2018/06/03

京都画壇の明治

ゴールデンウィークのときの話なので、書くのがすっかり遅くなってしまいましたが、京都市学校歴史博物館で開催中の『京都画壇の明治』を観てきました。

京都市学校歴史博物館と聞いて、どこよそれ?と調べてしまいましたが、四条河原町から徒歩10分圏内。河原町や祇園で買い物や食事をした足で歩いていけるし、バスで五条まで出れば京博にも行けるし、割と都合の付けやすい場所にありました。

そもそもは明治2年に開校した小学校を改修整備して開設した博物館で、京都の学校の歴史や、教科書・教材・教具などの資料が展示されています。ときどきこうした京都にまつわる日本美術の企画展もしているようです。

今回の企画展はその常設展示の奥をはじめ、3つの部屋を使って作品が展示されています。あまり話題になっていないのですが、幕末から明治20年代ぐらいまでの近代京都画壇の作品がなんと100点近く公開されるという結構なボリューム。前・中・後期に分かれていて、わたしが観に行った前期(4/28~5/15)では69点の作品が展示されていました(前中後期あわせて97点が公開されます)。明治初期の京都画壇だけでここまでの数の作品が観られる機会もなかなかないのではないでしょうか。

鈴木松年 「鬼の念仏・座頭」
個人蔵

円山・四条派や土佐派、岸派、森派など江戸から続く流派に始まり、京都府画学校の学校系や如雲社といった団体系など近代京都画壇を特徴づける明治期の動きもしっかり触れられています。

ふだん東京の美術館・博物館ばかりで観ているからなのか、そもそも近代日本画史の中で京都画壇が顧みられていないからなのか、たとえば鈴木派の活躍ぶりなど初めて知るようなこともあり、非常に興味深いものがありました。明治に入り狩野派や土佐派といった幕府や宮廷とつながりの深かった流派が衰退し、円山・四条派や鈴木派のような町絵師が残ったといわれています。

鈴木百年とその息子・松年は京都画壇のことを多少かじっていれば名前ぐらいは知ってますが、じゃあどんな画風かというとパッとは思い浮かびません。百年の門下には今尾景年や久保田米僊といった近代京都画壇の中心になる人がいて、さらに松年の弟子には上村松園もいたりと、鈴木派は幕末から明治前期にかけてかなりの勢いがあったようです。景年の「群芳百蟲図」や米僊の「因掲陀尊者図」なんかを観ると、このあたりはもっと評価すべきところなのではないだろうかと強く感じます。

久保田米僊 「因掲陀尊者図」
明治30年 個人蔵

京都画壇というと円山・四条派の流れを汲んだ画家が多く、望月玉泉、岸竹堂、原在泉などにいくつか印象的な作品がありました。やはり京都画壇の重鎮・幸野楳嶺や今尾景年、森寛斎あたりの作品には優れたものも多く、とくに森寛斎は南画風の「瓢風吹衣図」や伝統的な耕作図に南画的表現も取り入れ再構築した「四季耕作之図」など森狙仙を祖とする森派のイメージと大きく違い、ちょっと驚きました。

森寛斎 「瓢風吹衣図」
明治5年 敦賀市立博物館蔵

森寛斎 「四季耕作之図」
嘉永5年(1852) 横山商店蔵

東京の美校系の近代化した日本画に比べれば、京都画壇は全体的に旧態依然としたところはありますが、その中でも写実への目覚めや西洋画の影響などを見て取れる作品もあり、明治後期の竹内栖鳳や木島櫻谷、西村五雲といった近代京都画壇に移行していくだろうなという過渡期的なものも感じます。フェノロサが京都で行った講演が京都の画家を大いに刺激したこと、そこから京都画壇が新しい時代に入って行ったということも初めて知りました。

幸野楳嶺 「敗荷鴛鴦図」
明治10~20年代 敦賀市立博物館蔵

ほかにも巨勢小石の「白衣観音図」や斎藤松洲の「群鶴図」など、あまり知らない画家にも見どころのある作品がありました。いやいや京都画壇は侮れません。

巨勢小石 「白衣観音図」
明治45年 個人蔵

出品作の半分が個人蔵なので、画家のマイナーさを考えると滅多に公開されないでしょうし、京都画壇に興味のある人はこの機会を逃さない方がいいかもしれませんね。受付の方に伺ったところ、図録(?)は現在製作中で、このブログを書いた時点でまだ販売されていないようです。

時間の関係で残念ながら私は寄れなかったのですが、京都国立近代美術館の『明治150年展 明治の日本画と工芸』(5/20まで開催)と併せて観ると充実した京都画壇体験ができるんじゃないかと思いますよ。


【京都画壇の明治】
2018年6月19日まで
京都市学校歴史博物館にて


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