今年も最後の1日となりました。
いつも今年のベスト10を早くまとめようまとめようと思いつつ、あれも入るでしょ、これを入れなきゃどうするの、と最後の最後まで一人ああだこうだ言いながら、なかなかまとまりません。正直今も少し悩んでいます。毎年のことですが。
今年の拙ブログのエントリーは展覧会の感想のみで43本。一番エントリーが多かった年のおよそ半分でした。ずいぶん減りましたね。。。今年は例年以上に仕事関係が忙しく、休日だってフルに使えるわけではないので、観に行った展覧会自体もかなり減ってしまったのですが、さらに観に行ってもブログにアップできないものもたくさん出てしまいました。
とても印象に残ってる『縄文展』も『ルーベンス展』も『京都・醍醐寺展』も『仏像の姿』も『建築の日本展』も『横山大観展』も下書きのまま残ってます。見逃がした展覧会も多くあります。評判の良かった『ビュールレ・コレクション展』も『プラド美術館展』も『暁斎・暁翠伝』も『東山魁夷展』も結局見てないんですよね。。。
日本美術を中心に興味のあるものはできるだけ観たつもりではありますが、今年は地方遠征があまりできなかったのも悔やまれるところ。時間と自由があれば、『糸のみほとけ』や『雲谷等顔展』、『土方稲嶺展』、『鈴木松年展』、『土佐光吉展』も観に行きたかったです。
今年、ベスト10(選外も含めて)に選んだ展覧会を振り返ると、企画や構成の素晴らしさに唸った展覧会が多くありました。ただ単に特定の絵師/画家/作家の作品を並べた回顧展よりも、この企画考えた人凄いなとか、これだけの作品集めてくるの大変だったろうなとか、学芸員の方たちの日ごろの研究成果といいますか、その企画力やそこにかける情熱、テーマに沿った作品のセレクション、そうしたものも含めて感銘を受けた展覧会が上位に入りました。最近いろいろ美術館/博物館の運営も大変のようですが、こうして素晴らしい展覧会を企画してくれる学芸員や関係者の方にはあらためて感謝したいと思います。
で、2018年のベスト10はこんな感じです。
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1位 『百花繚乱列島 -江戸諸国絵師巡り-』(千葉市美術館)
江戸絵画を観ていても、まだまだ知らない絵師は多くいますし、江戸や京阪だけでなく地方で活躍した優れた絵師はどれだけいるんだろうと思うことがあります。そうした地方に拠点を置き活躍した絵師にスポットを当てた展覧会がいつか開かれないものかと思っていたものですから、本展は個人的には願ってもない展覧会でした。そしてこれがまた充実していて素晴らしいのなんの。ほとんどがマイナーな絵師たちで、こんな絵師がいたのか!と驚くような個性派ぞろい。マニアック過ぎて鼻血が出ました。ぜひ第二弾を企画してほしいものです。
2位 『寛永の雅』(サントリー美術館)
サントリー美術館の展覧会の企画力には毎度頭が下がるのですが、強烈な個性を持った桃山と元禄に挟まれた寛永年間を中心とした文化を切り出し、ここまで厚く深くその時代の魅力を引き出したことに驚きと感動しかありませんでした。 土佐派の復興や住吉派の興隆、探幽様式と狩野派のやまと絵的傾向、そして遠州や仁清といった江戸初期の美術の点と点が線で繋がり、寛永文化の古典復興のもとで同時代的に発生したことも知りました。寛永の時代の空気までもが伝わる大変素晴らしい展覧会でした。
3位 『幕末狩野派展』(静岡県立美術館)
江戸狩野をテーマにした展覧会というとどうしても中心は探幽とその兄弟たちで、後期になると評価は低く、情報も少なくなります。その見逃されがちな後期江戸狩野にスポットを当てることで、様々な流派の台頭の中、命脈を保つため、もがきながら新しい時代の狩野派を創り出そうとする絵師たちの奮闘ぶりが浮かび上がるような展覧会でした。それが結果として実は日本画の近代化に繋がる重要なカギを握っていたことも感じました。粉本主義で旧態依然という固定観念が覆される充実の内容でした。
4位 『京都画壇の明治』(京都市学校歴史博物館)
江戸末期から明治初期の日本美術は近代化の流れもあって、江戸/東京ばかりがクローズアップされがちですが、そこをあえて京都画壇に絞り、画壇衰退の危機感をもった新時代の画家たちの新しい絵画表現の模索と活躍を紹介したとても意義深い展覧会でした。明治初期の京都画壇だけでここまでの数の作品が観られる機会というのもなかなかないので、ほんとは通いたかったぐらいですが、なにぶん京都という距離のため一度しか行けなかったのが残念。明治初期の京都画壇にもっと注目が集まるといいなと思います。
5位 『名作誕生 つながる日本美術』(東京国立博物館)
古典との「つながり」を解き明かす見せ方はこれまでもなかったわけではありませんが、本展はその質と量が素晴らしく、さすがトーハクといいたくなる満足度の高い展覧会でした。普賢菩薩や祖師図の展開、宗達と古典のつながりなど、それぞれに継承されたモチーフや構図、技術を日本美術史上の名立たる絵画・工芸品を通して具体的に例解していく様はまるで観る美術教科書。ここまでの規模じゃなくていいので、常設の特集展示などで、シリーズ化してもらえるとありがたいなと思います。
6位 『扇の国、日本』(サントリー美術館)
“扇”を意匠や装飾に取り入れた絵画や工芸といった面だけではなく、“扇”の神聖性や、“扇”による優雅な遊びや風俗まで、さまざまな視点から“扇”を捉えた素晴らしい展覧会でした。もとはメモ代わりだったり、涼をとる道具だったりした“扇”になぜ日本人はここまでバラエティに富んだ趣向や美の世界を繰り広げたのかを考えさせ、とても興味深いものがありました。日本人の高い美意識や豊かな感性に脱帽しました。
7位 『横山華山展』(東京ステーションギャラリー)
昨年の不染鉄につづき、またしても知られざる絵師をどーんとぶつけてくる東京SGお得意(?)の爆弾展覧会。衝撃という意味では今年一番かも。作品はこれまでも何度か拝見したことはありましたが、知名度の低さと作品を観る機会の少なさもあって、どういう絵師なのかがよく分からなかった華山の実像を明らかにしたという点でとても有意義な展覧会だったと思います。そして誰もが驚いたのが画力の高さ。特に人物表現、風俗描写の素晴らしさには舌を巻きました。正に「見れば、わかる」。
8位 『長谷川利行展 七色の東京』(府中市美術館)
ずっと興味は持っていた長谷川利行の作品をここまでまとめて観たのは初めてなので、とても感慨深く拝見しました。都会的でモダンな雰囲気と昭和初期独特の退廃的なムード。昭和初期の東京をここまで魅力的に描く画家が他にいたでしょうか。市井の女性たちを描いた作品の味わいも格別でした。絵から伝わる賑やかさとか温もりとは裏腹な寂寥感が見え隠れするところも利行の絵の魅力という気がします。
9位 『終わりのむこうへ : 廃墟の美術史』(渋谷区立松濤美術館)
年も押し迫った24日、展覧会納めのつもりで行った美術館で出会った素晴らしい展覧会。西洋の廃墟の美術史から入りつつ、日本の廃墟の美術史に流れる導線の巧みな構成、少ない作品ながらも満足度の高いセレクションの妙。期待以上の面白さでした。近代以降の日本の廃墟の美術史、特に戦前戦後のシュルレアリスムの展開はとても興味深く、現代美術家による東京の廃墟画もいつか来る文明の終焉を仄めかすようで、渋谷という街でこの展覧会が開かれたことも何か因縁めいた気がします。
10位 『池大雅展』(京都国立博物館)
割と観る機会の多い池大雅。しかし実は池大雅のことを正しく理解していなかったのだなと痛感した展覧会でした。画面の構成力や技法の引き出しの多さなど驚くことばかり。質量ともにとても充実していて満足度も高く、なかなかとっつきにくい南画がこんなにも自由で、楽しく、感動するものだということをしみじみと感じました。
ベスト10に入れられないものかと最後まで悩んだものが『狩野芳崖と四天王』。芳崖めぐる近代日本画の関係図が掘り下げられていて良かったですし、『幕末狩野派展』からつながるものもあり、とても興味深かったです。
基本的に今年は良かった展覧会しかブログに記事を書いていませんが、日本美術ではほかにも、『小村雪岱 「雪岱調」のできるまで』、『リアル 最大の奇抜』、『春日権現験記絵 -甦った鎌倉絵巻の名品-』、『小倉遊亀展』なども素晴らしかったと思います。ブログには書けずじまいでしたが、三井記念美術館と畠山記念館で開催された松平不昧の展覧会も印象に残っています。
日本美術という意味では縄文の土器や土偶を美術的視点で評価した東博の『縄文』も素晴らしかったですね。サントリー美術館の『琉球 美の宝庫』で観た琉球の絵画も非常に興味深かったです。仏像では『運慶 鎌倉幕府と霊験伝説』も大変良い内容でした。三井記念美術館の『仏像の姿』もとても好きな展覧会でした。
今年は西洋画の展覧会をあまり取り上げられませんでしたが、『ルドン-秘密の花園』、『ヌード展』、『モネ それからの100年』など素晴らしい展覧会が多い一年でありました。秋から始まった『フェルメール展』、『ムンク展』、『ルーベンス展』、『ピエール・ボナール展』も充実した内容で満足度が高かったです。。
ちなみに今年アップした展覧会の記事で拙サイトへのアクセス数は以下の通りです。
1位 小村雪岱 「雪岱調」のできるまで
2位 春日権現験記絵 -甦った鎌倉絵巻の名品-
3位 ルドン-秘密の花園
4位 琳派 -俵屋宗達から田中一光へ-
5位 藤田嗣治展
6位 歌仙と古筆
7位 京都画壇の明治
8位 狩野芳崖と四天王
9位 墨と金 狩野派の絵画
10位 ヌード展
今年も一年間、こんな拙いサイトにも関わらず、足をお運びいただきありがとうございました。良かった展覧会は個人的な記録のためにも書き残していきたいと思ってるので、来年も細々と続けていければと思ってますが、ブログの更新が途絶えたり、しばらく休ませてもらったりということもあるかもしれません。
そんなこんなですが、来年もどうぞよろしくお願いいたします。
【参考】
2017年 展覧会ベスト10
2016年 展覧会ベスト10
2015年 展覧会ベスト10
2014年 展覧会ベスト10
2013年 展覧会ベスト10
2012年 展覧会ベスト10
美術の窓 2019年 1月号
2018/12/31
2018/12/29
終わりのむこうへ : 廃墟の美術史
渋谷区立松濤美術館で開催中の『終わりのむこうへ : 廃墟の美術史』を観てきました。
西洋古典から現代日本までの廃墟・遺跡・都市をテーマとした作品を集め、「廃墟の美術史」をたどるという展覧会。開幕早々お客さんの入りも良く好評のようで、わたしも早速観てきましたが、期待以上の面白さでした。
Twitterで感想ツイートをしたところ、3日でリツイートが700、お気に入りが1800を超え、たいしたことをつぶやいていないのにビックリ。なんでみんなこんなに「廃墟」に惹かれるんでしょうか。
出品点数は約70点。それほど広い美術館ではないので、作品数は決して多くありませんが、廃墟趣味の作品で知られるロベールやピラネージからデルヴォーなどシュルレアリスム、そして日本の戦前のシュルレアリスムや現代美術まで、廃墟をテーマによくまとまっていたと思います。作品は全て国内の美術館の所蔵作品で構成されていました(一部、作家蔵の作品もあり)。
会場の構成は以下のとおりです:
Ⅰ章 絵になる廃墟:西洋美術における古典的な廃墟モティーフ
Ⅱ章 奇想の遺跡、廃墟
Ⅲ章 廃墟に出会った日本の画家たち: 近世と近代の日本の美術と廃墟主題
Ⅳ章 シュルレアリスムのなかの廃墟
Ⅴ章 幻想のなかの廃墟:昭和期の日本における廃墟的世界
Ⅵ章 遠い未来を夢見て: いつかの日を描き出す現代画家たち
まずは西洋の廃墟画の歴史から。
廃墟ブームとよく言われますが、西洋美術の世界では古いものでは17世紀頃から廃墟を主題とした作品が描かれていたといいます。
廃墟を描いた作品というと、2012年に国立西洋美術館で大規模な回顧展が開催されたユベール・ロベールやロベールにも影響を与えたというピラネージが真っ先に頭に浮かびます。ロベールは水彩の作品が1点展示されていました。崩れ落ちた屋根からは青空が見えます。古代風の衣装を着た人々や彫刻の大きさを考えると、この回廊はどれだけ巨大だったのでしょうか。
ピラネージは『ローマの景観』シリーズを中心に、複数の銅版画が展示されていました。ピラネージの銅版画は何度か観ていますが、やはりローマの古代遺跡を描いた作品は素晴らしいですね。建築家でもあるだけあって、その再現性の高さと精緻な表現はどれも見事です。描きこまれた情報量も半端じゃありません。ただ単にローマの景観を再現したというよりも、想像の域を超え、新たな古代都市を造り出しているといった方が近いかもしれません。
コローの師というアシル=エトナ・ミシャロンの「廃墟となった墓を見つめる羊飼い」は廃墟趣味が西洋のアルカディアに対する憧れと深く繋がっていることを感じられて興味深かったです。18世紀から19世紀にかけて、廃墟はピクチャレスクなものとして人気を集めたといいます。いまでいう廃墟ブームでしょうね。
ルソーの「廃墟のある風景」も印象的な作品。一般的なルソーのイメージとは少し異なりますが、崩れかけた城壁と洗濯籠をもって道をゆく女性が幻想的です。
シュルレアリスムはデルヴォーが多めで、あとはキリコとマグリット。廃墟や遺跡はシュルレアリスムでよく描かれるモチーフの一つですが、どこの時代の物でもない、どこの国でもない、不思議な風景にマッチします。
日本美術にもかなり場所が割かれていて、古くは亜欧堂田善や歌川豊春がヨーロッパから輸入された廃墟画を参考にして描いたと思われる作品なども展示されています。歌川豊春というと江戸末期の浮世を席巻した歌川派の祖で、浮絵も描いていたそうですが、模写絵とはいえ、こんな作品も残していたんですね。
興味深かったのが近代以降の日本の廃墟の美術史で、明治初期に日本の洋画界に大きな影響を与えたアントニオ・フォンタネージの遺跡を描いた作品や彼の弟子が描いた模写、また日本画では小野竹喬、洋画では百武兼行や藤島武二など、ヨーロッパに留学したことで触れた廃墟や遺跡を描いた作品も展示され、日本に廃墟画がどのように日本に入ってきたかという点で勉強になります。
ほかにも、中世の古城の廃墟を幾何学的な線で描いた岡鹿之助の「廃墟」、ローマのコロセウムを背にうねる人々の異様な姿を描いた難波田龍起「廃墟(最後の審判より)」、また昨年の回顧展が記憶に新しい不染鉄の「廃船」など印象的な作品がありました。
とりわけ印象に強く残ったのが戦前戦後の日本のシュルレアリスム。西洋のシュルレアリスム自体が第一次世界大戦と密接に繋がっているという点はありますが、日本のシュルレアリスムの展開も戦争の足音や不穏な時代の空気、そして荒廃した戦後の焼け野原の風景と重なり、幻想と現実が交錯します。頭部と腕が欠けた彫刻と枝を切られた木にピン止めされた蝶が何か時代の閉塞感を伝える北脇昇の「章表」、まるで古代ギリシャの神殿遺跡のように瓦礫と化した街に生きる少年の逞しさと優しさが印象的な大沢昌助の「真昼」、聳え立つバベルの塔が現代都市は幻想であることを示唆しているような今井憲一の「バベルの幻想」など、少ない点数ながらもセレクションの妙に唸ります。
現代美術では、大岩オスカールや元田久治、野又穫、麻田浩の作品が展示されています。特に元田久治の廃墟と化した渋谷駅前の風景や、ジャングルと化した国会議事堂や東京駅など、東京の廃墟画もいつか来る文明の終焉を仄めかしているようで、渋谷という街でこの展覧会が開かれたことも何か因縁めいた気がします。
一年の最後の最後にこんな素晴らしい展覧会に出会うなんて。廃墟というキーワードに惹かれる人にはオススメの展覧会です。
【終わりのむこうへ : 廃墟の美術史】
2019年1月31日(木)まで
渋谷区立松涛美術館
廃墟の美学 (集英社新書)
廃墟論
西洋古典から現代日本までの廃墟・遺跡・都市をテーマとした作品を集め、「廃墟の美術史」をたどるという展覧会。開幕早々お客さんの入りも良く好評のようで、わたしも早速観てきましたが、期待以上の面白さでした。
Twitterで感想ツイートをしたところ、3日でリツイートが700、お気に入りが1800を超え、たいしたことをつぶやいていないのにビックリ。なんでみんなこんなに「廃墟」に惹かれるんでしょうか。
出品点数は約70点。それほど広い美術館ではないので、作品数は決して多くありませんが、廃墟趣味の作品で知られるロベールやピラネージからデルヴォーなどシュルレアリスム、そして日本の戦前のシュルレアリスムや現代美術まで、廃墟をテーマによくまとまっていたと思います。作品は全て国内の美術館の所蔵作品で構成されていました(一部、作家蔵の作品もあり)。
会場の構成は以下のとおりです:
Ⅰ章 絵になる廃墟:西洋美術における古典的な廃墟モティーフ
Ⅱ章 奇想の遺跡、廃墟
Ⅲ章 廃墟に出会った日本の画家たち: 近世と近代の日本の美術と廃墟主題
Ⅳ章 シュルレアリスムのなかの廃墟
Ⅴ章 幻想のなかの廃墟:昭和期の日本における廃墟的世界
Ⅵ章 遠い未来を夢見て: いつかの日を描き出す現代画家たち
ユベール・ロベール 「ローマのパンテオンのある建築的奇想画」
1763年 ヤマザキマザック美術館蔵
1763年 ヤマザキマザック美術館蔵
まずは西洋の廃墟画の歴史から。
廃墟ブームとよく言われますが、西洋美術の世界では古いものでは17世紀頃から廃墟を主題とした作品が描かれていたといいます。
廃墟を描いた作品というと、2012年に国立西洋美術館で大規模な回顧展が開催されたユベール・ロベールやロベールにも影響を与えたというピラネージが真っ先に頭に浮かびます。ロベールは水彩の作品が1点展示されていました。崩れ落ちた屋根からは青空が見えます。古代風の衣装を着た人々や彫刻の大きさを考えると、この回廊はどれだけ巨大だったのでしょうか。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ 「『ローマの古代遺跡』より
「古代アッピア街道とアルデアティーナ街道の交差点」
1756年刊 町田市立国際版画美術館蔵
「古代アッピア街道とアルデアティーナ街道の交差点」
1756年刊 町田市立国際版画美術館蔵
ピラネージは『ローマの景観』シリーズを中心に、複数の銅版画が展示されていました。ピラネージの銅版画は何度か観ていますが、やはりローマの古代遺跡を描いた作品は素晴らしいですね。建築家でもあるだけあって、その再現性の高さと精緻な表現はどれも見事です。描きこまれた情報量も半端じゃありません。ただ単にローマの景観を再現したというよりも、想像の域を超え、新たな古代都市を造り出しているといった方が近いかもしれません。
アンリ・ルソー 「廃墟のある風景」
1906年頃 ポーラ美術館蔵
1906年頃 ポーラ美術館蔵
コローの師というアシル=エトナ・ミシャロンの「廃墟となった墓を見つめる羊飼い」は廃墟趣味が西洋のアルカディアに対する憧れと深く繋がっていることを感じられて興味深かったです。18世紀から19世紀にかけて、廃墟はピクチャレスクなものとして人気を集めたといいます。いまでいう廃墟ブームでしょうね。
ルソーの「廃墟のある風景」も印象的な作品。一般的なルソーのイメージとは少し異なりますが、崩れかけた城壁と洗濯籠をもって道をゆく女性が幻想的です。
ポーリ・デルヴォー 「海は近い」
1965年 姫路市立美術館蔵
1965年 姫路市立美術館蔵
シュルレアリスムはデルヴォーが多めで、あとはキリコとマグリット。廃墟や遺跡はシュルレアリスムでよく描かれるモチーフの一つですが、どこの時代の物でもない、どこの国でもない、不思議な風景にマッチします。
伝・歌川豊春 「阿蘭陀フランスカノ伽藍之図」
文化期(1804-18)頃 町田市立国際版画美術館蔵
文化期(1804-18)頃 町田市立国際版画美術館蔵
日本美術にもかなり場所が割かれていて、古くは亜欧堂田善や歌川豊春がヨーロッパから輸入された廃墟画を参考にして描いたと思われる作品なども展示されています。歌川豊春というと江戸末期の浮世を席巻した歌川派の祖で、浮絵も描いていたそうですが、模写絵とはいえ、こんな作品も残していたんですね。
藤島武二 「ポンペイの廃墟」
1908(明治41)年頃 茨城県近代美術館蔵
1908(明治41)年頃 茨城県近代美術館蔵
興味深かったのが近代以降の日本の廃墟の美術史で、明治初期に日本の洋画界に大きな影響を与えたアントニオ・フォンタネージの遺跡を描いた作品や彼の弟子が描いた模写、また日本画では小野竹喬、洋画では百武兼行や藤島武二など、ヨーロッパに留学したことで触れた廃墟や遺跡を描いた作品も展示され、日本に廃墟画がどのように日本に入ってきたかという点で勉強になります。
ほかにも、中世の古城の廃墟を幾何学的な線で描いた岡鹿之助の「廃墟」、ローマのコロセウムを背にうねる人々の異様な姿を描いた難波田龍起「廃墟(最後の審判より)」、また昨年の回顧展が記憶に新しい不染鉄の「廃船」など印象的な作品がありました。
北脇昇 「章表」
1937(昭和12)年 京都市美術館蔵
1937(昭和12)年 京都市美術館蔵
とりわけ印象に強く残ったのが戦前戦後の日本のシュルレアリスム。西洋のシュルレアリスム自体が第一次世界大戦と密接に繋がっているという点はありますが、日本のシュルレアリスムの展開も戦争の足音や不穏な時代の空気、そして荒廃した戦後の焼け野原の風景と重なり、幻想と現実が交錯します。頭部と腕が欠けた彫刻と枝を切られた木にピン止めされた蝶が何か時代の閉塞感を伝える北脇昇の「章表」、まるで古代ギリシャの神殿遺跡のように瓦礫と化した街に生きる少年の逞しさと優しさが印象的な大沢昌助の「真昼」、聳え立つバベルの塔が現代都市は幻想であることを示唆しているような今井憲一の「バベルの幻想」など、少ない点数ながらもセレクションの妙に唸ります。
元田久治 「Indication Shibuya Center Town」
2005(平成17)年
2005(平成17)年
現代美術では、大岩オスカールや元田久治、野又穫、麻田浩の作品が展示されています。特に元田久治の廃墟と化した渋谷駅前の風景や、ジャングルと化した国会議事堂や東京駅など、東京の廃墟画もいつか来る文明の終焉を仄めかしているようで、渋谷という街でこの展覧会が開かれたことも何か因縁めいた気がします。
一年の最後の最後にこんな素晴らしい展覧会に出会うなんて。廃墟というキーワードに惹かれる人にはオススメの展覧会です。
【終わりのむこうへ : 廃墟の美術史】
2019年1月31日(木)まで
渋谷区立松涛美術館
廃墟の美学 (集英社新書)
廃墟論
2018/12/22
扇の国、日本
サントリー美術館で開催中の『扇の国、日本』を観てきました。
本展は、“扇”をめぐる美の世界を、幅広い時代と視点から紹介するというもの。涼を取る道具としての“扇”や、儀礼や祭祀で使われた“扇”、ご神体や仏像の納入品としての“扇”、ノートやメモ代わりに使われた“扇”などなど、様々な使われ方をした‟扇”があって、“扇”の狭い画面の中に繰り広げられるアイデアや美の世界に感心します。
てっきり“扇”は中国から入ったものかと思ってましたが、日本で生まれ発展したものだそうです。古代エジプトや中国にも煽いで風を送る道具として団扇のようなものはありましたが、薄い板や紙を開閉して使えるようにした‟扇”は日本オリジナルなのだとか。“扇”の起源は不明ですが、奈良時代にはすでに存在したともされ、10世紀末には中国や朝鮮に贈答品として贈られていたそうです。
ジャポニスムに影響された印象派やナビ派の作品にもときどき“扇”が描かれた作品がありますが、会場の最初のコーナーにはパリ万博(1855年)に出品されたという長澤芦雪や狩野探幽、歌川豊国の扇絵があって、日本を飛び越え海外の人までも魅了した“扇”の美の世界に興味が広がります。
会場の構成は以下の通りです:
序章 ここは扇の国
第1章 扇の呪力
第2章 流れゆく扇
第3章 扇の流通
第4章 扇と文芸
第5章 花ひらく扇
終章 ひろがる扇
檜扇の現存最古の作例という島根・佐太神社の「彩絵檜扇」は平安時代(12世紀)のもの。社殿の奥に大切に保管されていたという云わば御神体です。一部欠損がありますが、紅葉と山や水をイメージさせる緑や群青のぼかしを配したやまと絵は今も美しい。
仏像の胎内に納入されていたという“扇”や経典を土に埋める経塚から出土した“扇”なども展示されていて、スペース的にあまり詳しく触れられてはいませんでしたが、中には人骨とともに出土した例や斎串(玉串のように地に刺して神に供えるもの)として使用された例もあったと聞きます。今ではあまりピンときませんが、中世の人々は“扇”に呪力を見ていたのでしょう。展示されている遺品からは“扇”に託された神聖なメッセージが伝わってきます。
檜扇は古い時代のもの、紙扇はそのあとに登場したものと単純に頭の中にあったのですが、確かにもともとは木簡を束ね糸を通したものから日常品としての檜扇に発展したようですが、平安時代には檜扇を冬用、紙扇を夏用と使い分けられていたのだそうです。時代が進むにつれ、“扇”はファッションアイテムとして持て囃され、だんだんと装飾性が増していきます。
“扇”は「あふぎ」の音から「逢う儀」、つまり再会を願ったり、餞別に用いたりすることが多く、そこから“扇流し”が生まれたといいます。名古屋城の将軍専用の浴室の襖絵だったという「扇面流図」は投げた“扇”が舞って水面に入る瞬間までを描いているそうで、なんとも優雅。扇面には四季の草花や唐子なども描かれ、遊び心に溢れています。
初期風俗画の「舞踊図」がいいですね。トンボが描かれた着物を着た女性の持つ扇は秋草だったり、鶴をあしらった着物を着た女性の扇は秋草だったり、着物の紋様と扇面に描かれたモチーフの組み合わせもオシャレ。
近世のやまと絵や琳派でよく目にする扇面散屏風も多く、中でも興味深かったのが京都・南禅寺所蔵の「扇面貼交屛風」。室町時代にさかのぼる貴重な遺品とされ、16世紀初めから17世紀初めまでの100年の間に制作された扇面が貼り付けられているそうです。その数240面。なんと8隻もあるのだとか(期間中2隻が場面替えで展示されます)。画題も花鳥や山水、走獣果蔬から中国故事人物や宮廷風俗まで幅広く、金地着色もあれば水墨もあり、絵師も元信印のついたものや直信の印章が押されたものもあり、狩野派を中心にそれぞれ異なっているとのこと。一度全面を観てみたいものです。
俵屋宗達が扇屋を営んでいたという話は有名ですが、室町時代以降は京都の町には何軒も扇屋があり、貴賤を問わず“扇”は広く流通していたといいます。南禅寺の「扇面貼交屛風」のようにオーダーメイドあるいは既製品の扇面を貼り付けた屏風もあれば、最初から屏風に貼る目的で描かれたものもあり、人々が“扇”をいかに楽しんでいたか、中世の人々の豊かな感性が見えてきます。
「源氏物語」の物語が各扇面に描かれた豪華な屏風もあれば、源平合戦や北野天神縁起が描かれたものもあり、生活の調度品(または嫁入り道具)としてだけでなく、布教や信仰のツールとして、あるいは古扇の保存目的として、さまざまな用途で扇面貼交屏風が制作されていたのだなとも感じます。和歌や物語のあらすじが扇の折れ目に沿って丁寧に描かれたものや、細密に描かれた物語絵など、扇面に広がる絵や書を観ていると、“扇”を開くことで徐々に現れる物語や臨場感を昔の人は楽しんでいたのでしょうね。
最後の方に、江戸絵画の絵師が描いた扇面が複数展示されていました。扇絵を描かなかった江戸絵師はいないというだけあり、芦雪や芳中、抱一、蕪村など絵師の個性がそれぞれ出ていて面白い。大雅の死後、妻・玉瀾が扇絵を描いて生計を立てていたというエピソードが泣けます。
ほかにも“扇”にまつわる浮世絵や着物、工芸品なども多く、“扇”をめぐるバラエティに富んだ日本人の高い美意識や豊かな感性に脱帽します。
【扇の国、日本】
2019年1月20日(日)まで
サントリー美術館にて
本展は、“扇”をめぐる美の世界を、幅広い時代と視点から紹介するというもの。涼を取る道具としての“扇”や、儀礼や祭祀で使われた“扇”、ご神体や仏像の納入品としての“扇”、ノートやメモ代わりに使われた“扇”などなど、様々な使われ方をした‟扇”があって、“扇”の狭い画面の中に繰り広げられるアイデアや美の世界に感心します。
てっきり“扇”は中国から入ったものかと思ってましたが、日本で生まれ発展したものだそうです。古代エジプトや中国にも煽いで風を送る道具として団扇のようなものはありましたが、薄い板や紙を開閉して使えるようにした‟扇”は日本オリジナルなのだとか。“扇”の起源は不明ですが、奈良時代にはすでに存在したともされ、10世紀末には中国や朝鮮に贈答品として贈られていたそうです。
ジャポニスムに影響された印象派やナビ派の作品にもときどき“扇”が描かれた作品がありますが、会場の最初のコーナーにはパリ万博(1855年)に出品されたという長澤芦雪や狩野探幽、歌川豊国の扇絵があって、日本を飛び越え海外の人までも魅了した“扇”の美の世界に興味が広がります。
会場の構成は以下の通りです:
序章 ここは扇の国
第1章 扇の呪力
第2章 流れゆく扇
第3章 扇の流通
第4章 扇と文芸
第5章 花ひらく扇
終章 ひろがる扇
檜扇の現存最古の作例という島根・佐太神社の「彩絵檜扇」は平安時代(12世紀)のもの。社殿の奥に大切に保管されていたという云わば御神体です。一部欠損がありますが、紅葉と山や水をイメージさせる緑や群青のぼかしを配したやまと絵は今も美しい。
仏像の胎内に納入されていたという“扇”や経典を土に埋める経塚から出土した“扇”なども展示されていて、スペース的にあまり詳しく触れられてはいませんでしたが、中には人骨とともに出土した例や斎串(玉串のように地に刺して神に供えるもの)として使用された例もあったと聞きます。今ではあまりピンときませんが、中世の人々は“扇”に呪力を見ていたのでしょう。展示されている遺品からは“扇”に託された神聖なメッセージが伝わってきます。
「彩絵檜扇」(重要文化財)
平安時代・12世紀 佐太神社蔵(島根県立古代出雲歴史博物館寄託)
(展示は12/24まで)
平安時代・12世紀 佐太神社蔵(島根県立古代出雲歴史博物館寄託)
(展示は12/24まで)
檜扇は古い時代のもの、紙扇はそのあとに登場したものと単純に頭の中にあったのですが、確かにもともとは木簡を束ね糸を通したものから日常品としての檜扇に発展したようですが、平安時代には檜扇を冬用、紙扇を夏用と使い分けられていたのだそうです。時代が進むにつれ、“扇”はファッションアイテムとして持て囃され、だんだんと装飾性が増していきます。
狩野杢之助 「扇面流図」(重要文化財)
寛永10年(1633年)頃 名古屋城総合事務所蔵
寛永10年(1633年)頃 名古屋城総合事務所蔵
“扇”は「あふぎ」の音から「逢う儀」、つまり再会を願ったり、餞別に用いたりすることが多く、そこから“扇流し”が生まれたといいます。名古屋城の将軍専用の浴室の襖絵だったという「扇面流図」は投げた“扇”が舞って水面に入る瞬間までを描いているそうで、なんとも優雅。扇面には四季の草花や唐子なども描かれ、遊び心に溢れています。
「舞踊図」(重要美術品)
江戸時代・17世紀 サントリー美術館蔵(会期中場面替えあり)
江戸時代・17世紀 サントリー美術館蔵(会期中場面替えあり)
初期風俗画の「舞踊図」がいいですね。トンボが描かれた着物を着た女性の持つ扇は秋草だったり、鶴をあしらった着物を着た女性の扇は秋草だったり、着物の紋様と扇面に描かれたモチーフの組み合わせもオシャレ。
狩野派ほか 「扇面貼交屛風」(重要美術品)
室町~江戸時代 16~17世紀 南禅寺蔵(写真は一部)
室町~江戸時代 16~17世紀 南禅寺蔵(写真は一部)
近世のやまと絵や琳派でよく目にする扇面散屏風も多く、中でも興味深かったのが京都・南禅寺所蔵の「扇面貼交屛風」。室町時代にさかのぼる貴重な遺品とされ、16世紀初めから17世紀初めまでの100年の間に制作された扇面が貼り付けられているそうです。その数240面。なんと8隻もあるのだとか(期間中2隻が場面替えで展示されます)。画題も花鳥や山水、走獣果蔬から中国故事人物や宮廷風俗まで幅広く、金地着色もあれば水墨もあり、絵師も元信印のついたものや直信の印章が押されたものもあり、狩野派を中心にそれぞれ異なっているとのこと。一度全面を観てみたいものです。
「扇屋軒先図」
江戸時代・17世紀 大阪市立美術館(田万コレクション)蔵
江戸時代・17世紀 大阪市立美術館(田万コレクション)蔵
俵屋宗達が扇屋を営んでいたという話は有名ですが、室町時代以降は京都の町には何軒も扇屋があり、貴賤を問わず“扇”は広く流通していたといいます。南禅寺の「扇面貼交屛風」のようにオーダーメイドあるいは既製品の扇面を貼り付けた屏風もあれば、最初から屏風に貼る目的で描かれたものもあり、人々が“扇”をいかに楽しんでいたか、中世の人々の豊かな感性が見えてきます。
「源氏物語」の物語が各扇面に描かれた豪華な屏風もあれば、源平合戦や北野天神縁起が描かれたものもあり、生活の調度品(または嫁入り道具)としてだけでなく、布教や信仰のツールとして、あるいは古扇の保存目的として、さまざまな用途で扇面貼交屏風が制作されていたのだなとも感じます。和歌や物語のあらすじが扇の折れ目に沿って丁寧に描かれたものや、細密に描かれた物語絵など、扇面に広がる絵や書を観ていると、“扇”を開くことで徐々に現れる物語や臨場感を昔の人は楽しんでいたのでしょうね。
「源氏物語絵扇面散屏風」
室町時代・16世紀後半 浄土寺蔵(写真は左隻)
室町時代・16世紀後半 浄土寺蔵(写真は左隻)
最後の方に、江戸絵画の絵師が描いた扇面が複数展示されていました。扇絵を描かなかった江戸絵師はいないというだけあり、芦雪や芳中、抱一、蕪村など絵師の個性がそれぞれ出ていて面白い。大雅の死後、妻・玉瀾が扇絵を描いて生計を立てていたというエピソードが泣けます。
ほかにも“扇”にまつわる浮世絵や着物、工芸品なども多く、“扇”をめぐるバラエティに富んだ日本人の高い美意識や豊かな感性に脱帽します。
【扇の国、日本】
2019年1月20日(日)まで
サントリー美術館にて
2018/11/25
ピエール・ボナール展
国立新美術館で開催中の『ピエール・ボナール展』を観てきました。
ナビ派を代表するボナールの国内では37年ぶりとなる回顧展。オルセー美術館の所蔵作品を中心に、国内外のコレクションを含め、油彩画や素描、版画、写真など130点超の作品が集められています。
これまでもドニやヴァロットンの展覧会があったり、ボナールも2015年に三菱一号館美術館で開催された『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』や昨年同館で開催された『オルセーのナビ派展』でまとまった形で観る機会があったり、ナビ派は近年再評価が進んでいるので、今回のボナール展は待望の展覧会といえるのではないでしょうか。
昨年の『オルセーのナビ派展』は好評でしたし、お客さんもそこそこ入っていたと思ったのですが、ボナール展はガラガラだなんて話も聞き、ちょっと心配してましたが、私が行ったのは開幕してから1ヶ月以上たった11月の日曜日の午後ということもあり、混んでるというほどではないけれど、適度にお客さんが入っていて一安心しました。
会場の構成は以下の通りです:
1 日本かぶれのナビ
2 ナビ派時代のグラフィック・アート
3 スナップショット
4 近代の水の精たち
5 室内と静物 「芸術作品-時間の静止」
6 ノルマンディーやその他の風景
7 終わりなき夏
ボナールがパリで日本美術展を観て、日本の浮世絵に衝撃を受けたのが1990年のこと。昨年の『オルセーのナビ派展』ではそれ以前の作品も展示されていましたが、本展では日本美術の影響を受けたあとの作品から始まります。
当時、日本美術に影響を受けた画家は大勢いますが、その中でもボナールは‟日本かぶれのナビ(ナビ・ジャポネール)”と呼ばれ、日本美術に特に傾倒していたことが知られています。屏風仕立ての「乳母たちの散歩、辻馬車の列」や、後ろ姿だけ見たらまるで日本の女の子のような「砂遊びをする子供」、遠近法を無視した平坦な色面や装飾的な表現で構成された「黄昏(クロッケーの試合)」や「白い猫」など、日本美術の影響を随所で感じることができます。
「庭の女性たち」は、『オルセーのナビ派展』にも出展されていましたが、「白い水玉模様の服を着た女性」「猫と座る女性」「ショルダー・ケープを着た女性」「格子柄の服を着た女性」から成る4点組装飾で、女性を大きくフィーチャーした構図や横顔を少し覗かせた後ろ姿が浮世絵の美人図を思わせます。草花や木々をあしらった装飾性は四季美人図といった様相です。
日本かぶれな中にも、インティメイトな雰囲気の小品や象徴主義風の作品、点描を中心とした新印象派的な作品など、ボナールの個性がさまざまな作品から知ることができます。
ボナールというとマルトの裸婦画も有名。1925年以降晩年にボナールが手掛けた‟浴槽の裸婦”は今回来てないのが不満ですが、1908年ごろから描き始めたという身体を洗う裸婦画や鏡に映った裸婦画など複数の裸婦画があるほか、マルトを描いた作品は裸婦画に限らず複数展示されています。
1990年代末から20世紀初頭にかけてのボナールと妻マルトのスナップショットもいくつかあって、二人のヌード写真なんかもあったりするのですが、マルトを描いた一連の作品群の一瞬の動きや表情を切り取ったようなスナップ的な光景は、こうした写真の影響もあるのだろうなと感じます。
実際ボナールは「不意に部屋に入ったとき一度に目に見えるもの」を描きたかったと語っていて、目にした光景をその場で素早くスケッチし、スケッチと記憶に頼りにアトリエでカンヴァスに向かったといいます。
本展のメインヴィジュアルにもなっているのがマルトとお馴染みの白猫を描いた「猫と女性」。子どもたちと一緒に白猫がお行儀よく食卓に並んで座っている「食卓の母と二人の子ども」も愛らしい。
今回の展覧会で印象に残った作品の一つが「桟敷席」。ボナールにしては薄暗い色彩で、中央に立つ人は顔の上部が描かれてなく、桟敷席には似つかわしくない倦怠感が伝わってきて、先日観たムンクを思わせもします。ボナールの作品には、不穏な空気が漂っていたり、人々の視線が交わらなかったり、こうした憂鬱な人物を描いた作品が時々あります。
パリ郊外ヴェルノンに移り住んでからの作品は、明るい陽光と色彩溢れる華やかな自然の描写が美しく、遠近感のない平坦な描写も相まって、マティスのようだったり、まるでホックニーのようだったり、これまでの室内を中心とした作品とはかなり違った印象を受けるようになります。ウジェーヌ・ブーダンを思い起こさせるトゥルーヴィルを描いた作品もありました。
晩年のボナールの作品には、大画面の装飾壁画や古代アルカディアのような風景画など、神話や牧歌的な傾向が強まり、南仏ル・カネに移り住んでからは、さらに原色に近い単純明快な色彩が増し、とても興味深いものがあります。南仏のカラフルな風景とふくよかな女性が描かれた「地中海の庭」などはまるで晩年のルノワールを観るような思いがしました。
会場の最後には、甥の手を借りて描いたという遺作の「アーモンドの木」があります。出来栄えに満足せず、最後に足した左下の黄色の絵具はボナールの色彩へのこだわりが感じられて涙ものです。
【オルセー美術館特別企画 ピエール・ボナール展】
2018年12月17日(月)まで
国立新美術館にて
もっと知りたいボナール 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
ナビ派を代表するボナールの国内では37年ぶりとなる回顧展。オルセー美術館の所蔵作品を中心に、国内外のコレクションを含め、油彩画や素描、版画、写真など130点超の作品が集められています。
これまでもドニやヴァロットンの展覧会があったり、ボナールも2015年に三菱一号館美術館で開催された『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』や昨年同館で開催された『オルセーのナビ派展』でまとまった形で観る機会があったり、ナビ派は近年再評価が進んでいるので、今回のボナール展は待望の展覧会といえるのではないでしょうか。
昨年の『オルセーのナビ派展』は好評でしたし、お客さんもそこそこ入っていたと思ったのですが、ボナール展はガラガラだなんて話も聞き、ちょっと心配してましたが、私が行ったのは開幕してから1ヶ月以上たった11月の日曜日の午後ということもあり、混んでるというほどではないけれど、適度にお客さんが入っていて一安心しました。
会場の構成は以下の通りです:
1 日本かぶれのナビ
2 ナビ派時代のグラフィック・アート
3 スナップショット
4 近代の水の精たち
5 室内と静物 「芸術作品-時間の静止」
6 ノルマンディーやその他の風景
7 終わりなき夏
ピエール・ボナール 「黄昏(クロッケーの試合)」
1892年 オルセー美術館蔵
1892年 オルセー美術館蔵
ボナールがパリで日本美術展を観て、日本の浮世絵に衝撃を受けたのが1990年のこと。昨年の『オルセーのナビ派展』ではそれ以前の作品も展示されていましたが、本展では日本美術の影響を受けたあとの作品から始まります。
当時、日本美術に影響を受けた画家は大勢いますが、その中でもボナールは‟日本かぶれのナビ(ナビ・ジャポネール)”と呼ばれ、日本美術に特に傾倒していたことが知られています。屏風仕立ての「乳母たちの散歩、辻馬車の列」や、後ろ姿だけ見たらまるで日本の女の子のような「砂遊びをする子供」、遠近法を無視した平坦な色面や装飾的な表現で構成された「黄昏(クロッケーの試合)」や「白い猫」など、日本美術の影響を随所で感じることができます。
ピエール・ボナール 「白い猫」
1894年 オルセー美術館蔵
1894年 オルセー美術館蔵
「庭の女性たち」は、『オルセーのナビ派展』にも出展されていましたが、「白い水玉模様の服を着た女性」「猫と座る女性」「ショルダー・ケープを着た女性」「格子柄の服を着た女性」から成る4点組装飾で、女性を大きくフィーチャーした構図や横顔を少し覗かせた後ろ姿が浮世絵の美人図を思わせます。草花や木々をあしらった装飾性は四季美人図といった様相です。
ピエール・ボナール 「庭の女性たち」
(左から「白い水玉模様の服を着た女性」「猫と座る女性」
「ショルダー・ケープを着た女性」「格子柄の服を着た女性」)
1890-91年 オルセー美術館蔵
(左から「白い水玉模様の服を着た女性」「猫と座る女性」
「ショルダー・ケープを着た女性」「格子柄の服を着た女性」)
1890-91年 オルセー美術館蔵
日本かぶれな中にも、インティメイトな雰囲気の小品や象徴主義風の作品、点描を中心とした新印象派的な作品など、ボナールの個性がさまざまな作品から知ることができます。
ピエール・ボナール 「ランプの下の昼食」
1898年 オルセー美術館蔵
1898年 オルセー美術館蔵
ボナールというとマルトの裸婦画も有名。1925年以降晩年にボナールが手掛けた‟浴槽の裸婦”は今回来てないのが不満ですが、1908年ごろから描き始めたという身体を洗う裸婦画や鏡に映った裸婦画など複数の裸婦画があるほか、マルトを描いた作品は裸婦画に限らず複数展示されています。
ピエール・ボナール 「化粧台」
1908年 オルセー美術館蔵
1908年 オルセー美術館蔵
1990年代末から20世紀初頭にかけてのボナールと妻マルトのスナップショットもいくつかあって、二人のヌード写真なんかもあったりするのですが、マルトを描いた一連の作品群の一瞬の動きや表情を切り取ったようなスナップ的な光景は、こうした写真の影響もあるのだろうなと感じます。
実際ボナールは「不意に部屋に入ったとき一度に目に見えるもの」を描きたかったと語っていて、目にした光景をその場で素早くスケッチし、スケッチと記憶に頼りにアトリエでカンヴァスに向かったといいます。
ピエール・ボナール 「猫と女性 あるいは 餌をねだる猫」
1912年頃 オルセー美術館蔵
1912年頃 オルセー美術館蔵
本展のメインヴィジュアルにもなっているのがマルトとお馴染みの白猫を描いた「猫と女性」。子どもたちと一緒に白猫がお行儀よく食卓に並んで座っている「食卓の母と二人の子ども」も愛らしい。
今回の展覧会で印象に残った作品の一つが「桟敷席」。ボナールにしては薄暗い色彩で、中央に立つ人は顔の上部が描かれてなく、桟敷席には似つかわしくない倦怠感が伝わってきて、先日観たムンクを思わせもします。ボナールの作品には、不穏な空気が漂っていたり、人々の視線が交わらなかったり、こうした憂鬱な人物を描いた作品が時々あります。
ピエール・ボナール 「桟敷席」
1908年 オルセー美術館蔵
1908年 オルセー美術館蔵
パリ郊外ヴェルノンに移り住んでからの作品は、明るい陽光と色彩溢れる華やかな自然の描写が美しく、遠近感のない平坦な描写も相まって、マティスのようだったり、まるでホックニーのようだったり、これまでの室内を中心とした作品とはかなり違った印象を受けるようになります。ウジェーヌ・ブーダンを思い起こさせるトゥルーヴィルを描いた作品もありました。
晩年のボナールの作品には、大画面の装飾壁画や古代アルカディアのような風景画など、神話や牧歌的な傾向が強まり、南仏ル・カネに移り住んでからは、さらに原色に近い単純明快な色彩が増し、とても興味深いものがあります。南仏のカラフルな風景とふくよかな女性が描かれた「地中海の庭」などはまるで晩年のルノワールを観るような思いがしました。
ピエール・ボナール 「花咲くアーモンドの木」
1946-47年 オルセー美術館蔵
1946-47年 オルセー美術館蔵
会場の最後には、甥の手を借りて描いたという遺作の「アーモンドの木」があります。出来栄えに満足せず、最後に足した左下の黄色の絵具はボナールの色彩へのこだわりが感じられて涙ものです。
【オルセー美術館特別企画 ピエール・ボナール展】
2018年12月17日(月)まで
国立新美術館にて
もっと知りたいボナール 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
2018/11/21
ムンク展
東京都美術館で開催中の『ムンク展 -共鳴する魂の叫び』を観てきました。
ムンクの展覧会は5年に1回ぐらいのペースでやってる気がしますが、東京で『ムンク展』が開催されるのは約10年ぶり。今回最大の目玉は、約25年ぶりの来日となる「叫び」。10年前の『ムンク展』には「叫び」が来てないので、そういう意味では待望の展覧会です。
本展は、ムンクの世界最大のコレクションを有するオスロ市立ムンク美術館の所蔵作品を中心に、約60点の油彩画に版画や素描などを加えた約100点の作品が集まっています。
10年前に国立西洋美術館で開催された『ムンク展』は、装飾画家としての観点でムンクを見直し、会場もムンクの代表的な装飾プロジェクトごとに構成するという内容でしたが、今回はムンクの軌跡を初期から晩年まで辿り、その多彩な画業を振り返るという回顧展になっています。ムンクを初めて観る人にも、ムンクを見直したい人にも、広くお勧めできる内容です。
会場の構成は以下の通りです:
1.ムンクとは誰か
2.家族-死と喪失
3.夏の夜-孤独と憂鬱
4.魂の叫び-不安と絶望
5.接吻、吸血鬼、マドンナ
6.男と女-愛、嫉妬、別れ
7.肖像画
8.躍動する風景
9.画家の晩年
最初に登場するのがムンクの自画像。肖像画というのは画家の内面性がリアルに現れるなと感じることが多いのですが、ムンクも全く同じで、黒い背景に顔だけが白く浮かび上がったモノクロームのリトグラフからは自己を見つめる何か鬱々としたものを感じます。「叫び」や「不安」を思わせる色彩に上半身裸という異様な雰囲気の「地獄の自画像」は恋人に拳銃で撃たれるという事件が発生したあとに描かれたということを知ると、なんか妙に納得したりして。
もう少し先のコーナーに最初期の自画像が展示されていましたが、こちらはオーソドックスな描き方。同時代に描かれた家族の肖像画なんかも印象派的なところがあって、ムンクがどういうところから出発したのかということを知る上でも参考になります。今でいう自撮り写真もいくつかあって、写真という新しいメディアに興味津々だった様子も窺えます。
ムンクの画風が変化するのはパリ留学から戻ってきたあと。「病める子」からは早くに亡くした母や姉の記憶、運命の残酷さや命の儚さ、生きていくことの不安などが見えてきます。一般的なイメージの人魚とはかけ離れて何処か疲れた様子の「夏の夜、人魚」、浜辺で肩を落とし海を見つめる青年を描いた「メランコリー」、女性の二面性を象徴したような背中合わせの女性の姿が印象的な「赤と白」、背をぴんとさせ湖畔に佇む女性から官能的なムードが漂う「夏の夜、声」など、どの作品もどこか内面的で、ムンクの不安や苦悩、憧憬など様々な思いが滲み出てるように感じます。
そして、「叫び」。観に行った日は日曜日で、16時頃に会場に入ったのですが、「叫び」の前はさすがに黒山の人だかり状態。一旦後回しにし、最後まで一通り観終わってから閉館30分前に戻ると、あれだけいた人もほとんどいなくなり、じっくり「叫び」と観ることができました。
「叫び」には複数のバージョンがあって、今回来日するのはムンク美術館所蔵のテンペラ画バージョン(1910年制作)で日本では初公開。25年前の出光美術館の『ムンク展』ではわたしも長い行列に並んで「叫び」を観ましたが、あのとき来たのはオスロ国立美術館所蔵のテンペラ画バージョン(1893年制作)でこれがオリジナル。今回来日している「叫び」はオリジナルの「叫び」が売却(その後、オスロ国立美術館に寄贈)されたのを受けてあらためて制作されたものだといいます。
このほか「叫び」は、ムンク美術館が所蔵しているパステル画バージョン(1893年制作)と数年前にサザビーズで競売にかけられ現在個人が所蔵しているパステル画バージョン(1895年制作)があって、限定45枚が摺られたリトグラフ版(1895年制作)というのもあります。
「叫び」は何度か盗難に遭ったことでも有名。オスロ国立美術館所蔵の「叫び」が盗まれたのが出光美術館の『ムンク展』が終わってノルウェーに戻った直後だっただけにとても驚いたことをよく覚えています。今回来日している「叫び」も2004年にムンク美術館から盗まれていて、2年後に発見されるも液体による損傷を受け、その後修復され今回こうしてお目にかかることができたというわけです。
ムンクの名前を知らなくても、美術に全く興味がなくても、誰でもそのタイトルと画像を知っている作品としては「叫び」はダ・ヴィンチの「モナ・リザ」と双璧を成すのではないでしょうか。縦90cm以上ある比較的大きな絵で、やはり実物を観ると圧倒されますし、見れば見るほど不思議な絵ですし、全然飽きません。
血のように赤くなった夕陽がフィヨルドと街を覆い、自然を貫くような叫びが聞こえたという体験から生まれたという「叫び」ですが、「叫び」に先駆けてムンクが描いたのが「絶望」。エーケベルグ三部作と呼ばれる「叫び」「絶望」「不安」は並んで展示されていて、これほどまでにネガティブで鬱々としたイメージを与える連作もないのですが、ムンクがオスロで体験した原光景をどのように追い求め、表現していったかも感じ取れて、とても興味深いものがあります。
続いては、これもムンクを代表する「接吻」と「吸血鬼」と「マドンナ」。ムンクは「接吻」「吸血鬼」「マドンナ」のモチーフを繰り返し描いていて、本展でもさまざまなバリエーションが展示されています。前回の国立西洋美術館の『ムンク展』でも取り上げられていましたが、ここまで複数の作品の展示はありませんでした。このコーナー以外に展示されている作品にも「接吻」や「吸血鬼」などのモチーフを思わせる作品があったりして、ムンクがこれらのテーマにとてもこだわっていたことが窺えます。
「生命のダンス」はムンクが1890年代に制作した《生命のフリーズ》というシリーズの中核をなす作品。「叫び」や「絶望」「不安」も《生命のフリーズ》の中の作品という位置づけで、ムンクは自分の展覧会やアトリエで装飾プロジェクトとしてその構成や並びにこだわったといいます。豊かな色彩も印象的です。「叫び」もカラフルといったらカラフルなのですが、もともとゴーギャンやセザンヌなど後期印象派の影響を受けている人だけに(初期の作品にもゴーギャンやセザンヌの影響を感じさせる作品がありますが)、特に1910年前後あたりを境に、カラフルな色使いにしばしば目が留まります。
「星月夜」はタイトルからしてそうですが、星空なんかゴッホへのオマージュなのかなと思います。最初の方のコーナーにあった「星空の下で」にも「星月夜」と同じ星空の描き方がされていました。
ムンクは意外なことに肖像画家として人気があったといいます。ニーチェの肖像画の背景なんて最高ですね。「叫び」のような背景を描いて、まるでセルフパロディなのかと思いました。ニーチェはどう思ったのか知りませんが、こんな肖像画を描かれたら、ムンクのファンなら泣いて喜ぶのではないでしょうか。
10年前の『ムンク展』と被ってる作品も多いのですが、やはり「叫び」が来ているというだけでも観る価値がありました。死や不安、愛や生命、ムンクの様々な顔を知ることができます。
【ムンク展 -共鳴する魂の叫び】
2019年1月20日(日)まで
東京都美術館にて
『ムンク展 共鳴する魂の叫び』 公式ガイドブック (AERAムック)
ムンクの展覧会は5年に1回ぐらいのペースでやってる気がしますが、東京で『ムンク展』が開催されるのは約10年ぶり。今回最大の目玉は、約25年ぶりの来日となる「叫び」。10年前の『ムンク展』には「叫び」が来てないので、そういう意味では待望の展覧会です。
本展は、ムンクの世界最大のコレクションを有するオスロ市立ムンク美術館の所蔵作品を中心に、約60点の油彩画に版画や素描などを加えた約100点の作品が集まっています。
10年前に国立西洋美術館で開催された『ムンク展』は、装飾画家としての観点でムンクを見直し、会場もムンクの代表的な装飾プロジェクトごとに構成するという内容でしたが、今回はムンクの軌跡を初期から晩年まで辿り、その多彩な画業を振り返るという回顧展になっています。ムンクを初めて観る人にも、ムンクを見直したい人にも、広くお勧めできる内容です。
会場の構成は以下の通りです:
1.ムンクとは誰か
2.家族-死と喪失
3.夏の夜-孤独と憂鬱
4.魂の叫び-不安と絶望
5.接吻、吸血鬼、マドンナ
6.男と女-愛、嫉妬、別れ
7.肖像画
8.躍動する風景
9.画家の晩年
ムンク 「自画像」
1882年 オスロ市立ムンク美術館蔵
1882年 オスロ市立ムンク美術館蔵
最初に登場するのがムンクの自画像。肖像画というのは画家の内面性がリアルに現れるなと感じることが多いのですが、ムンクも全く同じで、黒い背景に顔だけが白く浮かび上がったモノクロームのリトグラフからは自己を見つめる何か鬱々としたものを感じます。「叫び」や「不安」を思わせる色彩に上半身裸という異様な雰囲気の「地獄の自画像」は恋人に拳銃で撃たれるという事件が発生したあとに描かれたということを知ると、なんか妙に納得したりして。
ムンク 「地獄の自画像」
1903年 オスロ市立ムンク美術館蔵
1903年 オスロ市立ムンク美術館蔵
もう少し先のコーナーに最初期の自画像が展示されていましたが、こちらはオーソドックスな描き方。同時代に描かれた家族の肖像画なんかも印象派的なところがあって、ムンクがどういうところから出発したのかということを知る上でも参考になります。今でいう自撮り写真もいくつかあって、写真という新しいメディアに興味津々だった様子も窺えます。
ムンク 「夏の夜、人魚」
1893年 オスロ市立ムンク美術館蔵
1893年 オスロ市立ムンク美術館蔵
ムンクの画風が変化するのはパリ留学から戻ってきたあと。「病める子」からは早くに亡くした母や姉の記憶、運命の残酷さや命の儚さ、生きていくことの不安などが見えてきます。一般的なイメージの人魚とはかけ離れて何処か疲れた様子の「夏の夜、人魚」、浜辺で肩を落とし海を見つめる青年を描いた「メランコリー」、女性の二面性を象徴したような背中合わせの女性の姿が印象的な「赤と白」、背をぴんとさせ湖畔に佇む女性から官能的なムードが漂う「夏の夜、声」など、どの作品もどこか内面的で、ムンクの不安や苦悩、憧憬など様々な思いが滲み出てるように感じます。
ムンク 「叫び」
1910年? オスロ市立ムンク美術館蔵
1910年? オスロ市立ムンク美術館蔵
そして、「叫び」。観に行った日は日曜日で、16時頃に会場に入ったのですが、「叫び」の前はさすがに黒山の人だかり状態。一旦後回しにし、最後まで一通り観終わってから閉館30分前に戻ると、あれだけいた人もほとんどいなくなり、じっくり「叫び」と観ることができました。
「叫び」には複数のバージョンがあって、今回来日するのはムンク美術館所蔵のテンペラ画バージョン(1910年制作)で日本では初公開。25年前の出光美術館の『ムンク展』ではわたしも長い行列に並んで「叫び」を観ましたが、あのとき来たのはオスロ国立美術館所蔵のテンペラ画バージョン(1893年制作)でこれがオリジナル。今回来日している「叫び」はオリジナルの「叫び」が売却(その後、オスロ国立美術館に寄贈)されたのを受けてあらためて制作されたものだといいます。
このほか「叫び」は、ムンク美術館が所蔵しているパステル画バージョン(1893年制作)と数年前にサザビーズで競売にかけられ現在個人が所蔵しているパステル画バージョン(1895年制作)があって、限定45枚が摺られたリトグラフ版(1895年制作)というのもあります。
「叫び」は何度か盗難に遭ったことでも有名。オスロ国立美術館所蔵の「叫び」が盗まれたのが出光美術館の『ムンク展』が終わってノルウェーに戻った直後だっただけにとても驚いたことをよく覚えています。今回来日している「叫び」も2004年にムンク美術館から盗まれていて、2年後に発見されるも液体による損傷を受け、その後修復され今回こうしてお目にかかることができたというわけです。
ムンク 「絶望」
1894年 オスロ市立ムンク美術館蔵
1894年 オスロ市立ムンク美術館蔵
ムンク 「不安」
1896年 オスロ市立ムンク美術館蔵
1896年 オスロ市立ムンク美術館蔵
ムンクの名前を知らなくても、美術に全く興味がなくても、誰でもそのタイトルと画像を知っている作品としては「叫び」はダ・ヴィンチの「モナ・リザ」と双璧を成すのではないでしょうか。縦90cm以上ある比較的大きな絵で、やはり実物を観ると圧倒されますし、見れば見るほど不思議な絵ですし、全然飽きません。
血のように赤くなった夕陽がフィヨルドと街を覆い、自然を貫くような叫びが聞こえたという体験から生まれたという「叫び」ですが、「叫び」に先駆けてムンクが描いたのが「絶望」。エーケベルグ三部作と呼ばれる「叫び」「絶望」「不安」は並んで展示されていて、これほどまでにネガティブで鬱々としたイメージを与える連作もないのですが、ムンクがオスロで体験した原光景をどのように追い求め、表現していったかも感じ取れて、とても興味深いものがあります。
ムンク 「森の吸血鬼」
1916-18年 オスロ市立ムンク美術館蔵
1916-18年 オスロ市立ムンク美術館蔵
続いては、これもムンクを代表する「接吻」と「吸血鬼」と「マドンナ」。ムンクは「接吻」「吸血鬼」「マドンナ」のモチーフを繰り返し描いていて、本展でもさまざまなバリエーションが展示されています。前回の国立西洋美術館の『ムンク展』でも取り上げられていましたが、ここまで複数の作品の展示はありませんでした。このコーナー以外に展示されている作品にも「接吻」や「吸血鬼」などのモチーフを思わせる作品があったりして、ムンクがこれらのテーマにとてもこだわっていたことが窺えます。
ムンク 「生命のダンス」
1925年 オスロ市立ムンク美術館蔵
1925年 オスロ市立ムンク美術館蔵
「生命のダンス」はムンクが1890年代に制作した《生命のフリーズ》というシリーズの中核をなす作品。「叫び」や「絶望」「不安」も《生命のフリーズ》の中の作品という位置づけで、ムンクは自分の展覧会やアトリエで装飾プロジェクトとしてその構成や並びにこだわったといいます。豊かな色彩も印象的です。「叫び」もカラフルといったらカラフルなのですが、もともとゴーギャンやセザンヌなど後期印象派の影響を受けている人だけに(初期の作品にもゴーギャンやセザンヌの影響を感じさせる作品がありますが)、特に1910年前後あたりを境に、カラフルな色使いにしばしば目が留まります。
ムンク 「星月夜」
1922-24年 オスロ市立ムンク美術館蔵
1922-24年 オスロ市立ムンク美術館蔵
「星月夜」はタイトルからしてそうですが、星空なんかゴッホへのオマージュなのかなと思います。最初の方のコーナーにあった「星空の下で」にも「星月夜」と同じ星空の描き方がされていました。
ムンクは意外なことに肖像画家として人気があったといいます。ニーチェの肖像画の背景なんて最高ですね。「叫び」のような背景を描いて、まるでセルフパロディなのかと思いました。ニーチェはどう思ったのか知りませんが、こんな肖像画を描かれたら、ムンクのファンなら泣いて喜ぶのではないでしょうか。
ムンク 「フリードリヒ・ニーチェ」
1906年 オスロ市立ムンク美術館蔵
1906年 オスロ市立ムンク美術館蔵
10年前の『ムンク展』と被ってる作品も多いのですが、やはり「叫び」が来ているというだけでも観る価値がありました。死や不安、愛や生命、ムンクの様々な顔を知ることができます。
【ムンク展 -共鳴する魂の叫び】
2019年1月20日(日)まで
東京都美術館にて
『ムンク展 共鳴する魂の叫び』 公式ガイドブック (AERAムック)