでは、ゴーギャンとの淡い蜜月にスポットを当て、ゴーギャンに触発された描いたといわれる絵やゴーギャンの作品の展示、また“アルルの部屋”が会場内のコーナーに再現されていたりもします。この頃のゴッホの絵には、毎日が前向きで、絵を描くことが楽しくてしょうがないんだろうなという希望を感じさせます。
やがて“耳切り事件”があり、その後しばらく療養所での生活を余儀なくされますが、この頃になると、絵に対するゴッホの思いが少し変化を見せていくのが絵からも伝わってきます。決して勢いのない絵ではないのに、明るくない絵ではないのに、なぜか溢れんばかりの情熱というか、輝きというか、それらが“耳切り事件”の前と後では違ってきます。最後のコーナーは、そんな最晩年の絵が並べられています。
今回のゴッホ展は、ゴッホが絵画に無心に情熱を傾けた過程、パリで印象派と出会い、ゴッホの画風が一気に花開いた過程、そしてゴーギャンとの共同生活の末、不安定な精神状態の中でさらなる探求を続けていく過程、それぞれの転機にスポットが当たられているように感じました。「こうしてゴッホになった」という視点は、図らずも彼が破綻していくプロセスもクローズアップしたのです。ゴッホを語る上で避けることはできないことですが、そのことがただ単にゴッホの絵を並べ展示する展覧会とは少し異なる後味を残したように感じました。
【没後120年 ゴッホ展】
国立新美術館にて
12/20(月)まで
もっと知りたいゴッホ―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
初日がちょうど金曜日で、夜間延長で8時まで開館だったので、 幸い仕事も早めに終わりそうだったし、土日は混むだろうしと思い、早速拝見してきました。会期後半になると、夜間延長とはいえ混雑するのでしょうが、やはり初日ということもあってか、一枚一枚、絵の真ん前でゆっくり堪能できるぐらいの空き具合でした。
今回の『ゴッホ 展』は生誕120年記念ということで、オランダの国立ファン・ゴッホ美術館とクレラー・ミュラー美術館から貸与された絵画を中心に、ゴッホの油絵35点、 素描等約30点のほかに、ゴッホが影響を受けたミレーやクールベ、モンティセリから、シスレーやスーラ、ゴーギャン、そして浮世絵まで、同時代の画家の作品約60点が展示されています。数字から察すると、半分がゴッホ以外の作品、ゴッホの作品も半分が素描などで、ゴッホの油絵は展示作品の約1/4。正直、 「あれ?」という感じですが、タイトルに「こうしてわたしはゴッホになった」とあるように、ゴッホの画風が確立していく過程を見る上では、よい構成なんではないかと思いました。
「アイリス」
今回の『ゴッホ展』に出品されている作品は、かれこれ5年前に同じファン・ゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館から作品を借りて東京国立近代美術館で開催された『ゴッホ展』と作品が被らないようにしているのか、代表作の「夜のカフェテラス」や「黄色い家」も来てませんし、「種まく人」も別バージョンが来ています。それでも、「灰色のフェルト帽の自画像」や「アイリス」、それにオリジナルの「アルルの寝室」(先日の『オルセー美術館展』のものとは別のもの)といった重要な作品が来日しています。(個人的には「カラスのいる麦畑」 が観たかったのですが…)
会場に入るとすぐに、ゴッホの初期の油絵と最晩年の油絵が並べて展示されています。その製作年の差は僅か6年。6年の間にこんなに画風が変わったんですよという前置きをして、ゴッホ展がスタートします。
「秋のポプラ並木」
基本的に年代順にゴッホの絵画が並べられ、ちらちら同時代の画家の参考絵画が並べられているという構成なので、前半はいわゆるゴッホの独特な画風の絵というのではなく、バルビゾン派やオランダのハーグ派に影響を受けた自然主義的な油絵や素描が続きます。特にバルビゾン派の代表的な画家ミレーの農民の風俗を描くというポリシーに強く影響されていたようで、農民の姿を描いたものや、またミレーの絵の模写なども展示されています。特にミレーの代表作「種まく人」にはこだわっていたようで、ゴッホが何度もこの絵に取り組んでいたのはご存知のとおりです。
「種まく人」
1886年にゴッホはパリに移り住むのですが、パリで出会った印象派の明るい色調、浮世絵の大胆な構図、そして芸術家たちとの交流は、彼に決定的なものを与えたようです。それまでのどちらかというと地味な色使いから劇的に色調が明るくなり、何の変哲もなかった構図が特色を帯びていくのが、目にも明らかになっていきます。特に、1887年の油絵を眺めていると、その前年と1887年以降の絵画の大きな変化に驚かされます。
「ゴーギャンの椅子」
後半のコーナーでは、ゴーギャンとの淡い蜜月にスポットを当て、ゴーギャンに触発された描いたといわれる絵やゴーギャンの作品の展示、また“アルルの部屋”が会場内のコーナーに再現されていたりもします。この頃のゴッホの絵には、毎日が前向きで、絵を描くことが楽しくてしょうがないんだろうなという希望を感じさせます。
「アルルの寝室」
やがて“耳切り事件”があり、その後しばらく療養所での生活を余儀なくされますが、この頃になると、絵に対するゴッホの思いが少し変化を見せていくのが絵からも伝わってきます。決して勢いのない絵ではないのに、明るくない絵ではないのに、なぜか溢れんばかりの情熱というか、輝きというか、それらが“耳切り事件”の前と後では違ってきます。最後のコーナーは、そんな最晩年の絵が並べられています。
「サン=レミの療養院の庭」
今回のゴッホ展は、ゴッホが絵画に無心に情熱を傾けた過程、パリで印象派と出会い、ゴッホの画風が一気に花開いた過程、そしてゴーギャンとの共同生活の末、不安定な精神状態の中でさらなる探求を続けていく過程、それぞれの転機にスポットが当たられているように感じました。「こうしてゴッホになった」という視点は、図らずも彼が破綻していくプロセスもクローズアップしたのです。ゴッホを語る上で避けることはできないことですが、そのことがただ単にゴッホの絵を並べ展示する展覧会とは少し異なる後味を残したように感じました。
【没後120年 ゴッホ展】
国立新美術館にて
12/20(月)まで
もっと知りたいゴッホ―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)2010/09/26
田中一村 新たなる全貌
先日、千葉市美術館で開催中の『田中一村 新たなる全貌』展に行ってきました。
わたし、あまり詳しく知らないんです、田中一村って。
奄美大島で絵を描いていて、日本のゴーギャンといわれたという程度の知識ともいえない情報だけ。6月に伊藤若冲展を観に千葉市美術館に行ったとき、次の開催予定に田中一村という名前を見て、たまたま本屋に並んでいた“もっと知りたいシリーズ”の『田中一村』を眺めて、遅ればせながらようやく興味を覚えたという程度です。はい、その程度です。
田中一村という方は、もう30年以上も前に亡くなられているんですが、生前は脚光も浴びることもなく、当然、絵で生計を立てられず、奄美で紬染色工として働きながら、絵を描き続けていたらしいのですが、没後テレビの美術番組で紹介されたことで大きな反響を呼び、一気に名前が知れわたったそうなのです。だからなのか、最近の美術展というと割と若い方が多いのですが、今回の展覧会は年齢層が比較的高かったのが印象的でした。
一村はもともとは栃木の生まれで、父親は彫刻家。恐らく、その父からの手ほどきも受けていたのでしょう。幼くして絵に優れた才能を見せ、7歳で大きな児童絵画の賞を受賞しています。その後、東京に出て、東京美術学校(今の芸大)に入学したものの、すぐに退学。その後は千葉に居を構え、ほぼ独学で日本画の道を極めていきます。当初は、南画に大きな影響を受けていたようですが、その後、花鳥画を中心に描き、やがて独創的な画風を築き上げます。大正・昭和前期の美術界といえば、著名な画家に師事するとか、どこかの画壇に入るとかして、腕と名を上げていくのが一番多いパターンだと思うのですが、一村という人はそういう主流には交じらず(というより交じれなかった?)、そのためか高い評価を得ることもなく、孤高の画家として生きていきます。
一村の絵には、ほとんど人の姿がありません(生活の糧として肖像画を描いていたことはありますが)。花鳥画を描くことが多かったのもあるのでしょうが、風景画にしても、屋敷があって、畑があって、人が居てもいそうな絵にも人の気配がしません。だけど、不思議と物悲しさや、寂しさは感じません。夏の青空の絵であっても、蝉の鳴き声が一瞬途絶えたような、秋の様子を描いた絵でも、虫の音が鳴き止んだ瞬間のような、そんな刹那を切り取ったというんでしょうか、シーンと静まり返った静謐さが絵から伝わってきます。
若い頃の作品は、日本画、特に南画の影響の濃い作品が多く、10代で描いたとはとても思えないような素晴らしい作品もあるのですが、時代と共に一村の画風も徐々に変わり、後年奄美に移り住む頃には日本画とも西洋画とも言えない独特のタッチに行き着きます。彼の絵は基本的に絹絵(絹本着色)ですが、日本画とも異質だし、かといって油絵や水彩画とも違う、独特の質感があり、それがまた魅力です。長年住み慣れ、季節の表情も豊かな関東を離れ、誰も身寄りのない南国奄美に移り住んだ理由には、彼が求める絵画の方向がそこに行けば必ず見つかると確信していたからなのでしょう。“日本のゴーギャン”と言われる由縁は、南国に一人移り住み、その地の風景を描いたという単純な理由ですが、一村の絵はゴーギャンというより、アンリ・ルソーを彷彿とさせるところもあります。ルソーも確か、南国の絵を多く描いていた画家でした。
展示会場の最後の二間は、奄美大島で描いた作品が展示されているのですが、特に最後の間の部屋全体を覆う一村の絵の濃厚な美しさには、彼の生涯を振り返ったとき、評価を得られず、成功することもなく、何度も悔しい思いをし、それでも諦めることなく、挫けることなく、死ぬ間際まで自分の絵画世界を求め続け、闘い続けたその極みが現れているようで、感動の一言に尽きます。
【田中一村 新たなる全貌】
千葉市美術館にて
9/26(日)まで

もっと知りたい田中一村―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

田中一村作品集
わたし、あまり詳しく知らないんです、田中一村って。
奄美大島で絵を描いていて、日本のゴーギャンといわれたという程度の知識ともいえない情報だけ。6月に伊藤若冲展を観に千葉市美術館に行ったとき、次の開催予定に田中一村という名前を見て、たまたま本屋に並んでいた“もっと知りたいシリーズ”の『田中一村』を眺めて、遅ればせながらようやく興味を覚えたという程度です。はい、その程度です。
田中一村という方は、もう30年以上も前に亡くなられているんですが、生前は脚光も浴びることもなく、当然、絵で生計を立てられず、奄美で紬染色工として働きながら、絵を描き続けていたらしいのですが、没後テレビの美術番組で紹介されたことで大きな反響を呼び、一気に名前が知れわたったそうなのです。だからなのか、最近の美術展というと割と若い方が多いのですが、今回の展覧会は年齢層が比較的高かったのが印象的でした。
「不喰芋と蘇鐵」
一村はもともとは栃木の生まれで、父親は彫刻家。恐らく、その父からの手ほどきも受けていたのでしょう。幼くして絵に優れた才能を見せ、7歳で大きな児童絵画の賞を受賞しています。その後、東京に出て、東京美術学校(今の芸大)に入学したものの、すぐに退学。その後は千葉に居を構え、ほぼ独学で日本画の道を極めていきます。当初は、南画に大きな影響を受けていたようですが、その後、花鳥画を中心に描き、やがて独創的な画風を築き上げます。大正・昭和前期の美術界といえば、著名な画家に師事するとか、どこかの画壇に入るとかして、腕と名を上げていくのが一番多いパターンだと思うのですが、一村という人はそういう主流には交じらず(というより交じれなかった?)、そのためか高い評価を得ることもなく、孤高の画家として生きていきます。
「白い花」
一村の絵には、ほとんど人の姿がありません(生活の糧として肖像画を描いていたことはありますが)。花鳥画を描くことが多かったのもあるのでしょうが、風景画にしても、屋敷があって、畑があって、人が居てもいそうな絵にも人の気配がしません。だけど、不思議と物悲しさや、寂しさは感じません。夏の青空の絵であっても、蝉の鳴き声が一瞬途絶えたような、秋の様子を描いた絵でも、虫の音が鳴き止んだ瞬間のような、そんな刹那を切り取ったというんでしょうか、シーンと静まり返った静謐さが絵から伝わってきます。
「秋晴」
若い頃の作品は、日本画、特に南画の影響の濃い作品が多く、10代で描いたとはとても思えないような素晴らしい作品もあるのですが、時代と共に一村の画風も徐々に変わり、後年奄美に移り住む頃には日本画とも西洋画とも言えない独特のタッチに行き着きます。彼の絵は基本的に絹絵(絹本着色)ですが、日本画とも異質だし、かといって油絵や水彩画とも違う、独特の質感があり、それがまた魅力です。長年住み慣れ、季節の表情も豊かな関東を離れ、誰も身寄りのない南国奄美に移り住んだ理由には、彼が求める絵画の方向がそこに行けば必ず見つかると確信していたからなのでしょう。“日本のゴーギャン”と言われる由縁は、南国に一人移り住み、その地の風景を描いたという単純な理由ですが、一村の絵はゴーギャンというより、アンリ・ルソーを彷彿とさせるところもあります。ルソーも確か、南国の絵を多く描いていた画家でした。
「海老と熱帯魚」
展示会場の最後の二間は、奄美大島で描いた作品が展示されているのですが、特に最後の間の部屋全体を覆う一村の絵の濃厚な美しさには、彼の生涯を振り返ったとき、評価を得られず、成功することもなく、何度も悔しい思いをし、それでも諦めることなく、挫けることなく、死ぬ間際まで自分の絵画世界を求め続け、闘い続けたその極みが現れているようで、感動の一言に尽きます。
「アデンの海」
【田中一村 新たなる全貌】
千葉市美術館にて
9/26(日)まで

もっと知りたい田中一村―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

田中一村作品集
2010/08/29
ブリューゲル 版画の世界
Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の『ブリューゲル 版画の世界』に行ってきました。
ブリューゲルというと、16世紀ネーデルランドを代表する画家で、「雪の中の狩人」や「バベルの塔」などが有名ですが、もともとは版画の下絵を描いていたそうで、今回の展覧会ではそのブリューゲルの版画と、同時代のネーデルランドの画家による版画が約150点展示されています。
第一章は「雄大なアルプス山脈の賛美と近郊の田園風景への親近感」というテーマで、イタリア旅行の際に目にしたアルプスの山並みにインスピレーションを受けたという自然を背景にした牧歌的な風景の版画が展示されています。この頃の作品は、頭の中にパッと浮かぶブリューゲルの作品群とは異なり、新鮮な印象を受けます。
第二章以降になると、だんだんと寓意的な画題が現れ、ブリューゲルらしい作品が登場します。
ブリューゲルの版画は、「七つの罪源シリーズ」(傲慢、激怒、怠惰、貪欲、大食、嫉妬、邪淫)や「七つの徳目シリーズ」(信仰、希望、愛徳、正義、剛毅、賢明、節制)など宗教的な教訓譚や、諺や格言をもとにした寓話が多く、ユーモラスの絵の中には諷刺やエスプリを効かせた寓意が散りばめられています。日本の浮世絵がそうであったように、不特定多数の購買層のために制作されたのだそうで、こうした寓話の版画の多くは、恐らくは民衆向けの道徳教育という目的もあったのでしょう。登場人物たちはユニークで、そこに描かれるストーリーは視覚的で、とても惹きこまれやすいのですが、中には魑魅魍魎としたグロテスクなものもあり、こうしたものが受け入れられた時代背景を考えると、当時の民衆文化を垣間見るようで興味深いものがあります。
それにしても驚くのは、ブリューゲルの発想のユニークさで、奇想天外というか、洒落ているというか、その柔らかな頭の思考回路に驚嘆の連続です。もともと中世のヨーロッパでは、動物の寓意画というのがあったと思うのですが、恐らくそうした絵にも幼い頃から親しんでいたんでしょう。同じネーデルランドの先人ヒエロニムス・ボスからも多大な影響を受けているようで、そのことを考えるとブリューゲルの画風が新奇でとりわけ異色だったというわけではないようですが、本展覧会に展示されていたブリューゲル以外の画家の版画などを見ても、彼の描く奇々怪々な世界は当時の寓意画の中でも群を抜いていたのが分かります。だけど、こうした版画や絵を20代や30代で量産していたんですよね。ものすごく生き急いだ画家だったんだなと、そんなことも思いました。
ブリューゲルの版画をこうして見ていると、彼の油彩画にも共通していることだ思うのですが、人間観察の鋭さを感じずにはいられません。さまざまな寓意の裏側には、当時の民衆の気持ちが代弁されているのではないかと感じることもあります。それがどんなものなのか、勉強不足で自分には全てを感じ取ることはでき ませんでしたが、広く民衆(低層の人々も含めて)の眼差しは真摯なものだったのではないでしょうか。それが後に農民画家と呼ばれるような絵を描くに至ったのかなと感じました。
よく考えてみると、今回の展覧会は版画なので、浮世絵と一緒で、掘り師がいたり、摺り師がいたりするのでしょうが、16世紀にこれだけ版画の技術が発達していたということにも正直驚きました。ブリューゲルの精緻で緻密な描写が素晴らしいのもさることながら、それを版画にしてしまう技術力は驚くべきものがあると思いました。ブリューゲルの代表作の一つである「バベルの塔」を版画化したものが展示されていましたが、その細かさは単眼鏡がなくては分からないレベルです。
最後に一言。とても目が疲れる展覧会でした(笑)
【ベルギー王立図書館所蔵 ブリューゲル 版画の世界】
Bunkamura ザ・ミュージアムにて
8/29(日)まで

ブリューゲル (ニューベーシック) (ニューベーシック・アート・シリーズ)

ブリューゲルへの旅 (文春文庫)
ブリューゲルというと、16世紀ネーデルランドを代表する画家で、「雪の中の狩人」や「バベルの塔」などが有名ですが、もともとは版画の下絵を描いていたそうで、今回の展覧会ではそのブリューゲルの版画と、同時代のネーデルランドの画家による版画が約150点展示されています。
第一章は「雄大なアルプス山脈の賛美と近郊の田園風景への親近感」というテーマで、イタリア旅行の際に目にしたアルプスの山並みにインスピレーションを受けたという自然を背景にした牧歌的な風景の版画が展示されています。この頃の作品は、頭の中にパッと浮かぶブリューゲルの作品群とは異なり、新鮮な印象を受けます。
ピーテル・ブリューゲル「悔悛のマグダラのマリア」
第二章以降になると、だんだんと寓意的な画題が現れ、ブリューゲルらしい作品が登場します。
ブリューゲルの版画は、「七つの罪源シリーズ」(傲慢、激怒、怠惰、貪欲、大食、嫉妬、邪淫)や「七つの徳目シリーズ」(信仰、希望、愛徳、正義、剛毅、賢明、節制)など宗教的な教訓譚や、諺や格言をもとにした寓話が多く、ユーモラスの絵の中には諷刺やエスプリを効かせた寓意が散りばめられています。日本の浮世絵がそうであったように、不特定多数の購買層のために制作されたのだそうで、こうした寓話の版画の多くは、恐らくは民衆向けの道徳教育という目的もあったのでしょう。登場人物たちはユニークで、そこに描かれるストーリーは視覚的で、とても惹きこまれやすいのですが、中には魑魅魍魎としたグロテスクなものもあり、こうしたものが受け入れられた時代背景を考えると、当時の民衆文化を垣間見るようで興味深いものがあります。
ピーテル・ブリューゲル 七つの罪源シリーズより「邪淫」
ピーテル・ブリューゲル 七つの罪源シリーズより「傲慢」
それにしても驚くのは、ブリューゲルの発想のユニークさで、奇想天外というか、洒落ているというか、その柔らかな頭の思考回路に驚嘆の連続です。もともと中世のヨーロッパでは、動物の寓意画というのがあったと思うのですが、恐らくそうした絵にも幼い頃から親しんでいたんでしょう。同じネーデルランドの先人ヒエロニムス・ボスからも多大な影響を受けているようで、そのことを考えるとブリューゲルの画風が新奇でとりわけ異色だったというわけではないようですが、本展覧会に展示されていたブリューゲル以外の画家の版画などを見ても、彼の描く奇々怪々な世界は当時の寓意画の中でも群を抜いていたのが分かります。だけど、こうした版画や絵を20代や30代で量産していたんですよね。ものすごく生き急いだ画家だったんだなと、そんなことも思いました。
ピーテル・ブリューゲル「学校でのロバ」
ブリューゲルの版画をこうして見ていると、彼の油彩画にも共通していることだ思うのですが、人間観察の鋭さを感じずにはいられません。さまざまな寓意の裏側には、当時の民衆の気持ちが代弁されているのではないかと感じることもあります。それがどんなものなのか、勉強不足で自分には全てを感じ取ることはでき ませんでしたが、広く民衆(低層の人々も含めて)の眼差しは真摯なものだったのではないでしょうか。それが後に農民画家と呼ばれるような絵を描くに至ったのかなと感じました。
ピーテル・ブリューゲル 「大きな魚は小さな魚を食う」
よく考えてみると、今回の展覧会は版画なので、浮世絵と一緒で、掘り師がいたり、摺り師がいたりするのでしょうが、16世紀にこれだけ版画の技術が発達していたということにも正直驚きました。ブリューゲルの精緻で緻密な描写が素晴らしいのもさることながら、それを版画にしてしまう技術力は驚くべきものがあると思いました。ブリューゲルの代表作の一つである「バベルの塔」を版画化したものが展示されていましたが、その細かさは単眼鏡がなくては分からないレベルです。
最後に一言。とても目が疲れる展覧会でした(笑)
ピーテル・ブリューゲル「聖アントニウスの誘惑」
【ベルギー王立図書館所蔵 ブリューゲル 版画の世界】
Bunkamura ザ・ミュージアムにて
8/29(日)まで

ブリューゲル (ニューベーシック) (ニューベーシック・アート・シリーズ)

ブリューゲルへの旅 (文春文庫)
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