永青文庫に来たのは『春画展』以来かな? 今回は新宿駅から早稲田行のバス(早77)で終点まで行き、そこから歩いたのですが、新宿駅からバス(白61)で椿山荘 の方までぐるっと回るより、こっちの方が早いですね。(乗り換えがスムーズであれば、JRで目白駅まで行って、そこからバスが一番早いようですが)
さて、南禅寺天授庵は南禅寺の三門のすぐ横にある塔頭。庭園が見事なことでも有名ですね。南禅寺に行ったとき天授庵にも寄ったことがありますが、長谷川等伯の障壁画なんて観た記憶ないぞと思ったら、普段は非公開なんだそうです。
天授庵の創建は南北朝時代に遡りますが、応仁の乱で荒廃し、細川幽斎により再興されたとのこと。幽斎と等伯の関係は明らかではありませんが、等伯は細川家や幽斎と交流のある利休とも繋がりがあり、障壁画に等伯の落款はないものの、その筆法や画風から等伯の作とほぼ断定されているといいます。
今回は前・後期に分けてではありますが、等伯の水墨障壁画32面全てが公開されるというのが話題。2010年に東京国立博物館で開催された『長谷川等伯展』でも全ては展示されなかったので貴重な機会です(昨年の東博の『禅展』でも一部公開されています)。
長谷川等伯 「船子夾山図(『禅宗祖師図』の内)」(重要文化財)
慶長7年(1602年) 天授庵蔵 (※展示は10/29まで)
慶長7年(1602年) 天授庵蔵 (※展示は10/29まで)
等伯の天授庵方丈障壁画は4階の展示室にあります。前期(9/30~10/29)は方丈の室中の「禅宗祖師図」16面を公開。「禅宗祖師図」は、北面の襖絵「船子夾山図」4面、西面の襖絵「五祖・六祖図」と「趙州頭戴草鞋図」8面、南面の襖絵「南泉斬猫図」と「懶瓚煨芋図」4面で構成されていて、方丈と同じ並びで展示されています。
天授庵方丈障壁画は等伯64歳の頃の作と解説にありました。有名な智積院の金碧障壁画(旧祥雲寺障壁画)から10年。60代の等伯は水墨の障壁画を多く残していて、「禅宗祖師図」は中国画の伝統的画題ということもあり、禅画的な枯淡な趣を強く感じます。
いかにも等伯らしい素早く力強い墨線、狩野派とは違う岩や樹木の表現が印象的です。特に猫をグワッと首根っこから掴んだ「南泉斬猫図」は物凄いインパクト。禅画で有名な画題ですが、目を丸くして慌てふためく猫の表情は一度観たら忘れられません。この後の猫の運命を知っているだけに猫好きとしては辛いものがありますが…。「懶瓚煨芋図」も面白いですね。牛の糞を燃やして芋を焼き、鼻水を垂らしながら食べるという。もうよく分かりません(笑)
長谷川等伯 「南泉斬猫図・懶瓚煨芋図(『禅宗祖師図』の内)」(重要文化財)
慶長7年(1602年) 天授庵蔵 (※展示は10/29まで)
慶長7年(1602年) 天授庵蔵 (※展示は10/29まで)
ちなみに後期(10/31~11/26)は上間二之間の襖絵「商山四皓図」8面と下間二之間の襖絵「松鶴図」8面、および幽斎の弟・紹琮を描いた等伯最晩年の「玉甫紹琮像」、『等伯画説』が公開されます。
2、3階は幽斎に因んだ美術品や史料が並びます。国宝の「柏木莵螺鈿鞍」はその名の通り、木菟(ミミズク)が螺鈿で装飾されているようなのですが、経年のためか実際に使用されたためか、装飾が剥落しているところがあって、ちょっと分かりませんでした。さらりと明智光秀宛の織田信長の書状が展示されているのもビックリ。幽斎は和歌や能にも通じていたそうで、幽斎自作の和歌集や和歌を揮毫した扇面などもあって、戦国武将としての顔だけでなく、文化人としての顔も余すことなく伝えていて興味深いものがありました。
【秋季展 重要文化財 長谷川等伯障壁画展 南禅寺天授庵と細川幽斎】
2017年11月26日まで
永青文庫美術館まで
別冊太陽166 長谷川等伯 (別冊太陽 日本のこころ 166)


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