2012/12/29

白隠展

Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の『白隠展 HAKUIN 禅画に込めたメッセージ』に行ってきました。

臨済宗中興の粗と称えられ、一万点に及ぶともいわれる禅画を残した江戸時代の禅僧、白隠慧鶴(はくいんえかく)の初の本格的な展覧会です。

白隠の作品はこれまでも美術展などで観ていますが、まとまった形で観たのは、2010年に東京国立博物館で開催された『細川家の至宝-珠玉の永青文庫コレクション-』ぐらい。細川家の美術コレクションは白隠から始まったともいわれ、白隠の作品だけでおよそ330点も所蔵しているそうです。このときはその内の15点が展示されていました。

今年、NHK-BSで放映された『大胆不敵な水墨画』で白隠の特集があり、そのときにニューヨークで白隠の展覧会が開催され、大変な好評を博したということが紹介されていました。どうして日本では白隠の展覧会が少ないのだろうと羨んでいた矢先の今回の白隠展のニュース。この日を大変心待ちにしていました。

そんな本展は、白隠研究で知られる禅宗史研究者の芳澤勝弘氏(花園大学教授)と美術史家の山下裕二氏(明治学院大学教授)を共同監修に迎えての渾身の企画。永青文庫所蔵の白隠コレクションを始め、全国から白隠の作品をかき集め、100点を超える傑作・代表作が一堂に会しています。

会場は、≪出山釈迦≫、≪観音≫、≪達磨≫、≪大燈国師≫、≪布袋≫、≪戯画≫、≪墨蹟≫とテーマごとに分けられ、とても見やすく構成されていました。

白隠 「隻履達磨」
龍嶽寺蔵

会場に入ると、まずは70代の作とも晩年の作ともいわれる「隻履達磨」がヌッとした顔でお出迎え。視線はどこか上の方を向いていて、物言いたげにも、素知らぬ顔をしているようにも、何か企んでいるようにも見え、いろいろと想像が広がります。白隠の達磨図はある意味白隠の自画像でもあるといわれていますが、解説によるとこの作品は数ある達磨図の中でも自画像的な要素が一番強いのだそうです。

達磨ほどではないのですが、白隠は多くの釈迦図を残していて、そのほとんどが出山釈迦図だそうです。出山釈迦図は長い苦行でも悟りを得られないと知り、山から下りてくる釈迦を描いたもので、そこには修業に明け暮れた若き日の白隠の姿が投影されているのだろうということでした。

白隠 「蓮池観音」
個人蔵

白隠の描く観音はちょっと肉付きのいい中年女性みたいなところがあります。観音様ではありませんが、かつてテレビドラマの『西遊記』で高峰三枝子が演じたお釈迦様をふと思い出しました。白隠にとって観音は特別な画題だったのではないかと考えられているそうです。他の作品に比べて非常に丁寧に描かれていて、下書きの線が残っている物も少なく(白隠の作品は割と平気で下書きの線が残ってる)、絹本に描かれている物も多いそうです。山下先生によると白隠はマザコンだったのではないかとのこと。達磨や釈迦が白隠の自画像的な意味合いがあるのに対し、観音は母の記憶なのかもしれません。

白隠 「横向き達磨」
永青文庫蔵(※展示は1/21まで)

白隠といえば、やはり達磨図。達磨は禅宗の初祖とされ、白隠の描いた達磨図は現存する物だけでも300点を超えるといわれています。本展では12点(入れ替え作品を含むと13点)の達磨図が展示されています。白隠は60代になってから禅画を量産したといいますが、60代の作品ですら“若書き”と解説されていました。中には、30代や40代の頃に描かれたとされる作品も数点展示されていて、後年の大胆な筆さばきやどっしりとした達磨像とは異なり、線も細く、達磨の表情もどこか卑屈で、神経質そうな感じさえ受けます。(上の作品は晩年のものです)

白隠 「半身達磨」
萬壽寺蔵

<直指人心、見性成佛>。「まっすぐに自分の心を見つめて、仏になろうとするのではなく、本来自分に備わっている物性を信じなさい」。白隠の複数の達磨図に書き添えされている定番の“賛”だそうです。白隠の作品は本来美術作品ではなく、布教目的の禅画であり、絵とともに必ずこうした“賛”が書き加えられています。さすがに読めないので、正直なところ、これまで書画の賛を注意して読んだことはほとんどなかったのですが、白隠の賛は奥の深い言葉や意味深な言葉、禅の公案などがあって、興味をかき立てらるものが多くあります。(図録の作品リストには展示作品の全ての賛が掲載されています)

白隠 「大燈国師」
串本応挙芦雪館蔵

大燈国師は高僧でありながらも、京・五条の橋の下で乞食とともに何十年も生活をしていたという禅僧で、後に名刹・大徳寺を開山したという大変偉いお坊さん。後半の≪墨蹟≫のコーナーに展示されていた白隠の書に「苦労して修行したのに、住職になった途端に貪欲になる…」というものがありましたが、白隠の思想の根底には大燈国師に通じるものがあるのでしょう。

白隠 「すたすた坊主」
早稲田大学會津八一記念博物館蔵

見ているだけで楽しそうな気分が伝わってくる「すたすた坊主」。もともとはお金を恵んでもらっては水垢離や庚申待ちなど参詣や祈祷の代参をする願人坊主という乞食僧(実際には僧ではない)の一つで、半裸姿で家々の門前で面白おかしいことを言っては物乞いをしていたのだそうです。白隠はそこに、いつも大きな袋を持って物乞いをしていた乞食僧が実は弥勒菩薩の化身だったという布袋和尚の伝説を重ねて、すたすた坊主になってまで人の福を願って代参しているというようなことを賛に書いているそうです。

七福神(もしくは単独)を描いた作品も複数展示されていましたが、その中でも布袋を描いたものがが一番多くありました。布袋図も白隠の自画像的なところがあるようで、同じ自画像的要素の濃い達磨や出山釈迦が少々険しい顔つきをしているのに対し、人なつっこい表情で庶民的な布袋を自分として描いているのが面白いと思います。“アメとムチ”ではありませんが、自分の二面性を達磨と布袋で表しているのかもしれません。

白隠 「鍾馗鬼味噌」
海禅寺蔵

すり鉢で鬼たちを「すり難い」と言いながらすり潰し、傍らで子どもが「鬼味噌を舐めてみたい」とせがむ。なんともブラックな作品。鍾馗は道教の影響を受けた神の一人で、かつては魔よけの神様として大変身近だったようです。鍾馗図のほかに、三国志の英雄・関羽を描いた作品も展示されていました。関羽も道教で神格化されていて、白隠の思想に対する道教の影響を強く感じさせます。

白隠の戯画も多数展示されていました。同じ禅僧で禅画や戯画を多く残した仙崖の作品がどちらかというと飄逸な味わいや機智を感じるのに対し、白隠の戯画はユーモラスなんだけど、そこからは社会(特に幕府や金持ち)への皮肉や禅的な教訓が強く見て取れます。あくまでも禅画の目的は禅の思想を伝えることであるというのが白隠のスタンスなのだと思います。

白隠 「百寿福禄寿」
普賢寺蔵

「百寿福禄寿」は「寿」の字を100通りの書体で書いた作品で、この賛には真ん中の福禄寿が「白隠に書かされたんだよ」というようなことが書かれているそうです。白隠の墨蹟は行や列が揃ってなかったり、最後の方の文字がスペースがなくなって小さくなっていたり、決して能筆ではありませんが、その自由な字体や筆の勢いからは白隠らしさが伝わってくるようです。

白隠 「隻手」
久松真一記念館蔵

「両手をたたけば音がする。では片手ではどうか。それを聞いてこい。」という白隠の有名な禅問答“隻手音声”を描いた作品。冒頭で触れたニューヨークの白隠展ではこの“隻手の音”がテーマになっていました。「円相」という丸を描いただけの書画も展示されていましたが、ただ“絵”としてみるだけではなく、そこに隠されたメッセージ(それは容易に分かるものではありませんが)を読み解こうとする気持ち、そこから何かを見つけようとさせるところに白隠の作品の魅力があるのかもしれません。白隠の作品が海外で人気が高いのは、単にその画風だけではなく、こうした“禅”の精神との繋がりがあってのことのようです。

一度見たら忘れられないインパクトのある絵やメッセージ性の強い賛。ようやく日本でも白隠の評価が高まりつつあり、この白隠展はそれを決定づける大事な展覧会になる気がします。


【白隠展 HAKUIN 禅画に込めたメッセージ】
2013年2月24日(日)まで (※途中展示替えがあります)
Bunkamura ザ・ミュージアムにて


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