2011/11/26

国立劇場公演「日本振袖始」「曽根崎心中」

国立劇場大劇場の11月歌舞伎公演『日本振袖始』『曽根崎心中』を観てきました。

国立劇場は今年開場45周年ということで、先月10月から来年4月まで連続で歌舞伎を上演することになっていて、その第2弾が近松門左衛門の『日本振袖始』と『曽根崎心中』。

『日本振袖始』は、一幕物の「八岐の大蛇(やまたのおろち)退治」のくだりに、新たに序幕を加えての上演。もともとが全五段の大作なのだそうですが、40年前に六代目歌右衛門が復活させるまで長らく上演されなかったことや、またその後の公演でも「八岐の大蛇退治」のくだり(「出雲国簸の川川上の場」)しか上演されてなかったことを考えると、ほかの段はあまり面白くないのでしょう。そのため、今回は、前段を「出雲国簸の川川岸桜狩の場」として序幕にまとめ、二幕物としての上演となっています。

二幕目の「出雲国簸の川川上の場」では、八岐の大蛇の生贄となった稲田姫を素戔嗚尊(すさのおのみこと)が救うという筋立てですが、序幕では素戔嗚尊と稲田姫の出会いや、素戔嗚尊と八岐の大蛇の因縁、またタイトルにもなっている「振袖」の名前の由来が語られます。二幕目の暗い深山のおどろおどろしい場面とは大きく異なり、春おだやかな景色の中の場面で、まったく雰囲気が違うのですが、八岐の大蛇退治の前段としてよくまとめられ、構成されているなと感じました。

二幕目は舞踊劇で囚われの身の稲田姫の舞、八つの酒甕の酒を飲んで酩酊する岩長姫(実は八岐の大蛇)の舞、そして八岐の大蛇と素戔嗚尊の対決と、大きく分けて3部構成。魁春が赤姫姿の岩長姫と隈取の八岐の大蛇の二役を堂々と演じ、見応えがありました。欲を言えば、もう少し迫力というか、妖しさが欲しかったかなという気もします。素戔嗚尊の梅玉は貴公子然とした品の良い佇まいで、持ち前の端正さがかえって控えめに映りはしないかとも思いましたが、魁春との相性は流石で、全く気になりませんでした。梅玉の部屋子・梅丸が若干15歳ながらで稲田姫を演じ、健闘。その初々しさと美しさはとても印象的でした。

つづいては、『曽根崎心中』。お初に藤十郎、徳兵衛に翫雀。藤十郎のお初は既に1300回を超え、公演期間中には藤十郎襲名後のお初役100回目も迎えたそうな。今年で齢80の藤十郎ですが、年齢を感じさせないどころか、その若々しさには驚くばかり。縁起でもない話ですが、富十郎が逝き、芝翫が逝き、藤十郎のお初だっていつまで観られるか分からないと思って今回観にきたのですが、この人はまだまだ大丈夫だと確信しました。筋書きに「一世一代と思って勤める」と語っていて、もちろん藤十郎本人も年齢的に覚悟はしてるんだろうなとは思いますが。

その藤十郎のお初は、溢れんばかりの生命力に満ち、女性らしい包容力があり、決して弱い女性ではありませんが、それ故に徳兵衛への恋焦がれ、思い詰めた感情が胸に迫ります。これが円熟した味なのかもしれませんが、その円熟さを感じさせない初々しいお初が印象的でした。翫雀の徳兵衛は真面目さが身上で、その正直さが彼にとってはアダとなるわけですが、その優しく真面目で一直線なところの表現が巧く、愛する女性を思う愛おしさがなんとも切なく思えました。天満屋の名場面はもちろんですが、曽根崎の森の道行も哀感迫るものがありました。すでに5度目という亀鶴の九平次はあぶなげなく、寿治郎の下女お玉は場をさらう面白さ。竹三郎は徳兵衛の伯父・久右衛門を情濃く演じ、最後の叫びは痛切で感動的ですらありました。

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