2010/03/10

石峰寺 ~若冲の石仏を訪ねて~

またもや備忘録です(汗)

一月に仕事で京都に連泊してたのですが、せっかく京都に来たのに何も観ずに変えるのは癪だからと、もう一泊プライベートで宿をとり、ゆっくり休日の京都を散策しました。

今回はこれまで不思議とあまり縁のなかった洛南を廻ってみたのですが、そのメインの目的は、前々から是非一度はと希っていた石峰寺(石峯寺)を訪れることでした。

石峰寺は、江戸中期に萬福寺の第六世千呆禅師により開創した黄檗宗のお寺です。いま最も人気があるといってもいい江戸時代の絵師、伊藤若冲が下絵を書いて彫らせた五百羅漢の石仏があります。

若冲は晩年、この石峰寺に庵を結び、85歳でこの世を去るまで隠遁生活を送っていたのだそうです。五百羅漢の石仏たちは、石峰寺に移り住む前に造られていたそうで、その後、京都の大火事で家を失い、この寺に身を寄せたとも言われています。若冲とは所縁の深いお寺さんです。

石峰寺は、閑静な住宅街の中にポツンと佇む小さなお寺です。最寄駅は京阪電車の深草駅ですが、隣駅(伏見稲荷駅)にある伏見稲荷大社からも歩いて来られる距離なので、京都見物の折にはセットで行かれるのもいいかもしれません。伏見稲荷の賑わいと、石峰寺の静穏な雰囲気とのギャップに驚かれることでしょう。

住宅街の狭い道を進み、緩やかな坂を上ると、若冲ファンには見覚えのある朱色の門が見えてきます。あの「石峰寺図」で描かれていた特徴のある山門です。去年、府中市美術館の「山水に遊ぶ 江戸絵画の風景250年」展で初めて観たとき、もう食い入るように観たものです。実物を見ると、なんか感慨深いというか、いよいよ若冲の石仏に会えると思うだけでワクワクしてきます。

小さな本堂の横を抜け、更に裏山の石段を登ると、また同じ竜宮城のような形をした小さな門があります。門をくぐると、そこはもう、おとぎの世界ならぬ若冲ワールド。若冲の絵から抜け出たような個性的でユーモラスな五百羅漢の石仏群が山の中にあちこち点在します。

五百羅漢とは、釈迦が入滅したのち、その教えを後世に伝えようと集まった阿羅漢(悟りを得た聖者)たちのことですが、若冲の五百羅漢はよくある羅漢図で目にするような立派な聖者の姿ではなく、なんとなく頼りなさそうだったり、まだ迷いがありそうだったり、愛嬌があったりと、どこか人間臭くて、お偉い高僧や聖者にはあまり見えません。あくまでも若冲の絵の登場人物たちなのが面白いというか、若冲らしくていいです。五百羅漢の中に必ず自分に似た人がいると聞きますが、近寄りがたい阿羅漢ではなく、こうした親しみやすそうな石仏の顔を見てると、確かに自分と同じ顔の石仏もいそうな気さえしてきます。

石峰寺の五百羅漢はお釈迦様の誕生から涅槃に入り入滅するまでが物語られていて、場面場面に「托鉢修行」とか「涅槃場」とか「賽の河原」などと説明書きが立っています。こうして仏様をひとたび若冲が描くというだけで、どんな小難しそうな話も、子どもからお年寄りまで誰でも分かりやすく受け入れられそうです。

何百年も風雨にさらされた風化のあとは時の流れの物悲しさを思わずにはいられませんが、若冲の石仏を見ていると、自分もにこやかな顔になってるのが分かり、心が和むというか優しい気分になってきます。幸いなことに、ほかに誰も観光客の姿はなく、思う存分、若冲の世界を堪能させていただきました。夏場は藪蚊がすごいようなので、行くのなら静かに鑑賞できる冬がお薦めです。

帰りには、同じ寺内にある若冲のお墓にお参りすることをお忘れなく。素晴らしい石仏に出会えたことの感謝を伝え、石峰寺をあとにしました。


Flickrに石峰寺の石仏のほかの写真もアップしています。よろしければご覧ください。
https://www.flickr.com/photos/conrrrrad/albums/72157623445289177


もっと知りたい伊藤若冲―生涯と作品 (ABCアート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたい伊藤若冲―生涯と作品 (ABCアート・ビギナーズ・コレクション)

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